第3話 第三章

「いらん。本当に余計なことを言うんだな」

 そういう性格なのだろう。許せない訳ではないが。

「いえ、なぜ遊び女が必要か、です。その体の使い方から説明しますね」

 意地の悪い笑みは消えない。

「イートスさんは、人を絶頂に誘うごとに力が増し寿命も延びるのです。魔物ですから」

「意味が分からんぞ」

 魔物ですから、で説明になるのか。

 何を言っている? レニアの正気を疑う。

 事実であれば最悪だ。

 ほんの一瞬だが、女を集めた洞窟を想像した。

 魔物と化したイートスが湿った暗い穴の中で肉を漁り、嬌声が響き渡る。

 いつまでも魔の饗宴は終わらない。

 聞こえるのは啜り泣きと喘ぎだけだ。

 想像ではイートスには角とサイズの大きすぎる男根が生えていた。

 中央の炎だけが赤々と洞窟を照らしていて。

 捉えて来た娘を片端から喰らう。

 何をバカな。

 妄想を振り払う。

「もう一度だけ機会を与える。俺は何に成った?」

 意識する前に右手がレニアの喉を掴んでいた。

「げほっ。……あの、いえ、真面目な話、清廉潔白で居ればたちまち身体は消耗し寿命を使い果たしますよ?」

 綺麗な声でレニアは、すらすらととんでもない事を言う。

 真面目な話。

 なんだそれは。

 妄想と何が違うのか説明しろ。

 さもないと穴倉に閉じ込める最初の一人はお前だ。

「お前の趣味でそうしたのか?」

 はいと答えるのならばこの場で首をねじ切ろうとさえ思った。

「魔物はそういうものです。あれは本来人の感情を吸うものです。悦び、絶望、それが色濃ければ濃いほど魔物は力を得ます。これでも手加減はしたんですよ? 殺さなければ生きていけない身体など、お嫌でしょう? 泣き叫ぶ声を聴かなければ生きていけない身体など不要でしょう?」

