第4話 プレゼントにはおパンツを(1)

 自分の置かれている状況を改めて考えると学校になんて行きたくない。

 どうしよう。何を考えても八方塞がりだ。……ああ、何もかもを忘却の彼方に葬ってくれる強烈なエロみがほしい。エロみが足りていない。エロに埋もれてエロに浸りたい、エロはどこエロは誰? エロへの禁断症状が手を震わせる。これぞ森田式セルフバイブレーション。

 冗談はさておき、目の前では相変わらず『キッコウシバリ』がどうのこうのと楽しそうにのたまっている安城寺は、自分の露出癖がバレてしまう危険性に対して、何も心配することはないのだろうか。


「んー『キッコウシバリ』をしたまま体育の授業受けたらどうなるんだろ」

「食い込んで痛いだろ。だからやめてくださいお願いします」

「……痛がってたらバレちゃうかな? えへへ」


 ああ、そうだそうだ。

 俺はバレることを恐れていたが、この女はバレそうになることに嬉々とする。危機に陥りそうになることに嬉々とする。危機感も嬉々感とすり替わり、危機管理ではなく嬉々管理に優れている、というわけだ。まったくもって清々しい。

 俺もこの女みたいにあっけらかんと楽しむことができれば——いやいや羨ましいなんて微塵も思わない。

 安城寺聖来あんじょうじせいらについて、理解はできるが共感はできない。

 同族嫌悪と言われてしまえばそれだけなのかもしれない。だけどそうだと思われたくない。俺と彼女とでは住む世界が違――っと、これ以上考えたくもない。何もかも考えたくない。


 そうだ、それなら現実逃避もかねて、今日のことを少しだけ振り返ってみよう。


 生まれて初めてのデート。お相手は誰もが羨む超絶美女。うんうん、楽しかった楽しかった。本当に楽しかった。楽しかった。楽しすぎてこの時が永遠に続けばいいのにと思うほど楽しかった。めっちゃ楽しかったー!!


 * * *


 日曜日、午前十一時――待ち合わせ時間から一時間経過。

 おかしいな、金曜日の夜に約束したはずなんだけど。メッセージでのやりとりをこの一時間で何度も読み返してみても、待ち合わせ時間は確かに今日の午前十時に変わりない。

 

『今日は取り乱しちゃってごめんなさい。もう冷静に話できそうになかったから帰っちゃいました(笑)』

『大丈夫。今日あったことは誰にも言わないから!』

『ありがとう! そのことなんだけど、改めて話がしたいです。できればなるべく早くに。休み明けまでには。ちなみに明日って時間ありますか?』

『明後日の日曜日なら大丈夫です』

『じゃあ、日曜日の午前十時に高校近くの駅前で! よろしくお願いします!』

『了解』


 途中からお互い文面が硬くなったのは『デート』ということを意識してしまったからだろう。少なくとも俺は過剰なまでに意識してしまった。本当は昨日も暇で暇で何も予定はなかったのに、心の準備ができていなかったせいで、今日という日に『デート』を先延ばしにしてしまった。

 ということで一日かけて準備してきた俺は、気が急いでしまって待ち合わせの一時間も前に来てしまったわけだが、


「さすがに遅い。どうしたんだろ」


 別に怒ってはいない。思った以上に今日の『デート』を楽しみにしている自分に気づくには十分な時間があって、どう気持ちを落ち着かせればいいのかわからなくなっているだけだ。

 冷静に冷静に、よく考えろ、そもそも今日は『デート』じゃない。

 今日は金曜日に偶然にも召喚してしまった悪魔であるメデューサを再び召喚するだけの儀式だ。断じて『デート』などという不埒ハレンチなことではない。これは魔術師と使い魔によるレクリエーション。男である俺がちゃんとリードしないと使い魔メデューサは戸惑ってしまう。テクニックについてはエロ本グリモワールで勉強済み。正しい使い魔の調教テクニックって言えばいいのか、ありとあらゆるシチュエーションにおいても彼女を満足させてあげられるように――って俺はいったい何を考えてんだ!

