プロポーズ *


 シャーナは吹く風に乗って、聞こえてくる声に目を開いた。

 顔を上げて見れば、森の方からエルフィが走ってきたところだ。


「シャーナさん、よかった……」

「エルフィこそ無事でよかった。

 飛ぶの初めてだったのに空中戦だなんて、大変だったね、怪我はない?」


 エルフィは大丈夫ですと答えてくる。

 見たところ魔素による障害も受けていないようでシャーナは安堵した。

 エルフィの隣に人型に姿を変えたニールが立つ、シャーナは彼の方へ顔を向ける。


「分かってると思うけど、聖域が破られたわ」

「……俺が悪い、動揺しすぎて綻んだ」


 すまないと告げられて、シャーナは頷いた後、普段通りの笑顔を見せる。


「この滅びは運命なのだと、この森も分かっていた、場所の移し時だったのは確かよ」

「……あの」


 話に置いて行かれたエルフィが、不安そうな顔でシャーナとニールを交互に見る。

 反射的に、ふたりはエルフィを安心させる為に笑顔を向けた、彼女の手を引いてシャーナは言う。


「細かい話は家の中でしましょう。

 ……ヴァン、おいで」


 シャーナが呼び掛けると、黙って伏せていたヴァンが人型へと変化した。

 同じようにリリとミミも姿を変えて、ルドーと共に歩いてくる、皆で家の中へ戻った。






「言っておくけど私、そこまで落ち込んでないからね?」

「……いや、無理があるだろう」

「無理があるね」


 居間の中で定位置に座った皆に向けて、シャーナが言うと、ニールとヴァンがはっきりと否定を返してくる。

 リリとミミに挟まれて座っているエルフィですら気遣わしげに見てくるので、シャーナは参ったなぁと苦笑いを浮かべた。


「本当に大丈夫なのよ、ただちょっとね。

 ……声が聞こえてくるから」

 

