第39話 黒猫の憂鬱と心傷②





「…………何とか取り繕ってはいたが吾輩はまだまだ未熟だと思い知らされた。……吾輩はアトスを友の様に思っている、だがアトスは配下だと、対等に扱うなと言ってくる、それが吾輩には…………『私』には本当にもどかしかった…………」


「アトスが私と行動を共にしてくれているのは、私が『森の王』の力を持っているから。でなければ今頃、アトスに殺されていたか、もしくは深い森の中アトスの影に怯えて右往左往していたかもしれない。でも『森の王』の力を持っているから、アトスとの間に溝があるのを感じてしまった…………」


「アトスとアドリアーナ殿の間に深い信頼関係があるのは一目見てわかった。アトスに気の許せる友がいた事は嬉しかったのも本当だ。でも、でも私は…………私は心の底でアドリアーナ殿をうらやましいと思ってしまった…………また、一人ぼっちになってしまうんじゃないかって怖くなった…………」



 黒猫はクロエに優しく抱擁され人の温もりを感じながら泣いていた。

 黒猫は生まれ変わってから頑張ってきた。

 深い森の中に一人放りだされ、辛くなっても無理矢理、笑みを浮かべて過ごしてきた。

 頼りにされれば、適当な理由を付けて助けてやり、アトスに襲われた際も心が折れそうになるのを必死で抑えていた。


 もちろん、心から楽しいと思える思い出もたくさん出来た。


 クグロに頼られた時、アトスに『王』と認められた時の喜び。

 アトスの背中にまたがりり大空を駆けた時の充足感。

 海賊と戦った際、自分の作戦が綺麗にハマった時の高揚感。

 だが、だからといって辛くない訳ではなかった。


 黒猫の外面は黒猫本人が自身の内面を忘れるほど完璧に出来ていた。

 強く立派で豪胆な黒猫シャルルとしての生を謳歌できていた。

 神からの贈り物、『煙草』は薬も過ぎれば毒となるを体現するかの如く、宮崎珠希の心を完全に塞いでいたのだ。


 だから、『気品』の能力を街中では切っていたはずなのに言葉遣いはそのままだったが、今はその言葉遣いも捨て去り、情けない姿を見せていると頭の片隅で思いつつもクロエの腕の中で思いのたけをぶつけていた。


 クロエはその全てを受け入れ、柔らかな声色で相槌を打ち、優し気な表情を浮かべ黒猫の背を擦り、頭を撫でていた。その姿はまるで母親のようで、彼女が長き時を生きたエルフだという事を黒猫に実感させた。


「頭では理解しているんだ、アトスは私を見捨てないって、荒唐無稽だって。でも気持ちが騒めいている時にアトスの期待に応えきれなかったらと考えてしまったら、苦しくて………抑えられなくなって…………」


「大丈夫……大丈夫ですよ、シャルル様。アトス様も、もちろんわたしも何処にもいきません。この身朽ち果てるその時まで、いつまでもあなた様と共にいると誓いますから」


「…………こんな、情けない、姿を、見せてるのに?…………『森の王』の力に頼っているだけの軟弱者なのに…………」


「いいえ、情けないなんて思っていませんよ。確かに『森の王』の御力は重要です。我々はあなた様がその御力を授かっていた故に、巡り合う事が出来ました。でも、一番重要なのは、あなた様の心の在り方です。アトス様は長き時を生きる最上位の魔獣。あなた様の心ときっと向き合って、そのうえであなた様を『王』と認めているはずです」


「…………ほんとうに?」


「はい、それに、大切な人が自分の良く知らない人と仲良くしてモヤモヤするのは当たり前の感情です。それが不安から来るならなおのこと。それは、シャルル様が他人を強く想える優しい心を持つ証明なのですから、そう自分を卑下しないでください」


 クロエは黒猫の恐怖、不安、恐怖、嫉妬、自己嫌悪の気持ちで凝り固まった心を優しく、優しく丁寧に解きほぐしていった。


 そして、彼女が紡いだ『あなたが優しい心を持っている証明』という言葉。その言葉は荒れていた中学時代に出会った少女、前世の恋人『祐希ゆうき』が言ってくれた言葉とよく似ていて、それを思い出した黒猫は喉を震わせ更に涙が溢れて止まらなくなった。


