3-1 少年兵たちの休日

 キリクの故郷では、兵士の生活というと囚人生活に近いものを想像する人が多かった。ただ、よその国がどうかはともかく、今の帝国軍はそこまで過酷ではない。七日に一度、休日がある。申請して、それが通れば追加で休みをもらうこともできるのだ。街に住んでいる人たちは、緊急時以外は毎日家に帰らせてもらえる。ついでに言えば、皇室師団ともなれば給料も悪くない。ひょっとしたら、そこらの工業都市の働き手よりもずっと待遇がよいかもしれなかった。


 キリクが、独身寮仲間の一人に声をかけられたのは、不審者自害騒ぎの後、二度目の休日だった。ぼんやりと寝台に胡坐をかき、やることないな、などと考えていたところで、出かけないかと誘われたのだ。群れることが嫌いなキリクは、「ええー……」と渋ったのだが、その日は珍しく、少年も食い下がった。

「この部屋の面子とノーマンの五人で出かけよう、って話になってんだ。ほら、シモンがいい店知ってるから連れてってくれるんだってさ」

 ついでにおごってくんねーかな、と続けた彼――ヘンリーは短い金髪を乱暴にかき上げる。キリクは、目を見開いた。

「なんで、クリスが出てくんの」

「なんでも何も、あいつの提案なんだよ」

 少年は短く答えたが、それ以上は教えてくれなかった。ひょっとしたらクリストファーが口止めしているのかもしれない。キリクがそのことに気づいたのは、少年が途中からあからさまに視線をそらしたからだ。二人はそれぞれの寝台に胡坐をかいたまま、静かな攻防を繰り広げていたが、やがてキリクが折れた。

「分かったよ。一緒に行けばいいんだろ」

「そーそー。こんな天気のいい日に独身寮にこもってたら、腐っちまうぜ」

 勝利をもぎ取ったヘンリー少年は、手早く身支度を整えはじめる。別にこもってるつもりもなかったけど、という反論をのみこんで、キリクも財布と聖典を鞄にねじこんだ。


 上官の許可を得て外に出た同部屋の少年兵たちは、街の空気に圧倒されて、しばらく立ちすくんでいた。

 帝国の中心たる街には、本部の中とは違った、雑多なやかましさがある。人々のさざめき、馬蹄の響き、遠く汽笛の音色。それらは、あっという間に、世俗から離れていた少年たちをのみこんだ。彼らを引き戻したのは、はるか前方から聞こえた呼び声である。煉瓦造りの建物の前に立つ赤毛の少年が、そばかすだらけの顔を笑みに染めて、手を振っていた。クリストファー・ノーマンは彼らの方に駆けよってくると、ふだん関わりのない少年たちにも、愛想よく挨拶する。最後に、キリクの方を見た。

「おはよう。調子はどう?」

「……まあまあだよ」

 いつにもまして上機嫌なのを不思議に思いつつ、返す。クリストファーはキリクの言葉に、ことさらに喜んでいるように見えた。よかった、とうなずいたあと、彼は坊主頭の少年を振り返る。

「じゃあ、シモン。お願いしていいか」

「任された。でも、開店までもうちょっとあるはずだから、ゆっくり街でもながめながら行こうぜ」

 坊主頭ことシモンの提案に、少年たちは「さんせーい」と手をあげる。クリストファーひとりが頬をかいた。

 少年たちが元気よく繰り出した市街は、折よく昼前の活気にあふれた様子だった。馬車の響きの合間に、笛の音のようなものが聞こえてくる。路上演奏でもやっているのかもしれない。

 さかんに汽車の黒煙がたなびく。けれども、空気は思ったより煤けていなかった。大通りはきれいにならされ、道の脇や小路には、やわらかい色の石畳が敷き詰められている。細やかな配慮とさりげない上品さが、そこかしこから漂ってきていた。

