幕間 静かで激しい親子団欒

閑話 ある日の姫様とアルヴァ王

「今日は私、すごく頑張ったのです!」


 陽光が差し込む王城の一室。

 そこで、姫様は弾んだ声で語りかける。


「たくさん、たくさん頑張ったのです。でも、コレトーはちっとも私の言う通りにしてくれないの。アーロン師は忙しいからって、私に構ってくれないの。デーエルスイワはなにを考えているか全然わからないし、アトラは私が嫌いだっていうものをそれでも食べさせようとするの。それに、姉上達は──」


 そこで、ほんのわずかに彼女の声が曇る。

 ぎゅっと、小さな手が、白いシーツを握りしめた。


「そうじゃないの。うん、そうじゃないの」


 彼女はかぶりを振る。

 そうして、穏やかなまなざしで告げた。


「ナーヤ姉上は今日も騎士たちを鍛えているの! ナイドを守る、強い剣を作るために! かっこいいの!」


 豚のような体を、炎のように躍動させ、敵をなぎ倒す第一王女。


「ギーアニア姉上は、民が富めるように、国が潤うようにって、今日も算木をはじいているの! かしこいの!」


 片眼鏡をはめて、鉱物の原石とにらめっこする第二王女。


「私は、そんな姉上達の後ろを追いかけるだけで……」


 在りし日の姉上達の姿を幻視するように、姫様は一度、遠くを見て。

 それから、現実を直視する。


「やっぱり、父上がいないと、ダメなの」


 彼女の視線の先に、そのひとはいた。

 勇壮な尻尾、巨大な翼、天を衝く角──そのどれもが衰え、精彩を欠いた魔族の王。


 アルヴァ王が、病床に臥せっていた。


 あの意志の強さに満ちた精悍な顔は、そこにはない。

 頬がこけ、眼窩は落ち窪み、いまにも壊れてしまいそうな男が、苦し気に目を閉じているだけだった。


「父上……」


 姫様がその名を呼び、そっと手を握る。

 枯れ木のように細くなった手を、力を入れれば折れてしまいそうなそれを、優しくとって。


 やがて姫様は、声を上げて泣き始めた。


「父上……! 父上……! ダメなの……やっぱり、私ひとりじゃなダメなの……ッ!」


 あなたがいてくれたから平和だった。

 あなたが王として君臨したから、皆が幸せだった。

 あなたがいたから──


「私は、姉上達と仲良くできたのです……! だけど」


 そう、もはや姫様と彼女たちは、敵同士。

 二度とその道は、交わることはない。


「父上……アルヴァお父さま……お願いなの……もう一度、もう一度だけ……」


 自分に、語りかけてほしいと。

 頭をなでてほしいと。

 姫様は、痛切に訴えた。


 だけれど、その願いは届かない。

 アルヴァ王は、動かない。


「…………」


 彼女は胸元の僕を、その瓶を握りしめた。

 握り砕くようなちからで。


「レヴィは、万物全知なの」


 そうだ。


「この世のすべての物事に、解答を用意できるの」


 そうだ。


「レヴィ……! あなたの造物主として命じるの! お父さまは治す方法を、教えるの……!」


 ……そうじゃない。

 そうじゃないでしょう、姫様。

 その問いかけは、もう何百回と重ねたじゃないですか。

 たとえ、残機を減らして、答えを得たとしても。


『……マスター、残機は54だよ』


 答えは、こうでしかない。


「姫様」

「レヴィ」

「アルヴァ王を救う手段は、ありません。それが、世界の真理です」

「────」


 そして。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ……ッ」


 姫様は、慟哭を上げた。

 泣き続け、のどが嗄れるまで叫び続け。


 激務の合間。

 戦時処理の狭間の、わずかな時間。病床の父親と再会したソフィア王女は。

 病室から出るときには、もはや涙を浮かべていなかった。


 決然たる表情で。

 その赤い目に、黄金の光をほとばしらせて。

 凄絶な意志とともに、こう吐き出すのだった。


「私は──」


 彼女は。


「必ずこの内戦を、終わらせてみせるのっ! どんなことをしても! 父上が目を覚ましたとき、悲しませないために!」


 それは、ある日の出来事。

 姫様と、アルヴァ王の、貴重で哀しい、親子の時間──

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