南の島でお魚になるはずなんだけど(後編)

 夢にまで見たエメラルドグリーンの海を前にして、しかもお魚になる気満々でフル装備だと言うのに、下手すればワニの餌になる危険性にはばまれ、進退窮しんたいきわまってしまった。


 その昔、逆境に強いのが取柄だね、と誰かに言われた事がある。

 私の中で、フロリダの大いなる自然に対する闘志がムラムラと湧き上がった……いや、単にトロピカル・ストームとワニを相手にブチ切れただけなんだけど。


「大阪人をなめたらあかん! ここが駄目でも、もう一つのビーチがあるやん!」

 頭にくると関西弁が口をいて出るワイフに慣れ切っている相方は、何やら叫びながらシュノーケリング器材を引っ掴んだ私の意図を察してくれたようで、「とりあえず、戻ろうか」と言って、元来た道を引き返し始めた。


 炎天下の中、汗だくになりながら駐車場まで歩くこと5分。車のトランクに入れておいたクーラーから冷たい飲み物を取り出して喉の渇きを癒しすと、目と鼻の先にある「キャノン・ビーチ」に向かった。

 ビーチは意外にも小石や岩がゴロゴロと転がっていて、「砂浜」とは言い難く。それでも、不思議と多くの家族連れやカップルでにぎわっていた。恐らく、ダイビング・ショップのお姉さんが言っていたように、キーラーゴでは観光客が気軽に入れるビーチが限られているからだろう。

 無駄に汗をかいた分、すぐにでも海の中に飛び込みたい私の横で、相方は『ワニに注意』の看板の有無を確認すべく辺りを見回していた。遠くにマングローブ林は見えるものの、海岸線が緩やかにカーブを描くこちらのビーチは視界が大きく開けているためか、看板はどこにも見当たらない。

 ワニの危険がないと分かるや否や、行動開始。


 露出度高めのビキニやカラフルなサーフパンツ姿で優雅に日光浴とシャレ込む観光客の合間を縫って、スクーバダイビング用の大型フィンを手にビーチを歩く。私も相方も水着の上に長袖のラッシュガードと足首まで覆うラッシュガードトレンカを履き、手には革製のダイビング・グローブ、足元にはごついダイビングブーツという「これからガッツリ泳ぎます」感も露わなで立ちなので、かなり悪目立ちしている。

 岩場やサンゴ礁から身を守るための装備は、厳しい紫外線に肌を焼かれないための防御の基本でもあるし、クラゲが発生する水域では水中を漂うに刺される危険もある。水面を長時間移動するシュノーケリングを楽しむには、長袖&トレンカ/ウェットスーツで肌を保護することは必要不可欠だ。が、オシャレなビーチでは、アウェイ感がハンパない。


 アメリカ本土の(サーフポイントではない)ビーチでは、「海は泳ぐためにある」と考える人は少数派だ。水際近くで浮き輪をつけて遊んでいる子供はよく見かけるが、大人はと言えば、ビーチブランケットの上に寝転がり、日光浴や読書などしながらくつろぐ姿の方が圧倒的に多い。

 「この暑い中、長袖にブーツかよ」とでも言いたげな視線を浴びながら、シュノーケルをつけたマスク(=スクーバダイビングやシュノーケリングで使う、目と鼻を覆う器材。間違っても『ゴーグル』と呼んではいけない)のストラップを首に掛け、素知らぬふりで水際まで歩いて行く。アメリカでは他人がどう思うかなんて気にしたら負けだ。


 ばしゃばしゃと海の中に入り、足首まで水につかる場所でくるりと反転してビーチの方を向く。その場で手早くフィンを装着し、かかとから踏み出すように後退あとずさる。膝の下まで水につかったところで、後方に岩や障害物がないことを確かめてから、ゆっくりと水中に身体を沈め、沖の方へ向かって静かに泳ぎ始める。私くらいの体格(日本のS~Mサイズ)ならば、水深30センチもあれば泳ぐに十分なのだが、身体の大きな男性などは、少なくとも腰まで水につかる場所まで移動する必要がある。


 人間が自由に歩き回れる水の深さは膝下までだ。それ以上だと、水の勢いに耐え切れず、足を取られて引っ繰り返る危険性がある。水害時の避難の目安として覚えておいて頂きたい。

 案の定、水深が腰まである場所で、波にもまれながらフィンを履こうと四苦八苦している相方の姿を発見した。

「何してんのー、置いてくよー」

 ぷかぷかと波間に浮かびながらニヤニヤと笑う私を見て、相方が嫌そうな顔をする。

「笑ってないで、フィンを履く間、支えてくれる気はない?」

「なーい! いい加減、一人で履けるようにならんとね。You can do itがんばれーっ!」

 相方と私では、スクーバダイビング歴(=もぐった本数)に3ケタの違いがある。必然的に、海の中での身のこなしにも違いが出る。地上での身体能力は相方には絶対にかなわないが、水の中では私の方が圧倒的に「強い」のだ。海の浮力と潮の流れを上手に利用すれば、人間だって水中を思いのままに移動することが出来る。フィンを着けた私は、まさに『水を得た魚』。気持ち良いこと、この上ない。

