第3話 邂逅する魔術師と悪魔(2)

 思春期真っ盛りの男子高校生(童貞)である俺が悪魔を身に宿しているように、目の前にいる女子高校生も悪魔を身に宿していた。

 メデューサという悪魔に例えることは彼女への侮辱、女性への侮辱になるのは重々承知なのだが、童貞の俺にはそれを的確に表現する言葉を見つけることはできなかった。だからどうか許してほしい。魔術の書物エロ本には名器……ではなく明記されていないものが多かったので、衝撃的だったんだよ、本物ってやつが。


「……見たよね」

「…………」

「何も言わないってことは見たってことだよね」


 言いたくなくて何も言わないのではない、何も言えないのだ。これは言葉が見つからないのではなく、物理的に。何も、何も動かない。手が、足が、腕が、眼球が、あまつさえ呼吸器すらも、何ひとつ動かない、声も当然出すことができない。

 これがメデューサの持つ魔眼の力なのか。


「そ、その、今日はね、ちょっと下着濡らしちゃって、仕方なく、ね?」


 下着パンツが濡れるというのはどういった状況か。いつ、どこで、誰と、どのように、どうしたのか。想像しようとしても思考回路が機能していないせいで考えようがない。女を知らない純情な本能すら麻痺している。

 眼前にいる安城寺あんじょうじ聖来せいら。この高校では有名人芸能人顔負けの知名度を誇り、誰もが彼女を知っている。学生証に彼女の詳細が記載されているのではないのかと錯覚するほどである。もし記載されているとすれば、生徒会項目のところだろう。

 その彼女、安城寺聖来という女について、誰もが知らないことを俺は知ってしまったかもしれない。


 悪魔との邂逅――。


 思考が止まっている状態で、呼吸すらまともにできない状態で、ふり絞れた言葉が宙に散り散りにこぼれ落ち始めようとする。突拍子のない言葉、本来ならば絶対に心中にとどめておくべき言葉。だがしかし、極限状態であるせいで、その言葉をとどめることができなかった。


「お前、露出狂、だろ」


 このたったひと言を皮切りに、全身と全神経と全思考回路の機能が徐々に回復していく。かすみゆく視界がクリアになってまず見えたのは、黒く禍々しいメデューサとは相反して白く神々しい安城寺さんの小顔。真顔ながらも少しずつ赤みが加わっていることから羞恥の渦に呑まれていることはよくわかった。

 ということは、図星なのか?

 いやいやまさかあの安城寺さんが『露出プレイ大好き変態女子高生~生徒会長のひ・み・つ~』という、どこぞのB級タイトルがマッチする女子高生、つまり、前座で用意されるようなアバン女子高生であるはずがない。そもそも彼女があばずれ女子高生であるはずがない。せめて『快楽におぼれる純情可憐清楚系マジメ女子高生~彼氏とイチャラブえっち~』くらいにしてほしい。公然わいせつより、ひとりの、たったひとりの男のものになってほしい。

 ダメだ、思考回路がまだ誤作動している。意味のわからんことを、わけわかめのことを……って、わかめッ!! ホント俺のばかめッ!! メデューサの中に隠れるワカメって勘弁しろよッ!?


「えっ、ち、えっ、ち、えっ、ち、ちち、ちち、違うわよ!!!!」


 何が違うというのだろうか。このわずか五秒ほどの間で「エッチ」という言葉を三回、「乳」という言葉を二回も言っておきながら、いったい何を否定しているのか疑問の余地しかない。


 しかもこの女、だ。


 普段の無垢な表情に恥ずかしがる表情を組み合わせることで、魅惑への相乗効果を爆発的に発揮させては『可愛らしさ』『愛くるしさ』『愛おしさ』の童貞ハートに響く鬼畜三原則により、男という男を腰抜けにしてしまう。

