第三話 楽になりましょ、トリップしましょ?

「私をどうするつもりだ! 畜生にも劣る魔族風情が! 私はナイド方面軍司令官付き次官、ニッケル・ド・アイサム特佐だぞ……!」


 ナイド王城の地下に設けられた牢獄で、その若く居丈高な人間は、聞いてもいないことをわめきたてていた。

 この場にいるのは、彼と僕、そしてブギーマンさんに姫様、それに数名の兵士と──さらに数名の、人間の子どもだけだった。

 アイサム特佐は、四肢を鎖で拘束され、首も壁に埋め込まれた器具でつながれているため、身動きが取れない。

 さしずめ、ほえるだけが彼にできる抵抗である。


「いや、舌をかみ切る意気地もないわけですが」

「へぇー、こいつはホムンクルスの旦那。旦那には、そんな意気地があるんですかい?」

「ブギーマンさん、僕は無駄死にするのがなにより嫌なホムンクルスです。舌をかみ切るぐらいなら、自分の持っている情報を詳らかに口にしますよ」


 そう、ギーアニアさまを相手取ったときのように。


「貴様ら……私はそのような卑劣な、同胞を売るような真似はしない! 魔族ならばその程度だろうがな!」


 アイサムさんはわかりやすく虚勢を張ってくれる。

 いまのことろ、彼は拷問らしい拷問を受けていない。

 ギロチンも知らないだろうし、まあ、高をくくっている節がある。

 反骨心丸出しだ。

 僕は姫様を見た。

 姫様は小さく頷くと、アイサムさんに話しかける。


「初めましてなの、ニッケル・ド・アイサム特佐。私はこの国──魔族の暫定的な指導者である魔王、フィロ・ソフィア・フォン・ナイド=ネイドなの。今日は少しだけ、お話を聞かせてほしいの」


 姫様のその言葉を聞いて、アイサムさんは一瞬目を丸くして、次の瞬間噴き出した。


「はっ! はははは! 貴様のような卑小なガキが魔族の指導者!? ならばこの戦、勝ったも同然だ! 早く私を解放し給え! 特別に苦しまずに処刑してやる!」

「私の母の名前はエレオス・アガフィ・フォン・ナイド=ネイド」


 彼女は侮蔑をものともせず、冷徹な声音で告げる。


「旧姓ロジニア・ド・エレオス・アガフィ、なの」

「──」


 罵声を吐き出しかけていたアイサムさんの咽喉が、ごくりと鳴った。

 生唾を飲み、息を詰まらせ、彼は恐怖にわなないて。

 彼は姫様を、まじまじと見つめる。

 なぜならば、その名前は。


「ろ、ロジニア皇帝陛下の、第一王女様の──」


 それが、姫様が姉上ふたりから疎まれた理由。

 彼女の母親が、一度は魔族に受け入れられなかった理由。

 エレオスさまが、ロジニア神聖帝国皇帝の一人娘だったがゆえに。


「当時、つっても20年ぐらい前ですがね。人間と魔族は、そりゃあ泥沼の殺しあいをやってたんでさ。いつどっちが亡びてもおかしくねぇ総力戦。実際、死者の数は1000000を下らなかった。そいつをお止めになったのが、エレオス様だったんでさ」


