年を越えると雪国だった

 12月26日。それまでクリスマス一色だった街が、一瞬にして年越しに向けて動き出す日本の年末。

 年賀状を大急ぎで送付し、仕事納めに忘年会、大掃除が終われば正月飾りを出し、年越しそばの準備とおせち料理の下ごしらえが始まる……そんな年の暮れの慌ただしさを、バージニアの空の下で心から懐かしく思う。



 アメリカでは、クリスマスの翌日も、年末になっても、大晦日、そして新年を迎えても、家々にはクリスマスデコレーションやらイルミネーションが飾り付けられたままだ。おかげで、年越しの感慨深さなど、これっぽっちも感じない。

 日頃から何かにつけて大雑把な国民性だけに「仕舞い忘れたまま、年が明けちゃったんやね〜」と笑ったら、相方に怪訝な顔をされた。

「いや、これが普通なんだけど」


 キリスト教を根底に置く文化圏では、12月25日から1月5日までの12日間がイエス・キリストの降誕を祝う「クリスマス期間」であり、1月6日の「公現祭(=「東方の三博士」が救い主としてキリストを見出したことを記念した祝日)」を終えて、ようやくクリスマスデコレーションが片付けられる。



***



 クリスマスの翌日。なんだか急に寒くなったなあ、と思って窓の外に設置している温度計を確認すると、ほぼ0℃。その後、日に日に寒さが増し、28日の最高気温が-2℃にまで下がった。が、バージニアの12月としては平均的な気温なので気にも留めなかった。

 アメリカ南部に属するとは言え、バージニア州の緯度は日本の関東地方から中部地方に相当する。冬はやっぱり寒いし、積もるほどではないが雪も降る。氷点下ともなれば、水道管があっという間に凍結する。

 我が家でも28日の朝、洗濯機につながる水道管が凍りついたようで、ぴくりとも動かなくなった。洗濯機の凍結は以前にもあったので、はじめのうちは「明日になれば寒さも緩んで、動くはず」と思っていた。まさか、年明け2日になっても凍りついたままの洗濯機に困り果て、たまりにたまった洗濯物を抱えてコインランドリーに駆け込むことになるとは、この時は夢にも思わず――



 2017年最後の日。北米大陸は「温度計が壊れるほど驚異的な寒波」に見舞われた。

 ミシガン州のとある商業施設に設置された温度計が、午後4時の時点で氷点下マイナス126℃というとんでもない数字を叩き出した。地球上で観測された記録的な最低気温は、南極ボストーク基地でのマイナス89.2℃。どうやら、寒さでワケが分からなくなった温度計が勝手に暴走した結果らしい。

 この夜、ナイアガラの滝が完全に凍結し、タイムズスクエアでカウントダウンを待ちわびていた人々は、めでたくニューヨーク史上2番目に寒い年明けを迎えた。


 2018年元日。カリフォルニア州とフロリダ州を除くアメリカ全域が氷点下を記録した。ニューヨーク・マンハッタンでは噴水が完全に凍結。この頃から公共電波で「不要な外出は控えるように」との呼びかけが始められた。


 1月2日。アメリカでは全てが平常運転となる仕事始めの日。正月気分などに浸っているヒマなど全くない。

 そして、記念すべきアメリカでの「Laundromatコインランドリー」初体験の日。我が家の洗濯機は相変わらず凍りついたまま。


 1月3日。アメリカ国立気象局が、バージニア州からメイン州にかけて暴風雪警報を発令。カテゴリー1から2クラスのハリケーンに匹敵する低気圧の急発達により、4日未明から大雪が警戒されたフロリダ、ジョージア、バージニア、ノースカロライナ各州の知事が非常事態を宣言し、住民に注意を呼びかけた。

 お昼過ぎのニュースで発表された「State of Emergency(非常事態)」という言葉に、アメリカ南東部の人々は震撼した。学校では授業が早々に打ち切られ、生徒たちの帰宅が通常より2時間以上早められた。緊急時の食料と水、除雪用のシャベルと塩を購入するために、スーパーやDIYショップに人々が殺到した。

 雪で車が出せなくなった場合を想定し、私が週明けまでの食料の買い出しに出かけたのは午後3時を少し過ぎた頃。不思議なことに、この時は快晴。心地よい春のような空気さえ感じられて、Tシャツにフリースジャケットを羽織っただけの軽装で外出しても全く寒くなかった。


 本当に明日、大雪になるんやろか……と疑いつつ、スーパーに到着して驚いた。

「パーキング、空いてないやん!」

 平日の真昼間。いつもなら余裕で入口近くが空いている時間帯なのに。

 仕方なく、入口からかなり離れた場所に車を止めてスーパーの中に入った途端、また驚いた。

「陳列棚に商品ないやん!」

 飲料水とパンや焼き菓子、乳製品の棚はほとんど空っぽだった。しかも、普段のこの時間なら閑散としているはずの店内に人があふれ、レジにも信じられないほど長い行列が出来ていた。


