終幕

「形はわかった。残りは因果と、名前だ」


 雪白くんの言葉が終わるのと同時にドーンという大きな音が響く。

 小屋になにか大きなものが当たったみたい。大きな地震みたいに小屋は揺れて、窓ガラスが割れて床に飛び散った。

 床の上に散らばったガラスの破片はドシン…ドシンと近付いてくる大きな音に合わせてカチャカチャと小さな音を立てて震える。


「この紅い糸で作った円から絶対に出るな」


 雪白くんは、私にそう言いつけると小屋の粗末な扉にに向かって歩き出す。

 扉の取手を掴もうと彼が手を伸ばそうとすると、扉が外側に吹き飛んだ。

 

 扉の前には、たくさんの黒いモヤモヤを従えた阿隅がニコニコと不気味な笑みを浮かべて立っていた。


「あす…」


 彼女の名前を呼んで今すぐ駆け寄りたい衝動が湧き上がってくるけど、私は自分の手を握りしめてそれに必死で耐える。

 円の中にいるからなのか、ちょっとだけわかる。彼女に近寄ったらダメなんだってこと。

 

「朱音を巻き込むのはやめろ。親友じゃなかったのか」


 自分に絡みつこうとしてくる黒いモヤモヤを片手で掴んで引きちぎって投げ捨てるように壁にぶつけた雪白くんは、真っ赤な唇の両端を吊り上げるようにして笑っている阿隅へと近付きながらそう問いかけた。

 阿隅は、その問いに答えないまま右手を前に突き出す。彼女の右手から出た黒いモヤモヤから飛び出してきた仔猫くらいの大きさの蜘蛛は雪白くんに襲い掛かっていく。


「―チッ」


 まっすぐ突撃してきた蜘蛛たちに、雪白くんは胸元から出したお札を叩きつける。お札から出た光に当たってキィィィと高い鳴き声のようなものをあげながら蜘蛛たちは灰色の煙になって消えていく。


 雪白くんを通り過ぎて私の方に向かってきた蜘蛛もいたけれど、円の中には入れないみたいで、紅い糸の内側に入ろうとした途端なにか見えないものに弾き飛ばされて壁に当たったり天井に当たると逆さまになって足を折りたたんで動かなくなった。

 

「親友だから殺すのよ」


 地を這うような低い低い声で阿隅はそう言った。

 倒しきれないほど増えた蜘蛛が蠢きながら吐く糸に雪白くんは足を取られて動きにくそうにしている。

 それでも、なんとか自分に噛み付こうと飛びかかった蜘蛛を蹴飛ばしたり、お札で振り払ったりしている雪白くんに、阿隅は徐々に近付いていく。


「朱音は私と一緒になるの私が先に居なくなって寂しいよね?苦しいよね?だから一緒にいこう?私はずっと友達だよ」


 動きを封じられつつある雪白くんに近付いていく阿隅は、声も、顔もまだ私の親友の阿隅そのものだ。

 だから、死んだって記憶が実は嘘で、彼女は悪いナニカに乗っ取られているだけなんじゃないかって思いたくなる。


「聞く耳を持つな!それはもうお前の親友じゃない!」


 振り払ってもきりがないくらい次々と蜘蛛が足に絡みつき、腕に幾重にも糸が絡んで思うように動けなくなった雪白くんの目前に阿隅が迫っている。

 阿隅は私に向かって微笑みながら、雪白くんの首に白くて細い手をゆっくりと伸ばそうとしていた。


「親友だから…親友なら…きっとこうしてあげなきゃいけないよね」

 

 もう我慢出来ない。

 親友ならどうすべきなんだろう。

 わからないけど、こんなところで他人に守られたままじっとしてるなんて間違ってる。


「朱音やめろ!」


 衝動に身を任せる。

 勢いよく円を描いていた赤い糸を飛び出すと鈴がリンと澄んだ音を立てた。

 雪白くんの声にも足を止めない。走って勢い良く阿隅の元へと向かっていく。


「親友…だよ私たち…」


 トンッと阿隅の体と私の体が触れ合う。いつも通りの阿隅の甘い花のようなシャンプーの香りがした。

 阿隅と見つめ合う。いつも通り真っ赤な唇の両端を控えめに持ち上げてにっこりと笑ってくれる彼女は、やっぱり昔から変わらなくて、死んでしまったなんて信じたくなかった。


「キャアアアアアアア」


 すごい悲鳴をあげた阿隅に突き飛ばされた私は、蜘蛛の死体とガラスの破片が飛び散っている小屋の床にしりもちをつく。怪我はしていない。

 

