第9話 愚か者の前奏曲

 お父様とお母様から漂う冷気によって、周りにいた貴族達が巻き込まれないよう離れていく。

 お父様が怒ると怖い事は有名だが、それ以上に恐れられているのがお母様の存在。以前どこかのパーティーで女性のお尻を触った不埒な男性がいたそうなのだが、その時男性を捕まえ投げ飛ばした上、両膝を地面につかせて泣いて謝らせた事は伝説になっているとか。

 うん、めっちゃ気まずい。


「その、何度かお嬢様にお詫びをしにお屋敷へと伺っていたのですが、毎回ご都合が悪くお会い出来ませんでしたので……」

 ほえ? 毎回ご都合が悪かった?

 毎日衣装作りに忙しかった事は確かだが、シンシアや他の友人達が訪ねて来る事もあったので、別段都合が悪い時というのは無かったのだけれど。

 チラリとお母様の顔を除くと『私が門前払いにしてやったわよ』と言わんばかりに視線を送ってきた。

 使用人達も状況を把握しているから、私に気を使って先にお母様へ連絡をいれたのだろう。


「あら、折角気を使ってリーゼの都合が悪いって事にしておいたのに、ハッキリお断りした方がよかったかしら?」

「い、いえそれは……」

「でしたらどうして娘の前に顔を出せたのかしら? 今回そちらの息子が何をしたのかご存じでしょ? ひと気のない場所に呼び出し罠にはめ上、何の罪もない娘を犯人扱いにした。そのせいでリーゼは学園を辞める羽目になってしまったのよ、貴方の息子は娘にどう責任を取ってもらえるのかしら」

 周りからザワザワと色んな声が聞こえて来る。

 決して大きな声で話されている訳ではないが、元々注目されていた事もあるし、お母様の特殊な事情を知っている人達にとっては、嫌でも目に付いてしまうと言った方がいいかもしれない。

 世間では何故か公にはなっていないが、お母様の出身は公爵家の遠縁にあたる一族で、今はお屋敷ごと無くなってしまったらしいが、昔の事を知っている人達の間では、お母様の美しさと高貴な血筋に萎縮してしまうんだとか。

 子爵様が女性であるお母様に先ほどから言われっぱなしなのも、実はその辺りの事が関係していたりする。


 私がエレオノーラとのいざこざで、婚約を破棄された上に学園を辞める事になったのはほとんどの人が知っているだろうが、詳しく何が起こって現状に至ったかは学園に通っていた生徒しかしらないのだ。

 お母様がそこまで計算されて話されているのかは知らないが、内容を聞いた人達が、一連の事件が何者かに仕組まれた罠ではないかと、感じてくれる人もいるのではないだろうか。


「も、申し訳ございません。ですからこうやって息子を連れてお詫びをしに参った訳でありまして……」

「謝罪は結構、私はどう責任を取って貰えるのかと聞いているのです」

 お母様怖いですって。周りの人達も余りの恐怖にドン引き状態です、特に男性。

「責任でございますか、それはその……」

「何も考えず良く顔を出せたものですね、謝罪さえすれば許されるとでも思っていたのですか? 全く私達も甘くみられたものですね」

「コーデリア、もうその辺にしておけ」

 流石に周りがザワつき始めたのでお父様が仲裁に入られる。

 元々お父様もシャルトルーズ家を完全に見放そうとは思っていないだろう、今まで通りと言う訳にはいかないかもしれないが、救いの手は差し伸べるつもりだと私は考えている。

「そうですね、こんな所で話していても時間の無駄ですわね」


「お、お待ちください。せめてリーゼ様に対して謝罪だけでも」

 私達が立ち去ろうとすると慌てて止めにはいられる子爵様。

 お母様は視線だけで殺してしまいそうな勢いで睨め付けるが、子爵様もブラン家に見放されては領地の運営がままならない事は重々承知しているので、必死に寄りすがってくる。

 はぁ、仕方ないなぁ。


「お母様、謝罪だけでもお受けしては如何でしょうか? 私もケヴィンが何故あのような嘘をついたのか聞きたいですし」

 前々から不思議に思っていた事だが、ケヴィンの家はエレオノーラのアージェント家ではなく、私がいるブラン家が支援をしてきたのだ。それなのに私ではなくエレオノーラの味方をしたのがどうも納得が出来なかった。