 一理はあった。レニアへの殺意が遠のく。少なくとも首を捩じ切ろうとは思わない。

「……人の悦びを食う魔物なんか居るのか?」

 レニアの首からは手を離す。

 溜息を吐く。

「一例ですがサキュバスなど。悦びは大体お互い損はないのですからよろしいかと」

 レニアの笑顔。

「俺はもう魔物なんだな?」

 無駄な確認だったがあえて言う。

「心は! 心は人間です」

「慰めにもならんよ」

 悦びを喰う? 淫魔か。俺は。

「高潔な方ですね。多少は魔法に慣れて頂かないと。何でしたらレニアがお相手しましょうか? 朝までヒマですし。……『誘惑』ふふっ」

 視界が歪む。

 魔法を使われたのだと思うほどの時間さえ無かった。

 レニアだけが自分に迫るように視野が狭窄する。

 最上の甘美さが身体を突き抜けていく。

「えへ。禁呪ですけどね。効果は完璧」

 慣れた詠唱らしい。引き込まれた。魅せられた。

 飢えに似た感覚が他の思考を消していく。

 レニアを思うままにしたい。焼けた鉄のように熱した思いだけが頭を支配する。

「徹底教育せよ、と仰せつかっております。あなたの勇猛さと知略には私達も感ずるところがあったと伺っております」

 レニアのドレスが床に落ちる。

「明日から冒険には同行致します」

 耳元で囁かれる。身体の自由が利かない。

「イートスさんに憧れる無垢な乙女の隣でこうするのも」

 突き出た胸が押し付けられる。

「背徳的で興奮します」

 懸命に抑えていた血の滾りも欲望も限界を超えていた。気が付けばレニアの身体を強く抱いていた。

「……んっ。もっと激しくてもいいのですよ。このレニアを好き放題にして下さい。朝まででも、幾らでも」

 獣の、魔物の咆哮が漏れそうになる。視界が赤く歪む。レニアの突き出た胸を掴んでいた。

 胸の下に赤く痣のように蝶の刺青が浮かび上がっていた。

 訝しく思ったのに気づいたのだろう。レニアが言う。

「これ、胸の感度を上げるの。何倍も。何十倍も。きりがないくらい。そ、そう。もっと激しく。乳首を、きつく摘まんで。引っ張って」

 何度も背中が震えた。ほんの僅かの間にレニアが耐えられないような顔をする。

 祈るような顔。

 嘆願する声。

 誘うような吐息。

「い、イク、もうダメっ」

 レニアの腰が揺れる。

 毛の目立たない陰部の近くにも赤い刺青が浮かび上がっていた。

「こ、これも、効果は同じ。幾らでも感度が……ああっ。ご、ご主人様と呼ばせてくださいっ。ご主人様、使ってくださいっ。レニアを好きに使ってくださいっ」

 がくがくと揺れる腰と尻以外は記憶から消えていた。

 愉悦に歪むレニアの顔は覚えている。

 舞い踊るような蝶も目に焼き付いていた。

「ふ、震えるほど感じました……。ふう」

 ぺたんと尻をついて、レニアが座っていた。まだ全裸だった。

「これで当面の延命措置は出来ました。レニアがずっと旅には同行するのですから、不安はありませんね」

 また、にやりと笑った。

「どれだけの延命だというのだ」

 誘惑しておいて悪びれた様子のないレニアに言う。

「消耗の度合いによります。今なら並みの寿命はありますよ? 並み以上かな」

「これも魔法だというのだな」

 自分が取り憑かれていた欲望に眩暈がした。

「はい。ご主人様の場合、半分は人間錬金術ですけれど。人体改造という訳です」

「その呼び方で行くのか」

 ご主人様。呼ばれて苦痛ではないが慣れてはいない。

「だって、もう、他の呼び方なんかできません。こんなにレニアをぐちゃぐちゃにして」

 頬を朱に染めて手を当てた。ふざけている。

 いや、むしろ厳粛に見えた最初こそが偽りの姿だ。

「細部は覚えていない! まだ夜明け前だろう。眠る。レクシアの儀式が終わったら起こしてくれ」

 祭壇の上のローブを羽織った。

「畏まりました。ご主人様」

 声に送られるように地下室を出た。

「あれだけのことを覚えていないのは残念ですね。ちょっと魔法回路を改造しないと……?」

 獣である自分など覚えていたくはない。

 反論はしないが急いで部屋に戻るとベッドで目を閉じた。

 魔物としての自分。燃え上がるような血を呼吸法で抑えた。

 活力が邪魔をして眠れない。意志だけで眠りに落ちた。

 断片的な記憶が夢に混じった。獣そのものだった。

 舌を伸ばし貪り苦痛さえ与え思いのままに肉を弄ぶ。

 悪夢だった。魔物だ。これが魔法都市の歓迎なのか。

 汗まみれで目覚めた。疑念が過ぎる。

 レクシアは化け物にされたりはしないのか。

 魔法の旅と言っていた。帰って来たレクシアは変わり果ててはいないのか。

 イートス自身は肉体が変化した。同時に精神も一時的にとはいえ魔物に変わっていた。

 より深く魔法を知り、レニアと並び立つようになったレクシアが現れたら。

 人の心を弄ぶような真似をしたレニアとは性格が違う。そうは思う。

「どう変わったとしても魔法都市の歓迎か」

 吐き捨てるように言った。

 ベッドに再び身体を横たえる。戦場で輝いていたレクシアの姿が郷愁のように蘇る。

「思い入れが過ぎるのなら嘲笑されるべきは俺だな」

 この魔法都市で生きるということが限りなく魔に近づくことなのならば恨むような真似は無意味だ。

 あの戦場に帝国側から突撃する兵士の誰が剣と盾を使い肉を切り裂く事に疑問を持つ?

 同じことだ。

 自分の血肉が魂が魔に近づく事を恐れること自体が無意味なのだろう。

 ドアが静かに叩かれる。

「レクシアさんの儀式が終わりましたよっ」

 悪戯めいた笑みに不安を感じたが、レニアの後に従って地下に降りる。焦燥感が有った。早くレクシアの言葉を聞きたい。

「ど、どうでしょう」

 地下室ではレクシアが白い服に魔晶を幾つも輝かせて、恥ずかしそうにイートスを迎えた。

 露出はレニア並みに多い。服に戸惑っているようだった。

「魔法使いにとって、魔装は身体の一部のようなものですからね」

 レニアが鑑賞するようにレクシアの周りを一周して目を凝らす。

 「デザイン通りです。細くて筋肉の綺麗な姿を強調してみました。露出は多めに。多すぎるくらいで。いえ私の好みで」

「好みで決めたんですかっ」

 レクシアが気色ばむ。

「これから長い冒険行を共にするんですよ? 目の保養に成った方がいいじゃないですか。あ、レニアは男女どっちでもいけます」

「余計な事はいい! レクシア、その……気分とか、考え方に変わりはないか?」

 思わず怒鳴って、聞いていた。何より変わり果ててはいないかとの焦燥感で一杯だった。

「いえ……強いて言えば魔力そのものが見えるというか……視界が複数になったようで少し混乱してはいます。変わったのはそれだけ……だと思います。でもこれが魔法剣士の姿なのですか? レニアさん。鎧らしくもないし」

