死に逝く *


 ──魂を狩られた邪竜の肉体は、砂のように溶けていく。

 森に満ちていた禍々しい瘴気も消え去った、それを確認したルドーは振り返り、疼くまるミミの元へ駆け寄った。


「パパ……」 


 横に寄り添うリリが不安そうに呼んでくる、大剣を背中の鞘に戻し、ルドーはミミに呼び掛けた。


「翼を持ち上げられる?」

「……こう?」


 ミミが言われた通りに左翼を持ち上げれば、骨の付け根をギリギリ避ける様に傷が走っているのが見える。

 そこにルドーが手を当てると、ミミとルドーを繋ぐ淡い光の線が浮かんだ。


 聖竜には治癒能力がある、だから娘が治すことに専念出来るよう、父親は痛みを貰う。

 ──共有された感覚が線を伝って、痛みがルドーの左肩に走る。

 心配させないように笑みを向ければ双子はそろって喉を鳴らした。

 これは彼が双子と契約した竜士であるからこそ出来ることだ。


 ミミの体に備わった力は問題なく発揮されて、傷はすぐさま塞がっていく。

 ルドーは左肩の鈍痛が治まっていくのを感じながら、右手でミミの頭を撫でた。


「頑張ったな、偉かった」


 空いている左手を伸ばし、無言でリリも抱き寄せる。

 いつも妹を振り回すリリだが、この子が一番ミミの消失を恐れていることを、ルドーは知っている。

 姉の心が恐怖で埋まらないように、妹が泣き止めるように、ルドーは努めた。




 ***




 枯れた木々、腐りゆく大地、瘴気が去っても癒えない滅び。

 森を眼下に、シャーナはため息を吐いた。


「また死んじゃった……」

「シャーナ、また良い場所探しに行こう?」


 ヴァンの気遣わしげな声音に、シャーナは小さく頷き返す。

 ルドーは身に宿す異能から邪竜殺しの一人と数えられているが、シャーナにも人に名として伝わる異能があった。


 目を閉じて、耳を澄ませば声が聞こえる。

 それは枯れた草木や森の声であり、シャーナが幼い頃から聞き続けているものだ。


 ──森呼び様よ、森呼び様がいらっしゃられた、尊いお方、慈しみの人。

 ──どうかお気になさらず、我らは元より此処までの運命。


 シャーナは目を開いて、耳に届いて来る音から意識を逸らした。


「聖域、破られちゃったから。

 場所を変えなきゃいけないね……気に入ってたんだけどなぁ、ここ」


 寂しさを滲ませるシャーナの呟きに、ヴァンは無言で翼をはためかせる。

 こういう時に余計な事を言って来ないヴァンが、シャーナは好きだ。





 ***




「大丈夫か?」

「こっちは問題ないよ、そっちは」


 双子の頭を撫でているルドーにニールは着地しながら声を掛けた。

 帰ってきたルドーの答えに、ニールは背中のエルフィに声を掛ける。


「どうだ、無事か」

「大丈夫ですけど、一度降りたいです」


 エルフィの言葉にニールは身を伏せた。

 その背中から降りて、エルフィはルドーと双子の元へ駆け寄った。


「ミミは、大丈夫ですか?」

「傷は治ってるから大丈夫なはずだよ」

「……へこむ、いつもミミが鈍臭いの」


 くるると喉を鳴らすミミに、リリが慰める様に頭を擦り付ける。

 後ろからニールが双子に言った。


「元気を出せ、中々良い動きだった。

 肝も据わっていたな」

「わーい、ニールに褒められたのー!

 こんな事ってなかなかないのよ?」


 ミミが元気よく跳ねてエルフィに言う。

 良かったねぇと笑いながら、エルフィはミミの頭を撫でた、リリも誇らしげだ。


 ミミの無事を確認したあとで、エルフィは立ち上がって森を見回す。

 同じように見てルドーが言った。


「これはもう、死んじゃったな」

「……真っ黒ですね」


 枯れた草木、何かが腐ったような臭い。

 黒い灰が降り積もった大地。


「とにかく離れよう。

 まだ魔素の影響が少なからずあるはずだ」

「そうだねぇ、俺もあんまり吸いすぎると後に響くから一度、家の方へ戻ろう」


 ニールとルドーにそう声を掛けられて、エルフィは頷き返してから、もう一度だけ森を見渡した。

 ──思い出が、沢山ある場所だ。

 ニールと話したのもそうだし、リリやミミと遊んだり、一人で散歩しにきたり。

 シャーナと山菜取りに来たこともあるし、ルドーとヴァンが狩った大きな鹿や猪をどうやって持ち帰ろうか悩んだりしたことも。


 昨日と変わらず同じように四季が芽吹いて、様々な姿を見せてくれると思っていたのに、この死んだ森が蘇るまでどれだけの時間が掛かるのだろうか。

 

「行こう、お姉ちゃん」


 立ち尽くすエルフィの背中を、半ば無理やり押す形でリリとミミが進ませた。

 立ち止まり続ける訳にはいかない。

 前を向けなくても良いから、足だけは止めずに。


 リリが元気良く言った。


「思い出の中なら、ずっと見れるよ。

 人間ってそうなんでしょ?」

「……そうだといいなぁ」


 ルドーが穏やかに笑ってリリに答える。

 エルフィも黙って頷いた、きっとそうだ、そう思いたい。


 ──その日初めて、エルフィは邪竜が齎す破滅を知った。 

 暗がりに溶けた森の姿を、二度と忘れられそうもない。


「皆が無事で、よかった」

「そうだな」


 エルフィがそう言うと、ずっと黙っていたニールが肯定してくれた。

 ルドーがそうそうと、笑いながら言う。


「それが一番大事だよ。

 誰も死なないのが、一番良い」

「そうだ、そうだー!」

「ミミもー!」


 元気付けようとしてくれているのか、いつもより更に大きな双子の動きに、エルフィは微笑を浮かべる。


 そうして森を抜け家に戻る。

 庭には伏せているヴァンと、その体に寄り掛かるシャーナがいた。


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