 とは言え、さすがに心配なので、しっかりとフィンを装着したかどうか確認するまで、相方の周りをくるくると泳ぎ回っていた。


 

 水深がとっても浅いキーラーゴの海。シュノーケリングやスクーバダイビングのポイントでさえ平均水深は約3〜10メートル。波も比較的穏やかなので、小さな子供達を遊ばせるにはもってこいだ。

 このビーチにはライフガードの姿が見当たらなかった。州立公園なので、何かあれば監視官レンジャーが駆け付けてくれるだろうが、あくまでも「海に入るなら、自己責任で」というスタンスが、実にアメリカらしい。

 水際は、保護者の監視の元、水遊びに興じる子供達であふれていた。当然、その辺りの水中は「味噌汁状態」……かと思いきや、意外にも透明度はそれほど悪くない。見れば、ビーチにゴロゴロと転がっていた小石や岩が、海底にもゴロゴロと転がっている。水草と小石が、海底の泥の巻き上げを抑える役目をしているのだろう。


 ビーチから遠く離れた水面に浮かぶ遊泳区域を示す白いブイを目指して、ゆっくりと泳いで行く。この辺りの水深は3~4メートルといったところか。身長185センチの相方が長さ約90センチのフィンを履いて立ち泳ぎしても、海底までは随分と余裕がある。

 ライフガード不在のビーチで、足のつかない深場まで泳いでくる遊泳客など限られている。人がひしめき合う波打ち際と違って、とても穏やかな水面を、のんびりと泳ぎながら海の中を覗き込む。ぼんやりと数メートル先まで見える透明度。悪くない。水草が生い茂っているからか、海の青というより草原の黄緑色の水底に、明るい日の光が差してきらきらと輝いている。なんとなくエバーグレーズを思わせる水中世界は、ちょっぴり幻想的でもある。

 小さな銀色の魚の群れが忙しそうに泳ぎ回り、てのひらほどの大きさのクラゲが半透明の白い傘を閉じたり開いたりしながら水中を優雅に漂っている。小さな魚達を追うようにして30センチほどの大きな魚が姿を見せ、水草の上を悠々と泳ぎまわる。

 熱帯の海にしては魚達の色は極めて地味。サンゴ礁から遠く離れたビーチだから、仕方がない。とは言え、『ワニに注意』のビーチとは雲泥の差だ。こちらに移動して正解だった。


 泳ぎ疲れたら、水中で「体育座り」をちょっとだけ崩して胡座あぐらをかいたようなポーズのまま力を抜いて、フィンでゆったりと水を掻く。マスクから上の部分だけ水面から出して海の浮力に身を委ねれば、クラゲのようにぷかぷかと波間に浮かぶことが出来る。

 とは言え、浮きも沈みもしないまま水中を漂うこの姿勢は慣れていないとちょっと難しい。相方が見様見真似で同じポーズを取ろうとしても、なかなか上手くいかず、バランスを崩してジタバタと手足をばたつかせながら悔しそうな顔をする。

「どうやったら、そんなふうに浮いてられるんだ?」

「力を抜けばいんよー。人間、海の中では浮くように出来てるんやからねー」

 見上げれば、鮮やかな青い空に、白い雲が尾を引くように流れていく。濃い空の色が水面に映ってゆらゆらと揺れる。海と空の青さを同時に楽しむことが出来るのも、シュノーケリングの醍醐味だ。


 

 しばらくのんびり泳いでいるうちに、相方が、遠くに浮かんでいるブイに何やら文字が書かれているのを発見した。

 実は彼、驚異的な視力の持ち主だったりする。どれくらい驚異的かというと、数メートル離れた距離から新聞記事の細かい文字が読めるほど。ドライブ中も、ずーと先にある道路標識を読み取り、遠くにある店の看板をいとも簡単に見つけてしまうので、とっても便利。

 白地に赤のラインが入った円筒形のブイには『Spanish Ship Wreck 1715(スペインの難破船 1715年)』と書かれていた。その真下の海底には記念碑のようなものが置かれ、その周りに何か細長いものがゴロゴロと転がっている。

「ブイの下になんかあるよー」

 で、さっそく潜ってみることに。


 人間の身体は水に浮くように出来ている。なので、スクーバダイビングやスキンダイビング(=装備はシュノーケリングと同じだが、こちらは『潜る』ことが目的)では、ために「ウェイト」と呼ばれる数キロの重りを装着する。

 水面に浮くことを楽しむシュノーケリングではウェイトはつけないので、水中に潜るにはちょっとしたコツがいる。水面にうつ伏せに浮いたまま呼吸を整え、大きく息を吸い込んでから、自分のおへそを覗き込むイメージで頭をぐっと水中に下げ、腰を直角に折る。同時に、逆立ちするイメージで両足をぐんと上に蹴り上げ、水底に向けて手を大きくひとかきし、フィンで大きく水を蹴れば、数メートルは潜れるはずだ。

