外伝

Another「緑髪の巫女」*


 誰かが、私を「巫女」と呼んだ。

 それはずっと密かに隠して生きてきた異能が、周囲に知られたときだった。


 私は違うと言ったけれど、周りを人が取り囲んで、その人たちは口々に言うのだ。


「神の声を聞いたのだろう?」


 諦めて頷くと、人々は喜んで聖句を唱え始める。


 人に嘘はつけない、つきたくない。

 生まれたときに神から預けられた、人に対する善性がそうさせる。


 ──次の生贄は、私に決まった。

 仕方ないことだと、思った。



 ***



 何が悲しくて、十六歳の誕生日にこんな急斜面を登らなくてはならないのか。

 シャーナはうんざりとした顔で、目の前に存在するもはや壁のような山肌を見上げる。

 ──この山を越えれば、聖竜の暮らす「巣」があるらしい。


 生贄として選ばれた巫女である自分は、何としてでもそこに辿り着かねばならない。


 「聖竜さまに失礼のないように」


 故郷の皆はそう言って、碌な荷物も持たせずにシャーナを送り出した。

 

 身に付けているのは、生贄が着る儀式用の服だけである。

 当然こんな状態で山登りなんてしたら遭難してすぐに死ぬだろう、けど。


「あの人たちにはもう関係のないこと……」


 ──私が死んでも、生きて聖竜の巣に辿り着いても、故郷の人々にとって自分が二度と戻って来ない人間なのは変わらないのだ。


 シャーナは素手で、飛び出している木の根に手を掛けた。

 正直、辿り着いてはみたいものだ、人類の守護者が暮らすという場所に。




 ──当然のことではあるが、山登りは難航を極めた。

 裸足だからすぐ足裏が血だらけになったし、爪も剥がれて痛すぎるし、何度も斜面を滑り落ちてぼろぼろだ。

 けれどシャーナが何度転げ落ちても生きているのには、理由がある。


「……ありがとう」


 シャーナは落下して頭を打つ寸前に、自分を引き上げて助けてくれた存在に礼を言う。

 ──それは太い植物の蔦だった。


 右手に絡みついて引き起こしてくれた蔦は、するすると山の一部に戻って行く。

 シャーナは立ち上がり、土だらけの顔で上を向いた。


「がんばるね」


 シャーナの耳には、山の植物たちが応援してくれる声が届く。

 これこそが、彼女が生まれながらに授かった異能であり。

 幼少期に突然聞こえてきた「神」の声に、扱い方を教わったものだった。


 


 どうにかして山肌を登り終えた頃には日が暮れていた、シャーナは肩で息をしながら辺りを見渡す。

 獣道があった、それはきっと猪なんかが通る為のもの。

 

「聖竜はさすがに、通れないよね」


 飛ぶことが得意ではない竜もいるらしいし、彼らが此処に暮らすというなら、通り道くらいできているはずだ。

 まずはそれを探そう、シャーナは懸命に歩を進める。


 故郷の人々が良く、山上から咆哮が聞こえたと噂していることがあった。

 実際、シャーナも耳にしたことがある。

 聞いた者の内臓まで揺さぶるあの声は、どう考えても野生の獣の範疇を超えているだろうと分かるもの。


 だから絶対に、この山にはいるのだ。

 人智を超えた神秘を持つ獣が。


 草をかき分け木を跨いで進んでいく、時折シャーナの意志とは関係なく、植物が助けてくれるのをありがたく思いながら、進む。


 シャーナは一度立ち止まって、ねえと声を出した。


「本当に、皆は聖竜を見たことがないの?

 何処にいるかも知らない?」


 呼び掛けられた植物たちがざわざわして、山が一気に騒がしくなる。

 聞こえてきた声は、幼いものも大人のものも、老人のものもあった。


 ──知りませぬ、私達は知りませぬ。

 ──いえない、いえない、竜の住処は人にはいえない!


「言えない、の……?」


 思わずシャーナは背後を振り返る、そこには草に埋もれて生えてきたばかりの芽があった、山の大人たちが子を叱りつける。


 ──これ、黙らんか!

 ──竜との契約は絶対だ、破るな、破るな、燃やされる!!


