第二話 強襲

「ははは、ふははは、くははははははっ! なにを、なにを言いだすかと思えば講和? 講和だと? くふははは……確かに、確かに目が覚めたぞ、赤雪姫! 愉快なことを申すな、おぬしは!」

「光栄なの」

「よい道化だ、気に入った。話だけは聞いてやろう。講和というが、具体的にはどうする? この500年の妄執、そう簡単に断ち切れるものではないぞ。なにより、人間は貴様ら魔族を憎んでおるわ、貴様らが人間をむごたらしく殺したからこそな。講和──すなわち平和条約など飲めぬわ! 貴様らが降伏し、我らが家畜となるならば別だがな!」

「食料、そして資源の譲渡」

「────」


 小さな姫様の言葉に、ぴたりと、ロジニア皇帝の笑いが止まる。

 姫様はかすかに眼光を鋭くすると、一息に切り込んでいく。


「人類の領地は、いま大飢饉のはずなの。それも二年目の飢饉。どれだけの人間が死んだの?」

「さて……どうだったかの、リャンミル?」

「わずか200万人でございます、陛下」

「うむ、その程度よ。余の臣民は5000万。この程度では、ロジニアはびくともせぬわ」

「それはロジニアが、周辺諸国から税という形で食料物資をすべて吸い上げてのこと、なの。もし、その吸い上げるものがなくなれば、ロジニアもまた、滅ぶのではないの?」


 姫様の問いかけに、皇帝は口を閉ざす。

 しかし、閉口したという様子ではない。

 面白げに、その肩は揺れている。

 姫様は、試されているのだ。


「これは休戦や降伏とはわけが違うの。お互いが戦うすべと尊厳を残したまま、これ以上争わないとする誓いの約定なの」

「ロジニアは負けておらぬよ。堅牢な城もある。騎馬隊も、騎士団も精強かつ無傷。本国を支える神の結界は強力無比ぞ! たとえ貴様らが誇る戦略級魔術を100重ねようとも、我らに傷ひとつつけることすら適うまい。余の全身は、いまもロジニアと同じくしている。この玉体は神聖なる結界によっても守られ、けっして傷つかぬ」


 高笑いを重ねるロジニア皇帝。

 姫様は、その様子をベール越しに、じっと観察する。

 彼女の右手が、僅かな光を帯びた。


「……それでも、いずれ人類は空前絶後の苦しみに会うの。その前に、魔族と和解すべきなの」

「ならば問おう。国境はどうする?」

「リヒハジャ以南の土地はすべて返還するの。魔族の領地は、未来永劫リヒハジャまででかまわないの」

「そちらの国で採掘される資源は?」

「正当な対価で分割するの」

「魔族を恐れる人間に対する処遇はどうする?」

「毒物の、永久的な戦場利用の放棄。焦土作戦の即時撤回。ギロチンの廃止。この辺りは多岐に及ぶの。でも、ひとつ」

「おう」

「これだけは確実に、償えるということがあるの」

「それは?」


 ずいっと身を乗り出したロジニア皇帝に。

 姫様は。

 ソフィア王女は、小さな胸を張って、こう答えた。


「私の首は、必ずギロチンで落とすの。人類と魔族による、ナイド王国王族の処刑。それが、この戦争に対する、私の責任の取り方なの。戦争犯罪人である私は、自らの命を、この世界に還す用意があるの」

「姫様……!」


 叫んだのはアトラナートさんだった。

 彼女の8つの複眼が、悲痛に揺れる。

 隣では鉄仮面のデーエルスイワさんさえ、不安げな表情を見せていた。

 ふたりに対し、姫様は大丈夫だというように、手を掲げて見せる。

 ゆらゆらと、その手が振られる。


「アトラ。そのときにも、きちんとあなたの村は救うの。その手筈は、アーロン師が整えてくれているのです」

「ですが、ですだが、姫様ぁ」

「デーエルスイワ、そのときは私の首を落とす、それなりの地位のものが必要なの。ブギーマンを説得してほしいの。コレトーではかわいそうなの」

「それは……ですが……」

「お願いなの」

「……ッ」


 歯噛みするふたりを、ロジニア皇帝の欠伸が退ける。


「ふぁー……退屈な家族ごっこは終わったか?」

「いま終わったの。ロジニア皇帝陛下、このままいけばロジニアの民草は餓死してしまうの。あなたも上に立つものなの。民を守る義務があるはずなの。だから──」


「さて、そろそろであるな、リャンミル」


 ぞっとするほど冷たい声音で。

 皇帝は。

 姫様の言葉を遮った。

 次の刹那、この秘密の会談場に、外で待っていたはずの兵士がひとり駆け込んでくる。

 姫様秘蔵の即応近衛連隊。

 その隊長であるワーライオン──レニス・ダオだった。


「姫様、失礼を!」

「下がるの! いまは大切な話し合いの最中なの! この大陸の趨勢を決する条約をまとめているの! 話ならあとで──」

「この場所に、400万の人類軍が迫っております!」

「なっ──!?」


 目を見開き、絶句する姫様。

 そこには彼女が滅多に見せない、驚愕と呼ばれる感情が浮かんでいた。

 姫様は、即座にロジニア皇帝をにらみつける。

 皇帝は、御簾の向こうで静かに、眠たげに笑っていた。


「これより、神聖人類連合は悪しき魔族に鉄槌を降すべく、総進撃を開始する。総軍はこのシヤトラを通り、ナイドまで直進するのである」

「ロジニア皇帝陛下……はじめから、このつもりで時間を」

「そう、楽しい暇つぶしであったわ。。さて、ナイドの姫よ」


 静かな、恐ろしいほど静かな声音で、彼は姫様にこう問いかけた。


「これで最後になるやもしれぬが──その姿、余に見せてはくれぬか?」

「…………」


 姫様は、無言だった。

 無言のまま、魔術で二人を隔てていたベールを吹き飛ばした。

 だが、破壊の風はベールを吹き飛ばしたところで霧散し、消滅する──皇帝を守る結界というやつの力だろうか。

 それでもベールが取り払われたことで、お互いが、初めて顔を合わせることになった。


「────」

「────」


 ロジニア・ド・ヴィエトロ・ドノガは、僕が予想していたような屈強な男ではなかった。

 どこか面長な顔立ちの、口元に髭を生やした黒髪の壮年男性。

 髪は蓬髪、頭の上には傾いた王冠を乗っけている。

 顔には深いしわが刻まれており、その眼光は奇妙極まりないもので。

 なによりも──


「さようなら、お爺さま」

「おう、さらばじゃ孫娘よ。おぬしが相手でなければ、この場で斬り殺していたであろうな……一度言い出したら聞かぬところなど……あのバカ娘に、瓜二つじゃ……」


 彼と彼女の瞳は、同じように赤い、それだった。


「姫様!」

「姫様ぁ!」


 レニスさんとアトラナートさん、デーエルスイワさんに促され、姫様がその場から退く。

 姫様の祖父である人類の皇帝は、その背中を黙って見送った。

 彼のそばに控えていた美少年が、僕へ、


「では、マスター。また戦場で会いましょう」


 、そういったのが聞こえた。


 僕らは、ナイドへと戻るべく、馬を飛ばした。


 それが──最後の悲劇に続くことを、きっと姫様は知っていたのに。

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