 今日の『デート』から意識を逸らそうと思って悪魔とか儀式とか堅苦しい表現持ち出してきたのに、いつの間にかいつも通りの自分になっちゃったよ。膨らんじゃったよ、妄想が。


「ごめんね、遅れちゃった。準備に手間取って、電車乗り遅れちゃってさ」


 背後から聞き覚えのある声が――。

 不意討ちに準備していた言葉を言いそびれてしまった。

 振り向くとそこにいたのは……ダメだこりゃ。俺には荷が重すぎる。今日一日こんな可愛い女の子とずっと一緒にいなきゃいけないのか。心の準備はしてきたつもりだったけど、全然足りてなかった。乱れた心を落ち着かせる方法は準備してきた。でもその方法を思い出す方法を準備し忘れていた。

 どうやって緊張をほぐせばいい?

 どうやって心臓の暴走を止めればいい?

 どうやって呼吸を整えればいい?

 ここでふと思うことといえば、遅刻してくれてありがとう。もし安城寺さんも三十分早く待ち合わせ場所に来ていたらと考えると、俺は死に急ぎ野郎になるところだった。


 ――え、やば、マジでかわいい。


 制服派だったけど、これは考え直さなければならない。

 何の派閥なのかはプライバシー保護のために伏せておくが、安城寺さんの私服姿は自分の絶対的理想を覆しかねない美しさをはらんでいる。トップスにはふんわりとしたゆるめの白いタートルネックを、ボトムスには濃い青系の生地に白のチェックが入っている膝上丈のフレアスカートを着こなすことで、全体的にゆとりを持たせたシルエットになっている。スニーカーにも白を取り入れ、バランスは完璧。ここでのバランスとは服全体のバランスというよりは、安城寺聖来せいらという女の子をふまえた上での、彼女の魅力がなくしては成り立たない絶対的バランスだ。持ち前の栗色の長い髪もボトムスに対しての刺し色になっているのか、アクセントと不思議な調和をもたらしている。


 ああ、語り尽せない。

 だからせめてもうちょっと。

 もうちょっとだけ。


 高校生にしては少し大人っぽい少し背伸びしている服装と、普段はしていない透明感のある化粧ナチュラルメイクに可愛らしさと初々しさがあり、その初々しさは春らしさも漂わせている。初々しさすらも春という季節にあわせて自らをコーディネートしている。綺麗な花を満開に咲かせ、後は散ることを待つだけの桜たちも、彼女を見ればもう一度満開の花を咲かせるのではないだろうか。


 さあ、語りもここからが本番だ。


 スカート下に伸びた美しい脚線美。高校では制服着用時にはソックスで隠れたふくらはぎ、体育の時間以外には拝むことができない、あのふくらはぎが、あられもなく惜しげもなく艶やかに。想像するに滑らかな肌触りに女性特有の柔らかさと適度な筋肉による低反発ではずむような弾力は最高の揉み心地に違いない。魅惑のハーモニーを奏でて俺を誘ってくる、今触らずしていつ触るのかと。


