第7話「血液とかくれんぼ」
「に・・げろ」
地面に転がるのは満身創痍の副担任。
身に着けていた
しかしながら体に受けたダメージは決して無視できるレベルではなく、すでに立ち上がる事すら難しい状況だった。
そのような状況で絞り出された言葉は自身の生徒を案じての言葉。いくら若くても先生であるという事だろうか。
「せっ、先生っ!」
日ごろから無口であり、あまり生徒達と会話をしないケイル。しかしながら実習では細かく指導してくれていたためにそれなりに人気を持っていた。
何より女子生徒からは黄色い声援を受けることもしばしばであり、担任である相良が嫉妬したセリフを吐き出すこともしばしばあったりしたものだ。
そんなこともあり、この場にいる5人もケイルを尊敬していたり、気に入っていた者達だ。だからこそその人物が死にかけて目の前に転がってくれば驚くのは当たり前だろう。
「いい・・・早く、逃げろ」
まるで生まれたての小鹿の様に足を震えさせながらも立ち上がるケイル。その際に体に刻まれた傷口から血がこぼれ、さらにその寿命を縮めていく。
しかしながらケイルが止まることはない。
何とか離さなかった武器。すでに残っているのは右手にあるコンバットナイフだけであるが、それでも武器であることに変わりはない。
最悪の場合でも自身の体一つで戦えるように鍛えているのだ。
「お前たちが・・・勝てる相手、ではない・・」
白い頭髪を自身の血液で赤く染めながら、その下にある瞳は強く一点を見つめている。
その先に居るモノ。それはケイルをここまで吹き飛ばした攻撃の元凶であり
「来たか・・」
巨大な体躯を持つバルグ。その姿だった。
「で、でかいっ」
距離にしてケイルを挟んでいる為に相応にある。しかしながらそれだけ離れているのにもかかわらず、その巨大な肉体は他を圧倒するものだった。
「まさか“戦車級”なのか?」
ユウトが授業で習った知識を引きずり出すように思いだす。しかしながらその知識と目の前のバルグとはいくつかの点で違っている。それが意味するのもは
「ちがう・・・奴は“兵士級”・・・」
ナイフを逆手に取り、現れた巨大なバルグと相対するケイル。
相対するバルグの体にも数多くの傷がついている事からもこれまで行ってきた戦闘がどれ程激しいものだったのかを物語っている。
「あれが、兵士級だと?」
そう言い、見つめる視線の先には戦車級と呼ばれる10メートル級のバルグとほぼ同等サイズのバルグ。
確かに言われてみれば兵士級のバルグの特徴的な犬のような体格がそのまま大きくなったようにも見える。
戦車級は兵士級と比べ極端に足が短く、また体格は非常に大きい。外殻はとても硬く、戦車の装甲板と変わりがないくらいであり、外見は亀のように見える。
「確かに大きな兵士級にも見えるけど」
ハルカが呟き、見つめる先にはいまだ動きを見せない巨大なバルグ。
「試験・・・失敗・・・報告、しなければ・・・」
小さく呟かれる声。それは離れた場所にいる5人の中で比較的近くに居たサキだけに聞こえた。
「試験?」
ケイルの口から零れた言葉。その言葉が意味するところを彼女が知るわけがない。それに現在はそのような事を考えている余裕はなかった。
「逃げるぞ」
決断は早く、行動を開始するユウト。すでに残りの男子二人は我先にと走り出している。
「私達も行くわよ!」
それに続く形で行動を始めるハルカ。それと同時に彼女が引っ張るのはサキの体だ。
先ほどのケイルの小さな呟き。戦闘を再開した現在においては再度確認することも出来ないが、どこかその言葉が引っかかっていたのだ。
「試験、それに失敗って?」
「何言ってるの?さっさとしないと他のバルグが来るわよっ!」
ハルカの言う通り、ここまで到達したバルグがアノ変異種一体だけである筈がない。
兵士級と呼ばれるバルグの総数は全種類の中でも最も多く、最も人類を苦しめている種類なのだ。
「う、うん・・・」
一人残すケイルの心配。それと同時に彼が呟いたあの言葉が気になる。しかしながらこれ以上この場に留まる事は命の危険を意味する。
すでにここまでバルグの変異種が到達していることからも前線が崩壊している可能性があり、その報告すら入って来ない現状で本体に合流することは先決である。
そう頭の中では理解しているのだ。しかしながら感情と興味と言う物は理性と分離して独立行動しているものであり、理性で縛れないほどのものであればどうしようもないのが人間だ。
現状では友人であるハルカの強引な行動により動き出したサキは引っ張られながらもケイルと変異種との戦闘を見えなくなるまで頭に焼き付けていた。
『かくれんぼ』
鬼が隠れた人達を探すというとてもシンプルな遊びである。
子供の時に誰もが一度は経験したことがあるだろうこの遊びは、すでに平安時代にはあったと記録されている。
一見日本発祥の遊びにも思えるが、実際には中国で生まれたものとされている。
日本に伝わった当初も子供の遊びではなく、男女間での儀式的なものだったようだ。
