漆黒と銀翼*


 「よいしょ、よいしょ」


 小さな港町。

 私が住んでいた街は、ベルーシって言って、近くに海があるの。

 ベルーシから見える海はほんとうにきれい、海が青いのは空が青いから。

 ママはそう言っていたけれど、ほんとうなのかしら?


「ねえケイティ? ケイティは知ってる?

 どうして海が青いのか?」


 私はケイティにそう言った。

 でもおかしいわ、返事がない。


「どうしたの? ケイティ」


 私は、体を横たえたケイティに近付き、暗闇から引き摺り出した。

 お腹が痛いのかしら?

 気分が悪いのかしら?


「ねえ、ケイティ──」


 ぺちゃりと。

 足元から音がして、私は下を向いた。


 目に映ったのは、真っ赤な赤。

 ケイティの腑からぶちまけられた、赤。



 ケイティ、わたしの竜、愛すべき竜。


 横たわる漆黒の竜から流れ出している血を見つめながら、彼女は呟く。



「そっか、ケイティは」


「殺されてしまったのね」



 なら、と、彼女はその小さな手をケイティにかざした。


「その無念を、晴らしていらっしゃい」




 ***




 正直、驕りみたいなものはあったかもしれない。


 あれから皆のお陰でちゃんと成長して、シャーナやルドーには全然敵わないけど、何も出来ずに吹っ飛ばされるだけは卒業出来た。


 完成した黒と銀の短剣も、手に馴染むくらいに使い込んだ。

 ルドーが加護をかけてくれた外套だって正常に盾として機能した。


 これなら安心かな、なんてニールは笑って、次の邪竜退治は一緒に行こうか、と言ってくれて。


 体は自由に動くし息も上がらず、動いたからって熱も出ない。


 それに、わたしにはニールがいてくれる。

 出来ないことは無いような気がして、そんな自分を諌めるのに必死だった。


 認識が甘かったとか、自信過剰だったとかそういうことではなくて。

 胸の片隅にちょっとあったくらいの、些細な驕り。


 それが、大事なものを奪っていった。





「エルフィ、気をつけてね。

 今のあなたなら問題ないと思うけど」

「はい、シャーナさん、頑張ってきます」


 漆黒と銀色の短剣を腰に下げ、エルフィはシャーナに頷き返した。

 膝下まである黒い外套は、普段使いにもしているからちゃんと体に馴染んでいる。

 履き慣れたブーツも大丈夫、何にも問題はない、緊張は止まらないけど。


 大丈夫、ともう一度シャーナと頷きあって、エルフィは庭へ向かった。




 早足に庭に出ると、若干興奮気味なニールが待っていてくれた。

 今にも飛び立ちそうな構えで、その背中に軽々とエルフィは飛び乗る。


 (ニールの気が荒ぶるなんて……それだけ強い邪竜の気配がするんだ)


 手綱を握り、合図を出せばすぐさま、ニールは地を蹴った。

 聖域から銀翼が飛び出して行く。


 ニールが風に乗るのに合わせて、エルフィも体を揺らす。

 何度も繰り返し共に飛んで来たから、これくらいは大丈夫、彼の背中で辺りを見渡せるほどの余裕がエルフィにはあった。


 どんよりと曇った空、真下には海と、港町が見え、街の傍らには森が見える。


「えっ、ニールそっちなんですか!?」


 思わず声を上げる、ニールが森ではなく街に一直線に降下し始めたからだ。

 いつもなら……今まで話に聞いてきた限り、ではあるけれど、街を避け森や人の少ない場所に邪竜を誘導しつつ、戦闘を開始するはず。

 いきなり真っ直ぐに目標へ仕掛けに行くなんてことはないはずだ。


 聖竜だとはいえこの巨体が空から舞い降りてくるなど、人々が腰を抜かすのに十分な理由だし、その分避難も遅れてしまう。

 街で暴れたりなんかしたら余計な被害だって出る。


 しかし、ニールは迷うことなく街へ突き進んていく。

 まるで気にすべき周囲なんて存在していないかの様な振る舞いだ、その行動が意味するところは一つだけ。


 既に、この街の人間は大半「いなくなっていて」邪竜が暴れている気配しかしない、ということ。

 だとしたら最悪だ、既にこの街の住民が喰われ切っているということじゃないか。


 考えているうちにも街は近付いてくる、赤色を基調とする街並みに、灰が積もっているような暗がりが落ちていた。


 近付けば近付くほど、エルフィは自分の残酷な予想が正しいことに気付く。


 (誰もいない──)


 人影が見当たらない、生活感もあり、栄えている街だろうと伺えるのに。

 まるで抜け殻のように、誰もいない。


 ニールが建物の屋根を粉砕しながら着地した、激震のあとに続く唸り声。

 ニールの背を撫でながらエルフィは、街が濃い瘴気に満たされているのを感じ取る。


 間違いなく邪竜がいる。

 だがその姿は見えて来ない、一体何処にいるというのか。



 突如鳴り響いた破砕音に、エルフィの思考は中断された。

 音は恐らく役所なのだろう大きな建物を挟んだ向こう側。

 家屋の中から漆黒の影が飛び出し、空に翼を広げている。


 漆黒の邪竜が、こちらを見下ろしていた。

 その姿を見て、ああとエルフィは悟る。


 血塗れだ、人間の血にあの邪竜は染まっている。



 黒い瘴気と風をまとって、邪竜はニールとエルフィに迫った。

 放たれた咆哮が地面を抉る暴風となって瓦礫を撒き散らす。


「───────────ッ!!!」



 破砕の息吹、迫る暴力をニールは、目の前の邪竜と同じく咆哮で迎え撃ってみせた。

 力は相殺し合い、叩き伏せ合って睨み合う聖竜と邪竜は互角に思える。



 エルフィはニールの背に手をついて、鎧から脚を外した。

 そしてニールが地を蹴ると同時にエルフィも、ニールの背中を突き飛ばす。

 空へ舞っていく銀翼を見送りながら、後方へと投げ出される体。


 受け身を取って地面に着地して、エルフィは空を見上げた。

 漆黒の邪竜にニールが食らいつき、肉を噛みちぎっているのが見える。


 ニールの興奮状態からして背中に乗っている方が邪魔だろうと判断して、エルフィは地面に降りたのだが。

 背に誰か乗せていては出来ないような激しい空の上での攻防を見て、判断は正解だったとエルフィは思った。


 地上で出来ることを探そう。


 エルフィは見知らぬ街のなかを駆ける、聖竜に──ニールに勝利をもたらすために。


 そんな彼女の姿を、屋根の上から見ている存在がいた。

 風に揺れて、紫色の髪が舞う。


 「みーつけた」


 どこかで響くその声は、楽しくて仕方がない様子で笑っていた。


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