 だから、一般童貞男子が彼女の正体を見破ること、それはつまり不可能という極地に限りなく近い――だがしかし俺は違う。

 童貞をこじらせたもんなんてナマやさしいものじゃない。ゴムすら知らない俺は童貞である自分自身をリスペクトしている。グリモワールというエロ本や時折エロ動画から得られる経験値を、聴力や妄想力よりも眼力というステータスに全フリした。感触を楽しめない分、顔の表情やおっぱいを舐めまわすように見ることから始め、女優さんのラブシーンにおいていはシーツの握り具合で本気で快楽を得ているのか否かを見破るまで可能になった。まあ、答え合わせはできないけど、おそらく九割五分演技である。

 だからこそ、この女の表情から見えた。

 俺には童貞が見えた。間違えた、道程が見えた。

 表情の中に潜むささいな口元のゆるみ。そこからは見られたことに対して、そして露出狂であることがバレてしまうことに対して、このギリギリ感を楽しんでよがっている本心が現れていた。

 いつも顔色ひとつ濁すことなく、疲れも見せず、むしろ生き生きした表情で数多くの生徒の中心に居座ることができている。嫌な役回りも目立つ見込みがあるのなら喜んで引き入れる。これは推察の域を出ないが、昼休みには俺とわざとぶつかり、優しい声をかけてきたのでは。ぶつかって転んでしまえばバレてしまうし、周囲から視線を集めれば布一枚越しの緊張感を味わえる。

 うがった見方と言われればそれまでだ。

 しかし、俺にとっては十分な状況証拠が自然とあがってしまった。俺はそっとまぶたを閉じる。これ以上証拠を集めてしまうのは可哀そうだ。証拠を突きつけて問い質すような真似はしない。バレた後の末路を俺は知っている。身をもって。だからそんなことはしない。


 でも、もう少し感じている彼女を見ていたいような気もするので、ゆっくり目を開きます。さあ、ご開帳。……ん? 目を閉じた前と後で表情が全然違うぞ。何も言わない俺に腹をくくったのか、目つきが変わって鋭くなっている。


「……そうよ、私は露出狂よ。なんか文句あんの?」


 逆ギレした挙句自首までするとは……。この女ヤリ手だな。

 とりあえず今はこれ以上怒らせないように気を遣って、下手したてに下手に。


「文句なんて微塵もないよ。、よ……はは」

「やっぱり見たんだー。ふっふっふ」


 盛大に間違えてしまった。下手へたに出てどうするよ。というか『毛ほどもない』って言葉作った奴、マジで恨む、言い間違えちゃっただろうが。

 意識してんのバレバレだよ。ちくしょう。

 これじゃガッツリ見てしまいましたーって白状しているようなものじゃないか。毛もほとんどないって、見てないって気を遣おうとしている俺の意図とは違って、違う意味でめっちゃ気ぃ遣ってるって思われちゃうでしょ。

 だってメデューサだよ、メデューサ。

 俺が今までに見たことがあるはメデューサではなかったよ。ちゃんとキレイに整えられているかのような……そうか、あれはもしかすると整えられていたのか、撮影用にと人為的に。

 それにしても感情のない棒読み笑いが怖い。トラウマになっていつもの愛らしい顔を思い出せなくなりそうだ。どうせならスカートの下を見てしまった事実も思い出せなくなってほしい。


「ご、ごめん。それにしても、ほら、風ってホントにイタズラ大好きだね。というかどうしてここの窓だけ開いてるんだろ。ちゃんと閉めておかなくちゃ」

「……そういえば森田くん、敬語じゃなくなってるね。私の弱点でも知れてご満悦なのかな? ムッツリ田スケ兵衛くん」

「あんたが敬語じゃなくてもいいって言ったんだよね、昼休みに。っておい、その呼び方だけはやめろ、本当に」

「人にものを頼むときは、ちゃんと、ちゃーんと敬語じゃないとダメじゃない」

「そこまでして俺に敬語使わせたいのかよ、あんたって人は」


 計算高いような、打算的なような、結果的に誤算を招きやすいような。

 魔のせいで間が持たない。時間をたっぷりと使って窓を閉めたつもりだったけど、数秒程度しか稼げなかった。さらには間だけでなく隙もなく、俺に本題へのツッコミを入れさせてくれない。会話の流れを無視ししてぶっこんでやろうか。