 顔を上げて阿隅の方へ目を向けると、彼女はお腹の辺りを押さえながらうずくまっていた。 


「魔除けの札…いつのまに…」


「親友なら、間違ったことをしそうな時は…体を張って止めないとね」


 阿隅の意識が乱れたからか、動きの鈍くなって統率の取れなくなった蜘蛛を蹴散らして体の自由を取り戻した雪白くんが、腕に残った白い糸をちぎって捨てながら私に駆け寄って手を差し出してくれた。

 彼の手を取って立ち上がりながら少しおどけてみたけど、今更になって怖さがこみ上げてくる。


「おのれ…」


 予想通り、私に対しても怒りの感情をあらわにした阿隅は、こちらを睨み付けながら立ち上がる。背後にあった黒いモヤモヤが燃え上がる炎のように勢いを増して阿隅の体を飲み込んだ。


 バキバキとなにか太い木の枝が折れるような音と共に、阿隅の体は持ち上がり、脇の下からは新たな腕が2本生え、手が四本になる。

 黒いモヤモヤがうごめいていた彼女の下半身は蜘蛛の体のようになり、2対の昆虫のような足が生えたのが見える。


「許さない…私達は親友でしょう?」


 ギチギチギチと嫌な感じの音がした先を見ると、お腹であろう部分に大きな牙が並んでいる口がぱっくりと開いている。

 目に見えない速さでなにかが飛んできて、雪白くんが私の覆いかぶさる。

 腕を振って何かを防ごうとしたのが見えた。

 よくわからないまま一瞬で私達は生臭い匂いに包まれ視界が暗転する。









『おなかが…みたされない…なんで…』


 どのくらい経ったのだろう。

 気が付くと誰かの腸を食べながら泣く阿隅を後ろから見ていた。

 真っ白な肌は血に塗れていて、まるで彼岸花の花弁が描かれたキャンバスみたい。

 この制服はうちの学校のものだ。ああ…昨日殺された秋雨くんなんだな…と思いながら私は目の前の光景をぼんやりと見つめる。


『朱音…朱音…朱音…嫌…食べたくない…食べたい…』


 意識が明確になるにつれ目の前の光景を直視するのはつらくなってきて、吐き気がこみ上げてくる。

 ふらふらと立ち上がりながらこの残酷な光景から立ち去ろうとしていると、ふわっと薫ってきたお香の匂いがして肩を掴まれる。


「雪白くん…なに…ここ…」


「夕乃の魂の中」


 どこからともなく表れた雪白くんにホッとしてたら、彼は「辛いなら目を閉じてろ」と言ってくれた。

 その言葉に甘えて目を閉じると、彼は私の手を引いてゆっくりと歩き出す。


「咄嗟に結界を張ったのが間に合ったからよかったものを…」


 少し怒った声の雪白くんに謝ろうとしたけど、急に足元がぐらついて、私は慌てて彼の腕にしがみついた。

 閉じていた目を開けると、ぐにゃっと景色が解けるように変わって、学校が急に見知らぬ部屋の一室へと変わっていく。

 

『やだ!やめて』

 

 飛び込んできたのは阿隅の悲鳴と男性の怒号。

 阿隅が数人に殴られ乱暴される光景。

 あまりの光景に目を逸らすことも忘れて呆然としている私の目を雪白くんが手で遮ろうとする間もなく、景色はすぐに暗転した。

 目の前に現れたのは、黒々とした夜の森と黄色と黒の縞々もようの巨大な蜘蛛。

 蜘蛛の体に現れた大きな人間の口が開いて、ピンク色の口内へと景色が移り変わって、最後は目の前が暗転する。食べられた人の視点なんだろうか…それとも蜘蛛に食べられたのは…阿隅なんだろうか。


