怨嗟の竜*

 気が荒れる。


 噛みちぎり、叩き落とし、

 それでもまだ咆哮を上げ続ける邪竜に向かい、銀翼が鋭く風を切った。


 鉤爪が地面を抉り、敷かれた石畳を削り飛ばす。

 目の前にいる邪竜は、今まで戦ってきた邪竜とは比べ物にならないほど禍々しく、醜いものであるとニールは感じていた。


 おぞましい──憎悪や怨嗟の塊のような気配を、聖竜の本能が拒絶する。


 唸り声をあげる邪竜を睨みつけながら、ニールは姿勢を低くし突進した。


「────────ッッ!!!!!」


 絶対に殺そう。

 本能が告げる言葉に従って、善性の竜は暴れ回る。





 ***





 靴裏で石畳をこすって足を止め、エルフィは地上から空を仰ぎ見た。


 血みどろの邪竜と、聖竜のぶつかり合いは続いており、激しさを極めている。


 (なにかできること──)


 エルフィは人のいない街の中を見渡す。

 目視で確認できる、濃い霧のようにあたりには魔素が充満していた。

 この濃さでは、もし生き残りがいたとしても普通の人間ならばまず助からないだろう。


 枯れた花々と倒れ行く木々、命の死滅が、充満する死の気配をより強く感じさせる。


 竜士の体は魔素の影響は受けない、だが気分が良いものではないので、一刻も早く終わらせてここを離れたい。


 もう一度仰ぎ見た、空の先で続くぶつかり合いの激しさは尋常ではなかった。

 ニールの体から返り血以外の血が滲んでいることをエルフィは捉えている。


 彼が負けることなどありえないと断言出来るが、彼が傷付くことを容認できるわけではない。


 今すぐあの邪竜を如何にかして、ニールの傷の手当てをしてあげよう。

 今夜は一緒に寝るとエルフィは決めた、別に庭でも構わない。


 素早くあたりを見回しながら走るのを再開し、なにかないかとエルフィは探った。

 入り組んだ街並みの中を行き、商店街らしきところに足を踏み入れる。


「やっぱり誰もいない……爆薬とかないかな……」


 独り言を漏らしながら走っていたエルフィは、目に飛び込んできた光景に唖然として、足を止めた。


「これは──」


 商店街の一角に建った店の前に、血溜まりが広がっていた。

 地面だけでなく建物の外壁をも染めている血の量は普通ではない。

 人間を一人、雑巾の様にしぼったとしてもこうはならないだろう。


 エルフィは覚悟を決めて、血溜まりに足を踏み入れた。

 血なまぐさい臭いと粘着質な感覚が、靴の底から伝わってくる。


 恐らく飲食店、酒場だろうか。

 壁の一角が不自然に削れた建物の中を、エルフィは確認した。


 酒場の中は乱闘後のように荒れていた。

 かつては多くの人がいただろう名残があったが、割れた酒瓶や、粉々に砕かれたカウンターの破片が店中に飛び散っている。

 ……それはまだ良い、理解できる。


 荒れた内装よりも衝撃的なものが、エルフィの目には映っていた。


 酒場の中にも、無数の血溜まりがある。

 そこらかしこに、千切れた指や赤黒い何かが飛び散るように転がっていて。

 引きちぎられた体の一部もあれば、刃物で切り落とされたような手足もある。


 酒場のなかにはそんな無数の人間の残骸が、血の海の中に転がっていた。

 そう、残骸だ。


 酒場には手足や臓物が落ちていても、人間の胴体や頭は見当たらない。


 一体何が起こったのだと、足が竦んだ。

 そんなエルフィの耳に、


 「ねーえ?」


 鈴の音のような、可憐な声が届いた。

 エルフィは飛び退き、着地した先で血の飛沫が上がる。


 さっきまでエルフィが立っていた場所に、どこから現れたのか、場違いなほど可愛らしくて幼い少女が立っている。


 少女の顔立ちには見覚えがあった。

 ──前にウェルドコロでぶつかったあの少女に瓜二つだと、エルフィは気付く。

 しかし髪の色と雰囲気は全く違っていた。


 前の少女は赤い髪だったが……今、目の前にいる少女は鮮やかな紫色の髪。


 赤い髪の少女は不可思議ながらも無害さを醸し出していたが、紫髪の少女からは異質さと悍ましさしかエルフィは感じない。


「やっと、みつけた」


 この状況で口元に手を当て、楽しそうに笑える子どもなど普通ではなかった。

 この少女は、異常だ。


「あなた、何者?」

「答えてあげる理由はないけれど、せっかく現れてくれたのだし、少しくらいはお話してもいいかしら」


 血溜まりの中、心底楽しそうな少女の姿は身震いするほど気持ち悪く。

 本能的な危機感が、エルフィに腰の短剣を引き抜かせていた。

 銀色が煌めく、もう片方はまだ抜かない。


「こわいこわい、痛いのはきらいなのよ。

 怖がらないで私とお話して?」


「あなたみたいな、得体の知れないものを前にして警戒しない方がおかしい」


 シャーナに教えこまれた通りにエルフィの体は動いた。

 少女に向かって鋭い刃を向け、構える。


 そんなエルフィを前にしても、くつくつと少女は笑っていた。


「私ね、探していたのよ、あなたみたいな竜士のこと」

「……どういう意味?」


