第15話 猫と幼女と霊感少女 ②
「は、花ちゃん? どうして……」
「いや、俺も良く分からないんだ」
「それに、その子は?」
「トイレから出たら、二人で立っていたんだよ」
近藤は目を丸くして、俺と大伴、そして猫を抱えた女の子を見較べた。
猫は女の子の腕の中が窮屈なのか、微妙にもがいているように見える。
「ち、チロっ。メッ、よ。あ、ほら、落ちちゃう」
「……、……」
女の子は懸命に抱え続けようとするが、猫はスルッと腕から逃れると、軽やかに地面に降り立ち女の子のすねを舐めた。
「チロ……。良い子でしゅね」
「……、……」
「そんなに舐めたらくすぐったいでしゅよ」
「ニャっ!」
猫は女の子に慣れているのか、腕から逃れたのに走り去ろうともしない。
女の子もすねを舐めさせたままかがみこんで、お腹をなでた。
ああ、この猫は野良猫だな。
左耳がちょっと削げているし、身体のあちこちに生傷を負ったために出来たハゲがあるから分かっちまう。
それに、目が片方潰れている。
家猫でこんなワイルドな奴はいないからな。
祖父ちゃん流に言えば、丹下左膳猫だな。
俺は丹下左膳が何者か知らないけど、どうも片目の剣客らしい。
祖父ちゃんは片目のモノを見ると、必ず、
「丹下左膳だな、おぬし……」
と、言っていたっけ。
「お姉ちゃん、チロを見つけてくれてありがと」
「……、……」
「ほら、チロちゃんもお礼を言うんでしゅよ」
「……、……」
「学校に入ったら、メッ、なんでしゅよ」
「……、……」
大伴はいつものように薄いリアクションで、微かにうなずいて見せた。
……ってことは、大伴は女の子が猫を追いかけていたのを手助けしたってことか?
まあ、困ってる子がいれば俺でも助けようとはするだろうけど、どうしてこんなに暗いのに女の子が出歩いているんだ?
見た感じ、まだ小学校にも入ってなさそうだけど。
「あなた、お名前は?」
「チロだよっ!」
「ううん、チロちゃんではなくて、あなたのお名前」
「モカのこと?」
「そう、モカちゃんって言うの」
「うんっ!」
「チロちゃんとはお友達?」
「うんっ! チロとは仲良しなのっ!」
モカと名乗った女の子は、ハキハキと近藤に答える。
近藤も制服のスカートの裾を気にしながらしゃがみこむと、チロと呼ばれた猫の頭をなでた。
「チロちゃん、随分と傷だらけね?」
「そうなのっ! 凄くかわいそうなのっ!」
「かわいそう?」
「うん、だって、いじめられてるの、チロ……」
「いじめられてるの? 猫同士で喧嘩でもしちゃったのかな?」
「ううんっ、違うっ! おっきい金色の髪のお兄ちゃん達にいつもいじめられるのっ!」
「どうしてチロちゃんがいじめられちゃうの? チロちゃん、大人しくてこんなに良い子なのに……」
「悪いことをするからオシオキだってお兄ちゃん達は言ってたけど……」
そこまで言うと、モカは下を向いた。
言いたくても言えないことがあるのか、小さな肩を震わせている。
金色の髪のお兄ちゃん?
それって、そこらにいるヤンキーのことか?
いるよな、そういう奴。
弱いモノとかを見ると、何故かいじめたがるのが。
こんな猫一匹が、どれだけ悪いことをしたって言うんだ?
それって存在自体が気にくわないだけじゃねーのか?
俺は許せないんだよな、そういうの。
もし見かけたら、相手が何人でも絶対に勝負してやるんだけど……。
「チロはトイレに行きたいだけなの」
「……、……」
「でも、それがいけないってお兄ちゃん達が言うの」
「トイレに行くのがいけないの?」
「チロね、必ず、公園の砂場でオシッコをするの」
「……、……」
「ウンチも時々しちゃうのね」
「……、……」
「でも、ちゃんと砂をかけて見えないようにするんだよ」
「……、……」
「けど、それもいけないってお兄ちゃん達は言うの」
「……、……」
「モカも、何度も他でするように言ったんだけど、チロは聞かないの」
「そうなの……」
ああ、そういうことか。
たしかに公園の砂場をトイレにされたら、ヤンキーじゃなくても怒るか。
他にいくらでも排泄する場所はあるだろうに。
何で砂場に拘るのか知らないけど、そりゃあチロが悪いか。
砂場はキレイにしておかなかったら、そこで遊ぶ子達がバイ菌だらけになっちまうしな。
だけど、俺だったらいじめたりはしないけどな。
ほら、こんなに聞き分けが良さそうな猫じゃないか。
しっかりしつけて、他にトイレを用意してやることくらい出来なかったのかな?
「お姉ちゃん、これ見て」
「……、……」
そういうと、モカはジャンパーのポケットに手をつっこみ、掌で握ったものを近藤の目の前に差し出した。
「えっ? この小さい玉は……?」
「お兄ちゃん達は、鉄砲でチロのことを撃つの。これがいっぱいチロの身体に当たるの」
見ると、それは白いエアガンの玉のようであった。
「チロは一生懸命避けるの。でも、ダダダダって、いっぱい撃たれちゃうから、逃げ切れなくて……」
「……、……」
「チロね、おトイレに行きたいだけなの」
「そうね」
「そんなに悪いことしてないの」
「うん」
「モカはチロよりお兄ちゃん達の方が悪いと思うの。チロが痛がってるのに、何度も何度もいじめて……」
「そう。それでかわいそうなのね?」
「うん」
「……、……」
ちっ!