愛し合う恋人たちの片割れである女性が山に身を隠し、男性が隠れた女性を見つけることでお互いの愛情を確認する儀式的な意味合い。それはいつしか広く広がり、今では子供たちにとっては無くてはならない遊びになっている。
可能な限り息を止める。
この行為は人間にとって非常に難しい事であり、人類最長でも8分ほどが意識を正常に保つことの出来る時間とされている。
では、可能な限り呼吸を長くする、と言うものはどうだろうか。
通常の人間の呼吸は1分間に20回ほどであり、運動しておらず睡眠している状態であればもっと少なることもある。
意識的に少なくする。その行為によってもたらされるのはよく言われている気配を殺す、という事。それらは戦闘に従事している者達や、狩りなどを行う者達にとっては一種のスキルとも言える技術である。
そんな技術を行うのは非常に難しく、熟練と言われる狩人になるまでにも相当な時間が掛かるとされている。
体中にまとわりつく生臭い匂い。そんな匂いをゆっくりと鼻から取り込み、肺を経由。血液に酸素を送り込み、最終的には鼻から吐き出す。
そのようなゆっくりとした呼吸を行ってるのはサキだった。
廃棄されたトラックの荷台に寝転がる様な格好で息を潜めているのサキを含めた3人。
サキのすぐ近くに同じように横たわったハルカとユウト。
その3人に共通して言えるのは体の上にバルグの死体と人間の死体、その両方を乗せているという事だろうか。
鼻孔を突く匂いは生き物から流れた血、そのほかには人間の体から飛び出た各種内蔵やその中に収められていたモノ。それらは酷く匂いを漂わせ、トラックの荷台という限定された空間に渦巻いている。
―数分前―
「こんなことになるなんてな・・・」
そう言葉を溢すのは地面に転がる人間の死体をトラックの荷台へと投げ込んでいるユウトだ。
彼らがこの場所に到着したのは少し前の事だった。
本部として機能していた後方支援部隊。その場所はすでになく、地面に転がるのは無数のバルグと人間の死体のみ。放棄された武装や機器類、そして重機などのほとんどは壊れ元の形を成していなかった。
撤退することを念頭に本部まで走って来た3人。残りの二人の男子生徒は途中ではぐれていた。
そんな3人の目的だった移動手段はすでに壊れるか、撤退時に使用されたのかタイヤの後だけを残している。その為この場に動く乗り物は一切なく、彼らが帰還するために必要とする機動力を確保することが出来なくなったのだ。
絶望にくれるユウトとハルカ。この場までの数キロを全力で走って来たのだ。疲労もそれなりに溜まっており、これに追い打ちを掛けるように精神に負荷がかかった為に思考を一時放棄していた。
しかしながらこの状況でも特に変化がない者が一人。そう、サキである。
彼女はとりあえず、とつぶやきながら地面に散らばる武器になる物を物色し始めていた。
地面には無数に転がる死体の数々。すでにバルグと戦闘を始めてから25年たつ現在において人間の死体という物に耐性ができた者達は数多く存在する。
しかしながら防衛都市で生まれ育った少年少女たちにとって死体を見るのは初めてであり、それがこれほどの数となると錯乱しても仕方がないだろう。
だがそのような様子もなく、ただ淡々と作業を行うように続けるサキ。彼女の表情には匂いに対してのものはあるが、死体に対してのものが伺えない。
時には死体をひっくり返し、その身に着けていたナイフを取り、身に着ける。
時には腰から下だけになった死体についている自動拳銃をホルスターごと取り外し、自身の太ももに装備している。
「な、なんでそんな、事が出来るんだ・・・」
胃の中のものを吐き出し終え、多少涙目になりながら問うユウト。その顔には信じられない、という文字が見える。
「なんで、って必要だから?」
さも当たり前に答えるサキ。その表情に変わりはない。彼女にとって死体とはそこら辺に転がっている石と同列に見える程度の物でしかない。
「それにもう動かないから、使える物をもらっても問題ないよ?」
戦闘時での死亡者からの装備の獲得は許可されている。長時間の戦闘における弾薬及び武装の劣化は補給できないとどうにもできない問題であり、すでに死亡した者達から借り受けるという事は非常に理にかなってる。
理解はしている、しかしながら初めて死体を見た二人にとってその行為は簒奪もいい所であり、死体を漁っている様にしか見えないのだ。
「サキ、あんた・・・なんとも思わないの?」
これまで友人であり、これからも友人でありたいと思っているハルカにとって今目の前で行われていることは理解に苦しむものだった。
「なんにもって、こうしないと私たちが危ないよ?」
サキの言う通り現在彼女たちは武装をしていない。学園で受領したA装備というのは
そしてその事実は戦場においては死を同義とする。もちろん護衛が十全に機能している状態であればそれほどの危険はないだろう。
現にこれまで何度も行った演習という名の鬼ごっこによりほとんどの者達がバルグから逃げる技術を獲得している。その事により逃げる事だけであればそこまで問題ないと言える。
「確かに俺たちには武器がない。まあ、あったとしてもまだそこまで使える自信はないが」
