第2話 第二章

「特別だぞ」と女王然とした魔法使いが長い白銀の髪を揺らして、指令室に招いた。

 凛とした立ち振る舞い。理知的な顔立ち。

 誘惑するかのような白く露出の多い服。

 光るように滑らかな白い肌に目が吸い付いた。

 ことさらに指令室を見せつけるような様子でもなかった。

 だが、何もかもが違う。見た事もない計器が、光点が、光る球が整然と並んでいる。

「右側面から全体を霧で覆う。敵総数四千。うち二千が前線」

 白銀の魔法使いは指令をし、全てを見通すような事を言った。嫣然とした笑みが余裕を感じさせる。

「ねえ、あれ使っちゃだめ? 破砕鉄球」

 誰かがそう言った。戦場で遭遇した。

 自ら飛び回る重い鉄の塊だ。凶悪な棘が所かまわず生えている。

 手も足も出ない。逃げ惑うだけだ。

「今回は疲弊させより多くをこちらに投降させるのが目的なの。肉片を作る事ではないのよ」

 白銀の髪の女は司令部の中央に昂然と立って、ともすれば暴走したがる魔法使い達を指揮していた。「逃げ道は常に開けておくこと。決して包囲しないこと。いいわね」

 指令室には、イートスが昨日まで戦っていた、のしかかるような重圧も無ければ悲惨な報告も無い。余裕と敵を把握したものの的確な指示だけが飛び交っていた。

「霧の中から魔法戦士二百、行動を読まれないように散開させて投入。押し返したらそこで引き返すように指示して」

 まるで違う。ここでは決死の戦いなどあり得ないのだろう。

 もう役立たずだという思いで指令室を後にしたのを覚えている。

 世界の周辺に位置する、互いには何ら関係のない魔法都市群。それぞれが地上のほぼ全てを握る帝国と伍して戦えるのだ。戦略も個々の力もまるで違って当たり前だろう。

 そして――およそ聞いていた扱いとは違い――収容所でもなく郊外の治療施設に移送された。見る間に傷が治る。治癒魔法の強さを目の当たりにした。

 再び合流し反乱を起こさないようにと気遣ったのか、捕獲された捕虜はなるべく別の施設へと送られたようだった。

「イートス様と別の施設に行くのならばここでも戦いを続けます!」

 そう、レクシアが剣を構えて見せたのが興を買ったのか、イートスとレクシアは同じ施設、この綺麗な建物に居る。

 レクシアの活躍に特別に目をかけたのは事実だ。それにしてもレクシアは忠実過ぎる。

「午前中は休憩だそうです。散歩でもいかがでしょうか」

 レクシアの声に我に返る。

「ああ、まだ扱いでは治療中だったな」

 レクシアと外に出る。

「午後に本格的な魔法の訓練があるそうです。英気を養って置かないと」

「ここまで扱いがいいと不思議な気分になるな」

 いや、いずれは放り出され一介の冒険者になるのだ。自分で魔物を狩れなければこの都市では死を意味する。店を開くものも錬金術師を目指す者もあらゆる職業もあるだろうが、原則としてここは冒険者の街だ。

 この期間を無駄に過ごすわけにはいかない。

「いや……焦る必要はないだろうが教えられたものは吸収しないとな」

 深い森は遥か視野の先だ。この辺りはまばらな木立があり、香りのいい風が吹く。

 甲冑の似合ったレクシアも、イートスと同じようにローブに着替えている。

 筋肉質の身体を包むローブが時折、風にはためいて身体の線を示す。

「今日は重大な発表があるそうですよ? 私たちの魔法適正に合わせて本格的な準備をするという話です。装備も頂けるようです」

「……念入りな事だな。裏切者にこれほどの歓待……まあ辞めておこう」

「そうですよ。私はもう忘れました。イートス様の扱いにはいつも怒りを覚えていましたから」

「こんな歳だ。悪口を一手に引き受けるのも仕事のようなものだ」

 くるっと振り返ったレクシアが表情を険しくする。

「こんな歳、ではありません。まだまだ戦える身体ではありませんか」

「ありがとう。レクシア。もう上官でも下士官でもないんだぞ」

「そんな上下関係で言っているのではありません!」

 しばらくレクシアは苛立ちを隠さなかった。自嘲を聞かせるものでもなかったか。

 強く草を踏む音が響く。

「済まなかった。ただの自嘲だ」

「謝らないで下さい。私こそ……勝手に苛立って申し訳ありません」

 日差しは暑くも無ければ寒くも無い。陽光にレクシアの髪が白く輝く。

 こんな美しい剣姫に慕われて無上の幸福以外の何を感じろというのか?

『城に成って見せる。この上もなく堅牢な』

 自分の言葉を噛み締める。

 まだ出来ることがあるのなら、やり遂げて見せる。死ぬのはそれからだ。

「ブドウ畑が綺麗ですね」

 レクシアが柔らかな表情に成る。

 戦姫の顔ではない。

 思わず自分の顔も緩む。いい表情だ。

 穏やかな風。

「郊外は畑が多いんだな。花畑もある。見飽きないな」

「……実は、少し、午後の訓練が怖いんです」

 レクシアの眉が曇った。

「どういうことだ? 話して済むなら聞く」

「魔法を後天的に植え付けるための肉体改造、と言っていました。私は私のままで居られるのかどうか、イートス様はそのままで居られるのか、不安なのです」

 肉体を変化させる。そんな話は聞いていなかった。

 だが、これも魔法都市で生きるためか。

「生きる為ならどうにでもするさ。俺はね。不満があればすぐに言えばいい。今さら態度を急変させる彼らでもあるまい。信じることだ。ここで生きていくにはまず自分と相手を信じることだ。そう思う。我々は彼らから見れば子供のようなものだ」

