いたちこんたん

@Yomuhima

第1話 男やもめにうじうじ

最近田舎にも出回り始めたエレキテルの灯りが、ポツリポツリと街道を照す

田植えの済んだ水田を吹き抜けて、少し冷えてもなお温い風が、項を撫で右袖を大きくはためかせて山に帰る


絶望的に田舎だった。舗装されておらず荷台がやっと通れる幅の農道を歩く。


電球というのは随分と明るい物で便利だ。ラジオや新聞、電気屋の店頭でピカピカと瞬くテレビ受動機が垂れ流す沢山の情報は、電線すら最近引かれたばかりでどれも今一ピンと来ないが、何やら時代の流れは早く同じ国の中だと言うに別世界の様で、凄いもんだと思う


職場の同期達は随分と都会に興味がある様で、欠かさずラジオを聞きき、舐めるように活字を読んで眼鏡をかけ、ミニスカートのデパートガールに電車に乗って会いに行く


私はその何れにも興味がなく、強いて言えば、やっと出来た最寄りの貸し本屋にて、最寄りと言っても隣町だか、に入った推理小説と言うものにどっぷりと漬かり、異国や異国と見紛うばかりの東京回りの架空の事件と文化に目を白黒させながら、着古した単の着流しで紙煙草の代わりに煙管を嗜む程度の文明開化振りで、頭の中はともかく遣っている事はいささか若者としては爺ィ臭い

嗜好としては珈琲より、お茶と大福が肩肘張らずに食べれて好きなくらいだ


つらつらと役にも立たぬ事を考えているうちに家に帰りついた。

しんと冷えた水屋で七輪に火を入れ持ち帰った魚を焼く。残り火で湯を沸かし、湯が沸く間に竈の灰を掻いて米を釜から米をよそい洗って、新しく米を研いでおく、井戸に着けておいた酒と焼き魚に漬物を肴に晩酌をする。今日は土曜日なので明日は休み、深酒をしても誰にどの様な事も言われない


食後に近くの煙草農家から買ってきた乾燥煙草で煙管に火を入れる。ぼんやりと紫煙が登り梁に絡み付いて消えて行くのを見るともなく見ていると、思いがけなく自分の喉から一人言が転がり出た。

「嫁来ねぇかな」

無意識に出た呟きに驚く、嫁なぞ来る筈もなく、また来手があっても個々に自分に縛り付けるに忍びなく断る事に決めていると言うに。

己の本音は解ってはいる、人肌恋しいし寂しいのだ、たが負い目気後れが独りを選ばせるし、まあ望まなければ縁談もない。

思考を振り切る様に灰になった煙草を落とし新しい草を詰めると、煙草、酒、肴を繰り返し、締めに温くなった茶で漬物茶漬けを掻き込む


布団を敷くこともなくそのまま深酒と気の緩みで寝てしまった様で、起きれば残して置いた魚の皮と骨が綺麗に無くなっていた、炙って摘まみにする予定であったのに、いったいどこから何が入ったのかと家を回れば縁の下に小さな足跡を見つけてチャンを仕掛ける事に決める(チャンはトラバサミの俗称)


起きるとまず天戸を最小限開けて風を通す、ざっと使う部屋だけ箒をかけて、竈で研いでおいた米を炊く鶏の餌やりをして、庭木に米の磨ぎ汁を撒く、少し赤くなったのすももを2つ取ってかじる。まだ少し固くて酸っぱいが鳥に取られる前に熟れたはしから取ってからしまおう



昨日縁の下に仕掛けた罠を確認する。

罠は作動していたが獲物は掛かっていない様だ。鎖部分を引っ張って明るい所で見ると血がついていた、骨を挟まず肉をえぐってしまったのか、何の獣か知らんが手負いとは可愛そうな事をした