 元々ケヴィンとは幼馴染という事もあり、小さいころは良く一緒に遊んでいたし、仲もそれ程悪くはなかった。学園に入ってからは私がウィリアム様と婚約した事もあり、余り他の男性に近寄らないようしていたせいで、以前のような付き合いは少なくなったが、罠に嵌められるまで嫌われる原因が思いつかない。

 それにこのままではケヴィンの立場は益々窮地に立たされてしまうだろう、私としてはちゃんと謝ってくれれば水に流してもいいとさえ思っているのだ。だってそうでしょ、私にとって彼は唯一の幼馴染なんだから。


「分かったわ、リーゼが其処まで言うなら謝罪だけでも聞いて差し上げましょう」

「ありがとうございますリーゼ様。さぁケヴィン、リーゼ様がわざわざ機会を与えて下さったのだ、ここで誠意を見せて謝罪するんだ」

 子爵様が何度も私に頭を下げ息子を前へと追いやる。

 先ほどから様子伺っていたが、ケヴィンは未だ私の方を一度も見ていない、一体彼は何を考えているのだろう。

 今シャルトルーズ家がどのような状況に立たされているかは知らないが、ブラン家の支援無くして領地経営が成り立たない事ぐらい彼も十分に分かっているはずだ。それにお父様だって何らかのキッカケが無い限り前へ進むことは出来ないし、子爵様もそれが分かっているからこそ、早めに対応しようとこのような人目がある場所にも関わらず、謝罪の場を求めてきたのだ。

 私としてもただ本当の事が知りたいだけなので、ここでしっかりと誠意を見せてもらえば、お父様も何らかの手は差し伸べてくれるだろう。


「…………」

 私はケヴィンの前に立ったまましばらく様子を伺うが、彼はただ下を向き一言も喋ろうとしない。

 後ろで子爵様の顔色が徐々に悪くなっていく様子が見えるが、お父様達も特に急かす様子もなく事の成り行きを見守っている。これは私に任せると言う意味なんだろう、全く仕方がないわね。


「久しぶりねケヴィン、何度か尋ねてくれたみたいだけど気づかなくてごめんなさい」

「……」

「何か私に言いたい事があれば聞くわよ」

「……」

「人前で話せないというのなら場所を変えましょうか?」

「……」

「どうして何も話してくれないの? 私はただあなたの気持ちが知りたいだけなの」

「……」

 はぁ、これじゃ話が進まないわね。


「それじゃこれだけ答えてくれる? あの時私を呼び出したのは貴方自身の意思だったの?」

 もし彼のプライドが女性対しての謝罪という行為を妨げているのなら、別に頭を下げてもらわなくてもいい。呼び出した理由が自分の本意ではなかったのだと、ただそれだけ言ってくれればいいのだ。


「……お、俺は…………覚えていない。あの日の事はよく覚えていないんだ」

 この期に及んでそんな言い逃れが通じるとでも本気で思っているんだろうか。エレオノーラにどう言いくるめられたかは知らないが、そんな答えでは私の両親は納得しないし、子爵様も息子の言動を許さないだろう。


「覚えていないと言うのなら質問を変えるわ、貴方は自分のした事を理解している? 自分の言った発言で私がどうなるかを考えてくれた事はあったのかしら?」

 理由が言えないのなら彼は私の事をどう思っていたのだ、少しは悪い事をしたと思っているのなら、たった一言『すまなかった』と言ってくれればいいのだ。二人の間に恋愛感情は一切ないが、それでも私は彼の事を親友だと思っている。