 ブギーマンさんがそう語る通り、前回の大戦は地獄だった。

 だが、たった一人の聖女が、魔族の王へと嫁ぐことで、その争いを休戦までもっていった。

 一時手的とはいえ和平を成し遂げた人物。

 それこそ、エレオス様なのだ。

 そして、この前提を理解したことで、加速度的に第一王女と第二王女の悪辣さが露呈する。

 彼女たちは再び争いを起こすために──エレオス様を暗殺したのだから。


『まあ、でも今はそれ、関係ないよね。大事なのは──』


 そう、大事なのは、アテンダントが言う通り、姫様がロジニア帝の血を引いていること。

 つまり──恐怖で人を統治するもの、残虐さを知っていることだ。


「これはお願いなの、アイサム特佐。素直にロジニアと周辺諸国の内情を喋ってくれるとうれしいの」

「それは、できない。できるわけがない! そんなことを口にすれば、私は皇帝陛下に……!」

「──なら、仕方がないの」


 姫様は、ブギーマンさんへと、手を差し出した。

 彼女が受け取ったのは、一抱えほどのずた袋。

 その生身を検め。

 姫様はそれを、居合わせた人間の子どもへと、手渡す。


「あの、これ」

「なに? なんなの?」


 恐怖で泣き出しそうな彼らに、姫様は穏やかな表情で微笑みかける。

 それは、天使のような顔で。


「このおじさんは、おなかが減っているの。もう四日もなにも食べていないの」

「え、かわいそう……」

「そうなの。だから二人には、その袋の中身を、おじさんに食べさせてあげてほしいの」

「……これを?」

「そう、それは麦なの。栄養たっぷりなの。それを全部、おじさんに食べさせることができたら……二人のことは特別に、この国から逃がしてあげてもいいの」

「ほんとう!?」


 子どもたちが、希望に目を輝かせた。

 姫様は言う。


「もちろんなの。。だから、さあ、食べさせてあげるのです」

「うん!」

「わかった!」


 そして、無邪気な子どもたちは、袋の中身を取り出した。

 それは、麦。

 黒い麦。

 悪魔の爪のようなものが生えた──毒麦。

 それを見た瞬間、アイサムさんが血相を変えた。


「や、やめ──むぐ!?」


 だが、同時に姫様が魔術を行使。

 その口が開かれたまま固定され、声すら出なくなる。


「さあ、お嬢ちゃん、お兄ちゃん、おじさんにご飯を食べさせてあげな。なぁーに、こうも喚き散らしちゃいるが、ほれ、お母さんから習っただろ? 好き嫌いはよくなってなぁ?」

「うん!」


 子どもたちは、ブギーマンさんに促されるまま、アイサムさんの口の中に、毒麦を押し込んでいく。

 限界まで詰め込まれ、さらに水を注がれて、口も鼻も塞がれて。


「────」


 ゴクリ、と。

 彼は絶望とともにそれを嚥下する。

 姫様が、天使の笑みを崩すことなく、告げた。


「話がしたくなったら、笑顔を浮かべるの。そうしたら、食事を中断して、お茶の時間にするの。世間話がお菓子の代わりなの」

「──!」

「どうでもいい事なので僕が補足しますが、毒麦を食べ続けると手足が黒くなってちぎれ、全身を炎で燃やされるような激痛がさいなみ、最後は気が狂って死にます。気が変わるのなら、早いほうがいいですよ?」

「──! ──ッ!? ──ッッッ!!!!」


 目を大きく見開き、よだれと涙と鼻水を垂らしながら、アイサムさんは無言でわめき続ける。

 子どもたちはただ、その口に麦を詰め込み続けた。

 姫様が命じるまま、いつまでも。

 なんの良心の呵責もなく。


 それは、前世において邪悪極まりないとされたある実験──ミルグラム実験の再現であった。

 ただの凡人が、権力者に命令されるだけで、非道なことを行う人物と化す。

 僕はこの話も、姫様にしていた。

 まさか、実際にやって見せるなどとは、思わずに……


§§


 ニッケル・ド・アイサム特佐。

 彼がこびへつらった、人権など捨てた笑顔を浮かべるまで、2日。

 それから情報を聞き出すまで1日かかった。

 それでも彼は最後の理性があるのか、ロジニアの重要な情報を口にしない。


「この人間、どういたしやすか? 殺しやすか?」

「毒麦を食べさせ続けるの。いずれ幻覚を見るはずなので、限界まで情報を絞りつくすの」


 毒麦──麦角病の毒素は、単純に人体にとって猛毒である。

 だが同時に、大量に摂取されたそれは、前世におけると同様の効果をもたらす。


 リゼルグ酸ジエチルアミド……一般的に言うとところの──LSD。


 覚せい剤の始まりの原料は、じつは麦角病の毒素だったのだ。

 つまりは、自白剤の代わりである。


「完全に発狂したら丁重に郷土へ送り返してあげるの。そうそう、あの子らも一緒なの」

「お優しいこってすねぇ、魔王さまは」

「冗談ではないの。体内に時限式の爆裂術式を埋め込むの。彼らから事情を聴こうとしたものをまとめて吹き飛ばせば、多少はこちらが有利になるの。〝あれ〟が未完成な以上、相手の戦力は少しでも削っておくべきなの」

「……赤雪姫様はぁ、やることがちげなぁ。あたし、楽しみになってきやしたよ」


 そういって、ブギーマンさんは笑った。


 数日後、僕らはひどく重要な情報を、かの特佐から入手することに成功した。

 それは、ロジニア皇帝へとつながる。

 一本の、経路パイプだった──

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