第2話

「お前が、ゴメス将軍の娘? お前は剣が強いそうね。私(わたくし)の作る騎士団に入れてあげてもよくてよ?」

 銀の髪の王女は当時十二歳。あつらえてもらったばかりと思われる喉元まできっちりと覆われた緑と白の騎士服を着て、腰には細身の剣を佩いていた。やや身体が左に傾いているのは、剣の重みに慣れていないからだろう。

「個性的な顔だね……南の大陸の大きな猿にそっくり」

 王女よりひとつ年下の金の公女は、最初の頃は大変意地が悪かった。

 グロリアが彼女に返事をすると、よく聞こえなかったらしく首を傾げられた。さらりと肩にこぼれる長い金の髪。

「それはゴリラ、という生き物かと思われます」

 グロリアは、今度はちゃんと聞こえるように言い直した。

 顔がゴリラに似ていると言われるのはこれが初めてではない。正確に言えば、王宮に出仕している父と兄二人が周囲にそう言われているらしい。南の大陸への猛獣狩りが貴族の遊戯となり、その地の珍しい動物の図鑑などが都でも売られるようになった。そんな本の中で、グロリアはゴリラと出会った。

 描かれたゴリラの顔は、確かにグロリアの父親によく似ていた。要するに、兄たちにも自分にも似ているということだった。ゴメス家では、唯一妹だけが母に似て違う顔をしていた。

 そんな経緯があったため、金の公女に大きな猿と言われて、彼女はそれが何を指しているかにすぐ気づけたのだ。

「何それ……ゴリラって……お前、面白いね」

 鈴を転がすような声で、騎士服の公女は笑った。隣の王女に「おやめなさい」と叩かれるまで笑い転げていた。王女より年下の公女は、その当時はまだ背も低く子供っぽかった。

「アル、お前は補佐官よ。グロリア…お前は私の旗を守ってちょうだい」

 王女は、自分の二人の部下に役目を命じる。

「旗、でございますか?」

「そう、私の旗。その旗がたなびいている限り、私は戦場に立っているということだから、お前の使命は重大よ」

 十二歳の少女の口から戦場という言葉が出ることに、グロリアは戸惑った。一体どこまで本気なのか、と。

 結果的に言えば王女は──全て本気だった。


 王女の騎士団に誘われた翌日から、グロリアは王宮へ出仕することとなる。

 おかげでゴメス家の馬車は、親子四人でみっちりすし詰めだ。将軍職の父、文官職の長兄、騎士職の次兄、そしてグロリア。三頭のゴリラが四頭に増えたと、出仕風景が見所になってしまうほど王宮は退屈なところらしい。

 しかし、この顔はある意味グロリアにとっていい方向に働くこともある。誰もが彼女の顔を一度で覚え、そしてどこの家の娘であるかすぐに理解してもらえるという意味で、だ。

「何てみにく…あら、宰相補佐官の妹さんね」「動物を放し飼いにしないでちょ…あら、将軍のお嬢さん」

 そんな中。

「おはよう、ゴリ子」

 金の公女だけは、面と向かって口さがなくグロリアをそう呼んだ。「グロリアと申します」と訂正するも、「目の前で呼ぶのと陰で呼ぶのとどっちがいい?」と返され、彼女は呼ばれ方を諦めることにした。

「おはよう、グロリア」

 銀の王女は、きちんと顔を見て彼女の名を呼ぶ。グロリアは、それが嬉しかった。

 お遊びかと思った騎士団だが、すぐに真面目な訓練が始まった。本家の騎士団から師範を呼び、剣、体術、馬術、マスケット銃の使い方まで習うことが出来た。自宅で親兄弟と剣の稽古をしてきたグロリアだったが、本格的な訓練に驚きながらも鍛錬に励んだ。

 その当時、十六歳のグロリアは二人の少女に対して無敗だった。年齢、経験、体格、どれも二人より勝っていたのだから当然だろう。

 王女は器用さに長けていて技を磨く方に力を入れ、公女は最初の頃こそひ弱だったものの、次第に力と体力をめきめきと伸ばした。二年もたてば、グロリアが負ける日も出てきた。

 ちょうどその頃、公女が病に伏せって騎士団にしばらく顔を出さなくなった。グロリアは心配して何度となく見舞いに行ったものの門前払いをくらうだけ。

 幸いにして、病から立ち直り公女は戻ってきた。だが、戻ってきた時にはもう、グロリアのことを「ゴリ子」と呼ぶことはなかった。彼女は喉を痛めて静寂の公女となっていたのだ。

 まったくしゃべらないわけではない。公女が何かを語るときは、必ず王女の耳元に手を添え、囁くのみ。グロリアはおいたわしいと公女に同情した。あれほど弁がたつ彼女が、思い通りにしゃべることも出来ないのは、どれほど苦しいことだろうかと。

 ゴリ子と呼ばれてもいいから、もう一度公女の声を聞きたいと願ったものの、その願いは叶わなかった。ただし、その日から公女は静かに唇だけで彼女に言葉を告げるようになった。

 最初に気づいたのは「おはよう」の唇。

 これまで、何日も自分がそれを見逃していたかも知れない事実に気づき、グロリアは慌ててしゃきっと背筋を伸ばし「おはようございます!」と大きな声で敬礼をした。それに公女は小さく笑っていた。少し大人びた笑みだった。

 たとえ公女の声がでなくとも、再び白百合騎士団が三人に戻ったことは、グロリアにとって嬉しいことだった。

 病の後から、ぐんぐんと金の公女は武芸の才を伸ばしていった。グロリアも負けが増え始め、ついには力では公女にかなうことはなくなった。唯一のとりえを追い越され、彼女は少し落ち込んだが、グロリアもまた剣だけではなくマスケット銃の腕前を伸ばすことで置いて行かれまいと必死に努力した。

 特に馬上でマスケット銃を撃つという、竜騎兵顔負けの射撃の腕は上達し、指導者に女性でなければ竜騎兵団に推薦するのにと言われるほどになった。

 だが、その評価をグロリアの家族は誰も喜びはしなかった。

「お前は女なのだから、武芸もほどほどにしなさい」と父にたしなめられた。「そろそろ騎士団ごっこはやめて社交界の方に顔を出すのはどうだ」と長兄に説得された。「兄さんは妹のお前が心配だ」と、次兄に頭を撫でられた。家族はみな、当たり前のことだが彼女を女性として扱ってくれる。

 それはグロリアにとってはささやかながら嬉しいことでもある。王宮では陰で自分が「ゴリ子」と呼ばれていることを知っていた。ヒソヒソクスクスと囁かれる遠い声を振り払い、それでもグロリアが王宮に向かえるのは、銀の王女と金の公女がいるからである。

「うるさい蝿は叩かれるわよ」

 三人が共にある時にグロリアが嘲笑われるようなことがあれば、王女は冷ややかな叱責を口にし、公女もまた低い温度の視線を向ける。

 グロリアは公女にまで救われるとは思ってもみなかった。

 しかし、いまにして思えば公女が「ゴリ子」と呼んだことは、何と可愛らしいものだったのか。彼女がグロリアをそう呼ぶ時は、いつも笑顔だったことを思い出していた。

 そんな二人から伝わってくる信頼感により、グロリアはなお一層忠義を尽くし、自分の仕事に励んだ。

 馬にまたがりマスケット銃をぶっぱなす淑女は、この国では白百合騎士団だけである。正確には、王女は演習の際に落馬して禁止を申し渡されたため、グロリアと公女だけである。馬上では王女の旗を背負うグロリアは、頭の後ろにバタバタとはためく旗の音を王女の号令のように聞いていた。

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