PART 8 - 悪魔の業

 ヴァグランの先導で山道を登るにつれ、異変は徐々に、しかしはっきりと見て取れた。


「なんだこりゃあ……」


 森がえぐれている。

 断ち切られて落ちた枝葉が道を塞ぎ、馬の足を止めた。


「おい、旦那」


 馬上から飛び降りたギブンは、手近な幹に攀じ登る。樹上に出ると、異状はよりはっきり見て取れた。

 惨劇の部屋と同じである。

 木々がある一定の高さで、すっぱりと切断されている。

 屹度きっと、塔の最上階の室で、椅子に腰掛けたツィオルの首と同じ高さ、地面とは完璧に水平な面。

 切断はある一本の樹木へと収束していき、ギブンは絡み合った枝を掻き分け、その場所まで辿り着いた。


「どうだよ、旦那」


 如才なく追いついてきていたヴァグランが問う。

 破壊が収斂しゅうれんする一点、枝の断面に埋め込まれるようにしてあった、小指の先ほどの小さな黒い石を、ギブンは摘まみ上げる。

 黒い石はもろく砕け、指先を汚した。

 魔石が魔力を放出しきった、のこかすである。

 この程度の煤なら、央都に蔓延する工業排煙に紛れて検出できない。

 思わぬところで第一と第二の殺人の際、仕掛けの痕跡が発見できなかった謎が解けた。

 しかし、それで手口の異質さまで諒解りょうかいできるものではない。

 ギブンは断ち切られた樹木の境界に沿って視線を飛ばす。

 おそらくこの先の山稜にも同じ魔石屑の痕、反対側にも同じものがあるのだろう。


か……?」


 口に出してみて、その異様さにギブンは自ら戸惑う。


「結界?」

「……緑玉の固有魔術は結界だ」


 一般にまともな魔術の発動体にはならないと認識されている緑玉であるが、極めて大量の魔力を注ぎ込めば魔力障壁を発生させることが知られている。

 だが、それもごく弱く、水泡のように脆いものである。

 山間を渡すほどの広範囲の結界を発生させ、あまつさえそれで石造りの部屋ごと被害者の首を両断するなど、まったく慮外のことである。

 そのはず、だった。

 結界とは空間を隔てる術である。物体の内部を隔てれば、そのものを切断できるというのは、なるほど単純な理路ではある。

 だが、結界の間に障害物を挟めば、それはひずみとなり、結界そのものを自壊させるのが常である。

 その理路を捻じ伏せ、障害となる物体を圧し潰し、両断する。

 いかなる冷徹な想像力がそれを可能とするのか。

 悪魔じみている。

 ギブンは慄然とする。


「――やったってのか」


 ヴァグランが例の目つきをしている。怜悧に剣呑な光を帯びた隻眼。


「ヴァグラン殿」

「応」

「ご配下はどうされた」

「手分けして村の入り口を見張らせてる」

「頭数がいる。雇われてくれるか」

「待ちな旦那」


 身を乗り出すギブンを、ヴァグランが冷静に押し留める。


「連中を集めてちゃ間に合わねえよ」

「なぜだ」

「やつぁ独りだ」


 奇妙に確信した態度を以って、ヴァグランは断定する。


「もたもたしてる間に、悠々逃げられるぜ」

「馬鹿な」


 単独での犯行は有り得ない。ギブンはそう考えている。

 強力な結界による切断、という意想外の手口はひとまず呑み込んだが、用いられたのは緑玉である。

 法外な魔力が必要となる。

 推測でしかないが、二十人からの熟練した術士。加えて、精密な術の制御。魔力を供給する術師たちの想念を束ね上げる、統御者がいるはずである。

 さらには、術の起点となる発動体が精確に同標高の三地点に配置されていたことから、測量術に優れた者も帯同している可能性がある。

 分隊では利かない。すくなくとも小隊規模を相手取ることになる。

 しかし、人数が多い分、逃走には時間がかかる。

 こちらも手勢を揃えて急ぎ追撃をかける。

 ギブンが考えているのはそうしたことである。

 だが、ヴァグランはそれを真っ向から否定した。


「術の規模から見て、単独では有り得ん」

「いや、独りだ」

「なぜ言い切れる!」

「落ち着きな、旦那」


 ヴァグランの声音の温度は、却って冷めていくようだった。


「旦那が考えてるような規模の連中がここいらをうろうろしてたんじゃあ、必ず跡が残る。そういう形跡はなかったよ」

「しかし」

「村の連中もここしばらくそんな連中は見かけてねえ、ってのは旦那が聞き取ってきたことだぜ?」


 ギブンは言葉に詰まる。


「おれらが見かけたのは、ひとり、流民風の、若ぇ男だ。……その場で押さえとかなかった手前の間抜けぶりに嫌気が差すがよ、間違いねぇ」


 ヴァグランは凍るような眼光で、ギブンを見つめ続けている。

 奇妙に確信めいた態度で、言った。


「やつの仕業だ」

「確証はあるのか」


 ヴァグランはずいと身を乗り出し、自らの眼を指す。


「おりゃあね、この眼でよおく見たんだ」

「なにを」

「野郎の眼さ」

「眼?」

「死人の眼だったぜ」


 ヴァグランの片方しかない瞳の中に、微かな怯えのようなものが走った。


「死人は群れねえよ」


「馬鹿げている……!」


 反駁しながらも、ギブンは気圧されている自分を感じる。

 ヴァグランがゆらりと立ち上がる。


「どうするつもりだ」

「旦那は仰るとおり、手下どもを纏めて追っかけてきて下せえ」


 ヴァグランの手が眼帯をむしり取る。

 夜闇に蒼い光が瞬いた。


「足止めぐらいはやってみせまさあ」

「ヴァグラン殿、その眼は……」


 蒼く光る眼。

 資料で読んだことがある。

 魔力を視覚化する魔眼である。

 軍で研究されていたが、被験者への負荷が高く、一般には運用されなかったはずだった。


「軍上がりだったか」

「どちらかといえば軍ですな」


 ヴァグランは皮肉げに笑う。


「手前のことはいいでしょう。おはやく」

「待て、ヴァグラン殿」

「なんでやしょう」

「……死ぬつもりか」


 ヴァグランの直感が正しければ――相手は化け物めいた手練れ――というのも生温い――化け物である。

 ヴァグランがどれほどの遣手かは知れないが、足止めにすらなるのか、どうか。


命冥加いのちみょうがなことにかけては評判でさあ」


 ふへへ、とようやくヴァグランが締まりない笑いを漏らす。


退際ひきぎわを見る眼も確かなもんで」


 おどけて蒼い燐光を放つ片眼を指す。


「……早まるなよ」

「それは旦那次第ですな」


 飄々と言ってのける。


「案外、手前がのしちまうかもしれませんぜ! 報奨金が楽しみですなァ!」


 最後まで人を食った所作で、ヴァグランがひらりと樹間の闇へと身を躍らした。


「……」


 ギブンはしばらくその残像を見送っていたが、やがてヴァグランとは逆の方向、村の方へと駆け始めた。

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