 少女は髪と同じ真紫の瞳を揺らめかせ、試すようにエルフィを見つめた。


「ねえ、あなたの体は

「……は?」


 エルフィの反応などお構い無しに、少女は楽しそうに話し続ける、その見透かしたような瞳で。


「その体は綺麗だわ、悪意や憎悪にまみれた痛みの象徴、本当に綺麗」

「……何が言いたい、の」


 エルフィの海のような瞳を覗き見るようにして、少女は笑みを消し言った。


「あの聖竜を愛しているのね」


 得体の知れない少女は無表情になって、踊るようにつま先で血溜まりを蹴り回転する。


「私とケイティは繋がっているの」

「ケイティ?」

「あの邪竜のことよ、あなたの愛しい彼が戦っている、あの邪竜」


 少女は空を仰ぎ見た。

 邪竜と聖竜の衝突は激しさを増す一方だ。


「わかりやすくいうなら、私はケイティの竜士かしら」


 邪竜の竜士、そんなの聞いたことも無いと訝しむエルフィの前で少女は身を翻した。

 武器を構えた相手がいるなんて気にも止めていない、ここは血塗れのダンスホール。


 酒場の中に転がった腕を拾い上げて少女はエルフィに見せつける。


「どうしてここに住民の姿がないのか、説明してあげる」


 次の瞬間、形容しがたい音が響く。

 硬直したエルフィは黙って、目の前で起こる全てのことを見ることしか出来なかった。


 ぶちぶちと鳴る音は、目の前の少女が拾い上げた腕に噛みつき、飲み込んでいるから故の音。


 少女は食っているのだ、人間の腕を。

 口元を真っ赤に染め満面の笑みで。


「私とケイティは繋がっている。だから私は、自分が得た「力」をケイティに渡すことができる」


 肉の一片も残さず飲み下して、少女は可愛らしく小首を傾げた。


「ぼんやり見ていていいの?

 聖竜の竜士、私が食べれば食べるほど、ケイティはされる、愛しい彼が危ないわよ?」


 言葉の意味を理解したエルフィが、動くよりも先に。


 轟音とともに、商店街の建物が突き破られた。

 土埃の向こう側で、空から落下してきた邪竜と聖竜が激しくもみ合っている。

 見れば、ニールの喉元に噛み付いた邪竜が、銀翼を大地に押し付けていた。


 血まみれの攻防の末、ニールが押し負けているのだ。

 邪竜が纏う魔素は一層濃くなって、禍々しさを極めていた。


 状況判断は一瞬で行われる。

 エルフィは少女に向かって鋭く踏み込み、その腹を銀の刃で刺し貫いた。


 少女は避けることもせず、エルフィの攻撃を受け、刃は確かに薄い体を刺した、しかし。


「こっちに来てくれてありがとう」


 血に塗れてぬめる子どもの手が、エルフィの右手首を掴み取る。


「あなたって本当に綺麗ね、それに。

 おいしそう」


 エルフィは間髪入れずに左腕を動かし、黒い短剣を鞘から抜いて少女の首に突き立てた。


 不自然に頭が傾いただけ。

 ごぽりと血の泡を吐きながら、少女は言う。


「今日のところは痛ぶってあげる時間もないし、見逃してあげる。

 獲物は太らせてからというし?」


 少女がにこりと笑うと共に、風を斬る様な音が鳴った。


 血にまみれた細長い──鉄線が空中に漂う。

 一瞬のことに何が起きたか分からないまま、エルフィは呆然と見上げていた。

 

 自分の体から迸った血飛沫を。


 鉄線は少女のだらりと下げられた左手から伸びている、そして。

 自分の右腕が血を噴き出しながらズレていくのを、エルフィは見ていた。


 悲鳴にすらならない掠れた声を上げて、エルフィは地面に膝をつく。

 経験してきた中で一番痛くて、熱い。


 右腕の肘から下が落ち、信じられないほどの血が溢れ出してエルフィの自由を奪っていた。


「こっちの腕は貰っていくわ。

 ゆっくり食べてあげる」


 少女は先程までエルフィの一部だった手から銀の短剣を抜き取り、血溜まりに放る。


「ケイティ、ケイティ──」


 呼びかけに応じて、邪竜がニールから離れ飛び立った。

 ……ニールの体は脱力して動かない。


「またね、かわいい竜士さん。

 今度はまるごとたべてあげるわ」


 言い残す少女を邪竜がさらって行く。

 痛みの中でなんとか意識を繋ぎ、エルフィはその姿を睨みつけた。


「許さない……」


 呪いのような言葉が、エルフィの口から自然と漏れてくる。

 止まらない血と薄れて行く意識、でも絶対に死なない体。


 視界が真っ暗になる直前に、真っ直ぐに伸びた「線」が見えた。

 それを辿ってニールが無事か、確かめたかったけれどエルフィは上手く掴めない。


 記憶の奥から声がする。


 ──お前はさ、黙っていればいいんだよ。

 人形みたいに従順に、僕の玩具でいればいい。


 ──わたしなんにも、変わってなんか。


 他者だけでなく、自分自身の弱い声すらも聞こえてきてエルフィは自分が打ちのめされるのを感じた。


 力の抜けた体ごと、エルフィの意識は血溜まりに沈んでいく。

 

 これがエルフィにとっての初陣で、何度目かの消失の一部始終だった。

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