 うーん、よく分からない、と言う方は、『ジャックナイフ、潜行』でググって頂きたい。コツさえ掴んでしまえば、海の中でお魚気分を味わいながら泳ぎ回ることが出来るのだ。

 私が水中で呼吸を止めていられるのは、わずか1分。そんな短い間でも、海と同化し、潮の流れの音を聴きながら水中を漂えば、日頃から身体の中にため込んでいた色々なものが海の泡となって消えて行く。



 ブイの真下に置かれた大きな石碑には、文字が刻まれた銅板が張り付けられていた。さすがに全文を読む余裕はないので、写真に収めようとカメラを向ける。が、思った以上に流れがきつく、なかなか焦点を合わせるのが難しい。なんとか撮影に成功し、ふと辺りを見渡して驚いた。

 「これって、どう見ても大砲キャノンやんね?」と首を傾げたくなるようなモノが、海底の至る所に無造作に転がっていたからだ。赤茶けたさびと緑の水草に覆われた砲身の周りに、小さな魚達が群れ遊んでいる。ゆらゆらと波に揺れる水草と、きらきらと輝く日の光にぼんやりと浮かび上がる砲身の姿は、異様でありながらも神秘的。

 よく見れば、明らかに砲身ではない細長いものが、そばに横たわっている。大きないかりだ。長さ2メートルほどの細く長い錨柄シャンクの先に、大きなカーブを描いたアンカー・ヘッドがはっきりと見て取れた。鎖で船と繋ぐためのアンカー・リング部分は失われているようだ。

 慌てて水面に浮き上がると、相方も驚いた表情で水底を見つめていた。

「大砲! あっちこっちにゴロゴロ! アンカーも! とにかく潜ってみて! スゴイから!」

 興奮して何がなんだか良く分からない言葉を連発するワイフに呆れながら、相方も海底を目指す。

 

 

 後で調べてみると、「キャノン・ビーチ」は水際から約30メートル離れた海底に横たわるスペイン船の残骸で有名な場所だったと判明。改めて驚いた。

 1715年7月15日。ハバナからスペインに向けて出航した12隻の船がハリケーンに襲われ、うち11隻がサンゴ礁に打ち付けられて沈没。1000人以上もの命が失われ、スペインの南米植民地における最悪の海難事故となった。

 「1715年、スペイン船団」と聞いて、ピンときた方は、かなりの歴史通だ。

 当時、スペインは大航海時代。新大陸にいち早く進出し、アステカやインカ帝国を次々と征服。その結果として手に入れた莫大な金銀財宝を本国に輸送する責務を担っていたのが、「スペイン財宝船団」だ。中でも「1715年スペイン財宝船団」は、財政難に苦しむ母国を救うべく、桁外れの財宝を運んでいたと言われている。

 2015年6月。船の残骸から金貨や銀貨など100万ドル(約1億2400万円)相当のお宝が、フロリダ在住のトレジャー・ハンター一家の手で引き揚げられた。金貨の中には「1715年トライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)」も含まれていた。実はこれ、世界でわずか6枚しか発見されていない、スペイン国王フェリペ5世に献上されるはずだった幻の金貨なのだ。海底でこの金貨を発見したトレジャー・ハンターは狂喜乱舞したという。そりゃ、そうだ。


 フロリダ沖には多くの沈没船の残骸が眠っている。そのため、現在でも「宝探し稼業」に精を出すハンター達が海に潜っては、一獲千金を夢見ている。

 この州立公園の案内所を兼ねたショップには、海底から引き揚げられた銀貨を加工したペンダントやイヤリングなどが販売されていた。キーラーゴの思い出に一つ欲しいなあ、と思いつつ、お値段にびっくりして(人差し指の爪程の大きさのペンダント・ヘッドが数万円!)すごすごと退散したけれど。




 ダイビング・ショップのお姉さんは、なぜこのビーチの情報を教えてくれなかったのか……といぶかりながらも、思いがけない海底のお宝に大満足。

 息継ぎのために何度も水面と海底を往復しながら夢中で写真を撮り続けているうちに、潮の流れが急に強くなり、カメラの焦点を合わせるのが難しくなってきた。流れにもまれながら何とかシャッターを押し続け、完全に味噌汁状態になった海中から水面に浮き上がると、相方の姿が隣にあるのを確認して大声を出した。

「これ以上はムリ! 岸に向かって全速力で泳げーっ!」


 水の中では私の言葉に驚くほど素直に従う相方が、ばしゃばしゃと水飛沫しぶきを上げて泳ぎ始めるのを確認して、私も後を追った。



***



 サンゴ礁の輝くキーラーゴの海でお魚になる私の計画を見事にぶち壊してくれた熱帯暴風雨「フローレンス」。まあ、そのおかげで、海底に横たわる難破船の残骸を拝めたのだから、プラスマイナスゼロとしておこう……

 

 そんなことを思いながら、次の目的地に向けて、再びハイウェイに戻る。目指すはアメリカ本土最南端の果ての島、キーウェスト。


 刻々と勢力を増しながらフロリダに接近する「フローレンス」。

 キーズ滞在中、彼女にストーカーの如くつきまとわれることになるとは、この時は夢にも思わずに。


(2018年11月13日 公開)

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