 騒めく木々、縮こまる芽、シャーナは慌てて声を出す。


「ごめんなさい、聞いた私がいけないの。

 これ以上は何も聞かないから、怒らないであげて」


 必死に訴えると、植物たちはすぐに大人しくなって言う。


 ──ああ、やはり。

 森呼び様はお優しい。


 シャーナは呼ばれた名を聞いて、俯いてからまた、歩くのを再開した。







 どれだけ歩いても、聖竜どころか獣もいない。

 シャーナは真夜中の山奥で、大木の樹洞のなかで膝を抱えていた。


 酷い空腹を感じる、良く今まで歩けていたものだ。

 生贄は送り出される前の二日間、食べることを許されないから、お腹の中は随分前に空っぽで喉もからから。


 さっきまで水の流れる音がした方に歩いていたのだけど、月明かりを頼りにしたとして、こう暗いと上手く歩けない。


 シャーナの膝を伸びてきた蔦がつついた。

 顔を上げると蔦は、自身になっている実を差し出してくる。

 それは食べることが出来る種類のもので、シャーナは目を見開く。


 ──たべて、たべて、森呼び様。


 聞こえてきた声に、シャーナは首を横に振って言った。


「できないよ……!」


 上げた声に嗚咽が混じる、泣き出したシャーナの前で、蔦は困り果ててしまった。

 植物たちが束になって、外から樹洞の中を守るように覆う。

 暗がりに包まれる中で、シャーナは泣き続けた。






 朝が来たのを教えてくれたのは鳥の鳴き声だった、目を開けば樹洞の縁に雀が一羽。

 昨日は姿も見せなかったくせに、様子見するように現れた姿を見上げて、シャーナは樹洞から這って出た。


 雨に降られていないのは幸運だ、もうすぐ雨季が来るのに。

 シャーナはぼんやりと、空にある太陽を眺めていた。

 夜中の間、シャーナを守り続けてくれたものたちの姿はもうない。


 このまま飢えて死ぬか、遂には今日、獣に食われるだろうかと考える。

 俯きかけたシャーナの視界を、大きな影が遮った。



 慌てて空を見上げ直す、そこには変わらず太陽があって、雲もないのに陰るのはおかしい。

 不思議に思うシャーナの耳に届くもの。


 ぱきりと、何かが枝を踏む音がする。


 獣だと思ってシャーナは身構え、空を見上げていた視線を下ろす。

 確かにその予想は当たっていた、けれど。


 目の前に現れたのは、想像よりももっと大きな存在だった。



 一瞬で現れた巨大な獣は、銀色の鱗を持っている。

 二つ翼があって、黒曜石のように輝く瞳をもつ、それは夢中になって木に実った果実を食べていた。


 呆然とするシャーナの耳に、声が届く。



 ──よんだ、よんだよ、森呼び様。

 あれが、竜だよ。


 声の方を見れば、揺れ動く蔦がある。

 シャーナは身動ぎをして、それと共に草が揺れ音を立てる。


 次の瞬間、黒い眼光がシャーナの方を振り向いた。


 その瞳は知性を伴って、彼女の腰を抜かせるには十分な迫力で此方を見ていた。

 銀色の竜は暫くシャーナを眺めて、訝しそうに首を傾げ。



「人間か?」



 確かに人の言葉で言ったのだ。

 ──それが、聖竜ニールとシャーナの出会い。


 気が動転した勢いで気絶したシャーナを眺めて、ニールはもう一度首を傾げた。




 ***



 

 ──気がつくと、シャーナは寝台の上で寝かされていた。

 何が何だか分からない、自分は山奥にいて、それで。


「銀色の竜……」


 起きあがろうにも体に力が入らない、シャーナはやっとの思いで右腕を持ち上げた。

 爪が剥がれて血塗れだった手に包帯が巻かれている、ということは誰かが手当てをしてくれたのか。


 混乱しながらも、シャーナは自分が今いる場所を見回した。

 部屋だ、住居のなかの。

 やたら窓や扉が大きく天井が高いこの場所に、何故自分は寝かされているのか。


 状況を理解できずにいると、部屋の隅から物音がした、だれかいる。

 途端に全身に緊張が走った、隅にいた誰かが歩いて近寄ってくる。


 その人は寝台の横に立ち、シャーナの顔を見て嬉しそうに言った。


「あら、目が覚めてよかったわ」


 ──妙齢の、女性に見える。

 シャーナは混乱のままに呟く。



「にんげん……?」

「あらあら、そう呼ばれるのは久しぶりね」

 