「そ、それは……あ、あんな大事になるとは思ってもいなかったんだ、実際事件事態は大した事はなかったんだ、事を大きくしたのはリーゼの方だろ! 俺は大したことはやっていないんだ! それなのにリーゼが学園を辞めたりなんかするから大騒ぎになっているんだ、今からだって学園に戻れるはずなのに俺ばかりを責めるのはおかしいだろう!」

 ……バカ者が。寄りにもよってまだ自分を正当化しようととでも思っているのか、こんな大勢の前で子爵家の息子が伯爵家の私を責めるような発言をしてしまった。

 話せない理由があるのなら、ただ一言謝罪の言葉を述べるだけでも良かったのに、結局自分で自分を窮地に追い込んでしまったのだ。

 この場にいる全員が彼の人生が終わってしまったのだと感じたに違いない。

 ケヴィンはもうこの世界では生きていけないだろう、例えこの場で膝をついて誤ったとしても私の両親は許さないはずだ。そして子爵様も自らの身を守るために彼を切り離すだろう、いや切り離すしかなくなったのだ。

 ここには大勢の貴族たちが私達の成り行きを見守っているのだ、こんな愚かな者が継ぐ家に誰が支援してくれるだろう。


「お父様、お母様、お時間を取らせて申し訳ございませんでした。私の考えが浅はかでした」

「そのようだな、シャルトルーズ子爵、今後その愚かな人間からの謝罪は一切必要ない。分かっているとは思うが、なるべく早くそちらの態度を見せてもらおう」

 お父様はこう言っているのだ、ケヴィンを直ちに追放しシャルトルーズ家の誠意を見せろ、そうでないと本気で関係を断ち切るぞと。

「畏まりました、この度は我が愚昧ぐまいの愚かな振る舞いにも関わらず、恩情をお与え下さりありがとうございます。近日中に改めてお屋敷の方へと伺させて頂きますので、この場はどうかご容赦くださいませ。

 リーゼ様、この度は我が愚昧ぐまいの振る舞い、誠に申し訳ございませんでした。このお詫びは改めてさせてお伺いさせて頂きますので、今日のところは我が身に免じてお許しくださいませ」

 子爵様ももうケヴィンを庇うような事はしなかった。

「子爵様、お父様もシャルトルーズ領の人々が苦しむ姿を見たいわけではありません、そちらの誠意を見せて下されば何らかの手を差し伸べて下さると思いますので、どうぞお気を落とさないようお過ごしください」

「重ね重ね、お気遣いありがとうございます」

 そう言ってケヴィンを連れて出口の方へ向かわれていった。


 全く、自分の身を滅ぼしてまで守るプライドなんて捨ててしまえばいいものを。彼は必ず後悔する事になるだろう、あんな甘えた人間なのだから、まさか子爵家を継ぐ自分が追放されるとは本気で考えてもいないはずだ。