 なんとか買い物を終え、夕方の通勤ラッシュの車の波に巻き込まれながら帰宅すると、数時間前からは考えられないような曇天どんてんが頭上に広がっていた。黒く重そうな雲が渦を巻きながら次から次へと流れていく。

 否応無く不安をあおる空模様に、ひとまず、納屋の奥の方にあったシャベル(ガーデニング用だけど……)を入り口近くの物置に移動させ、自宅周りを確認して風に吹き飛ばされそうなものは全て納屋に放り込んだ。 

 明日は地域の学校は全て閉鎖されることが決まった、と夜のニュースが伝える中、いつもより少し早い時間に相方が帰宅。「明日は自宅待機になった。朝寝坊が出来るぞ」と妙に嬉しそう。


 そして、日付が変わる少し前。静まり返った夜の闇の中に、きらきらと輝く雪片が舞い降り始めた……


 

 夜中にふと目が覚めた。

 低いうなり声を上げて吹き荒れる風の音に混じって、時折、自宅の屋根や外壁に何かがぶつかっては転げ落ちていくような音がして、不安な気持ちで寝床から起き出した。

 リビングルームの片隅に置かれたベッドに気持ち良さげに足を伸ばして寝息を立てていた愛犬が、眠たそうな顔をこちらに向ける。不審な物音には必ず反応する警戒心の強い彼がのんびりと寝惚けていると言うことは、外から聞こえてくるのは自然が奏でる音なのだと納得して、寝床に戻った。

 それがこの辺り一帯を襲った凄まじい吹雪の音だった、と早朝の緊急速報で知った。テレビのニュースが刻々と映し出す光景に驚きながらカーテンを開けた瞬間、思わず息を呑んだ。


 1月4日早朝。たった一晩で、世界が雪の中に埋もれていた。

 


 玄関の扉を開けて、ぎょっとした。

 一面に雪がこびりついたストームドア(=木製の玄関扉を風雨や雪から守り、保温性を高めるため、扉の前に取り付けるガラス張りのドア)の足元をふさぐように、30センチ近い雪が積もっていたからだ。ドアを開けようとしてもビクともしない。

「嘘やん、閉じ込められた……」

 一瞬、ひやりと寒気が走った。玄関前のドライブウェイに停めた車も、タイヤが見えない程にすっぽりと雪の中に埋もれていた。地上は真っ白。顔を上げれば、どんよりとした薄墨うすずみ色の空から、大きな雪片が次から次へと降り続けている。


 日本の家屋には敷地と外部を区切る塀や垣があり、玄関口の空間は門扉や門袖で守られている。

 が、ごく一般的なアメリカの家屋にはそれがない。家の前に広がる芝生の庭が道路との境界線であり、ドライブウェイ(=道路から車庫又は駐車スペースへとつながる私道)の先に申し訳程度の屋根が付いた玄関があるだけだ。要は、吹きさらしの状態。横殴りの暴風雪がそこに吹き込めば、はばむ物がない玄関口などは、あっという間に雪で覆われてしまう。

 そりゃ、開かへんわね、ストームドア。名前負けしてるで、意味ないやん……と心の中で呆れ果て、思わず気の抜けた笑い声がこぼれ出た。

「大阪人が雪に埋もれて家から出れへんなんて、そうそうあらへんやん。記念写真でも撮っとこか」



 幸い、裏口のドアはなんとか開いたので、さっそく相方と雪かきをすることに。

 とは言え、雪かきの経験など皆無の大阪人と、南国フロリダ育ちで寒さが大の苦手なアメリカ人という勝手が分からない者同士。まずは「正しい雪かきのルール」なるウェブサイトをじっくりチェックし、雪が止み始めた頃を見計らって外に出た。

 深い所では私の膝まで埋もれそうなほど降り積もった雪を、シャベルで少しずつ持ち上げては庭の端っこに積んでいく作業を延々と繰り返し、なんとか無事に裏庭から玄関まで続く一本道を作り終えるまで、ほぼ一時間。

 二人とも汗だくになったので、とりあえず休憩を取ることにした。

 これが間違いだった。


 ほんの少し。時間にして数十分程度のはずだ。温かいお茶を飲み、乾いた衣服に着替えている間も、雪は止むことなく降り続いていた。

 私達が作業を再開しようと外に出た時には、雪かきをした場所に新たな雪が積もり始めていた。

「嘘やん、あれだけ頑張ったのが水の泡……」


 その昔、逆境に強いのが取柄だね、と誰かに言われた事がある。

 私の中で、白く積もった雪に対して闘志がムラムラと湧き上がった……いや、単に努力が無駄に終わりそうになって、ブチ切れただけなんだけど。

「大阪人をなめたらあかん!」

 脱兎のごとく台所に駆け込んで、食料棚の奥に備蓄していた食塩の大きな袋を引っ掴むと、シャベル片手に呆然とたたずむ相方を横目に、食塩を雪の上に思い切りぶちまけた……



 それから数分後。見る間に雪が解けだしていくのを目にして、私も相方も驚喜の声を上げた。

 生命維持に不可欠なもの、それは塩。

 雪に埋もれた人間に不可欠なもの、それも塩。

 塩の力、偉大なり。

 これからは絶対に食塩の備蓄を欠かさないようにしよう。まあ、「初めから除雪用の塩を買っとけ」と言われれば、それまでなんだけど。

 