 女性は微笑みながら答えて、寝台の側にある机から水差しを手に取った。


「とりあえずお水を飲んで、ご飯を食べたほうが良いわね、大丈夫、ここは安全だから」


「あの……ここって」


 シャーナは辛い体に無理をさせて、寝台の上で無理やり起き上がる。

 揺れた体を支えてくれた女性は、優しい笑みでシャーナに言った。


「きっとあなたも生贄なのでしょう。

 もう大丈夫、頑張ったわね」


「ここは聖竜たちと竜士が生きる場所。

 ──あなたは辿り着いたのよ」


 言われた意味を理解して、シャーナは涙が出るのを止められない。

 頑張ったねなんて言われたの、初めてだ。






「ありがとうございます。

 手当てと……ご飯までいただいて」


「良いのよ、ここじゃ皆、最初はそうなの。

 私の名前はカンナ、あなたは?」



 足の上にスープの入った皿をおいて、シャーナは女性に頭を下げる。

 野菜がたくさん入ったスープは、具が良く煮溶けていて食べやすい。


 シャーナはぎこちなく名乗り返した。


「シャーナ、と言います」


「うん、シャーナさんね。

 見た感じ十代かしら、今はこんな若い子まで生贄に出すのね」


 カンナの言葉にシャーナは何も返せない。


 包帯の指先に血が滲んでいる、何か言おうと口を開くと勝手に、話すつもりのないことまで溢れてくる。


「私、巫女だから……だから、みんながまた聖竜さまに守って貰える、ようにって」


「うん、そうか、大変だったねぇ」


 カンナはまるで母親のように、シャーナの頭を撫でた。

 毛先だけ緑色をしている髪は、神様から賜ったものの証。

 故郷では布で隠してきた場所を、優しい手が撫でていく。


 シャーナはぎゅっと目を瞑って涙を堪え、スープを食べ進めた。

 その様子をずっと、カンナは見守ってくれた。





「ここは、竜の巣なんですか?」

「あら、今じゃそう呼ばれているの?」


 食べ終わって落ち着いたシャーナは、包帯を巻き直してくれているカンナに問い掛ける。

 カンナがおかしそうに笑うから、シャーナは首を傾げながらさらに問うた。


「えっと、この山の中にあるってみんな、あっ……私、麓の村から来たんですけど」


「山って……そんなに大きくなったのね!

 あの小さかった丘が山になるなんて」


 時の流れは早いわぁと、笑うカンナとは絶妙に話が噛み合わない。

 シャーナが戸惑っていることに気付いたのか、カンナはけらけらと笑い声を上げた。


「ああ、ごめんごめん。

 外から来た人と話すの、久しぶりでね」


「ここは聖竜たちと竜士……生贄が暮らす場所、聖域のひとつよ」






「あなたはね、倒れたところをうちに住む聖竜が連れてきたの」

「……それって、銀色の?」


 何かと細やかに気遣って世話を焼いて貰えるのに対し、シャーナが申し訳なくなってきた頃、カンナは言った。


 シャーナの問い掛けにそうよ、と彼女は頷く。


「ニールっていう名前なんだけど、体も大きいし古株だから、威圧感が凄くってねぇ。

 怖かったでしょう?」

「えーと……喋ってたと、思うんですけど」


 カンナが驚いた顔で見てくるので、何か変なことを言ってしまったのかとシャーナは焦った。

 が、カンナは嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「……言葉を話すの、得意じゃないのに。

 やっぱりニールは優しい子よねぇ」


 言われた意味は分からなかったが、どうやらシャーナはその「ニール」という聖竜に助けられたらしかった。





 カンナはシャーナの包帯を全部新しいものに変えてくれてから、立ち上がって言う。


「この部屋は好きに使ってくれていい。

 ……子どもがいるからちょっと様子を見に行ってくるけど、まだあんまり無理しないでね、結構酷い怪我だから」


「もし退屈だったらそこの本とか読むといいわ、きっと今じゃ見かけないものばかりよ」


 何かあったらすぐに呼んでねというカンナに、シャーナが頷けば彼女は機嫌よさそうに部屋を出て行った。



 食事にありつけたからか、体力が戻ってだいぶ動くのが辛くない。

 怪我は痛むけれど、歩くくらいならなんとかなりそうだ、とシャーナは思って寝台から足を下ろす。


 実は、ずっと部屋にある本棚が気になって仕方なかったのだ。

 カンナはそれに気付いてああ言ってくれたのかもしれない。

 並んでいる本は見たことのない言葉が使われていたり、古くなって色が変わっているものもある。


「こうも見たことがない表紙ばかりだと、何から読んだら良いか分からないわ」


 独り言が多いのは、昔からの癖だ。

 自然そのものとお喋りができてしまうからだと自分では思っている。

 シャーナは比較的新しそうな、植物学の本を手に取って寝台に戻ろうとした。


 カンナから言われた通り、酷い怪我だ、立ち続けていると痛みで膝が砕けそうになる。


 ゆっくりとした動きで一歩ずつ歩いていると、がんっという音が外から聞こえた。


 何か窓にぶつかったらしい、そちらに目を向けて、シャーナは絶句する。


 窓の外、近くに大きな木があってその根元で何かがジタバタしていた。

 猫や犬──にしては色が鮮やかな緑すぎる、まるで植物みたいな若葉色。


 シャーナは足を向けていた先を寝台から窓へと変えた、引き寄せられるように近付く。

 そうすれば窓越しに、何が落ちてきたのか分かった。


「子どもの、竜?」


 呟きと共に、窓に手を触れさせ見下ろせば、暴れ回っていた動きが止まった。


 緑色の目がこちらを見上げて、びっくりしたように固まっている。

 大口を上げてぽかんとしている姿は、小さくてもちゃんと竜だった。


 暫く見つめ合っていると扉が開く、部屋に入ってきたカンナは、振り返ったシャーナを見て驚く。


「シャーナさん、窓になにか……あら」


 近付いてきたカンナは、シャーナの横に立ってきょとんとした。

 視線の先にはひっくり返って固まっている子竜。


 カンナがあっはっはと笑い声を上げる。



「何処にもいないと思ったら、こんなところにいたのね、ヴァン」


 お腹まで見せて情けない、と言いながらカンナが窓を開けるのを、シャーナは呆然とした顔で見ていた。



「ごめんねぇ、驚いた?