暫く何も無く過ごして稲穂が色づき始めた頃、家に帰り不審者を見かける、まあ、片田舎で知らない人間イコール不審者な訳だけれど


我が家を覗きこむ小柄な体に不思議な光沢の髪、一瞬近所のイタズラ小僧かとも思ったが、見覚えがない


「おい、家に何か用か?」

文字通り小柄な体を飛び上がらせて、振り返たのはえらく首の長い薄汚れた少年だった

「あぁ・・・」

口をわななかせて何かを言おうとしているが、驚きの余りか上手く喋れて無い

こうしていてもらちが飽かぬし落ち着けば用かを果たしに来るだろう。よしんば用が無くとも家主な顔を見られては悪戯もしまい。と、決めつけて先に家に入る


七輪に火をくべ、いつもの夕飯の仕度を始めふと、あの子供の分も作ってやろうと思い付く。まあ、食べぬなら明日自分で片せばいい


鶏肉と茄子がパチリと網の上ではぜるのを横目に焼きナスのために鰹節をしゅりしゅりと削る、出来た削り節を摘まみ食いしつつ、飯の用意は進む。

夏の長い夕暮れが黄昏に傾き始めた、二人分の食材を用意した意味を忘れかけた頃、ガタンと裏口の戸が音を立てた

薄汚れた少年がひくひくと鼻を利かせつつ顔を見せた


「虫が家に入るから、早く入って戸を閉めてくれ、まあ何の用かは知らんが飯を食いながらでいいか?」

あんまり鶏肉をキラキラとした目で見つめるので、思わず飯を食う前提で話したが、何度も頷きよだれを垂らすのをみると判断は間違ってなさそうだ


簡単に言えば食事は悲惨であった

まず、手づかみ、いぬ食い、熱い汁物に顔を突っ込むびっくりしてひっくり返し走り回る、口を閉じて食べれぬ等、野性児であった、余りの事に一旦押さえつけ待ったを教えてから、付ききりで一々口に入れてやった、気持ちは親鳥

その上より都合の悪い事に、少年では無かった。女だった、押さえつける時に分かった、だがそれどころで無かった


女は一切の人間らしい振る舞いを知らぬことと、声が出ない訳では無いが喋らぬ事、つまり何にも分からない事が分かった。家に何か用があったのか偶然かそれすら見当も付かない

他所の家ならすぐさま放り出されただろうが、ある意味、本人にとっては家で良かったろう


その日から、奇妙な二人暮らしは始まった、朝は今までより早く夜は遅くまで、人としての最低限の振る舞いと、教養を教え込む、言葉は通じている事が救いで、意外事に凄く覚えはよく、こちらが忘れかけたような事をはっきりと覚えていたりする、頭のいい新人を相手に子育てするような何とも言えない日々は、緩やかに進んで行った


遊びを教え、作法を教え、身を清める事を教え、貞操観念を教え、早回しに娘を育てる様に己の知識を教える中で様々な事を考え、己の欲や汚さにも向き合う、教える行為は己の中身をばらし整理してまた、並べる地味で楽しく辛い作業だ

何とか一年を過ごした、その頃には一通りの事は伝え終えてほぼ一人前になった、うっかりすると当たり前が通用しない危うさは付きまとうし行事ごとは知らぬことが多いのでまだ半人前だが


季節毎にある地域行事への協力が必要になると、この同居人の事が問題になってくる、最初の頃は人が苦手なのか姿を他人に見せなかったので問題は無かったが、家の中で役割を持ち始めるとそうも行かずちょくちょく、対応せねばならなくなる


あの野性丸出しの時期を知らぬ男どもは、見目を整えた女に淡い恋心を抱き、話題に飢えたかしましい女どもは老いも若いも噂に盛り上がりやれ、不潔だ、さらってきた子だ、幼少趣味だと聞こえよがしに盛り上がる、悪気は無いが娯楽の無い所ゆえに話の種にされるのが疲れてくる、いっそ嫁として貰ってしまえば噂にも減るだろうが、娘の様に慈しんで来たので、今さら性的に見るのも難しい


奉納舞いの練習の音があちこちから聞こえ始めたころ、事件は起こった。

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