「……そうですね。身を委ねる覚悟が出来ました。イートス様が居れば私は大丈夫です」

 ――その時が来る。

「レニアと申します」青い髪の女が言った。露出の多い服に煌く石が幾つも輝いている。治療所の一階からさらに降りた地下。

 魔法のものらしい円陣と魔法式らしいものが一面に描かれている。

「これまでは魔法のごく初歩をお教えしましたが、それだけで使えるようになるようなものではなかった筈です。私は人間錬金術師。そして魔法使い。自然に逆らいあなた方に少々手を入れさせて頂きます」

 穏やかな声だが、不穏な事を平気で言う。

「見た目はどうなるんだ? 俺は化け物に成っても構わないがレクシアはそうもいかない。不安だと言っていた」

「……それはどうなりたいかに依ります。失礼ですが今朝の夢見まで遡って心を読ませて頂きました」

「おい……」

 思わず赤面する。それはレクシアも同じようだった。

「イートスさんは、この上もなく堅牢な城となってレクシアさんを守りたいようですね。レクシアさんはイートスさんの命を守る剣となりたいと。そうですね?」

 読まれては仕方がない。無言で首肯した。

「勝手に、その、私の頭を覗くものではないっ」

 赤面したままのレクシアが怒鳴る。

「これは禁呪です。そう使うものではありません。しかし、お二人にどんな魔法使いに成りたいかと聞くよりずっと確信が得られました。お互いに身を捨ててでも守りたいとのこと、であれば私はどう改造していいか道が示されたようなものです。ああ、羨ましい」

「余計なことを言うなっ」

 レクシアの機嫌は治まらないようだった。

「これは失礼。どうしても一言多いと言われるんです。さて、後ろの」

 と、レニアは石のベッドのようなものを指差した。祭壇とも見える。

「祭壇に横たわって頂けますか? ローブは脱いで。後はお任せ下さい」

 言われるままに儀式に使うらしい祭壇に横たわる。ローブは脱いだ。

「あら、綺麗な身体ですね」

 レクシアに声がかかった。

「余計なことを言うなと言っただろう!」

「失礼。癖のようなもので自分でも困っております。イートスさんも頑健な身体でいらっしゃる。改造のしがいがあるというものです。……これをご覧ください。魔晶、それも大型の魔物から摘出したものです。これを魔力の源とし、術を練り上げるのです」

 赤く、地下室の暗がりを圧して光る宝石のようなものをレニアが片手に掲げる。魅せられるように目が釘付けになる。美しい。

「お二人の思いにお応えしましょう。そしてそれぞれの天性の力にも、身に着けた知恵にもお応えしましょう。本来はここまで強化するのは危ないのですが……」

「危ないのならやめてもらいます!」

 レクシアが声を荒げる。

「口が滑りました。いえ、このレニアにとっては何ということもない、いえ、またとない実験の機会です」

 青い髪が揺れ、薄い笑みが見て取れた。悪戯を隠し切れない笑みだ。

「危なくないと保証しろ! イートス様。こやつは我らの身体を弄ぶつもりです」

 無邪気な悪意を含んだ笑みを見ている限りではレクシアが正しい。

「いえいえ。眠っている間に終わります。痛み一つなく。さて」

 レニアが壺をレクシアに向けて傾ける。

 油らしいものが肌を伝う。レニアの細い指先が塗り広げる。

 香油のようなものか?

 豊かな芳香だが、どこか淫蕩な香りでもある。

「なかなか触り心地のいい胸です。形も素敵」

「揉むなっ。顔を近づけるなっ。何をする積りだ。舌を出すなっ」

 レクシアの機嫌は悪くなるばかりだ。

 レニア。いい加減にしないと全裸だろうがレクシアに締め上げられるぞ。

「何をする積りなのか明らかにしてからでないと受け入れないぞ。実験だと?」

 レクシアの荒い声。

「ただの改造です。この油は清めと魔法の受容を強化するものです」

 レニアはイートスの身体にも油をたっぷりと注ぐ。

 動き回る指先の奇妙な感覚に懸命に耐える。

 好き放題に身体を弄ばれるようなものだ。

「お二人にはどうしてもやって頂きたい事がありますので。では、『安らかな眠り』を」

 たったそれだけの詠唱で、目を閉じていた。抵抗さえ出来ない。

 眠りに落ちていたのだろう。

 祭壇には自分の血が零れていた。

 身体には痛みはない。

 腕を、脚を眺める。装飾のように魔晶が埋め込まれていた。肩に違和感があった。触ると石の感触がある。それもかなり大きい。

「どうですか? 新しい身体は?」

 レニアの声が背後から響いた。

「これでどうなったのか、簡単に教えてくれるか」

「獣、変化。要するに魔物に変化する力を造り上げました。魔物を目撃すればその力、魔力、全てを手に入れて変身出来ます。この上もなく頑強な城足り得るでしょうね。今はどんな人間にも化けられる『シャドウ』という魔物にしか変化できませんけれど。うまく使えば詐欺も働き放題です。おっとこれは余計な情報でした」

「そうだ、レクシアは?」

 慌てるように右を向いた。そこにレクシアが横たわっている筈だ。

 白い裸身が、支えもなく宙に浮いていた。

「まだ術式の途中です。魔法使いとして高位の者にするには魂の旅が必要なのです。素質があったので伸ばしている所です。ご心配なく。よく鍛えられた綺麗な身体ですね」

「……で、いつその『魂の旅』は終わるんだ」

「明日にでも。今日はお一人でお休みください。レニアがここで不寝番をしておりますから。一人ではお寂しいかも知れませんが、遊び女でもお呼びしましょうか?」

 くすくすとレニアが笑う。

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