いじめってそういうことか。
ヤンキーの奴等、エアガンで撃つとはどういう了見なんだよっ!
それって明らかに楽しんでやってるだろ。
理由があれば何をやっても良いってもんじゃないだろうにっ!
モカは話を区切ると、愛おしそうにチロに頬ずりをした。
泣き出しそうな表情は見ていても痛々しく、俺ももらい泣きしそうだ。
俺だってさっき怖くて漏らしそうになったんだ。
猫がそこらでオシッコして何が悪いっ!
猫ってそもそもそういう生き物だろうがっ!
砂場でさせたくなかったら、キッチリ教え込めばいいだけのことだろっ!
チロは頬ずりがむずがゆいのか、一度、プルプルっと身を震わせると、寄せたモカの顔をペロッと舐めた。
「ねえ、結城君……」
「うん?」
「気が付いた? この子アメリカンショートヘアーよ」
「んっ? ああ、そう言えば、ペットショップにいたのと色がそっくりだな」
近藤……。
良く気が付いたな。
俺はチロのワイルドな身なりに気が行ってて、全然気が付かなかったよ。
うん……。
だけど、たしかにそうだ。
こいつ、黒と薄いグレーの縞だし、大きくなったアメリカン何とかだよ。
「だとすると……」
「ん?」
「チロちゃんは元々飼い猫だったんだと思うわ」
「どうしてだ?」
「アメリカンショートヘアーって飼い猫として人気があるからよ。滅多に野良猫になったりはしないわ。それに、砂場をトイレにしたがるのもそのせいだと思うの」
「……、……」
「この子、誰かにおトイレをしつけられたんだわ。したくなったら砂のあるところでするように」
「そっか……。だから、モカちゃんが何度ダメって言っても聞かなかったのか」
「だと思うの……。この子、全然、悪いことをしているつもりなんてないのに……」
「そうだな」
「酷いね、その人達……。こんなに傷だらけになって……」
「こ、近藤……?」
近藤はチロを抱き上げると、モカがしたように頬ずりをした。
目にいっぱい涙を浮かべて……。
俺も、涙が出そうになったけど、ぐっとこらえたよ。
祖父ちゃんがいつも言っていたから。
「男は泣きたくなっても、ぐっとこらえるもんじゃっ!」
って。
だけど、本当に酷いよな。
こんなの虐待じゃないか。
しかも、チロは教わったことをちゃんとやってるだけなのに、それを理由に虐待されるなんて理不尽過ぎるよっ!
あと、チロにエアガンを撃ったヤンキーも許せないけど、元の飼い主も俺は許せねえ。
どうして手放したりしたんだ?
こいつ、今でもこんなに一生懸命しつけを守ってるじゃないか。
あの商店街で見たアメリカン何とかとチロがどう違うって言うんだよ?
元々、十何万円で売られてたんじゃないのか?
「チロは悪くないもん」
「うん……、まあ……」
モカがぽつりと言った一言に、俺はそう言うのが精一杯だった。
本当は、
「ぜってー悪くないっ!」
って言ってやりたかったんだけど、うまく言葉にならなかったんだ。
「だから、モカ、チロと一緒にケーサツに行くの」
「ケーサツ? ああ、警察のことか?」
「うん。悪いことをした人はケーサツが捕まえてくれるんでしょう?」
「ああ、まあ、そうだけど……」
おい、モカっ!
気持ち、凄く分かるぞっ!
おまえ、一生懸命考えたんだろう?
チロのために。
うん、警察に行こうっ!
そうだ、桜井さんなら何とかしてくれるかもしれないっ!
俺は法律とかってことに弱いから、チロがエアガンで撃たれてもヤンキーを捕まえられるか分からないけど、うまく対処してくれるはずだよ。
桜井さんはちょっとノリが軽いところがあるけど、良い人だからさ。
それに、もし渋るようなら大伴が祖父ちゃんの説教を実況してくれればいいしな。
「なあ、近藤、大伴……。これからモカちゃんと一緒に警察に行かないか?」
「桜井さんなら話を聞いてくれるわね」
「ああ、やっぱ近藤もそう思うか? 俺も同じことを考えてたんだ」
「エアガンで撃ったのは、どんな理由があっても動物虐待よ。犯罪で間違いないから、警察だって動いてくれるわ」
「そうか。犯罪になるんだな?」
「ええ……、たしかそうだったはずよ」
「じゃあ、とりあえず電話してみようか。近藤はスマホを持ってるんだろう?」
「うん。桜井さんの番号も入ってるから、すぐに掛けてみるわ」
頼むっ!
大丈夫だよ。
たとえ犯罪でなかったとしても、桜井さんは話くらいは絶対聞いてくれる。
なあ、大伴……。
おまえもそう思うだろう?
「……、……」
大伴と目が合った。
相変わらず無表情な上に何を考えているのか分からない。
だが、今、微かにうなずいた気がした。
しかし、あいつは俺のことを見ているはずなのに、どこか他のことを考えているように感じる。
近藤は桜井さんと連絡がついたようで、ことの経緯を話している。
非常灯の光だけしかない昇降口前で、俺達はスマホから漏れ出る音に聞き耳を立てるのだった。
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