 その時になって気づいたとしても全ては終わってしまった後なのだから。


「リーゼ大丈夫? 気分は悪くない?」

「少し休むかい?」

 私を心配してお姉様とお義兄様が気遣ってくれる。

 私とケヴィンの関係を知っているだけに心配してくれているのだ。

「ありがとうございますお姉様、お義兄様」

 パーティーが始まったばかりでこれか、嫌な感じはしていたけれどまさか一番楽だと思っていた相手に、ここまで苦しい思いをするとは想像もしていなかった。

 この後メインディッシュが二つも残っているのだから、少し休んで心を落ち着かせたい。


「リーゼ、こちらはいいから少し席で休んでいないさい。オリヴィエ達はしばらくリーゼに付いてあげてくれる?」

 余程私の顔色が悪かったのだろうか、お母様までもが心配そうに声を掛けてきてくれた。ここは素直に従っておいた方がいいだろう。

「すみませんお母様、それじゃ少しだけお言葉に甘えさせて頂きますね」

 私はお姉様達に連れられて、会場の端にあるテーブル席へと移動した。

 その頃には周りで成り行きを見守っていた貴族達も、既に何事もなかったかのように振舞っているが、時折こちらを見ては何かを話し合っている様子が見て取れる。

 それが私にとって悪い話か良い話かは分からないが、少なくとも今日の噂は間違いなく貴族達に知れ渡るだろう。


「飲み物を貰ってくるからオリヴィエ達はここで待っていて」

 そう言うとお義兄様は一人テーブルを離れていかれた。

「お義兄様ってとても優しいんですね、お姉様が好きになられた理由が分かる気がします」

 私がこんな状態の時、ウィリアム様ならきっと何もせずに放って置かれているだろう。いや、もしかしたら気づきもされないかもしれない。

 それだけ私達の関係は薄っぺらなものだったのだと改めて感じてしまう。

「あら、今頃気づいたの? でもレオンはただ優しいだけじゃないのよ」

「そうなんですか?」

 私がお義兄様に持つ印象は、少し気弱なところもあるけどいつも暖かい笑顔で周りを気遣ってくれる優しいお兄ちゃん、そんな感じだ。

「見た目からはとても想像出来ないでしょうけど、レオンはしっかりと自分の信じる信念を持って行動しているの。大切な人は体を張って守ってくれるし、違うと感じた時はお父様と言い争ったりもしているのよ」

 知らなかった、私はてっきり伯爵の地位を受け継ぐためにお父様の指示に従っているだけで、自分の意見を主張しているなんて考えた事もなかった。

 だからお父様もお義兄様の事に一目を置いているんだ。


「私は、正しかったのでしょうか……」

 思い出すのは幼かった頃一緒に遊んでいたあの日の光景、私は結局ケヴィンを助けるどころか追い詰めてしまった。彼があそこまで歯向かって来るとは思ってもみなかったのだ、だから私は……

「リーゼはケヴィンを、あの子の家を守ろうとしたのでしょ? お母様達もそれが分かっていたからこそ、彼の謝罪を聞き入れようとした。だけど、彼は余りにも大人にはなれていなかった」

「ですが、結果的に私がケヴィンに止めを刺した事は事実なんです」

 これが赤の他人や知り合い程度ならどれだけ良かったか……でも、私の16年間には間違いなくケヴィンと過ごした思い出が残っており、話した時間もクラスの男子達より遥かに多い。


「それは違うわ、あの時リーゼが謝罪を受け入れようとしなければ、彼の人生はどの道残されてはいなかった。お父様はシャルトルーズ家には何らかの手を差し伸べるみたいだったけれど、ケヴィン対しては誠実さを見せない限り、本気で見捨てるおつもりだったのよ」

 お父様がシャルトルーズ家の事を、どのように考えておられたのかは何となく分かる。

 確かにあのままケヴィンが爵位を継いでいれば、間違いなく領民の生活は苦しくなるだろう。そうならない為にも今のうちに自分には何が出来、何が出来ないかを学ばせておかなければならない、それが分からないようでは他家とは言え、領地経営をさせるなんて認めさせないだろう。


「子爵様も自分の息子があそこまで愚かだとは思ってもみなかったのでしょう、最後は悲しそうな瞳で見つめていたわ」

「……」

 私は誰かを助ける力が自分にあるだなんて一度も考えたことはない、だけど助けようとは努力してきたつもりだ、それなのに……。

「割り切りなさい、あなたは貴族の一員であって、彼もまた貴族の一員でもあるのよ。甘えは時にして人を殺すわ、あなたにももう十分に分かっているはずでしょ」

 お姉様のおっしゃっている事は正しい、例え私がケヴィンを突き放さなくても近い将来破滅が待っていただろう。

 自分でも分かっていた、分かっていたはずなのに覚悟が弱すぎた。


 強くなろう、一人でも絶望に立ち向かえる程に強くなるんだ。そして心の中で後悔と悲しみで涙を流す事は、これで最後にするんだ。

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