 肩のあたり、胸の一部、そこだけは鎧に似てはいた。

「……中途半端に重い鎧より魔法が攻撃を防ぎます。剣は壁にある白いのを選んでください。急ぎの便で取り寄せました。全体に白い髪と合一するようにデザインしてあります」

 吟味するように白い剣を眺めていたレクシアが剣を手に取る。

 すらり、と抜剣する。

 「バランスは悪くないわ。切れ味は後で試さないと」

 魔装の腰に剣を止めた。

 これが、魔法都市の魔法剣士か。そう思えば元々の闘気と相まって凄まじい迫力があった。

 ずっと軽装になった鎧で飛ぶように動き、白い風のように斬るだろう。

「そんなに……見ないでください。イートス様。まだ慣れておりません」

 レクシアが赤面していた。知らずに凝視していたようだった。確かに肌も露わだ。

「いや、悪かった。似合うぞ」

 言って、背を向けた。

「イートス様がそう仰るんでしたら……耐えます。慣れます。そ、そう、イートス様はローブのままじゃないの。魔装はないの?」

「有りますよ。これでも苦労したんですから」

 重そうな箱をレニアが引きずる。

「俺のは重装備のようだな。構わんが」

「旅の糧食も備品も全部入れたんですよっ」

 笑顔は歪んでいたが、気丈に笑みを浮かべていた。

「明日にでも出発できるように」

 気の早い話だったが、予定はイートスが決めるわけにはいかない。

 厚遇は受けているが、まだ俘虜の身だ。いつ一般市民扱いになるのかも聞かされてはいない。

 あるいは明日からという冒険行も強制かも知れない。

 多少の労役くらいは有った方が気が楽だ。裏切者として心が痛まない訳ではない。

 不思議なものでこれだけの厚遇を受けると何かをしなければという思いが強まる。

「これです」

 一揃いの鎧を高々とレニアが掲げる。

 レニアの背丈では自然と両手を伸ばさなければイートスの頭までは届かない。

「着る上で気を付ける事はあるかな」

 片手で受け取る。

「伸縮性を魔力で付与してあります。素直に馴染む筈です」

 豪華に見える魔晶が幾つも飾られている。飾りではなく意味があるのだろうが。

 構わずローブを脱いだ。背中に増えている傷は魔法都市に捕縛される前の抵抗で付いたものだ。

『治療』でうっすらと跡が残るだけだが。それでも派手に見えたのか、

「イートス様、その傷は?」

 とレクシアが問う。

「捕まる時にやられた。無駄な抵抗だったな。今は痛みはない」

 着てみれば武骨に見える肩、腰周り、膝を覗けば軽装鎧だった。

「得物は何になる? 剣しか知らないぞ俺は。使えても槍程度だ」

「壁の緑の線が入った大剣を使って下さい。瞳の色と合一させました」

 見れば鎧にも緑の線が入っている。

「合一というのは?」

「魔法的に同一であると見なせるようにすることです。身体の一部だと思って下さい」

 魔法の理屈はまるで分からなかったが、緑以外の黒は恐らく髪の黒と合わせたのだろう。

 両手剣は思ったよりは軽い。いざとなれば片手でも振れる。

 どちらかと言えば黒い剣だ。見慣れては来ている魔法印のように緑が鋭い線を描いて剣に走る。

 無造作に剣を抜くと空気を切る勢いで垂直に振った。

 得物として何の不満も無い。バランス、重さ。切れ味はレクシアの言うように試してみなければ分からない。

「試しにレニアを軽く切ってみます?」

 耳を疑う。ほぼ半裸のレニアを斬るだと?

「全力はやめてくださいね。やっかいなことになります。私の魔装も全力で抵抗しちゃいますから。これでも重装備なんですよ? 趣味で半裸ですけど。魔晶さえあれば裸でもいいんですよこんなもの」

 胸を強調した格好で軽く構えて見せた。

「お前の理屈だとそうなんだろうが、あんまりぶっちゃけて言うな。装備に感心していたんだぞ。台無しだ」

「ま、それはそれ。格好いいほうがいいじゃないですか。じゃ、どうぞ。お二人同時でも構いません」

 レニアが、すっ、と両手を構える。一見しただけでは隙は無い。重心の移動も自在に見える。戦いには慣れた所作だ。

「俺から行かせて貰おうか」

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