 この子、ヴァンっていうんだけど、ウチの子なの」

「えっ、カンナさんの……」


 子ども、という単語がうまく繋がらず言葉に詰まるシャーナに、カンナがまた笑う。


「実際に産んだわけじゃないわよ、確かに私は竜士だからやろうと思えばできるんだろうけど、うちはそういうのじゃないし」


「もう何年も一人で待たされ続けているから作りようもないしねぇ、この子は拾ったの」


「竜士……って、えっと、え?」


「ああ、ごめんもう、私ったら喋りすぎ。

 また今度説明するわ、今は……」


 この子のことね、と言いながら膝上に抱き上げた子竜、ヴァンの背中をカンナは撫でる。

 されるがままのヴァンはくるくる鳴きながらシャーナを見ていた。


「生まれてからまだ二年くらいかなぁ、赤ちゃんみたいなものだけど、立派な聖竜よ」


「飛ぶのが下手くそでねぇ、また落ちてきたんでしょ?」


 カンナがからかうように言うと、ヴァンは黙ってそっぽを向く。

 親子らしいやりとりを見て、シャーナは思わず呟いた。


「子どもの竜ってこんなに小さいんだ……」

「………………」


 シャーナのことをヴァンが何か言いたげな顔で見ている。

 カンナはあらと首を傾げた。


「いつもはもっとお喋りでしょ、ヴァン。

 もしかして照れているの?」


 翼がはためいて、ヴァンは母親の膝から飛び上がる。


 が、天井に思い切り突っ込んでまた落ちてきた、言葉を失ったシャーナとは対照的に、カンナは腹を抱えて笑っていた。




 ***



 ──疲れて眠ってしまったシャーナを見て、ヴァンを抱いてカンナは部屋を出る。

 床に下ろすと機嫌悪げにふんすふんすと鼻を鳴らして見上げてくる、息子に対し母親は言った。



「ヴァン、よく聞いて。

 シャーナさんは怪我をしているから、優しくね、あと騒いだりして困らせないこと」

「…………ん」


 カンナから言われた言葉に、ヴァンはうめくように返す。

 またしても笑ってくる母親に、機嫌が悪くなったヴァンはその場で地団駄を踏む。


「なんで、わらうんだー!」


「はいはい、ごめんって。

 ──でも良いわね、ヴァン。

 お母さんとの約束よ」


 カンナが真面目な顔をして、ヴァンに言い聞かせるように言うと、ヴァンも暴れるのをやめた。


「シャーナさんとお喋りするのは良い。

 でも、触ったりするときは慎重に」


「……人間、もろすぎる。

 みんな竜士になればいい」


「そうは行かないわよ、ヴァン。

 凄く彼女に興味があるんでしょう、綺麗な色の髪だったわね」



 カンナの言葉に鼻を鳴らして、ヴァンは窓から飛び出した。

 なんとか、落ちないで飛ぶ、恥ずかしいことばかり母親は言うのだ。




 安定して飛行できていたのは最初だけ、すぐにヴァンは落下して、草原の上を転がる。

 何かにぶつかってやっと止まった、ぶつかったのは巨大な銀色の。


「下手くそ」


「うるさいよ、喋り下手!!」


 日向で寝ていたらしいニールに、ヴァンは噛み付かんばかりの勢いで言い返した。

 ニールは気にもせず、鼻先でヴァンを小突いて遊ぶ。


「うわぁあ、つっつくなよ!」

「……人間は?」


 遊んでもらっている、とは気付かないまま文句を言うヴァンに、ニールは問うた。

 ヴァンは首を傾げて返す。


「緑色の人のこと?

 ……けがしてるから優しくしろってさ」

「目覚めたのか」


「起きたけど、また寝たよ。

 ……凄いんだ、髪が日にあたると光るの」


 鼻の痒いところを草に擦り付けているヴァンを、ニールは暫く見ていた。

 そして満足したように、伏せ直して目を閉じる。


「ニールは会わないの?」

「そのうちに」


 返答を聞いて、ヴァンは得意げに言った。


「じゃあぼくが一番最初にはなす!!

 だってウチにいるのだもの、なにをたべて生きてるのかな」

「食い物だろ」

「そういうことじゃない!