ユウトが言うように現在までに置いて彼らが使える武器はナイフ、自動拳銃、自動小銃、狙撃銃の3種類であり、自動小銃と狙撃中の二つに関していえばまだ触ったばかりなのだ。
撃てはするが動かない的に当てるのにも苦労しており、ましては動く的に当てるなど奇跡が必要になる。
「あるに越した事はないよ」
そういい、また拾う事を再開するサキ。その様子をただ見ているだけの二人。しかし次第に彼女に誘発されるかのようにユウト、そしてハルカという順で拾い始めたのだった。
「なあ、一つ聞いていいか?」
あらかた装備が揃い、この後どうするかとサキが悩んでいた時だった。 質問を投げかけたのはユウトだ。
そんなユウトの問いかけにより視線だけ向けたサキは頷くことで了承する。
「お前はなんで死体に動揺しないんだ?」
この場に来てから一番感じていたモノ。それはサキが死体に向ける視線だった。
「・・・10年前のバルグ侵入事件覚えてる?」
サキが話し出したこと。それは防衛都市東京において建設後初めて起きた一大事件である。当時まだ5歳だったユウトやハルカにとっても色濃い記憶であり、連日ニュースになっていた事件である。
事件の発端は北門の誤作動により第3防壁内部にバルグが侵入したことから始まる。
侵入したバルグは5匹。すぐに討伐隊が組まれ、瞬く間に2匹は駆除された。しかし残りの3匹はしぶとく逃げ回り姿をくらませたのだ。
その後どういうことか第2防壁内に姿を現したバルグは住宅街で次々と人間を襲い、死者を増やしたのだ。
死者の数が3ケタに上ろうとしていた時ようやく仕留められたバルグ。その事件は最悪の事件として二度と同じことが起きないように様々な対策が行われたものだ。
「あの事件がどうかしたのか?」
5歳であり、覚えていると言っても断片的にしか覚えていないユウト。子供のころの記憶など成長と共に消えて行くものだ
「私、あの事件で家族を失ったの」
サキの口から放たれた言葉は友人であるハルカにとっても初めて聞く内容だった。
もちろん親友と自称するエリとの会話からも両親が居ない事は知っていた。しかしながらそれは事故かそれとも防衛軍での死亡などと考えていたのだ。
「今でも覚えてる。私の上にかぶさって助けてくれたパパとママ。その上に覆いかぶさる死んだバルグ。徐々に冷たくなっていく両親の体と目の前を通ったバルグの姿」
両親のおかげによって助かった5歳のサキはその後父親の同僚であり、親友だったエリの両親に引き取られ入学まで暮らしていた。
「だから死体に慣れてるって言ったらそうだけど」
そこで言葉を切るサキ。その瞳には何も映っていないように見える。
「生きていない生物なんて冷たくなって、そして腐るだけ。もう動くことも抱きしめてくれることもないんだよ」
そう言うとサキはバルグを引きずりながら近場のトラックへと足を向ける。その場に残されたのはショックを受けたハルカと呆然とした視線をサキへと向けているユウトの二人。
そんな二人に構うことなくサキは運んだバルグをトラックへと放り込む。投げ込まれたトラックは運転席がある前方を重機に激突して潰しているものだ。
使えなくなっているトラックにもくもくと死んだバルグを投げ入れるサキ。15歳の少女に自身の体の半分以上もあるモノを投げ入れる事が出来るのは
「な、何をしてるんだ?」
傍から見ればただ死体を集めている様にしか見えないサキの行動。
しかしながら先の行動を見れば彼女が無駄な行動をしないことなど少し考えればわかる。だからこそ今現在行っていることが何を指すのかユウトには理解できないでいた。
「何って、死体集めてるんだけど」
そう言いながらも新たにバルグの死体をトラックの荷台へと放り込む。
「いや、それは見れば判るわよ。そうじゃなくて、なんで死体を集めてるのかを聞いてるよよ」
ユウトの補助をする形でハルカが付け加える。説明されたユウトは恨めしそうにハルカを見ているが当の本人は軽く無視している。本当に気が付いていないのかもしれないが。
「ああ、そう言う事ね。なら簡単だよ」
そう言い、サキは荷台から飛び出しているバルグの死体の一つに近づき、その体にナイフを差し込んだ。
肌を破り、肉にまで到達したナイフにより切断された血管から血液が漏れ出す。すでに死亡していることからその勢いは非常に少ないが、したたり落ちる緑色のバルグの血液。
それをサキは自身の腕に掛かる様に下に移動し、垂れてきた血液を別の場所に手で塗り始めた。
「「なっ」」
サキの突拍子もない行動で二人は同時に驚きの声を上げる。しかしながらその行為を行っている当の本人はさも真剣な表情だった。
「私があの時生き残れたのは両親の血とバルグの血を体中に付けてたから」
淡々と説明するサキ。その言葉には重みが乗っていた。
「これで鼻が利かない。あとは死体に紛れれば見つからないよ」
そう、サキが考えていた事、それは“かくれんぼ”だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます