NEW!! 気まぐれの創作論

最近、私は他者の作品にちょくちょくオジャマする。一番面白いのは、創作論で、それらでは、よくコメントをつけさせてもらったりしている。

作者一人、一人の個性を見ることができる創作論は、自身のものの見方を多角的にしてくれる。昔からエッセイが好きだった私は、あるときこんな本を読んだ。

『ITと呼ばれた子』という本だ。この本は、虐待をされていた、筆者自身の幼少期を描いた作品で、衝撃を受けたことを今でも覚えている。


簡単に紹介すると、筆者には兄弟がいて、あるとき突然母からの虐待が始まったのだという。話がアチラコチラに飛んでしまうが、これを読んで、『世界名作劇場』で放送していたテレビアニメ、『レ・ミゼラブル少女コゼット』という作品を思い出した。この作品のヒロインも虐待を受けている描写が前半で多かった。そのたびに幼かった私は胸を痛め、涙を流すこともあった。そこで、この作品の虐待シーンを飛ばそうと幼いながら考え、虐待シーンを見ないようにしていた。

私は、何度自身の環境を思いホッとしたことだろうか。しかし、今考えると感情的でアホな母と、まともな父を持っていると感じる。まあ、悪い人ではないんだけど・・・。ね? 僕はそれに気がついた小学校高学年くらいのとき、母親を嫌いになった。

このように考えると、恵まれた環境という前提があれば、それ以上を望むし、僕らから見て恵まれていない子供は、普通を夢見る。

こんなの当たり前だとか思うかもしれない。だけど、その当たり前がない子どもたちのことも考えなくてはいけない。そう思うと、なんだか全てが馬鹿らしい。


と、前述した小説の話に戻るが、僕は、これを読んだ当初、このように思っていた。

この本の虐待部分を読むこと、それが、作者への慰め、いや、自身が子を持ったときに起こさない決意になるだろうと、辛かったが読むことを努力した。

そして、全て読みきった。

特に、印象に残っているのが、塩酸風呂?だったかな?お風呂を密閉して有毒ガスの中に閉じ込めて瀕死の状態まで追い込むという虐待。死にかけても死ねない。辛い思いを何度もするだけ。周りは助けてくれない・・・。

そんな辛い生活を送っていたのだろうと、それを思い返すたびに胸が傷んだ。


しかし!!! この物語が実は作り話だったのではないかと言われている。確かに、書籍化をする上で、膨張はあるだろう。しかし、それもないと否定した人物がいた。


彼の兄弟、父母だ。つまり、家族。親族が言っても全く説得力はないのだが、Wikipediaに載ってしまっている。Wikipedia自体も誰でも投稿ができることから、信頼性が高いわけではないが、なぜか今もその記事が消えていない。

と、言いたいことは、この世界は多数が正しいと思ったことが正義で少数の考えが悪と言われている点に問題がある。と言いたい。冒頭でも述べたように、モノの見方を多角的にすることで、アイツは変な奴だ。とすることはなく、個性的だとお互いを認め合えると変わりそうだ。もちろん、虐待はダメだと私を含め大多数は思っているが、少数は虐待を正義だと思っているのだろう。いじめと同じように。だから、それらは消えないし、残っていく。

上記の例で多数派を支持したように見えたかもしれないが、私は少数派の人間なのかもしれない。あ、虐待とかいじめは率先して防ぐタイプだからね? そこは、大多数に従って。

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