 ぼくは真面目に言ってるんだ、ねえ!」


 また鼻先で小突かれて遊ばれる、じゃれるのに夢中になってすぐ日が暮れた。

 あの人間はいつ起きるんだろう。




 ***




 ──シャーナの怪我が治って、聖域での暮らしに慣れ始めた頃。

 暮らしている人や聖竜の名前をほとんど覚えたシャーナは、今日も気持ちの良い朝を迎えられたことにほっとしていた。

 何だか未だに夢みたいなのだ。


 この聖域の中では数多くの聖竜と竜士が暮らしている。

 中でも年が近い者同士は仲良くなりやすい、相手は不老な竜士であるから、あくまで近いのは外見年齢なのだけど。


「シャーナ、おはよう。

 またヴァンと散歩に行くの?」


「おはよう、マシュル。

 今日はニールもいるよ」


 今もまだ住まわせて貰っているカンナの家から出ると、立ち並ぶ家々の中央に出来た広場で呼び止められた。


 声を掛けてきたのは水色の髪の少女だ、彼女も元々は生贄に捧げられた巫女で、シャーナと同じように異能を持っている。

 ──だからか、シャーナは彼女とすぐに仲良くなれた。


 髪の毛先を指に絡ませながら、彼女はシャーナに言う。


「子守りをしながら変わり者の相手なんて、シャーナも大変ね」

「……そんな言い方しないでよ」


「あら、なんか変な言い方だった?」


 シャーナが眉を寄せると、彼女は本気でわからない様子で首を傾げた。

 ──竜士になって何年が経っているのだろう、纏う雰囲気は人から離れ始めている。


 だけれど彼女はシャーナと仲良しだ、だから分からないなりに謝罪をしてくれる。


「よく分からないけど、ごめんね?

 まあ、私も子守りしているのは変わらないし」

「マシュルの相棒は弟だもんね」


「そういうこと……なんか困ったことがあったら言って、あと狩りの時は絶対呼んで。

 私ってば猪の肉大好き」


 朗らかに笑って、水色の髪が去っていく。

 シャーナはそれを見送ってから、住居が並ぶここからは少し離れた草原に向かった。






「どう、ニール、凄くない?

 飛べてるよねこれ、ねえ!」


 ヴァンは草原の上で、一生懸命に滞空しながらニールに言った。

 ニールは眠そうにヴァンを見上げてくる。


「そうだな」

「だよね、やった!

 シャーナに見せる!!」


 毎日のようにシャーナに構って貰っているヴァンは、すっかり彼女と仲良しだ。

 今だって家からシャーナがやってくるのを心待ちにしている、ヴァンは興奮気味に捲し立てた。


「シャーナはね、花が好きなんだよ!

 歌も好きだし、本も好き、料理も、ご飯食べるのも、肉も魚も野菜も好きなんだよ!」

「そうか」


 ニールは短く返して欠伸をした、喋るのが得意じゃないのは今に始まったことではない。


「ぼくのこともすきかなぁ。

 どうだろう、聞いてみようかな!!」


 ヴァンは地面に降りて、全身に満ちる楽しさで転げ回りながら言う。


「シャーナはすごい、なんでも出来るの!

 こないだなんか葉っぱとおはなしして……あっ!!」



 がばりと起き上がって、ヴァンは喜びに任せて足踏みをした。

 近付いてきた緑の彼女は、微笑みを浮かべてヴァンに言う。


「おまたせ、ヴァン。

 ニールも見ててくれて、ありがとう」

 

 シャーナの言葉にニールが喉を鳴らして返した、ヴァンは勢い任せにシャーナに突っ込む。


「聞いて聞いて、見て見てシャーナ!

 ぼくね、ちゃんと飛べるかも!!」


「そうなの、よかった……わっ」


 シャーナが勢いに負けて尻餅をついた、その腹に乗っかったヴァンが、首を傾げる。


「どうしたの、シャーナ?」


「はしゃぎすぎだ」


 横から見ていたニールに言われて、ヴァンはハっと我に返った。

 シャーナは首を横に振りながら大丈夫だよ、と笑う。


「怪我もしてないから、へいき」

「……へんなの」

 