 弱音を受け入れてくれる存在は黒猫に深い安堵をもたらし、泣き疲れた黒猫はいつの間にかクロエの腕の中で寝てしまったのだった。





 ー-------




 クロエは眠りついた黒猫に微笑みかけ、苦しくならないように姿勢を仰向けに寝かせると、黒猫に【防音】の術式を張り背後にあるテラスの出入り口に向かって話しかけた。


「アトス様、もう出てきて大丈夫です」

「…………流石だな、気づいていたか」


 そこに隠れ潜んでいたのはアドリアーナと酒を酌み交わしていたはずの人間体のアトスだった。彼は体内の酒精を分解しきっているらしく顔色に赤みは失せており、静かにクロエに歩み寄って、そして二メートル手前で立ち止まる。


 いつもの如く黒猫の傍に佇むことはぜず、ためらうように。



「……気配が隠せていませんよ。『猛虎』、いえ『雷虎』の貴方らしくない。」

「『雷虎』か、また懐かしい呼び名だな。森精種エルフの貴様らしい」


 『雷虎』それはラジウス森林連邦エルフ族自治領内で轟いた魔獣の異名でありアトスの異名の一つだ。彼は昔、訳あってエルフ自治領に訪れた事があり、紆余曲折あったのちにクロエの生家にしばらく厄介になっていた時期があった。

 アトスは肩を竦めて小さく笑い、クロエの背中、より正確に言えば彼女の纏う外套を見つめ口を開く。


「…………やはり、その外套の術式、見覚えがあると思えば貴様、さてはオフィリーの娘。『預言者』リュディヴィーヌの孫だな」


「ええ、その通りです。貴方の事は本国からの密書で知りました。なんでも、リュディヴィール様より直々に『天啓』を預かった魔獣がいたと」


「ああ、おかげで我は真の窮奇として覚醒し『深林公』となり、『森の王』の配下となれた。貴様の祖母には頭が上がらない」


 アトスは瞳を細め、そして顔をクロエからそむける。その姿を横目に見ていたクロエは、少し怒気を含んだ声でアトスに言葉を投げた。


「…………アトス様、なぜシャルル様の元に近寄らないのですか」

「………………」


 アトスはその問いに思わずグッと押し黙る。そして少し思案した後、躊躇ためらいがちに口を開いた。


「…………我は、シャルルの真意を見抜けていなかった。ただ悪戯に理想を預け、苦しんでいる事に気づいていなかった…………そんな我がシャルルの傍にいて良いのか疑問を抱いたのだ」


 アトスは古代魔術の【隠匿】を見抜ける眼を持っている。だから、テラスに居る事は直ぐに突き止めたが、黒猫が泣き崩れている様子を見て足を止めてしまった。

 黒猫の泣き言も全てでは無いが聞いていた、そして黒猫が苦しんでいる事実に今更ながら気づいてしまった。


 己のあまりの不甲斐なさにアトスの拳には自然と力が入り、血が滴りはじめる。


「…………シャルル様自身、ご自分の御心には気づいていなかったご様子でした。その事でアトス様を責める気はわたしにはありません」


 クロエは黒猫を起こさないようゆっくり立ち上がると、アトスに向かって歩を進め、そして正面に立つと睨みつけるように彼の顔を仰ぎ見た。


「ですが、そういった態度こそが、シャルル様を傷つける事を理解してください!」


「…………っ」


「貴方も聞いていたはずです。シャルル様の心を蝕んでいるものの正体を。ならばその考えと行動が逆効果だと貴方ともあろう者がなぜ気づかないのですか…………!」


 それは、本気の怒りと失望だった。アトスは絶対的強者だ、それゆえに恐れられた事はあっても面と向かって怒られた事は数える程しかない。

 クロエはアトスとの実力差を理解した上で静かに怒りを向けている。その胆力、黒猫を想うが故の行動、覚悟が決まった顔つきを見たアトスは、小さく息を吐きクロエに情けない笑みを返した。