『好きだった愛していたお腹が空いた』


 阿隅の声がまた頭の中に流れ込んできた。

 雪白くんが阿隅の魂の中だと言っていたし、これは、多分阿隅の記憶なんだろう。

 ポタポタと自分の頬から垂れた雫がブラウスに落ちている。やっと自分が泣いていることに気が付いてハンカチで目を拭った。

 嗚咽が一気に漏れて震える方を支えるように、雪白くんはそっと私の肩に手を回してくれた。


 場面はまた切り替わり、先ほど阿隅が乱暴をされていたであろう部屋へと戻った。

 阿隅のことを殺した元カレがいる。阿隅が何回か彼の写真を見せてくれたので顔だけは知っている。

 その元カレが今怯えた表情で目の前に映し出されている。腰を抜かしている男は、座ったまま後ずさりをするが、狭い寝室の中ではすぐ壁に当たってしまいそれ以上の後退は出来なくなる。

 そこに下半身は蜘蛛、上半身は4本腕の人とは言い難い姿の阿隅がニコニコと微笑みを浮かべながら近付いていく。


『愛してる愛してた憎い美味しそう食べたい愛おしい』


 阿隅の声が流れ込んでくると同時に雪白くんの手で目を覆われた私の耳には咀嚼音と骨が軋む音、そしてなにやら粘土のある液体がボタボタと落ちる音がやけに鮮明に聞こえてくる。


『満たされない…愛しい愛しい…もっと愛しい人を…食べなきゃ…』


恋慕れんぼ…か…」


 悲しそうな阿隅の声を聞いた雪白くんはそう呟いて、私の視界を遮っていた手を離した。

 

 目の前には凄惨な光景の代わりに肉色の蠢く壁が広がっていた。

 狭苦しさと、ヌメヌメと粘膜で光る壁は、テレビとかで見る内視鏡で移された胃壁みたいな感じがして気持ち悪い。

 私のことを屈むような姿勢で抱きしめてくれている雪白くんと体が密着していて動けない。


「流石に狭いな」


 ここは多分…阿隅の体の中なんだと思う。

 さっきまでいた空間が、ここで見ていた夢みたいなものなのか、それとも飲み込まれる前に阿隅の魂の部屋?みたいなところに飛ばされていたのかはわからない。

 でも、どっちにしてもあまりよくない状況には変わらない。


 どうにか出られたりしないかなって辺りを見回すついでに、ふと真上を見た。

 そこにはびっしりと人間の歯のようなものが並んでいて、私たちのことを噛もうとしているのか絶え間なく蠢いている。

 歯たちは私や雪白くんの服にすら触れられないみたいで、なにか透明な幕のようなものに弾かれるみたいに近付いては離れていく。

 もごもごと噛み切れないゴムを噛んでるみたい。


「大丈夫。ちゃんと俺が守るから」


 雪白くんのやわらかい声は、まるで魔法みたいに私のことを落ち着かせてくれる。

 私の耳元でそう囁いて、頭を撫でてくれた雪白くんは、ゴソゴソを動くと、首元にぶら下がっている綺麗な紫色の丸みを帯びた石の紐を引きちぎった。

 紐が切れる音と共に雪白くんの手に握られた石が、目が眩みそうなくらい強い光を放ち始める。

 眩しくて目を閉じたのと同時に、ぶにっとした柔らかい感覚がお尻に伝わってきて、私たちはねばねばした液と共に一気に外へ押し出された。


 黄色と赤色が交じり合う粘液と共に私たちは少し宙を待って地面に落ちる。

 ボヨンと分厚い風船の上に尻もちをついたような感触は、さっき言ってた雪白くんの結界ってやつなのかな?

 ベチャベチャの粘液が人差し指一本分外側の足元に広がっているのを見て結界のお陰で制服が汚れなくてよかった…なんて少し呑気なことを考えてしまった。


 パチンとなにかが弾けるような音と共に生臭さが鼻から流れ込んでくる。結界が消えたんだ…とビックリしていると、上の方から仄かにお香の薫りが漂ってくるのがわかって視線を向ける。


「形・因果・名…すべて揃った」


 視線の先には真っ白な神社の人が着ているみたいな和服を着た狐の耳とふさふさとした尾を揺らしている美少年だった。

 服装も髪色も違うけど、柔らかくて落ち着く声と、綺麗でミステリアスな目元…すっと通った鼻筋と薄く形の良い唇…見間違えるハズがない。この人は絶対に雪白くんだ。

 雪白くんの烏の濡羽色だった髪は、積もりたての雪みたいに綺麗な白銀に変わっている。結んでいた髪はほどかれて絹糸のような細い髪が風に靡いてサラサラと音を立てている様子は、まるでアニメに出てくるみたいに絵になる光景だった。