 キリクは田舎にいた頃、帝都といったら煙突が立ち並んで薄黒く煙っているような場所だと思いこんでいたので、最初はかなりびっくりした。しかし、今となってはこのきれいすぎる空気にも慣れてきている。居心地がよいか悪いかは別として。

 前を行く坊主頭に迷いはない。看板や街路灯を目印にしているのか、ときおり立ち止まってはいるが、すぐにすいすいと歩いていく。キリクは、たまたま前を通りすぎたばかりの、木造の建物を振り返った。喫茶店かなにかかと思ったが、看板には『魔導具店』と書かれている。

「魔導具か……帝都にはいっぱいあるな、ああいう店」

 呟けば、隣にいた茶髪の少年が振り返る。ちなみに、名をロベールといった。

「作り手は少ないけど、需要はあるからな。東じゃやれ蒸気だ石炭だと騒いでるけど、帝国が強くなったのは魔導術のおかげって話もあるし」

「そうなのか? 俺は、魔導士ってそんなに見たことないぞ」

「都会じゃ道端にいるぜ」

 からからと笑った彼は、意味ありげにキリクを見て、「今、おまえのそばを通りすぎた奴がそうかもしれないしな」などと、ささやいた。振り返れば、見えるのは、黒いコートの後ろ姿。魔導士を見分けるすべなどないキリクは、両手をあげて首を振る。

 そうこうしているうちに、坊主頭のシモンが角をひとつ曲がった。少し歩いたところで、「着いたぜ」と立ち止まる。彼が楽しげに見上げたのは、帝都の路地になければ豪商の別宅かと勘違いしそうな、薄い赤色の壁がかわいらしい建物だった。扉の横にぶら下がっている看板のてっぺんでは、木彫りの栗鼠が木の実をかじっている。坊主頭の印象とはまるで違う店に連れてこられた少年たちは、一瞬、生温かい目で彼を見てしまった。

「もともと、姉貴が好きな場所でさあ」

 シモンは笑顔で胸を張る。少年たちは無言で視線をそらした。

 一応、大衆食堂のような場所らしく、扉を開けると人の声が波のように押し寄せてきた。キリクやロベールはつかのま頬をひきつらせたが、ほかの三人はそよ風が吹いたほどにも動じていない。ずんずんと奥へ分け入ると、ぽっかり空いていた席を確保した。

 キリクも椅子に腰かけたはいいものの、どうしていいか分からなかったので、ひとまずシモンに注文を任せてみた。ややしてやってきたのは、丸いパンに、腸詰と野菜を煮込んだスープという、軍の食堂とさほど代わり映えしない食事だった。ひとつだけ違うのは、丸っこい焼き菓子が赤いジャムとともに、小さな皿に盛られているという点である。

「お、やった! スコーンだ! ひょっとして、シモンの一押しはこれか」

「そうそう。ここのスコーンがおいしいんだよー。下町で売ってるみたいな偽物パチモンじゃないから、安心しろよな」

 金髪碧眼のヘンリー少年が目を輝かせると、なぜかシモンは胸を張ってそう言った。

 同じ部屋の少年たちは顔を見合わせ、笑声を立てる。ひとしきり笑った後、誰からともなく祈りの文言を唱えはじめた。食べ物を扱うお店に祈りの言葉が響くのは、帝都では日常風景だ。

 食前の祈りを終えたキリクは、顔を上げる。おなじみの笑顔が目の前にあった。みんながひと仕事終えて息を吐いている中で、クリストファーはにこにこしている。こういうときでもマイペースな友人に肩をすくめてみせてから、少年は食事に手をつける。

 キリクは、外の食事にいちいち驚いた。

 とにかくパンがやわらかい。少し噛んだだけで消えてしまったそれに戸惑いながら、続けてスープに手を伸ばす。匙ですくったスープは透明で、きらきら輝いて見えた。口に含めば一言では表現できない風味が、口いっぱいに広がる。いつもの塩味スープは、実は塩水なのではないか。そう疑いたくなるほどだった。