 ヴァンが心配そうに見つめてくるから、シャーナはその頭を優しく撫でる。

 エルフィが一瞬迷ってから、思い切ったようにシャーナに問い掛けて来た。


「シャーナさん、声って?」

「エルフィにはまだ言ってなかったっけ。

 私は森の……植物の声が聞こえるの、動物のもたまにあるけど、生まれつきでね」


 異能って呼ばれるものよ、とシャーナが言えばエルフィは目を丸くする。


「お母さんから聞いたことがあります、大昔には神様から選ばれて特別な力を持って生まれてくる人がいたって……」


「正確には、数が減っただけで今もいるわよ、ルドーもそうだし」

「ルドーさんもなんですか!?」


 エルフィは驚きでいっぱいの顔でルドーを見る、彼は笑いながら頷いた。


「俺の力はシャーナより珍しくないけど……異能に対して驚かれるなんて久しぶりだな」

「私たち、基本的に引きこもって外と交流して来なかったからねぇ。

 ああ、そうだ……聖域の話よね」


 本題を思い出したシャーナは、何処から説明したものかと考え込む。

 助け舟を出すように、ニールがエルフィに対して口を開いた。


「聖域のことは知っているな、聖竜が形作る領域、人間で言うところの結界魔法に近いものだ」

「はい、聖域の中では安定した気候と自然が保たれて……邪竜の侵入を防ぐ、ですよね」


 リリとミミが首を縦に振って肯定を示す、エルフィは恐る恐る言葉を続ける。


「それが今回、破られてしまった、と」

「ああ、そしてその原因は恐らく俺……というか俺の心だ」


 ニールが軽く自分の胸を叩く、エルフィは瞬きをして首を傾げた。

 その疑問に答えてやったのはヴァンだ。


「聖域は形作る聖竜の数が増えればその分、範囲が広くなるけど。

 展開には聖竜の精神が安定していることが必要なんだ」

「まあ、最近のニールは揺れたり悩んだり焦ったり大変だったからね」


 ヴァンの言葉に補足をするシャーナ、リリとミミがエルフィを見上げて言う。


「リリたちは万能だから、ちょっと心で思ったことが現象になったりするの」

「ミミたちが怒ると雷、泣いちゃったら雨」


 エルフィは姉妹の説明に息を呑んだ、改めて聖竜の異次元さを実感する。

 ルドーがまあ、とニールの方を見遣って言った。


「ちょっと精神が安定しなかったからって綻ぶようなものでもないけどな。

 その聖竜が竜士と契約していれば、の話だけど」

「……なるほど」


 エルフィは納得したように頷いて、ニールに問い掛ける。


「今まで大丈夫だったのは、何故ですか?」

「心を揺らされるような事が無かったからな、人との関わりも絶っていたし」

「つまり、それって──」


 最近のニールの言動を思い出し、動揺の原因が自分であることを察したエルフィはその旨を言葉にしようとした。

 が、ニールとシャーナがそれを阻む。


「エルフィが気にする必要はない」

「そうよ、悪いのがいるとしたらいつまでも煮え切らないこいつだもの」


 シャーナがニールをじっと見つめて言った。


「別に怒ってるわけじゃないし、今回のことは仕方ないと思ってるけど。

 次に住む場所ではもっと安心して暮らしたいのよね」

「……ああ、エルフィもいる場所だからな」


 ニールは真剣な顔で頷いて、その様子を見たヴァンが驚いたように声を上げた。


「予想外……屁理屈並べて逃げるものだと思っていたのに」

「逃げ道なら無くなったさ、押し負けたからな」


 ニールは小さく笑みを浮かべて、エルフィの頭を撫でる。

 シャーナが片目を瞑って、元気良く立ち上がって言った。


「だったら新しく住む場所を探さないとね。

 全員無事に揃っていれば、何処に行こうと変わりはしないわ」




 ***



 ──深まった夜の中、庭に出れば満月があった。

 神秘的で美しいその輝きは、ニールと出会ったあの夜を思い出させる。


 月明かりの下で、エルフィは辺りをぐるりと見渡した。

 至る所に三年間の思い出があるこの土地とは、お別れになるのだろう。

 場所を移す、とはそういうことで、エルフィは溜息を吐いた。


 森を侵した魔素がいつ、今はまだ無事なこの辺りまで広がってくるか分からない。

 生活が成り立たなくなる前に離れなければならないのだ、皆がいる所が家だと分かっていてもやはり寂しい。


 誰かの言いなりになるのではなく、自分の頭で考えて行動するようになって、初めて見た世界がここだった。


 厳しい自然から恵みを得ることも、空模様を見て天気を当てることも、自らの足で駆け回り目で見て学んだものだ。

 

 ニールとシャーナはああ言ってくれたけれども、やはりこの事態を引き起こした責任は自分にもあるだろう、とエルフィは思う。

 気にするなと言われた以上、思い悩むつもりはないが、立ち会った生々しい自然の死を思い起こしエルフィはその場で黙祷をした。


 祈る為に組まれた手に月光が満ちる、エルフィは感謝と別れをこの土地に告げた。

 顔を上げて、耳を澄ましてみてもエルフィには森の声は聞こえない。


 立ち尽くしていると背後から、近付いてくる気配があった。


「外に出ていたのか」

「ニール、ごめんなさい。

 探させてしまいましたね」


 エルフィが笑みを浮かべて振り返れば、人の姿のニールが首を横に振る。


「構わないさ、何処にいたって見つける。

 ……エルフィ、これに見覚えはないか」


 ニールが夜風に右手を絡ませる、風が掌に留まって白い光が浮かんだ。

 エルフィはゆっくりと頷いて、そっと自らの胸元へ手を寄せる。


「三年前に、わたしを導いてくれた光です。

 生きることを捨てたわたしを、もう一度揺すり起こしてくれたもの……やっぱり貴方の力だったんですね」


「あの時は助ける為とはいえ、勝手に体を操って悪かった。

 ……謝りたかったんだ」


「いいえ、お陰でわたしは救われましたよ」


 微笑みを浮かべてそう言う彼女に、ニールは語り掛けた。


「邪竜との戦いを見ただろう。

 俺と生きるということは、あれに自ら飛び込んでいくということだ、怖くはないか」


「怖いですよ、ニールが死んじゃったら嫌ですから。

 何万年経っても変わらず、怖いことだと思います、でもね」


 夜空に浮かぶ満月は、あの日と同じようにエルフィを照らしていた。

 銀色に透ける愛しいひとの姿を見つめながら、彼女は自分の欲しいものへ手を伸ばす。


「怖いからこそ、共に在りたいのです。

 痛みを伴う孤独の中に、貴方を放って歩いてはいけないから。

 せめて同じ痛みを分け合いましょう」


 言葉を尽くしているつもりなのに、全然伝え終わらないのが不思議だ。

 次から次へと溢れてくる言葉や気持ちに溺れそうになる。

 だけどエルフィは大丈夫だった、だって彼女には翼があるから。

 ──永劫に共に在り続ける、銀翼が。


 ニールは心底から、嬉しそうに笑った。

 差し伸べられた掌から光が飛んで、エルフィの元へとやってくる。


「ありがとう、エルフィ。

 きみを助けられて本当に良かった」


 温かな光を受け入れるように、エルフィは抱き止める。

 胸元から体の中へ、輝きが迸って満ちていく。


「これからもよろしく、俺の竜士。

 ただ一人の、生涯の伴侶よ」


 ──光が体に収まった時、エルフィは確かに自分と彼を繋ぐ線を感じた。

 目に見えないその線は、真っ直ぐに伸びて互いの心臓を結びつけている。


 触れてもいないのにニールの鼓動を感じる、近付いてもいないのに息遣いが分かる。

 それはエルフィだけでなく、ニールも同じだった。


「……不思議な感覚だな、これは。

 離れていても、傍に感じる」

「だからこそ、命が巡る度に逢えるのでしょう」


 エルフィがそう言えば、彼はああと頷いた。


 ──戦い続けた生の果て、やっと掴んだ願いの形は一人の女の子だった。


 ──あの夜に降って来た月は、思ったよりも心配性で、照れ屋で寂しがりや。


 並んで歩いて行く内に、幾つの夜を超えたとしてもはじまりは変わらない。

 その日、エルフィはニールの竜士になった、彼の願いを叶える為に。

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