 ヴァンは何だか面白くなくて不満げに呟く、感情が処理しきれずに思ったままのことを口に出す。



「そんなに脆くて弱いなら、人間なんかやめちゃえばいいのに」



 ヴァンの言葉を、シャーナは目を見開いて聞いていた。





 ──竜士のことはもう知っている、どうやってなるのかも、なった結果どうなるのかも、カンナから聞いた。


 この聖域のなかで、人間はシャーナしかいない、みんな何も言わないけれど。

 シャーナは自分が人間をやめることを考えたこともなかった、だからヴァンが言うことを上手く受け止められず呆然とする。


 静かになった雰囲気を変えたのは、銀色の聖竜だった。

 彼は首を持ち上げてヴァンに言う。


「猪だ」

「……えっ、どこどこ!?」


 ニールの目線は、草原から続く山の方へ向いていた。

 だからヴァンはそっちに向かって突っ込んでいく。


 飛び去った子竜を見送って、シャーナはニールに対して言った。


「ありがとう」


 ニールは答えないまま、頭を地面に置く。

 シャーナは相手が静かなのを良いことに、勝手に自分の話をし始めた。


「生贄になりにきたの、私。

 皆、そうだったのかもしれないけど」


「ここでの暮らしは幸せだけど、ふわふわしてて……未だに実感がなくて。

 あなた達が何万年も生きるって言われても、分かんなくて」



「ヴァンも、そうなのよね、

 あの子もずっと……私が死んだ後も、生きるのよね」


 ニールは答えない、声を発すること自体苦手で億劫な彼は、自分には語る言葉がないとでも言いたげだ。

 シャーナは一人で話し続ける。


「最近ね、変わりたいって思うの。

 ずっと人の為にしか、生きて来なかったけど」


「自分の為に生きてもいいのかしら、って。

 ……私なんかの話を、ヴァンは楽しそうに聞いてくれるから」


 シャーナは穏やかに微笑んで、ヴァンと過ごしてきた日々を思い返した。

 何か出来る様になれば一番に見せてくれる、シャーナが花の話をすれば興味深そうに聞いてくれるし、異能のこともそうだ。


 あの子は凄い凄いと飛び跳ねて聞いてくれた、人からは遠ざけられて祀られさえした力だというのに。


 シャーナはすごい、なんでも知ってる。

 シャーナはきれい、シャーナは優しい。


 何故あの子がここまで懐いてくれたのかは、分からないけれど。

 シャーナはヴァンと話すのが好きだ、今までの人生が報われる気がして。


 風に揺れた緑髪が、太陽の光をうけてきらきらと輝いた。


「そういえば、空を飛んでみたかったのよね、一度くらい」


 叶えてみても、いいのかしら。


 そう言うシャーナに、ニールはやっぱり答えなかった。

 彼女が求めている返答は、ニールが言うべきものではないから。





 ***





「ヴァン、どこまで行っちゃったの?」


 山に向かい呼び掛けてみても、聞きたい声は返って来ない。

 シャーナは困り果てて木々を見上げた。

 横でニールが喉を鳴らす。


「まさか信じるとは」

「……え、さっきの嘘だったの!?」


 気を遣って言ってくれたのは分かっていたけれど、そもそも猪自体いなかったようだ。

 ニールが若干目を逸らした気がする。

 銀翼が持ち上がったのを見て、探しに行くつもりなのだろうと気付いたシャーナは、慌てて言った。


「待って、ニール。

 私ならヴァンを探せるから、待っててくれない?」


 意味が分からない、と黒い目が見つめてくる、それに気圧されなくなったのは最近だ。

 シャーナは笑顔で理由を言う。


「私が見つけてあげたいの、だめかしら?」


 ニールは喉を鳴らして、翼をたたむ。






「ヴァンはどっちに行ったの?」


 山の奥へ入って木々に問えば、次々に声が聞こえてくる。


 ──奥、もっともっと。

 ──真っ直ぐです、森呼び様。

 あの小竜は飛んで行きました。


 導かれるままに、シャーナはどんどん進んでいった。

 初めて来た時とは違って所々、竜に踏み開かれた道があり歩きやすい。

 シャーナは木々の隙間を駆けて行く。



「ヴァン、何処にいるの?」


 時々、木々に話しかけては教えて貰い、シャーナは進み続けた。







 ──その頃、聖域の住居の近くではある騒ぎが起きていた。

 泣き崩れる竜士と……それに看取られて逝った聖竜。


 その様子を見守っていたカンナは、草原の方から歩いてきたニールに気付く。

 ニールは死んだ聖竜に目を向けて言った。


「死んだのか」

「……ええ、次はいつになるでしょうね」


 視線の先には、亡骸に寄り添う竜士がいる、カンナはニールを見上げる。


「今、あの子が逝ったから……山の方の聖域は解けているはずだわ。

 ヴァンとシャーナに山へ入らないように」


 ──伝えておいて、と言い切る前に。

 その場からニールが飛び立ったので、カンナは顔を腕で庇った。


 巻き起こった風と砂埃に、皆が口々に言う。


「なんだなんだ、家の近くで飛ぶんじゃない」

「ニールか……強いけれど、やはり変わり者だな」


 飛んで行くニールが行く先を見て、カンナは呟く。



「──まさか、ふたりが山に?」




 ***




 幾ら飛んで探しても猪は見つからない。

 ヴァンは段々飽きてきて、なーんだと呟いた。


「つまんないの」


 シャーナならもっと面白い、喋ってなくても動いてなくても、眠ってたって面白い。

 ヴァンは彼女のことが一等お気に入りだ、だから幾ら探しても出てこない猪なんて放っておいて、戻ることにした。


 それに何だか、山全体が暗い。

 天気が悪くなって雨に打たれたら余計、飛び難くなる、歩いて帰るのは御免だ。


 木々の隙間をジグザグに飛ぶ、今日は一度も落ちていないしぶつかっていない。

 大人に近付いている己が誇らしい、そう思っていると、声が聞こえてくる。


「何処にいるの、ヴァン」


 ──シャーナの声だ。

 ヴァンは喜び勇んで、声がする方へ飛んでいく、すぐに彼女は見つけられた。


「シャーナ!」


「わあっ、びっくりした。

 探したのよ、ヴァン」


 飛び出してきたヴァンに驚いた彼女は、笑顔を浮かべてそう言う。

 広げられた腕の中に飛び込んで、ヴァンはシャーナに抱えられながら聞いた。


「どうやってぼくを見つけたの?」

「いや、ヴァンから突っ込んできたんだけどね……木とかに聞いたりしたかな」


「やっぱりシャーナは凄いや!

