第2話 森の中のマレビト

 それは、いつもと変わらぬ風景と、いつもと変わらぬ音で終わるはずだった。

彼女が毎朝の日課通り近くの沢まで水を汲みに来ると、普段は森の奥で群れているはずの有翼狼ヴェルヴ達が何かを漁ろうとしている。初めは首長兎スカウトラビットでも狩ったのかと思い、顔だけ立木の影から出して様子をうかがう。しかし、首長兎特有の大きく伸びた耳と前歯は見えず、代わりに彼女と同じ五指を持つ指が見える。

 恐らくは平原の民ヒュムネ、或いは森の民エルンか。洞窟の小人ドゥビットにしては頭から足先までが大きすぎる、風の小人フービットと比べれば全てが大きすぎる。いずれにせよ放っておいていい状況ではない、死んでいるにせよ、獣に貪られたままアンデッドに変わった死体ほど惨めなものも無いだろう。

 護身用に持ってきている杖を構え、精神を集中する。世界に語り掛け、その理を歪め、そこにあり得ない現実を生み出す。それが彼女が学んできた「魔術」の基礎。

「生み隔てよ、其はあまねく風の吐息にあらず。安らぎの香りと温もりは、其を呑む者をすみやかな眠りへ誘う……」

 集中する。イメージはもうもうと湧き上がる雲。散らばりすぎてもいけない、ヴェルヴ達を包み込む様に、辺りに散らばりすぎないように。

安らぎの雲よスラヴェル・フォグ、遍く眠りを彼の者に」

 艶やかな唇から呪が放たれ、ヴェルヴ達がぱたぱたと眠りにつく。そのすべてが動かなくなったのを確認して、彼女は軽く息を吐いた。

「さて……っと」

一度大きく深呼吸し、息を止めるとすっかり寝入ったヴェルヴの間を静かに歩いていく。

 おそらく山賊にでも襲われたか、或いは帝国からの脱走奴隷か、一糸まとわぬ男を、寝こけるヴェルヴ達を起こさない様に移動するのは少々苦労した。真っ黒な髪というのはこの辺りではあまり見ない、エルンならば髪色は概ね金か銀、ドゥビットやフービットならもっと小柄だが、彼女がよく見るヒュムネとも何か違うと感じる。ともあれ、今はこの場を離れるべきだ、と彼女は歩調を早める。眠りをもたらす安らぎの雲は便利だが融通が利かない。今、この場の空気を吸ってしまえば、彼女自身が眠ってしまう事になる。


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 耳を打つのは湯の沸くような音、鼻を突くのは、なにか紅茶を入れているような匂い。慣れた音が陣の意識を覚醒させていく。開いた目に飛び込んできたのは、ログハウスの様な天井。

「う……?」

混濁した頭の中から、いくつかの場面がフラッシュバックする。突然目の前に現れた大平原、RPGに出てくるような衣装の人々、剣を手に襲い掛かってくる少女、巨大な有翼の化け物。

「……っ!!」

あるわけがない、ありえる訳が無い。この科学万能の世の中であんな中世暗黒時代みたいな場所が残っているわけが無い。叫びたくなる気持ちを落ち着かせようと何度か深呼吸を繰り返し、ふと目に入ったものを改めて観察する。

部屋いっぱいに置かれている鉢植えや、正体の判らない植物らしきもの。足元、腰のあたりにかかる暖かさと重さ。そこに目を向けると、白銀色がうつぶせになっていた。

肩から腕へ繫がるすらりとしたラインと、少々野暮ったいとも思えるゆったりしたシルエットの服装。背中いっぱいに広がっている白銀色の髪……頬の少し上から覗くのは耳だろうか、それにしては長い気がする。

 陣が呆けた頭でそんな事を考えていると、それはゆっくりと顔を上げる。

 陣の知識に当てはめるなら、彼女の容姿はエルフのそれに合致した。

「あ~……えっと……」

陣をじっと見つめる大きな瞳、銀と紫のオッドアイなどそうそう見られるものではない。

「……」

沈黙を守ったまま、じっと陣を見つめる少女、へんな沈黙が場を支配した。

不意に少女が腕を伸ばし、陣の額に手を当てる。一瞬感じたひやりとした感触と、その後続けて伝わる柔らかさに、陣が頬を赤らめる。それを気にしていない様に、少女は口の中で何事かを呟く。

