第21話

 数週間ぶりに見たシャルルは、相も変わらず美しい男であった。

 流れるような金髪に宝石のような青い瞳。屋敷に入った瞬間、メイド達が一斉に羨望の息をつくのがわかった。

 そんな、女たちの視線を独り占めしている男は、オリヴィアのことを目に入れるとほぼ同時、ぱっ、と顔を輝かせた。

「オリヴィアさん!」

 突如大声で呼ばれた名前に、オリヴィアは肩を跳ね上がらせた。

 シャルルは長い脚を精一杯伸ばしつかつかと速足で彼女の元までやってくると、ぱっ、とオリヴィアの両手を握りしめた。

「お久しぶりです。お元気でしたか」

「え、えぇ」

 突然のことに困惑しつつ、曖昧な答えを返すオリヴィア。

 シャルルは申し訳なさそうに眉を落とすと、

「お話は全てお父様から聞きました。僕の判断が甘かったばかりに申し訳ありません、さぞ怖い思いをしたことでしょう」

「はぁ」

「けれど、今度こそ任せてください。完全にこの家に平穏を導いて見せましょう」

 任せてくれとばかりに胸を張るシャルルにどう反応していいのかわからず、オリヴィアはただただ愛想笑いを返した。それを彼がどう受け取ったのかわからない。なぜか嬉しそうに目を細めると

「あなたのことは僕が必ず守って見せますから」

 と、見惚れるような笑みを見せた。実際のところ、メイドの何人かは見惚れていた――ぱたりぱたりと倒れていく何人かのメイドの後ろから、相変わらず硬い表情をした父親がこちらを見ている。

「シャルルくん」

 広い建物の中に低く響いたその声に、シャルルはぱっ、と手を放した。

「はい」

「事態が事態だ。早急に片づけていただきたい」

「はい。今晩にでもすぐに儀式に取り掛かります」

「そうか。使用人達に準備を手伝わさせよう」

 ひらりと背広を翻し階段を上っていくフリッツの背中を追いかけながらも、シャルルは未練たらしくオリヴィアに視線を寄せた。

「ではまた、夜に」



『えぇー、無理ですよぉ。ウィルさん、さっきまで店の客と飲み勝負してて完全に潰れてますもん』

 ――ガションッ!

 ダンの言葉に、オリヴィアは勢いよく受話器を置いた。

 脱力ついでにベッドに寝転び外を見ると、まだまだ太陽の位置は高い。当たり前だ、昼食を摂ってからまだ一時間も経っていない。

「……それなのに酔い潰れてるなんて、いったいどういうつもりなのかしら」

 馬鹿じゃないのと毒づいて、本当の馬鹿は自分であるということに気が付いた。あんな男、期待するほうが間違ってるのだ。

 ごろごろとベッドの上でひとしきりだらだらとして、ふいに箪笥の上で行儀よく座っているクマのぬいぐるみが目に入った。なんとなしに手を取り眺め、声をかける。

「……ねぇ、あなた、一体何が言いたいの?」

 目を合わせ、首を傾げ、そっ、とふわふわの耳を撫でた。

「だってあなた、捨てても捨てても何回も戻ってくるでしょう? 何か言いたいことがあるんでしょう? そうでなければ、何度もこの家に帰ってくるはずがないもの」

 ラミントンは何も言わない。動かない、しゃべらない、瞬きのたったひとつもしない。当たり前だ、ただのぬいぐるみなのだから。けれどオリヴィアにはその当たり前のことが腹立たしくて苛立って仕方がなかった。

 指先に力を込め、柔らかな茶色い羽毛に爪を埋め、言う。

「ねぇ――」

「お嬢様」

 突如扉の向こうから響いてきた声に、オリヴィアは思わず口を押えた。それと同時に床に転がるクマのぬいぐるみ――慌ててそれを拾い上げ、声の主に言葉を返した。

「は、はい」

「ポーレットです。シャルル様が、儀式でぬいぐるみを使いたいのでお借りしたいということです」

「はい」

 扉を開けた先に居たのは、やはりでっぷりとした体の使用人だった。高級なハムを連想させるような大きな体、赤い眼鏡に厳しい目を付けた彼女は聊か緊張した面持ちでぬいぐるみを受け取った。

「間違いなくお預かりしました」

「彼は?」

「今、儀式の準備をしております」

「そう」

 簡単な返事を返し、オリヴィアは視線を落とした。そんな彼女の様子に、ポーレットは全身を使い少しばかり大げさにため息を吐いた。

「お嬢様。ポーレットはお嬢様のことを誰よりも一番に考えております」

「ええ。前も聞いたわ」

「聞き分けのよいシルヴィアお嬢様と違い、オリヴィアお嬢様は非常に活発で気が強くて、ポーレットはよく振り回されました」

「もう、そんな古い話はやめて。恥ずかしいわ。どうしたの、突然」

「お嬢様」

 ポーレットはそこでオリヴィアの目をじっと見つめた。

「くれぐれも判断をお間違いならぬよう、お願いします」

 ぺこりと頭を下げ去っていった使用人は、するりと隣の部屋の扉を開けた。抱えられたクマのぬいぐるみと一度だけ目が合って、消えた。

そしてオリヴィアはまた一人になる。完全に、本当の意味で。抱えるもののなくなった両手を持て余しながら、再びベッドに転がった。柔らかな膨らみに身を委ね、重たくなってきた瞼に逆らうことなく目を閉じる。

 そして、彼女は、夢を見る。





 一体いつ頃の夢だろう。自分も、ベッドの上で起き上がりクマのぬいぐるみを撫でる姉も、少しばかり幼いように見える。ベッドの向こうにある窓からは夕日が差し込んで、遠くに見える時計台を、更に美しく照らしていた。

 ベッドの上には、着せ替え人形とその洋服、アクセサリーなどが散らばっていて、オリヴィアは、床に座り込んだまま、ベッドに顔をつけて眠りこけていた。よくあることだった――姉の部屋で一緒に遊んでいて、そのまま姉のベッドで寝てしまう。

 姉はハンカチでオリヴィアの顔を軽く拭うと、彼女の耳元でそっと囁いた。

「ねぇオリヴィア。わたしたち――」




――はッ。




 何かに呼ばれるようにして、彼女は現実に舞い戻った。

 ここは部屋だ。

 もう、数年間住んでいる、自分の部屋。

 姉の部屋はおろか、美しい夕焼けも着せ替え人形もどこにもない。薄暗い、見慣れたただの自分の部屋だ。

 あの時、夢の中、姉は一体、なんと言おうとしたのだろう。 

 なんと言っていたのだろうか。

 わからない。自分はちゃんと聞いていて、覚えていたはずなのに、そんなこと、とっくの昔に忘れてしまった。

 なんだ?

 姉は一体、なんと言っていたのだろうか。

 星と月がやたらきらきらと輝く中、ベッドの中、暫しの間一人硬直状態で考え込み、気が付く。壁の掛け時計の指し示す方向に驚いて、オリヴィアは慌てて立ち上がった。

 儀式が始まる。


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