第7話

 アユムは小さな裸体から、固まりかけた海を剥がすことに夢中だった。その傍らで、エリは仰向けに転がるギィーを革のブーツで踏みつけると、肩に担いだ金属棒で何度も叩いた。ギィーの体が、グワングワンと鳴る。


 膝と脛の継ぎ目に棒の先を突き刺した。何度も何度も突き刺していると、砂埃を弾き返すほど光るギィーの体から、脛がパカリと外れた。外れた部分から、さらさらした液体が、虹色に光りながら勢いよく流れ出したかと思うと、砂の上で一瞬にして煙になった。すっかり空洞になったギィーの脚を、エリは、ぼすんと砂の上に放った。


「それ、ギィーの靴、重くて歩けないの。要らない」


 アユムが言う。


「アユムには必要なくても、欲しい人はいるかもしれない。ニナの店に置いてくれるよ。いつも、そうだから」


「いるのかしら、欲しがる人」


 ニナの店に立ち寄る人を思い出そうと、アユムは首を傾げるけれど、誰の顔も浮かんでこなかった。


 ひとり、ふたりはいたはずだけど……。


「見ろよ」


 首を傾げるアユムの頭上に、エリは先の尖った棒をかざした。得意げに腕をふりまわしてみせると悲鳴に似た威嚇の声をあげ、アユムの周りを小走りに駆けまわる。円を描きながら徐々に離れ、地面を踏みしめるように膝をまげて立ち止まると、雄叫びと共に、空を仰ぐギィーの頭部に棒を突き立てた。刺さった棒の横には、小さな穴がひとつ開いていた。アユムを救うために、ついさっき、エリが開けた穴だった。


「ほら、ここ。ここを一突きすれば、こいつら動かなくなるんだ」


「本当? 知らなかった」 


 エリの一連の動作にあまり興味を示さず、きょろりと辺りを見まわして立ち上がったアユムは、脱ぎ捨てた毛皮を拾い上げ肩から羽織ると、腰紐を結んだ。


 ギィーと遭遇したときは、逃げるのが一番だと教えられた。考えるのが苦手なのか、大きな体のせいで標的を見つけられないのか、そもそも物を見る能力があるのかも判らなかったけれど、ある程度の距離を置けば、奴らは追っては来ない。次の標的が感知されるまで、ふらふらと彷徨うだけなのだ。逃げ場がなく、追い着かれてしまったときの常套手段は、脚を切り落とすことだった。誰に教わったのかは憶えていないが、アユムもエリもそうすることを知っていた。 


「偶々さ。偶々こいつで頭を突いたら動かなくなったんだ」


 エリはギィーの頭部を貫いた武器を抜き取った。抜き取った拍子にギィーの顔が、がらんと音をたてて外れた。眼も鼻もくちもない、つるんとした顔の下は、やっぱり空洞だった。つるつるに磨かれた楕円形の、器に似た顔を拾い上げたエリは、腰の革ベルトに挟み込んだ。


「ねえアユム、海は、よくないよ」


「どうして?」


「だって……〝ドク〟が沈んでいるから」


「〝ドク〟って、なあに?」


「……よくないモノ……だと思う」


「よくないモノって、なあに?」


 アユムは、海で拾った生き物の残骸をずるずる引きずりながら歩いた。


「……ギィーのような……」


「ギィーは、よくないモノなの?」


「判らないけど……たぶん……」


「なあんだ、エリも知らないんじゃない」


 そんなことよりも、アユムはニナがくれた新しい靴に流れ込む、砂の方が気になっていた。エリは立ち止まった。


「あれは破壊しかしない。あいつらにやられてしまったら、どうするんだよ」


 どうする? そんな質問に答えなどない。だって〝よくないモノ〟の大概は面白い。眼を大きくしたアユムは、きょとんと言う。


「そんなの、〝終わる〟だけ……」


「ぼくは嫌だ。アユムと……逢えなくなるのは……嫌だ」


 エリは静かにアユムの言葉を遮った。


 ぼくたちは何度、似たような言葉を交わしたのだろう。その度にアユムは、「そうね」とわらうのだ。アユムは、またひとつ、ぱ・ち・り、と瞬きをして、「そうね」と言った。宇宙の闇を映したアユムの瞳を見つめたエリは、溜め息をついた。


「でも、あたしは平気よ」


 引きずっていた細い月型の骨を砂の上に突き刺したアユムは、立ち止まったせいで埋もれていく脚を引き抜きながら言った。

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