「夕乃 阿隅…いや、絡新婦じょろうぐも…今楽にしてやる…」


 姿を変えた雪白くんは静かに阿隅の名前を呼ぶと、手にしている紫の石が炎になって形を歪めはじめる。

 石から出た炎は半円形になって揺らめいたままゆっくりと形を変えて、紫と銀色の美しい扇になった。


「姿を変えたところで私のことを止められると思うなよ!」


 目と眉を吊り上げて怒りを顕にしている阿隅の変わり果てた声が響く。

 空から下りてきた雪白くんは、阿隅と私の間に着地すると体を斜に構えながら阿隅を見据えた。


「あんたになにがわかるのよ」



 叫ぶような声を上げた阿隅は下半身の4本足をフル稼働して私と雪白くんへと突進してくる。糸を吐きながら向かってくる阿隅は、その巨体と速さも相まってトラックかと錯覚しそうな迫力がある。

 そんな阿隅に対して、雪白くんは表情一つ変えないまま扇を開いただけだった。

 一歩も動かず、その場で扇をくるくると器用に回転させて絡新婦の吐く糸を弾き返している。

 更に四方から飛んできた糸を、軽く扇を振り回して糸も断ち切りながら、雪白くんは僅かに唇を動かした。


「…なにもわかるつもりはない」


 ぶつかって来た阿隅を一仰ぎで跳ね返した雪白くんは、すぐに体勢を立て直した阿隅に向かって前傾姿勢のまま地面を蹴って風みたいな速さで近付いていく。

 阿隅の足元へ一瞬で辿り着いた雪白くんは、扇を左右に動かして舞うように動く。すると、阿隅の頑丈そうで丸太みたいに太くなった蜘蛛の足は包丁で大根でも切っているみたいにあっさりと切られて、ズシンと地面の上に落ちていく。


「いぃぃいい――っ」


 雪白くんが元の位置に戻ると、甲高い悲鳴を上げながら、大きな体を支える足を失った阿隅が地面に腹ばいになって沈むように倒れていく。

 

「畜生…畜生…あんたさえいなければ…」


 雪白くんを睨み付けている阿隅の目には私のことはもう映ってないみたいだった。血のように赤く変化した目から血の涙を流して聞こえるか聞こえないかの瀬戸際のような声で恨み言を吐き出している。


 残った四本の手で地面を掻くようにして進もうとする阿隅へ、雪白くんは手にしていた扇を開いて勢いよく投げ付けた。

 開かれた扇は、キラキラしたラメみたいな光の粒子を撒き散らしながら、彗星のように光の尾を生やして絡新婦となった阿隅の顔の前まで飛んでいく。

 そして、血の涙を両目から流している阿隅の顔の前に止まり、クルクルと車輪のように回転をし始めた。


「恋い慕う相手を喰らわねば生きられぬ哀れな女郎蜘蛛もののけよ。

 我の紫風と光をもってして穢れを落とし、この地、このえにしに囚われたお前の魂を…今解き放つ」


 徐々に回転が速くなる扇からは、より一層多くの光の球や粒が放たれ、辺り一面にまき散らされたキラキラは地面に落ちて弾んで消えたり、そのままコロコロと転がって線香花火のような火花を散らして弾けていく。


「朱音…朱音…朱音…」


 阿隅の下半身が光に包まれて紫煙になって天に登っていく。

 やっと私の名前を呼んでこちらを見た阿隅の声は、私の知っている昔と同じ可憐な阿隅の声だった。


「阿隅…」


 気がついたら、私は走り出していた。あんなに怖かったのに。

 手を伸ばせば届く位置にまで近付いて見た阿隅は、もうさっきまでの恐ろしい妖怪なんかじゃなくて、私の知ってる美人で自慢の優しい顔をした親友の姿だった。


 目がくらみそうなほど眩しい光が降り注いで、阿隅の体を包んでいく。

 最後に彼女が伸ばした真っ白で細い手を掴もうと、私も光で白んでいく視界の中で懸命に手を伸ばした。


『ごめんね…朱音…』



※※※


 あんな騒ぎなんてなかったように日常は戻ってきて日々はあっという間に進んでいく。


 あの後、泣きじゃくるわたしと手をつないで家まで送ってくれた雪白くんとはあれから話していない。

 それに、ポケットに入れていたはずのキツネのキーホルダーもどこかに落としてしまったみたいで見つからない。

 