「先生からエロ本返してもらってご満悦になって、意味のわからない呪文まで唱えてさらに学校中の笑われ者になりたかったのかな?」

「なっ、さっきの聞かれてたのか、聞こえてたのか!?」

「誰もいないこんな静かな場所なんだから当たり前じゃない。音が響きやすいのよ。さすがエロ本を堂々と人前にさらすだけあるわね。そんなに人に知られたいのかしら、自分が変態ムッツリスケベことムッツリ田スケ兵衛だってことを」

「あーあーあーあーあー……確かに響いてんなぁ。そういえば、学校の廊下で喘いでる作品見たことあるなー……よし」


 さすがに言われるがままヤラれるがままでいる森田俊平ではない。俺はたっぷりと息を吸う。

 ヤラれたらヤリ返せ。相場は三倍返し。女の子に白いブツをお見舞いする時はそうと相場が決まっている。無論、ホワイトデーの話である。かれこれホワイトデーからすでに一ヵ月以上経っている今、三倍ではなくさらに利子をつけてヤバイ感じでお返ししてあげよう。二年の時もキミと同じクラスだった俺は運よく義理をもらっているからな。元男子クラスメイト全員もらってたけどな。

 今思えば見られたい願望の表れだったと理解できる。注目をさらって露出癖が露出するかしないかのギリギリを攻めて悦に入っていたんだ。

 さて準備完了。十分に息を吸えた。あとは放つだけ。


「ええっ、安城寺聖来さんってノーパンノーブラ露出癖のある変態――」


 いつの間にか背後に回っていた安城寺さんに口を手で防がれ、声が言葉として放たれなかった。唸り声はまるでバイブレーションのような音となって漏れていく。


「どうしてノーブラだってこともわかったのよ」


 ツッコミ入れんのそこかよ。

 たかだか後ろから口を手で押さえられただけで抵抗を諦める俺ではない。じたばたあがいて何としてでも反撃してやる。でもこの展開の末路を俺は知っている。俺に勝ち目はない。このまま大きな車に引きずり込まれて縄で縛られて……ってそれは動画の中だけの話で、しかも女の子の場合か。

 俺の場合はどうなるのやら。


「ちょっ、ちょっと、あんまり激しく動かないでよ」


 この女わざとだろ。わざと挑発してんだろ。

 しかしまだまだ甘いな。メデューサを見てしまった今、たかだか甘ったるい声だけで俺が堕ちるとでも思ったか。たかだか女の子特有の甘い香りに誘い堕ちするとでも思ったか。たかだか唇にあたる指に感じるほのかな甘さのせいで本能剥き出しのケダモノに堕ちるとでも思ったか。

 やばいやばいやばいやばい。

 一瞬でも気を抜けば理性がふっとぶ――あっ、とぶッ。


「もうっ、おとなしくしてって。これ以上動かれたらおさえられない」


 それはこっちのセリフだ。

 互いが白シャツの上に高校指定のベージュ色のカーディガンだけというブレザーを着ていないミラクルのせいで、そして彼女がブラをしていないせいで、なんだかとても柔らかな、ぽにゃんと、ぷにゅんと、ぼいんではないものの、ぽいんと。背中に未知の感触が。

 童貞で一切経験のない俺でも理解できる。

 グリモワールにある写真を再三睨みつけ、パソコン画面にかじりつき、触れたとしても紙とディスプレイの固さと冷たさしか知ることのできなかったこの俺にでも理解できた。


 これが、おっぱいか――。


 じたばたをやめられない。理性が本能に追いつかないという感覚は今まで何度も味わったことがある。が、これは別格だ、格別だ。理性という存在を本能はわずかでも許さない。

 適度にこの女が俺のことを押さえつけられる程度に抵抗を。そうすればもうしばらくこの背中のあたたかみを堪能することができる。


「動くなっていってんでしょ!! いいかげんにして!!」

「いってぇ。け、ケツ蹴るなよな。まあ、ちょうどいい刺激になったからよかったけどさ」


 ここで神をも羨むおっぱいからさようなら。

 調子に乗った罰としてケツを蹴られた。幸い、俺の行為自体がバレてしまうという墓穴をほりかけたわけだが、この女に救われた。いろんな意味で感謝します。ありがとうございました。