 特別だ、一番だ、きらきらだ!!」


 はしゃぐヴァンを見てシャーナはにこにこしている、その顔が好きだ。

 ヴァンは彼女に甘え切って喉を鳴らした。


「はやく帰ろう、今日はなんだか山が怖いの」

「うん、凄く暗いね……え?」


 シャーナが首を傾げて振り返る。

 その視線の先では何処からか伸びてきた蔦が、彼女の服の裾を引っ張っていた、それを見てヴァンはむっとする。


「なんだこいつ、食べちゃうぞ」


「友達なの、だからやめてね、ヴァン。

 ……何かさっきから山のみんなが、逃げろって」



 ヴァンは突然、言語化しにくい不快感に襲われて、彼女の腕の中から飛び立った。

 ──何だろう、凄く不安な気持ち。



「なんか、嫌なものがくる?」


 ヴァンがそう呟いたのと、同時だった。


 空から、黒い獣が突っ込んできたのは。





 ──獣は竜の姿をしている、が明らかに聖竜でないのは見て分かった。


 黒い霧のような、魔素と呼ばれる瘴気を放つ邪竜を前に、ヴァンは叫ぶ。


「逃げて、シャーナ!!」


 人間は脆い、弱い、だから少しでも傷付いてはいけない。

 ヴァンは彼女を庇おうと必死に咆哮を発する、だけど掠れたそれは形にもならない。


 初めてだ、初めて──邪竜と戦う。


 ヴァンの身体中を緊張と不快感が駆け回る、目の前の化け物を殺さなければこれはなくならない。


 邪竜は飛ぶのもままならない聖竜を見て、顎を開いた、笑っている。

 それが分かるから悔しくて、ヴァンはもう一声、吠えた。


「────ッ、、なんで!」


 上手くいかない、威圧ひとつ、自分は出来ない。

 ニールは簡単にやって見せるのに、身近な大人はみんな出来るのに、ヴァンには出来ない。


 邪竜が鉤爪を振り下ろしてくるのを、ヴァンはどうにか避ける、背後から声がした。



「ヴァン!!」


 叫ぶ声はシャーナのものだ、逃げろと言ったのに彼女はまだそこにいる。

 ヴァンは邪竜に背を向けて彼女の元へ飛んだ。


「はやくどっか行って、おねがい、シャーナ!!」


 ニールみたいに大きければ、シャーナを乗せて飛べるのに。

 ヴァンの必死の訴えに、シャーナは首を横に振った。


「だめだよ、ヴァンも一緒に……」


「ぼくは聖竜だから、戦わないとだめなんだ……だけど」


「ぼくは何にも出来ないから、だからシャーナ、死んじゃう前に早くにげて」


 泣きそうになるなんて初めてだ、人間みたい、意味わかんない。

 ヴァンの言葉にシャーナは目を見開いている、背後から邪竜が近付いてくる。

 ──せめて、シャーナは生かさないと。

 自分は死んでも転生できる、けど。


「シャーナの命は一個だから」


 ヴァンの言葉を聞いた彼女は、初めてヴァンに対して怒鳴った。



「ヴァンの命だって一個だよッ!!」



 ──邪竜が、もう一度鉤爪を振りかざす。

 シャーナはヴァンを抱き締めて真後ろに倒れた、頭上すれすれを爪が通り抜ける。


 ヴァンは動けないままで、でもシャーナは違う。


 シャーナは起き上がって言った。


「何もできないなんて、そんなわけない」


 シャーナの指が、邪竜を指す。

 山の木々が、草が、花が、魔素に侵されて枯れながら叫んでいる。


「ヴァンはいつも凄いよ。

 毎日ちゃんと一個ずつ、出来ることが増えてるんだから」


 食らいつこうとした邪竜の大口を、周囲の植物が盾になって受け止めた。

 けれど魔素に侵されて弱っているシャーナの友達は、すぐに食い破られる。


 目の前に死があるのに、シャーナは笑いながら言った。


「ヴァンにできないことなんて、ないよ」


 微笑みごと、赤黒い口に飲み込まれる、その前に。

 若葉色の聖竜が、両足を踏ん張って立つ。


 ──世界で一番凄い人、きらきら笑顔でぼくの一等お気に入り。


 不思議な力を持っているその人は、ヴァンに勇気だって分けてくれる。


「──────ッ!!!!!」


 迸ったヴァンの咆哮が、邪竜の喉を射抜いて、その体を押し返した。

 倒すまでは、いかないけれど。



「上手いな」


 空から舞い降りた銀翼が、後の全てを何とかする。



 ──ニールの蹂躙は、一方的だった。

 最強と語られるに足る力で邪竜を捻じ伏せて、一瞬にして首を捥ぐ。

 血飛沫を浴びた銀翼を見上げて、ヴァンは言った。


「凄い、凄い凄いっ!」


「お前もそのうち……」


 こうなる、とは言葉は続かない、ニールは殺めた邪竜の首をそこらに投げ捨てる。

 ──ヴァンの横でシャーナが倒れていた。




