二人の時間 *

 ──ウェルドコロから帰って来て数日、ニールはエルフィから片時も離れないでいた。


 聖竜としての務めを果たしに行く時以外、ぴたりと寄り添って彼女を傍に置くニールは、未だにエルフィを邪竜退治へ連れて行っていない。


 彼女への信頼がどうとかではなく、単純にエルフィが身を守る術を持たないからだ。


 それについてシャーナは「ある考え」があると言っていたが──碌でもないことに巻き込まれないよう、守ってやらねばなるまい。


 あの赤い髪の少女が口にした、名前。

 聞き取ることの出来なかったそれは、明らかにニール自身のことを表していた。


 それだけは確かだと思うのだ、あの少女からは敵対的な意識は感じなかったから、今のニールに焦燥を抱かせているのは、あの名前の正体に関係していることだと思う。


 そう、抱いているのは焦燥だ。

 少女が告げた名を知らなければ、自分は後で後悔することになりそうだ、という。


 己でも理解出来ないことを、根底にある万能さが察しているらしい、神秘の生き物というのも考えものだ。





「エルフィ、手を貸してごらん」

「どうしました、ニール?」


 ──言葉も動きも無い時間でも寄り添っていると幸福で、それは竜の体でも人の姿をしている時でも変わらない。

 呼び掛ければ答えてくれる、触れてくれる、体温が知りたい、心音が聞きたい。


 ずっとこの温もりが欲しかった。

 差し出した手に恐れも躊躇いもなく、乗せられる華奢な手を、ニールは大切に握る。


「きみの手は、やっぱり小さいな。

 こんな生き物は初めて見る」

「もう、何ですかそれ。

 でもわたしも、貴方みたいに綺麗な生き物がいるなんて知りませんでした」


 エルフィは微笑みながらもう片方の手も伸ばして、両手でニールを包み込んだ。


 最愛なのだと彼女はニールの事を呼ぶ。

 人の世界から弾かれ、でも弾かれたから貴方に出会えたのだと、幸福そうに笑って言うのだ。


 彼女が笑いかけてくれる度に、ニールは赦されているような気持ちになる。

 ──線を伝ってくるのが一様に、温かく優しいものだから。


 罪深く、強欲な夢の果てに笑みを向けてくれる人がいた。

 世界の変化と季節の巡りを何万回も見てきたニールが、人の一生など一瞬に等しいニールが、我を通してでも傍に置くことを許した、唯一の伴侶。


 エルフィはニールの肩にもたれかかって、穏やかな吐息を溢し微睡む様に瞳を閉じる。


 肩に感じる体温と重さ──人の姿を取っているからこそ感じられる、彼女が生きている実感を得てニールは告げる。


「何があっても、エルフィを守るよ」

「わたしは死にませんよ。

 貴方の竜士になりましたから」


「それでも、守るとも」


 もう二度と、エルフィが傷付けられることがないように。


 繋がりを得て何となく感じ取れた、彼女が持つ過去の断片は、ニールから話に出すつもりはない。

 エルフィが話しても良いと思うまで、ずっと何も言わないつもりでいる。


 彼女にもきっと、ニールの色々なものが伝わっているはずだ。

 なのに何も言わず、ただ彼女はそこに居てくれるのだから。

 


 ニールは刻み込むように、胸の内で反芻した、何度も何度も。

 腕の中の彼女はもう死なない、自分の存在がそうしたのだから良く理解している。

 これが彼女に望まれた結果なのだと言うことも。


 だけれど、どんな形であれ、理由であれ、エルフィを傷つけるもの全てを排そうと決めたのだ。


 大切な彼女に触れるのは、悪意も善意も関係なく自分だけでいい。

 まるで人間のような独占欲に、ニールは思わず苦笑する。


 獣と人を分けた存在がいるのなら、それは今の自分を見てどう思うのか。

 竜が心など持て余すだろうと嗤うだろうか、理解するものなどいないのにと。


 だけど、自分には備わっていた。

 人と生き心を通わせる方法、繋ぎ続けるやり方、巡り合う為の契約が。


「エルフィ、きみは俺の最愛だ」


「ふふ、今日はとっても饒舌ですね」


 エルフィはくつくつと笑う──初めはあんなに塞いで何も見ようとしなかったのに。

 柔らかい彼女の髪に頬をよせて、ニールは目を閉じた。


 何万年の時の中、幾度となく死んで来た。


 守るために死ぬことを恐れない生き物、人類の守護者、大空を駆ける神秘。


 かつて「最強」と祀り上げられ「変わり者」として遠ざけられた聖竜は今、ただ一人の為だけに願っている。



 彼女が慈しむ場所を守ろう。

 彼女が育み始めた心を守ろう。


 ──孤独を終わらせてくれたきみを、守り続ける翼であろう。



「何度命が巡ろうと、俺はエルフィのために飛ぶ」

「ありがとう、わたしも……例え離れることがあっても待っています、ずっと」


 囁き合って祈りを交換した、決して忘れることが無いように、声に出して。

 

「わたしは貴方の願いを叶えます」


「ああ、俺もきみの願いを叶えよう」


 抱きしめ合うと、溶けて行くみたいで心地が良い。

 このまま何処にも行かないでほしい。





 ***





 世界の何処かで、賢者は言う。


 「──あの変わり者め、やっと人を侍らせおったか」


 「しかし、守り切れるかのぅ。

 その「半端」に廃れた体で、その娘を」


 「時間は止まらぬ、良く知っておろう。

  既に災厄は目覚め、お前の喉元まで迫っておる故な」


 「だからこそ思い出せ、小童。

  お前の名は、なんだ──?」





 世界の何処かで、呪いは爆ぜる。


 「みんな、滅ぼし尽くそう。

  人も聖竜も全て、わたし達の怨嗟で」


 「何もかも、生かしてはおけない」





 世界の何処かで、狂気は笑う。


 「やっと分かった、分かったよ。

  僕には君しかいないんだ」


 「すぐに見つける、僕のお姫様」




 世界の何処かで、炎は揺れる。


 「今からお迎えに参ります。

  聖竜さま……わたしの、唯一の……」



 

 世界の何処かで、竜は目覚める。


 「何処だ、我が伴侶は──何処だ」


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