 いちいち静かに感激しているキリクを、シモンは終始おもしろそうに見ていた。彼がスコーンをひとかけら飲みこんだところで、また、得意気に笑う。キリクが視線を上げたところで、隣のヘンリーが、坊主頭を軽くはたいた。

「こいつ、実家は金持ちだからな。軍に入る前はいいもん食ってたらしい」

「えっ。初めて聞いた」

「あれ? 言ってなかったっけ。親父が魔導具の販売やっててな。結構儲けてんのよ」

 いちいち自慢げなシモンだが、そこにあまり嫌味を感じないのが彼の不思議なところでもある。割ったスコーンにジャムをつけたキリクは、「外に食べに出るときは、こいつを連れてくと安心だ」という同部屋の二人の助言に、すなおにうなずいておいた。

 しばらくは新兵らしく仕事の愚痴などを交換していた。キリクは、途中で視線を感じて横を向く。そばかすの散った顔が、はっきりとキリクの方を向いていた。

「どう? たまには、こうやって出かけるの、楽しくないか?」

 友人の問いかけに面食らったキリクは、スコーン片手に固まる。一拍置いてうなずいた。

「まあ、そうだな。毎週じゃなくていいけど」

 すると、クリストファーが目を細めた。母親に褒められた子どものように。

「よかった。いつものキリクだ」

「なんだよ、それ」

「だって、キリクさ。衛兵交代式の日から、なんか元気なかったじゃん」

 ハシバミ色の瞳が揺らぐ。

「……もしかして、こいつらを誘ったのは」

「うん。気分転換に、どうにかキリクを連れだせないかなって、相談してたんだよ。勝手なことして、ごめんな」

 キリクは唖然として、クリストファーと少年三人を見比べた。いつの間にか結託していた四人に呆れたが、次にはじんわりと温かいものが全身に染みわたっていた。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 少し目をそらしてお礼を言うキリクと、大人びて笑うクリストファー。いつもと逆の立場だが、なんだかそれも心地よい。キリクはふっと口もとをほころばせると、スコーンの最後のひとかけらを口の中で砕いた。


「この後、どうするよー。色街いくかー?」

「お、いいな」

 店を出るなり坊主頭が口を開き、金髪のヘンリーが便乗する。キリクはすかさず反対した。

「やだよ。なんでそんな発想になるんだ」

 彼としてはまっとうに意見したつもりだったのだが、同部屋の少年たちにはいっせいにしかめっ面を向けられた。

「えー、キリク、ノリ悪いなー。この潔癖、聖職者」

「正しくは、聖職者予備軍だよね」

「……おまえらさ、俺をいじめたいの?」

 キリクは肩を落とす。三人のからかい文句はともかく、クリストファーに冷静な指摘をされたとあっては、もはや怒る気も失せるというものだ。

「とりあえず『そういう場所』はなしで」

 キリクが念を押すと、同期たちはなんのかのと言いながらも、彼の意志を汲んでくれた。時間ぎりぎりまで大通りを散策することになった。

 軍本部の近くまで話しながら歩いていた五人は、急に人だかりが増えたことに気づいて、足を止める。今日は衛兵交代式だったと、遅れて思い出した。人混みの合間を縫って歩く軍人や、馬に乗って人々を誘導する警官の姿を見つけ、キリクは苦々しさをおぼえた。明らかに、前回の交代式よりもその人数が多い。どうしても、みずから命を絶った男の笑みが思い浮かんでしまった。クリストファーの気遣わしげな視線に、いつもの顔で答えたつもりだったが、繕いきれている自信はない。

 衛兵交代式を見たあと、本部に戻ることにした。こうして、キリクたちの帝都散策は終わる。

 セルフィラの名を叫ぶ少年に通行人が襲われた、という報が入ったのは、彼らが本部に戻って間もなくのことであった。

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