「……わたしの、言葉は……判る?」

やや幼さを遺した、涼やかな声が陣に届いた。

「……」

唐突に通じた言葉。それに陣は硬直する。一方の少女は軽く小首をかしげたまま

「……共通公用語コモンワード、判るようになったと思う、けど?」

「あ、ご、ごめん、急に判る言葉が聞こえてきたから、びっくりして」

何が起こったのか判らないまま、返答だけはなんとかこなす。

「……まず、自己紹介……だね。わたしは、エルネット、エルネット・アーセニック……ここで、薬師をやってる……」

「あぁ、俺は……陣、双牙陣、高校2年……その、よろしく、アーセニックさん」

エルネットの口元が、ほんの少し、笑みの形に変わる。

「よろしく、ソーガ、私はエルネットでいいよ?言いにくかったら……エル、とか」

「あぁ……エル、よろしく……俺も、陣でいいよ、そっちが名前だから」

「ん……それで、ジン?ジンは、なんで裸であんな所に?」

聞かれて、改めて自分がどんな格好だったか思い出す。確か、素っ裸のままローマのコロッセオみたいな所に引き出されて……という処まで思い出した所で、目の前の仮定命の恩人の性別を思い出す。

「お、俺はなんつー格好で……」

頭痛を感じて左目を含めて手で顔を覆った……時に、その違和感を感じた。

掌に当たる、硬い感触。明らかに瞳とは違う感じに、手が震える。

「エル……すまないけど、鏡とかって、あるかな?」

「……そういう高級品は無いけど……待ってて」

エルが傍らに立てかけてあった杖を振るい、何事か声を出すと、陣の目の前に不可思議なエネルギーの塊が浮かび上がった。その中に映るのは、間違いなく陣の姿。

「うわっ!?な、なんだこれ!?」

「わたし、薬師だけど、本業は魔術師だから、これ位は、ね」

心なしか自慢げに、胸を張っているエル、その強調された胸元を気にしながら、陣はこわごわと浮かび上がる自分の姿を見る。

概ね変わらない自分の姿……ただ一つ、左目が水晶に代わっている、という点を除けば。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「ジ、ジン!?」

思い出す。あの時、あのコに担ぎ上げられて、ドラゴンもどきの脚に掴まって飛び上がった所で……

射抜かれた衝撃、一瞬で赤と黒に染まる視界、目の前で起こっていることが判らないかの様な、少女の表情……それらが一斉にフラッシュバックし、陣は一瞬パニックに陥る。

「っ……安らぎと安寧をもたらす友よ、恐怖に突き動かされし彼の者にその吐息を与えよ……鎮心サーリエ

混乱を起こし、恐怖から暴れかねない状況の陣を鎮めるため、エルの取った行動は早かった。エルムとしての魔法知識、精霊への呼びかけを発動し、精神の精霊に語り掛ける。パニック状態にある精霊を沈め、心の安寧を取り戻させる。

「……落ち着いた?」

「え、エル……?今のは……?」

「あなたの精神の精霊にお願いして、混乱を落ち着けてもらった……」

「せ、精霊て……?」

陣の反応に、エルは顎先に手を当て、「ふむ……」と少し考えるそぶりを見せる。

「ねぇ、ジン……答えてほしい。

「どこって……東京から……」

「トーキョー……?」

「……知らないの?首都だよ、首都の東京」

陣の返答に、エルはやはり小首をかしげたまま。

「……一番大きな都市は、帝国の帝都……だよ?」

東京を知らない、そんな事はありえない、と陣の中で何かが警鐘を鳴らす。そう、知らないハズが無いんだ

日本の首都で、学校で習うまでも無くさまざまな媒体で子供のころから名前を聞く都市なのだから。

「……もし」

陣をじっと見つめたまま、エルは告げる。

「もし、私の想像どおりだとしたら……あなたは、マレビトなんだと思う」

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