決断の時

 駅近くの公園でベンチに座って、相手の肩に寄り添う。私の左肩には、体を抱き寄せる隼人はやとの手が。私はその肩に頭を乗せ、隼人の顔を見上げている。外は寒いのに、寄り添っているからなのか不思議と寒くない。


 そんな幸せな雰囲気をぶち壊したのは、スマホのバイブ音だった。私のコートから聞こえる音とコートから伝わる振動。急いでスマホの液晶画面を見る。自然と隼人の手は私から離れ、私も隼人の肩から頭をどかしてしまう。


 スマホには見慣れた着信画面が映っていた。発信者は「飯山いいやま宏光ひろみつ」。私に復縁を迫る元カレの名前。隼人に目で問いかけると小さく頷かれた。仕方なく応答ボタンをタップして、隼人にも音が聞こえるようにスピーカーにする。


「付き合ってる人がいるってどういう事だよ!」


 スピーカー越しに聞こえたのは怒声だった。開口一番にいう言葉がそれ、なんだ。自分のことは棚に上げて、私のことを聞くんだ。私はもう宏光と別れているんだから、誰と付き合っても関係無いのにね。


 冷静さを保つために深呼吸を二回。感情的になったら負け、情に流されたら負け。誰に言われたわけでもないけどそう感じて。少し心を落ち着かせてから口を開く。息を吸うと、冬の冷たい空気が肺に入る感覚がして、思わず咳き込みそうになる。咳き込みを堪えながら声を発した。


「その通りの意味だけど?」


 口から零れた言葉は、自分でもゾッとするほど冷たい響きをしている。私、こんな冷たい声も出せたんだな。一度口に出してしまった言葉を、今日の私は止められそうにない。たった今出したのと同じ声音で言葉を続ける。


「それに、宏光には私より先に謝る人がいるでしょう? 浮気相手、妊娠させたんだよね。なら、逃げずに責任取らなきゃ。それとも……責任も取れないくせにそういう行為をしてたわけ?」

「いや、その、違うって。責任は取る。取るけど……」

「じゃあ、どうぞ相手さんとお幸せに。私は私で、新しい彼氏と幸せになる。だから、金輪際連絡は――」

「ふざけんな!」


 私の言葉に、宏光が再び叫んだ。スマホから聞こえる怒声に思わず耳を塞ぎたくなる。何、その言葉。「ふざけんな」ってそれは、私の台詞だよ。宏光の言葉に、私の中の何かが壊れた気がした。


美穂みほは俺が好きなんだろ? じゃあ、俺と付き合ってくれればいい。浮気相手とは結婚するけどだ。本当に愛してるのは美穂だけ。だから、な?」


 なおも続けられる宏光の言葉。その言葉に呆れることしか出来ない。何が「形だけ」よ。宏光の嘘はもう、聞き飽きた。そう思ったけど、そんなことより気になることが一つ。スマホからじゃなくて遠くからも、宏光の声が聞こえてくる気がする。気のせいじゃないよね、これは。


「映画館でイチャついてたのは、その浮気相手じゃないでしょ? 二人目の浮気相手?」

「あれは……その、あれだ。流れでそうなっただけで、別に付き合ってるわけじゃ――」

「いい加減にしてよ!」


 宏光の言葉に耐えきれず叫んだ時だった。前方から私達のいるベンチに向かって何かがやってくる。それはだんだん近付いて、人の形になった。さらに近付くと顔までわかるようになる。現れたのは、ちょうど今電話で話していたはずの宏光だった。


「やっと。そいつが、付き合ってるって奴か?」


 目の前の宏光が声を出すと、スマホのスピーカーからは通話の終了を知らせるビジートーンが流れてきた。





 今やってきた人が宏光だと、会話で察したんだろう。隼人が私を庇うように前に立つ。隼人の背中に隠れ、宏光の姿が見えなくなった。それだけでホッと息を吐いてしまう。


 出来るだけ宏光の姿は見たくない。近くで怒声を浴びせられたら、間違いなく萎縮いしゅくしてしまう。だから、隼人の小さな気遣いがとてもありがたい。何より、隼人の背中を見ていると不思議と安心するんだ。


「何をどうしたら、『美穂が君のことを好き』なんてバカげた妄想が出来るのですか?」


 隼人の口から出た言葉は、さっきまで話していたトーンより低い。何が起きても対応できるように、なのかな。足を肩幅に開いて拳を構えてる。隼人は宏光のことを警戒してるんだ。


「お前が、美穂の浮気相手か。お前が美穂をたぶらかしたんだろ」

「僕は美穂の恋人です。人聞きの悪いことを言わないでほしいな。今の君は美穂の彼氏でもなんでもない、ただの他人ですよ。場違いなのは君の方だと思いますが?」


 隼人の言葉に宏光が舌打ちをした。隼人がそれに苛立ったのか、つま先で何度も地面を叩いてる。二人共何も言わないまま、静寂に包まれる。場が一転したのは、宏光の言葉がきっかけだった。


「美穂、お前はどうなんだ? 俺が大好きだけど、仕方なく別れたんだろ?」

「……大好きよ。でも、別れたのはしたこと。私のことを少しでも思うなら、これ以上私を困らせないで」

「別に困らせたいわけじゃ――」

「毎日百件近くもチャットして、不在着信も数え切れないほどしておいて、それで困らせたくない? もう、充分困ってるよ」


 宏光の言葉に心が耐えきれなくて、ベンチから立ち上がる。私を制止しようとした隼人に小さく頷いて、その左隣に立った。寒さからか恐怖からか体が少し震える。そんな私の手を、隼人が優しく握ってくれた。


「これ以上しつこく連絡をするなら、復縁を迫るなら……ストーカー規制法違反として警察に報告します。今までのメッセージ、全部証拠として写真に撮ってあるの。こっちはいつでも届けを出せる状態です」

「何言ってるんだ。たかが電話とチャットだろ? この程度でストーカー? 笑わせんなよ」

「今は、電話やチャットでもつきまとい行為になる時代だよ? 私は何度も拒絶した。証拠もある。それでも、犯罪者になる可能性があってもまだ、私に復縁を迫りますか?」


 警察の話を持ち出す時、少し声が震えた。喉の奥がツンとして、視界があっという間ににじみ始める。それを、上を向いてやり過ごすのが精一杯。滲んだ視界には、冬の大三角形がやけに輝いて見えた。

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