 ふう、とりあえず語った語った。

 でも心の中ではこうも饒舌じょうぜつだけど、口からはひと言も出ていません。緊張もまったくほぐれておりません。

 安城寺さんの可愛いお顔が……ってあれ? 微笑み混じりで謝ってくれた表情がちょっと曇り始めてきた。どうしたんだろう。


「森田くん、ごめんね。やっぱり待たせすぎたよね。……怒ってる?」

「いやいやいやいや全然全然!! 大丈夫だよ!! ま、まあ、女子って化粧とかいろいろ身だしなみに時間かかるもんな! そうそう仕方ないんだよ、仕方ない」

「やだなあ、森田くん! さっすがー! わかってるね!」

「ん、んん? そ、そっか?」


 よくわからないけど、元気を取り戻してくれたようで何よりだ。


「今日ね、初めてで気合入れてたら、気づいたら十時すぎてた」

「そ、そっか。安城寺さん、初めてなのか」

「そうそう初めてだったからどうしても時間かかっちゃってさ! 電車の中もドキドキしてた」

「俺も待ってる時、ドキドキしてたよ。安城寺さんが来るの」


 本当にデートだと思っていいのかもしれない。

 これは、男と女が、気の置けない男女が、リア充が、世の中の勝ち組が、心の距離や体の距離を恥ずかしがりながらも手探りに縮めていく、あの、逢い引きなのかッ。


「え、ほ、ほんとっ!? ま、まさか、もう森田くんには私の行動パターンなんてお見通しなの!? というかどうしてわかったの!? ……はっ!! さ、さすがはムッツリ田スケ兵衛と言われるだけはあるね、もう尊敬するよ。そうだそうだ! せっかくだからあとで見せてあげるね、菱縄ひしなわ縛り!」

「……あのさ、今日遅れたのって」

「そうそう縛ってたら意外と大変でさ」

「ヘンタイの間違いでしょ」


 菱縄縛りといえば、よく亀甲縛りと勘違いされている縄の縛り方。

 大変というより変態、大変変態、大変態。そういえばそうだった――この女は生粋の露出狂だった。

 目の前にいる女の本性を思い出して、縄のように太かった緊張の糸がブッツリと切れた。なんならこの女の縄も今すぐ切ってやりたい。引きちぎってやりたい。


 一時間も遅れてきた理由とは。

 身だしなみに時間がかかったとは。


 訂正しろ。それは身だしなみではなく、たしなみだ。身だしなみとは周囲への心がけであって、自分本位の嗜みとは相反するものだ。化粧も化粧だ。まさか化粧は化粧でも化粧縄の類だったとはな。そりゃドキドキもするだろうよ、電車の中ではさぞお愉しみだったでしょうね。今もなお緊張しているのは縄の方なのね。

 はいはい。はいはいはいはい。

 よーくわかりましたよ。

 さてどうしようか。準備で忘れていたことがもう一つあった。女の子とデートだということで舞い上がり、今日の本質的な懸念を完全に失念していた。露出癖を持つ変態への対処法を。

 これはこれはこの『デート』、一筋縄というわけにはいかなさそうだ。


「荷物を運ぶときに使われている縛り方を自分に施して隠しながら外に出たらどう感じるのか、昔からずっと気になってたのよね。それでやっと今日できたの! 決心がついたのは、全部森田くんのおかげなの! ありがとう!」

「ど、どういたしましてー」

「あ、ちょうどバス来たよ! はやくいこ?」


 安城寺さんのとにかく言いたいことを並べた感じがいなめない早口言葉や突飛な行動に、俺の頭と体はついていかない。

 なかなか動かなかった俺はそれを見兼ねた安城寺さんに手を引かれ、バス停へと走り出す。いろいろ知る前なら素直に喜べたシチュエーション。ああ、このスベスベした手で縄を結んだのか。もしよければ自然につないだこの手が永遠に離れないように縄で雁字搦めにでもしてくれないだろうか。

 ちなみに俺が直々にこの手と手を雁字搦めにしてやってもかまわない。緊縛プレイについても余念なく勉強してあることは俺だけの秘密だ。


 バスに乗り、椅子に座る。それと同時にバスは出発する。

 左隣には身体を密着させて安城寺さんが座っている。狭い座席だから密着するのは仕方ないが、どうも居住まいが悪い。落ち着かない。左脇腹下部に何か堪能したことのない異物があたっている。この感触はまさか――と感嘆たる喜びに触れることなく理解できてしまう。これは、柔らかなおっぱいではなく、硬さのある縄だ。男を陥れる純然たる罠だ。もしこれで痴漢だと訴えられたらたまったもんじゃない。誰得でもない感触と引き換えにお縄を頂戴してしまってはたまったもんじゃない。