 阿隅とのお別れのショックで学校が始まる前に帰った私は、それから2,3日学校を休んだ。

 もう阿隅もいない。一人ぼっちでとぼとぼ登校して教室へ入ると、今まで挨拶くらいはする距離感でしかなかったクラスの子が心配して駆け寄ってきてくれた。


「日呂さん、夕乃さんと仲良しだったもんね。死んじゃった子の酷い噂なんて聞きたくないよね。ごめん」


 そのことがきっかけになって、私も少しだけクラスで話をするような友達が出来た。

 そっと雪白くんを見てみる。でも、雪白くんは事件の前みたいに一人で静かに本を読んでいるだけだった。


 隣のクラスで起きた事件は、結局犯人の手掛かりも見つからなくて、すぐに新しいニュースによって過去のことになってしまった。

 みんなあんなに騒いでいたのに、結局秋雨くんの家族以外にとっては他人事なんだろう。

 芸能人の不倫や、新しい事件、どこかに飛んだミサイルの話題にあの事件も阿隅の事件と同じようにまるでそんなことがなかったみたいな扱いになっていた。

 いつのまにかよく話す友達も出来始めた私と、以前と同じように、みんなから少し浮いた感じでいつも静かに本を読んでいる雪白くん。


 ちょっとさみしいような、あんな特別な美少年が私なんかと話してくれたことが夢だったんじゃないかって思い始めた春休み目前のある日のこと。

 たまたま先生に頼まれたプリントの整理が遅くまでかかってしまい、太陽もすっかり落ちて薄暗くなった教室に荷物を取りに行く。


 ガランとした教室を見て嫌な気持ちになる。

 なんとなく、物の怪になったときの阿隅と会ったときのような寒気を感じた私は、決意を決めて教室の中へ足を踏み入れようとした。

 その瞬間、黒い影がスッと上から落ちてくるのが見えて立ち止まる。


 べチャッという重い肉塊が床にたたきつけられたような音がして、恐る恐る足元を見てみると、首から下のないやけに大きい頭が私の方を見てニヤリと笑っていた。


 ビックリして息を呑んだそのとき、急に肩を掴まれ体が後ろに引っ張られ、更に驚いた私はパニックになって腕を振り回そうと手を挙げる。でも手首を掴まれて腕を回せなくてパニック状態になってしゃがみこもうとした。


「落ち着けって」


 知っている声。

 泣きそうになりながら顔を上げると、雪白くんが呆れたような表情で私を見ていた。


「雪白くん!これも物の怪?倒せる?」


「…形と因果を見極め名前を定めないといけない。前も話しただろ?」


「生首おばけとかじゃだめ?」


「…危機感がないな君は」


 雪白くんは意地悪そうに笑うと、私の手を掴んで走り出した。

 一緒に学校を出て、止まって呼吸を整えていると、雪白くんは私のカバンとコートを差し出してくれた。いつの間に取ってきてくれたんだろう?


「この前、絡新婦に呑まれて霊感が開きかけてるから、俺と関わるとよくないと思って距離を取ってたんだが…結局こうなるのか。間に合ってよかった」


 額に張り付いた綺麗な黒髪をかき上げて、額を露わにした雪白くんはホッとしたような顔をしながら私の顔を覗き込んだ。

 さっきは勢いで話しちゃったけど、久しぶりに話すからどんな顔をしていいかわからなくて私は俯いたまま受け取ったコートに袖を通す。


「あと、これ。お前が落としたやつ、壊れたから直しておいた」


 雪白くんが差し出してきた手の中には、見慣れたものが握られていて、私は嬉しさのあまり彼の手を握ってそれを受け取った。


「あ…ありがとう。これ、ずっと大切にしてたから」


 雪白くんはキーホルダーを受け取った私を見てちょっと安心したように笑う。

 

「その、無視みたいなことして悪かったな」


「ううん、大丈夫。それに…雪白くんが守ってくれるなら安心だね」


「…まったく」


 はぁ…と小さな溜息をついたあと、雪白くんは微笑むと私の頭をポンポンと撫でて一足先に歩き出した。

 私は、カバンに狐のキーホルダーを付け直してから、彼の後ろを小走りで追いかけていく。これからの奇怪な日常に期待をしながら…。

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日呂朱音と怪奇な日常 こむらさき @violetsnake206

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