悩まし過ぎて

『本日の。強烈な寒気が居座っているため、引き続き大雪の恐れがあります。運転の際は路面凍結に注意して下さい』

 朝のニュースで、身体のラインも露わなワンピースを着た気象キャスターが解説するカラフルな天気図を眺めながら、足元で眠り込んでいる愛犬の頭に手を置いてそっと耳をむ。

「サスケ、また雪やって。お散歩、しばらく無理みたいやね」

 一瞬、眠たげな茶色の瞳をまたたかせてこちらを見つめたサスケは、ふうっと大きなため息を吐いて夢の中に戻っていった。



 大阪の3月の最高気温は約13度。11月の平均気温も約13度。大阪での「13度」は初春の温かさか、初冬の肌寒さと言ったところだ。

 「ほお、アメリカでは最高気温13度の日に大雪が降るのか。さすがアンビリバボーな大統領を生み出した国だけに、天候までアンビリバボーだ」などと思うなかれ。

 表面的な数字に騙されてはいけない。


 アメリカで生活する上で一番悩ましいのが、度量衡の違いだ。

 「度量衡」とは、読んで字の如く、長さ(=度)と体積(=量)と質量(=衡)のこと。アメリカでは、さまざまな物理量を測定する単位が日本とは全く異なる。天気予報で見聞きする温度表記などは、在米日本人にとっては悩みの種の代表格だ。

 日本では世界的に使用されている氏度(=℃、Celsiusセルシウス度)を使うが、アメリカでは日常生活の全般で氏度(=℉、Fahrenheitファーレンハイト度)を用いる。温度を測定する単位が違うと、慣れるまでは頭の中でいちいち計算しなければならないので、とっても面倒臭い。


 実際に、どれだけ面倒臭いか、体験して頂こう。


 摂氏度では、水が氷になる温度(=凝固点)は0℃、水が沸騰する温度(=沸点)は100℃となる。一方、ファーレンハイト度の場合、凝固点は32℉、沸点は212℉だ。『212度』という数字を見ただけで、くらくらと目眩めまいがする。

 私がアメリカに移住したのは真夏の8月初旬。南部のうだるような暑さの中、天気予報が『引き続き猛暑が続きます。明日の予報は、最高気温100度……』と告げるのを聞いて、思わず「ゆだってまうやん!」とテレビ画面にツッコミを入れたのを覚えている。華氏度表記は、日本人には笑えないジョークなのだ。

 冒頭の『最高気温13度』は、摂氏で言えば「氷点下10度」。世界的な異常気象の中、温暖なはずのアメリカ南部でさえ、笑えない寒さの真っ只中であることがお分かり頂けたかと思う。



 買い物をする時も、車の運転をする時も、料理をする時も、単位の違いは付きまとい、日常生活での悩みは尽きない。

 次にあげる簡略記号化された単位は、アメリカ生活でよく見かけるものばかりだ。正式名称と実際にどれくらいのものなのか、お分かりになるだろうか。


 (長さ)yd、mi、ft、in

 (体積/質量)lb、oz、fl oz、pt、qt、gal、tbsp、tsp、c



 では、答え合わせ。


 (長さ)ヤード、マイル、フット(複数形はフィート)、インチ

 (体積/質量)ポンド、オンス、液量fluidオンス、パイント、クォート、ガロン、テーブルスプーン、ティースプーン、カップ

 

 家具の大きさはインチ表示なのに、裁縫用の布地を欲しい長さに切ってもらう場合はヤードで注文する必要がある。

 料理をする際に材料の重さを測る場合、体積なのか、質量なのか、はたまた液量なのか、必要なモノによって単位を使い分けないといけない。ちなみに、日本で1カップは200mlだが、アメリカでは約240ml。なんでやねん、と言いたくなる。

 ありがたいことに、数字を当てはめるだけで日本で使い慣れた単位に換算できる計算式がweb上に存在するので、手元にiPhone があれば外出先でもなんとかなるが、とにかく手間が掛かってしょうがない。