 蹴られたケツはたいして痛くなかったが、気がついたら手でさすっている自分がいる。本当に体って正直だな。


「刺激って。……このヘンタイ」

「絶対にお前にだけは言われたくねえよ。この変態。……はあ、もう小学生みたいな罵声しか出てこない」


 ここでようやく静寂が訪れる。

 落ち着きを取り戻すには重要な時間だ。第二ラウンドに上がるためには必要な休憩となる。どうやらそう思ったのは俺だけではないようで、安城寺さんは窓の外を眺めてぼーっとし始めた。

 沈黙をむさぼること一分程度。

 安城寺さんがやっと動いたかと思うと、いつの間にやら投げ捨てられていた鞄を拾い上げ、中をあさり始めた。その鞄はいったい誰の鞄ですか? あなたの鞄? それとも、もしかして俺の鞄?


「あった。これこれ、このエロ本。……おりゃあぎゃっ!? いててて。どうして窓閉まってんのよ!!」

「さっき俺が閉めたから。一人漫才好きなのかよ」


 もう怒る気力すらなくなった。これは賢者モードか。

 休憩しても安城寺さんはまだ気が動転、ご乱心のご様子。俺の鞄から取り出したエロ本を校舎の外に投げようとするも、窓ガラスに阻まれて反射したエロ本が安城寺さんのおでこにビターンと激突した。この人、天然なところもあるのな。おっぱいと今のことで十分理解できた。

 自分以上に取り乱している人を見ていると自分は逆に落ち着いてくる。ベッドの上では双方の取り乱しは加速していくのだろうけど。

 安城寺さんがおでこを押さえている。仕草は可愛い。押さえている右手はそのままに左手でカーディガンの右ポケットから何かを取りにくそうに取り出した。


「――しえて」

「ごめん、聞こえなかった。今なんて言った?」 

「連絡先教えて」

「は、はあ、いいけど」


 傍から見ればとんでもない光景なのだろう。例えるなら、超有名アイドルが一般人に連絡先を聞いているというスクープになり得るワンシーンなわけだから。


「今日の夜、メッセージ送るから、必ず返してね」


 それだけ言って、安城寺さんはこの場から走り去っていった。恥ずかしさから逃げ出すように。自分の恥部をさらした恥ずかしさから逃げ出すように。だけど最後にひとつだけ言わせてほしい。


「今さらだからな」


 ドジっ子をアピールして、露出癖をアピールして。彼女にとって散々な一日になったことだろう。それは俺だって同じだけどな。

 今日も今日とていつも通りに、何事もなかったかのように一日が終わる。

 俺は窓際に落ちているグリモワールを拾い、昇降口へと向かった。


 * * *


「で、どうやってSNSに私のことをさらすの? 作戦をねらないと」

「だから冗談だって。そんなことしたら俺みたいに明日から学校に行きたくなくなるぞ。……ああ、本当に行きたくない」

「え、どうして? いいなぁ。たくさんの人に見られるなんて、考えただけで……そうだ! 明日はこの『キッコウシバリ』ってのを制服の下にやっていこう! これって一人でできるのかな」

「まさか俺に縛るの手伝えとか言わないよな。というか、やめろ。やめてくれってにお願いしただろ」


 SNSの話が終わったかと思えば、間髪も入れずに次の話題に。

 でも『露出』という最重要キーワードからはたった1ミリもずれていないということにイラっとする。そのことに気づいてしまう、理解してしまうことにさらにイラっとしてしまう。


「それはそれ、これはこれ。やっぱり誰かに見てもらわなきゃ。別に『キッコウシバリ』を誰かに見てもらうわけじゃなくて、『キッコウシバリ』を隠している私自身を見てもらうの。わかってるとは思うけど」

「わかってるけど、わかりたくない」

「でもまさか私が世界で初めて考案したと思っていた紐縄プレイが世の中に緊縛プレイとして広く知られているジャンルだったなんて。しかも私のよりハード。やっぱり世界って広いんだねー」


 だからわかりたくないんだって、本当に。明日学校に行きたくないなぁ。

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