 その後、車の上に積もった雪を掻き落とし、玄関からドライブウェイにかけての雪もきれいに取り除いた。もちろん、塩をかけておくのも忘れない。

 ぱらぱらと、まるで料理の味付けをするかのような調子でコンクリートのドライブウェイの上に塩をふりかけながら、ふと辺りを見回して妙なことに気がついた。

 ご近所の誰一人として雪かきをしていない。大はしゃぎで雪だるまを作ったり雪合戦をしている子供達の姿はあるものの、大人の姿が全く見えない。凍えそうな寒さの中、バカみたいに汗だくになって雪かきをしているのは、どうやら私と相方の二人だけのようだ。

「雪かきなんてしなくても、明日になれば溶けるとでも思ってるんだろう」 

 そう言って、相方が苦笑した。

 一年を通して比較的温暖な気候で知られるアメリカ南部。バージニアの冬は寒い、と言ったが、それでも雪に閉ざされる事はほとんどない。そんな土地で生まれ育った人々は、雪の本当の怖さを知るよしもない。



 1月5日。主要道路が完全に凍結し、行政が除雪作業を開始。

 降り積もった雪は、氷点下の寒さが続く中で溶けることなくそのまま凍りつき、分厚い氷の層となって行政の手が届かぬ住宅地の路上を覆い尽くした。

 付近の河川や湖が完全凍結。バージニア州が誇る観光地の一つ、バージニア・ビーチでも波打ち際が凍りつく光景が目撃された。

 スクールバスの運行が危険とみなされ、地域の学校は全て閉鎖。車での移動が困難となった住民達は自宅に閉じ込められることを余儀なくされた。公共交通機関など無きに等しい車社会は、瞬く間に機能停止の状態に陥った。


 異常な大寒波は、その後もアメリカ南東部に居座り続けた。

 温度計がマイナス17℃を示し、凍結した水道管が破裂する事故が各地で相次ぐ中、我が家でも就寝前に家中の蛇口から水滴を垂らすのが日課となった。


 1月8日。日中の最高気温が氷点下の日々が続き、4日前の積雪は溶けることなく、いまだに付近は真っ白。どうやら、バージニア州は雪国と化したようだ。

 早朝、久しぶりに出勤する相方を見送った。4WDの大型ピックアップトラックを必死の形相で四苦八苦しながら操作する相方の姿を、運転免許を取って間もないティーンの息子を持つ母親のような気持ちで見守る。ドライブウェイからスケートリンク状の路上に出た途端、頼りなげに車体が大きく揺らぐのを見て「職場まで無事にたどり着けるんやろか……」と不安がよぎった。

 運転している本人が一番不安なんだろうけど。



 裏庭で用を足す以外、ずっと室内に閉じ込められっぱなしの愛犬サスケ(=秋田犬とオーストラリアンシェパードのミックス。♂。推定年齢4歳)が、不満そうに、くうん、くうん、と鳴き声を上げる。「お外に行きたい。お散歩したいよお」と潤んだ瞳が訴えている。

「ママだって外出したいねん。けど、我慢してるんやから、サスケももう少し我慢して」

 大きな身体を撫でながら、ごめんね、サスケは良い子だね、となだめ続けた。

 長すぎる冬籠りに、人間だって嫌気がさしているところだ。ましてや、活発な猟犬の血を引く大型犬の彼にとって、地面を蹴って思い切り走り回ることが出来ない日々が続くのは拷問に近いのだろう。

 我が家にはもう一匹、3歳になる猫がいる。災害時、ペットを連れての避難はアメリカでも問題となることが多い。今回は自宅での軟禁状態だったが、例えば、水道管の破裂で家中が水浸しになり、避難を余儀なくされていたとしたら……避難生活で、我が子同然のこの子達を守ることが出来るのか。

 色々と考えさせられる「冬籠り生活」でもあった。



 1月10日。4日の積雪から数えて6日目。ようやく外気温が上昇し、学校が再開された。

 新年早々、子供達と自宅に閉じ込められていた友人は「開放の時が来た!」とばかりに、小躍りして喜んだのだとか。遊び盛り、食べ盛りの子供達が居る家庭にとって、溶ける気配を見せない雪と氷に閉じ込められた生活は、困難極まりないものだったようだ。

 確かに、相方の手前、朝昼夜と日に三食、手抜きのできない日々は私も辛かったけど。



 かくして、雪国は、ようやく春を迎えた。


(2018年1月18日 公開)

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