「ではさっそくだけど森田くん、今日はまずショッピングを楽しみます!」

「あーはいはい。ローターでも買いに行くんですか。ビデオカメラでも買いに行くんですか。まあ、単なるウィンドウショッピングでも視線は楽しめますね」

「……えっと、その、今日は、普通に洋服買ったり、ご飯食べたり、しようとしてたんだけど」

「そうなんだ。てっきり見られてモナリーを楽しむのかと……ふぁっ!?」

「セクハラだよ、森田くん、モナリ田くん」

「しまった。俺が中学校二年の時に、兄貴が友達につけられたというあだ名のひとつを無意識に使ってしまった」


 モナリーとはモナピーのことであり、お縄にーであることを瞬時に理解してしまう安城寺さん、あんたやっぱり、やり手だよ。


「あ、お兄さんいるんだね。私一人っ子だからうらやましいなぁ」

「あ、うん。大学卒業して就職したってのにまだ家にいるよ」

「一人暮らしするのがきっと寂しかったんだよ、お兄さん」

「家事すんのが面倒なだけだと思うけど」


 一瞬やらかしたと思ったけど、これは無事着地できたということでいいのかな。

 無数のグリモワールから得られたエロりょくを披露しても非難されるどころか受け入れられて普段通りの会話に落ち着つくとは、これが選ばれし人間同士の会話というわけなのか。

 それにしても、二人掛けだというのにこの座席、いささか窮屈だ。狭い。近い。いいにおい。エロい。やばい。女の子ってどうしていい匂いするの――という問いには、エストロゲンというフェロモンやらホルモンやらが要因の一つだと結論づけられているらしい。出典はもちろんグリモワール。エストロゲンは文字数が多いので、俺は本日、エロゲンと略すことをここに決意する。

 このエロゲン由来である匂いの発生源が一つ、安城寺聖来の太ももが俺の太ももにあたっている。あたりっぱなしだ。しかもスカートがずり上がって、ナマ脚の露出が限界のラインに来ている。

 ラインという単語でふと思った。ゆったり感のある服を着てきたのは身体のラインを隠すため――これが一般的回答なのだろうが、


「今日の服、似合ってるね」

「え、ホント! ありがとう! すごく嬉しい。……でもそんなことサラッと言えるってことは、森田くんってけっこう女慣れしてるね、ちょっとショック」

「……ところで、今日のコーディネートのコンセプトは?」

「えーっと、似合ってるっていってくれたのに申し訳ないんだけど、これって実は縄隠しのためなんだよね。縄のラインが出るか出ないかギリギリ攻めようとしたら、この服しかなくて。……ほら、中はこんな感じ」

「ナマッ!?」

「縄だってば。……んーやばい。こんなに堂々と人に見せつけて見られてる日が来るなんて、この前までは思いもしなかったよ」


 俺もこんなに堂々と見せつけられる日が来るなんて思いもしなかったよ。

 安城寺さんは俺側にあるスカートの裾を右手で勢いよくたくし上げた。左手はスカート全体がめくれないように、メデューサをさらさないように、スカートの布でちゃんと隠してくれている。俺が「ナマッ」と素っ頓狂な声をあげてしまったのは、ナマ脚のつけ根にあるのは下着パンツではなく、縄だったから。まさかの縄だけだったから。ナマで縄を――。これ以上想像妄想するのは危険だ。すべては俺の幻覚幻想であってほしい。

 一度逸らしてしまった目をもう一度ナマ脚のつけ根にやる。


「——っていい加減スカート下ろせよ!?」


 全然幻覚じゃなかった。全然パンツじゃなかった。全然パンツなかった。

 俺の声はバス内に嫌に響いてしまった。

 幸い運よく都合よく、俺たちを除いて、乗客はおじいちゃんとイヤホンをつけた若者しかいなかった。本当によかった。

 と思った矢先、急ブレーキによりバスがストップ。信号は赤になっている。

 運転手さんごめんなさい。聞こえちゃってたよね、気になっちゃったよね。スカート下ろさせるんで、バスからは降ろさないでください。

 まるでどうしてスカートを下ろす必要があるのかわかっていない安城寺さんの手を掴み、俺はゆっくりと彼女の手とともにスカートを下ろした。


「まずは下着売り場ランジェリーショップか」

「え? なんかいった?」

「安城寺は黙ってろ」


 俺はこの時、初めて安城寺のことを安城寺と呼んだ。

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