 ***


 魔素というのは、言わば呪いだ。

 邪竜たちが人を滅ぼさんと放つ瘴気は、自然を侵すだけでなく、人間の肉体と精神にも悪影響を与える。


 そして植物と対話する異能を持つシャーナは、自分の体への負担と共に、あの場で侵された植物たちの痛みまで引き受けてしまった。



「シャーナさん、あなたは死ぬまではいかないわ、だけど起きるまでもいかない」


 ──夢と現実の境から、ずっと抜けられないでシャーナの意識は彷徨っていた。

 浮遊感の中で、カンナの声が聞こえる。


 あれからどれだけの時間が経ったのか、分からないから聞こうと思ったけれど、声が出せないどころか指の一本も動かせない。


 ニールが助けてくれたのは覚えている。

 ヴァンは、何処にいるんだろう。


「ごめんなさい、私があの時あなた達と一緒にいれば……ごめんなさい」


 謝らなくたって、いいのに。

 シャーナの意識が眠りに沈んでいく、次に目が覚めるのはいつ、だろうか。





「シャーナ、聞こえるか」



 呼び掛けられたのを聞いて、シャーナの意識は少しだけ戻った。

 戻っただけで、起きるまではいかない。


 聞こえてきた声の主は、ニールだろうか。


「お前、死ぬまでそのままだ。

 ……ヴァンはどうなる」


 記憶にあるよりずっと、ニールは喋るのが上手になっていた。

 ヴァン、そうだ、あの子は何処にいる。


 聞けない、また、何も見えない。

 若葉色がこんなに、恋しい。





「ねえ、シャーナ。

 僕は結構、大きくなったよ」


 ──聞こえてきた声に、シャーナは必死になって起き上がろうとした。

 けど無理だ、力が入らない、せめて目を開きたい、顔が見たい。


 落ちついた声は、子どもらしさが抜けていて、けれども確かにヴァンの声だった。


「飛ぶのはまだ、上手くないけど。

 でも戦える、もう弱くない」


 シャーナは夢の中で全力でもがく、現実に帰ろうとして。

 でも黒い靄が絡みついて離れない、だから一生、目覚められない。

 

 ヴァンの声は近くで聞こえる、ねえと呼び掛ける癖は変わっていない。


「あの時、本当は僕が守ってあげたかったのに、シャーナに守られたの、嬉しかった」


「でもやっぱり、やっぱりね。

 シャーナがいないとつまんないんだ」


「世界中、全部ひっくり返して歩いても、

 君以外が見つからないんだよ」


 ──泣きたいのに泣けないみたいに語らないで。

 抱き締めたいのに動けない私に、そんな愛しそうに話さないで。

 

 胸の内から溢れてくる気持ちは全部、形にならないまま消えていく。

 それでも声だけは、聞こえてくる。


「シャーナに起きてほしいよ。

 何年経っても僕、会いたいよ」


 慈雨のように降り注ぐ彼の声を受け、シャーナはいつか己が言った言葉を思い出した。


 自分の為に生きてもいいのかしら。

 ──そうだ、そうだ私。



「……ヴァン、あのね、私」



 やっと呼び掛けられた名前の主は、息を呑んでシャーナの声を聞いていた。

 必死に掻き集める、霧散しそうな自分の全てをこめて伝える。


「空を飛んでみたいの、あなたと」


 傍で、ヴァンが動く気配がした。

 大きな体が持ち上がって、顎の先がシャーナの額に触れて。

 慈しみと愛を持って、彼は己の願いを告げた。


「君のことが好きだ、僕の竜士になって。

 空でも何でも連れて行くから」


「僕の隣で自由に生きてよ、シャーナ」


 ──胸のあたりが、温かくて苦しいくらいにいっぱいになった。

 若葉色の光が、心を満たしてシャーナの魂を暗がりから救い上げる。


 繋がった「線」を辿って、現実に帰る。


 ずっと誰かの為に生きてきた、異能も存在も全部、自分のものじゃなかった。

 だけどこれからは違うんだ、私の全ては自分と、愛したい者を愛する為に使われる。


 目を開いたとき、見えた若葉色に心底安堵した。

 迎えにきてくれた聖竜に、そっと口付けをする。


「私も、あなたが好きよ」


 声に出来た応えと共にシャーナが両腕を広げると、彼はいつかみたいに甘えてくる。

 その頭を撫でる彼女の髪は、ヴァンの鱗と同じ、若葉色に染まっていく。


 神様がくれた証は、愛しいひとがくれたものへと変化する。


 ──私はきっと永遠に、あなたに恋をし続ける、そうする自由を手に入れたのだ。





 Another「緑髪の巫女」完

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