「…………クロエ、貴様とこの街で出会えてよかったよ。貴様は我が持っていないものを持ち合わせている。どうか、シャルルを支えてやってはくれないか」


「言われずとも、そうさせて頂く所存です。それにわたしも、貴方のお陰でこうしてシャルル様に真にお仕えする覚悟が出来ました……ですから貴方もそんな顔を暗い顔をしないでください、シャルル様が見たら悲しんでしまいます」


 彼女は怒りを消しさり、優しく微笑みをかけて手を伸ばす。アトスは向けられた笑みと手の意味を理解し、握手を交わした。


「そうだな…………では小娘よ我は貴様を気に入った。特別に対等に扱ってやる」

「はい、これからよろしくお願いしますね、アトス様」


 アトスはいつもの様に大胆不敵に笑って上からクロエを見下ろす。そして、クロエはそれに対抗するように少し勝気に笑って見せた。


「それと、アドリアーナ様から依頼があったのであれば、その事をシャルル様に伝えた方がよろしいと思いますよ」

「…………貴様、気づいていたか」

「ええ貴方にアドリアーナ様が接触したなら、そうなるだろうと薄々勘づいていました」


 そう言ってクロエは憂い気にアトスから視線を逸らし、アトスもまた視線をクロエから逸らしてアドリアーナに告げれた依頼を思い出す。


「…………ああ、おそらく貴様が想像した通りだ」

「…………やはり、そうですか」


 アドリアーナの依頼、それはアトスにはあまりにも酷な内容だった。友情ゆえに断りたかった。だが、友情ゆえに断る事が出来なかった。


 それが、ポルトスとアドリアーナの二人の友を想うならなおの事だったのだから。


「…………まったく、シャルルといい我といい、友情とは厄介なものだ…………」


 アトスは寂しそうに呟くと黒猫の傍まで近寄り片膝を付け、目尻に浮かんだ涙を親指でソッと拭い、頬を撫でる。



「泣かせてしまったのはこれで二度目だな………」



 思いだしたのは初めて黒猫と出会いった時の事だ。あの時は黒猫は王者の風格を見せどんな絶望的な状況でも屈さない強者の様にアトスの目には映ったが、その実、黒猫にはかなりの負担が掛かっていたのだろう。



 もう同じ過ちは繰り返さないつもりだった。だが——————



「…………すまないな、シャルル。できるなら貴様に知らせたくはない。だが貴様は、蚊帳の外に扱い後からその事実に気づいた時の方がより深く傷ついてしまうのだろう。それに我も無事で済むかわからないからな」


 眠りについた主の顔を見て決意を固めたアトスはシャルルを抱き上げテラスの出口へ歩み始めた。


「詳しい事は明日、シャルルを交えて話す。貴様も疲れたであろう部屋に戻るぞ」

「ええ、わかりました。…………起こさないようそっとお願いしますね」

「はは、任せるがいい。こう見えて子守りの経験は積んでいるからな」


 そして、アトスに続きクロエもテラスを出ようとした時、ある事を思い出して引き返した。

 向かった先は先程まで黒猫がいた場所。そこに火を付けなかった為、そのまま綺麗な状態で残った煙草があった。


「……この煙草を吸ってから、シャルル様は落ち着きを取り戻した……いったい何が含まれているの?」


 クロエは落ちていた煙草を摘み考察を巡らせる、すると更にある事実に気づき周囲を見渡した。


「…………もう一本、燃えかけの煙草が見当たらない。燃え尽きていたとしても灰と痕跡は残るはずなのに」


 そう、どんなに探そうとしても黒猫が火を着けた煙草が見当たらなかったのだ。手すりの隙間から落ちたのではとも考えたが、下を見てもその痕跡は見当たらない

 明らかに普通では無ないこの煙草にクロエは強い不信感を感じ考察を深めようとした。

 だが、今は黒猫の事を優先し、煙草の事は後で詳しく調べようと腰のポーチにソレを仕舞うと急いでアトスの元へ駆け出す。

 誰も居なくなったテラスには、ただただ肌寒い風が木の葉のみを攫い吹くばかりだった。




 こうして、三人の長い一日は終わった。そして翌日、目覚めた黒猫が羞恥心のあまり呻きながら布団の中に籠って二人を困らせるが、それはまた別のお話なのであった。





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