第19話 イジメなぜ起こるのか

人間の起源が動物。より詳しく言うと猿なわけだから。これは当然弱肉強食という自然のルールというものが働いてくる。イジメをする加害者側が強者、イジメを受ける被害者側が弱者。このような形で人間における弱肉強食が成立する。これは人間にある本能を抑制する力。すなわち理性によってこの人間における弱肉強食の形は防ぐことができる。しかし、いまだ脳の成熟が不完全な小学生、中学生と言った子供たちはこれらの理性が未熟なために、この悲劇的な現象を防ぐことができないことが多い。脳の発達が未熟であるがゆえにイジメという人災は起きてしまうのである。これらは幼少期の教育や家庭環境・社会環境によって厚生することが可能で、これらに恵まれないと社会に出た後もイジメと言う現象を引き起こす可能性がある。イジメ発生の原理として集団の常識との差がある。例えば幼少期において個々人の差というものは当初はあまり見えず感じないものだ。しかし、時間とともに自分にできて他者にできないものという個人間の能力の差に気づいていくなかで特徴のある人を見つける。これがイジメの発端だと私は考えている。加害者側が悪いのは当然のことだが始まりは弱者側のマイノリティー的特徴にあると私は考える。加害者側が自分の知っている常識の範囲外の人間に対するマジョリティー側の優越感から常識の範囲外にいるマイノリティー側の人間に対する攻撃を始めるのではないか。多数と違うことをおかしいと考えてしまうことがイジメを行う者の心理であるのではないか。加害者側は大体多数いて被害者側は少数である。強者と弱者というものがまず個人間の中で生まれると周囲は両者を比較し弱者になるという恐怖から強者側につくか、弱者のマイノリティー性に違和感を覚え弱者から距離をとるか。それらの違いがある。幼少期における差とは身体的なものが多い。例えば外見の良し悪し、運動神経の差などわかりやすいものが多い。一方でもう少し年齢が上がるとここに頭の良し悪しが関わってくる。これらによって生まれた目に見える個人間の差。これらの情報が個人の中や友人間で精査され周囲を順位付けして優劣の認識を生んでいくのである。このような形でイジメは生まれ、被害者が生まれるのである。ではこれらをなくすことはできるだろうか。これは不可能と言うには時期尚早かもしれないが私は限りなく不可能に近いと考える。イジメというものの完全消滅、これは個人間の差を偏見なく理解したうえで無条件に許容するということである。これを実現するには今までの教育方法ではまだまだ未熟だ。これから先まだまだマイノリティー側の人たちは生まれるだろう。これらを幼少期から優劣なくその差を許容しろという教育は今の社会環境ではまだまだ難しい。まず社会の大多数がマイノリティー側の存在を理解しこれらを日常化しなければならない。子供たちに「優劣なき疑問」を持たせてはならない。「優劣なき疑問」とは身体的な差ではなく精神的な差を持つ人たちに対して「なぜ、あの人は優遇されるの?」といったマイノリティー側であるからこそ享受される、行き過ぎた優しさである。マイノリティー側を特別視しない形での平等を目指し、これを実現しないことには子供たちに正しい許容を求めることはできないのである。偏見がなく言い訳にも利用されない特権なき普通の日常と一体化する、真のマジョリティー側とマイノリティー側の平等を実現しないことにはこれらの完全な理解にはいたらないのである。このように考える私にとってイジメと言う問題は今現在早急に解決できる問題には捉えられない。しかし、これらの発生をなくすこと。すなわち発生を止めることはできないが、これによる被害を最小限に抑制することはできる。それは早期にイジメを発見しこれを止めることだ。教育の中で暴力であったり相手に不愉快な感情を起こさせることがいけないということは絶対に教えるはずである。すなわち加害者側は今自分がやっていることが悪いことだという実感が何となくはある。ではなぜやめないのか。それは最初にも言ったが理性の発達が未熟でまさに何が正しいのか研究しているからである。かつて英仏百年戦争の際に活躍したフランスの軍人ジル・ド・レは百年戦争でフランスを救ったオルレアンの聖女ジャンヌ・ダルクが魔女裁判にかけられ処刑されたことをきっかけに自分の治める領土で度重なる黒魔術の実験を行い多くの領民を虐殺した。当時のキリスト教社会の中で王に使える軍人が事の善悪の見分けがつかないわけがない。事件の重大性こそ違うがこれらの本質は同じで「私は社会的に見て悪いことを行っている。では、果たしてこれは本当に悪いことなのか。」といつ裁かれるのか検証しているのである。ジル・ド・レの場合数年間にわたってこの悪行は放置されるが、後に処刑される。イジメの場合も同じで早期に発見し早期にこの悪行が悪行であることを証明しなければならない。そして悪行である理由を明確に伝えなければならない。大々的に加害者側に教えなければならない。一方で被害者側もこれによって自分は守られているという実感を得て安心する。しかし、これがいつまでも続くわけではないと教えなければならない。自分を見つめなおす場としてこれを捉えなければならない。イジメのパターンとして他者との差によってイジメを受けるケースが多いが、一部には大多数からの反感をかうような行動したことなどをきっかけにイジメを受けるケースもある。こうなると果たして加害者側だけが悪いのかという話にもなり、被害者側にも落ち度があるといえることになる。すなわちこれらを取り締まる側は事の全体を把握できる中立の立場で指導に臨まなければならない。早期に発見し公平な立場で厳密な精査を行ったうえで判断し指導しなければならない。これらを一つでも軽んじることで若者の人生は大きく変わってしまうのである。それくらい教育とは繊細なものなのである。子供たちに関わる全ての親を含めた教育者の深く厳しい愛によって子供たちは今を未来に発展させる力を身に着けるのである。

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