「そんなの、慣れれば簡単よ〜」

 在米歴25年になる知人は、そう言ってケラケラと面白そうに笑うのだが、彼女がアメリカに移住したのは携帯電話がようやく一般にも普及され始めた頃のこと。今でさえ携帯端末を使いこなせていない彼女のことだから、実体験で苦労しながら少しずつ単位の感覚を身につけたのだと思う。

 私も現在進行形でその感覚を身につけつつある。が、「簡単よ〜」と笑えるようになるまでには、まだまだ修行が足りないようだ。

 


***



 ヤード(長さ)、ポンド(質量)を基本単位とする「米国慣用単位(United States customary units)」は、アメリカ独立宣言(1776年)以前の北米イギリス植民地(=13植民地。後のアメリカ合衆国)で使われていた「イギリス単位」から発展したもので、現在も使用されている。一方、本国イギリスでは、1826年に現行の「帝国単位(imperial units)」に置き換えられた。

 要は、大英帝国が北米の植民地に置き忘れた過去の遺物を、いまだに現代のアメリカ人は日常的に使っている、というワケだ。時代錯誤もはなはだしい。


 商業活動や日常生活では「慣用単位」を使用するアメリカでも、科学、医療、工業などの分野と政府機関の一部においては世界基準のメートル法が使用されている。政府関係の仕事をしている相方は、慣れない単位の換算でパニックを起こす私の心中を察してか、何も言わずとも「日本の単位に変換すると、これくらいかな」と教えてくれる。相方よ、キミが居てくれて良かった。

 ちなみに、前出の「摂氏セルシウス」のもともとの名称は「センティグレード(Centigrade)」だった。1948年の国際度量衡総会で正式に「セルシウス」と変更されたのだが、アメリカでは「Centigrade」を使う人も少数派ながら存在する。どこまでも時代錯誤な先進国だ。



 もっと悩ましいのが、視力の測定方法。

 日本では小数点で視力を表すが、海外では分数表記が使われることが多い。これがまた、とっても面倒臭い。


 では、どれだけ面倒臭いか、体験して頂こう。

 

 英語圏では「視力1.0」を「正常視力」と設定している。これを、アメリカでは『20/20 (twenty-twenty vision )』と言う。「一般の人が20フィートの距離から認識できるものを、同じ20フィートの距離で同様に認識できる」視力であることを示している。


 はい、ここで頭がこんがらがった方、ご安心を。

 相方にこう説明された時、私も理解に苦しんだ。渋い顔をして黙り込んだ私を前に、相方の説明は続く……


 同じ原理で 、『20/40( twenty-fourty vision )』は「視力1.0正常視力の人が40フィートの距離から認識できるものを、20フィートの距離まで近づかないと認識できない」視力となる。もう少し分かりやすく言えば、「40フィート先のものが良く見えないんで、20フィートまで近づいても良いですか?」と言う状態だ。20/40という分数を小数点に計算し直せば……なるほど、「0.5」となり、眼鏡が必要になる視力であることが分かる。分子の「20」は変えずに、分母の数字を大きくすることで、視力の弱さが分かるという仕組みだ。

 この 「20」という数字は、視力検査が一般的に 20フィート(=約 6メートル)の距離から測定 されていたことに由来する。なので、メートル法を使う欧州の国々では、分子は常に「6」となる。とっても面倒臭い。


 ちなみに、英語で「私、視力0.5やねん」と言いたい場合、「I have 20/40 vision」と言えば良い。もっとカジュアルな口調にしたければ「I’ve got 20/40」だ。

 さて、ご自身のアメリカ式視力の数字は計算できただろうか? 

 では、実際に例文にあてはめて、大きな声で言ってみよう。さあ、遠慮なさらず、ご一緒に!


 この機会に、是非ともアメリカ生活における数字の悩ましさを体験して頂きたい。


(2018年2月2日 公開)

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