序:外交と異臭
清六の手を引く珠代。その姿は首都アステトのメインストリートにあった。
周囲から好奇の視線が集中していても、珠代は何の感情も抱いていなかった。
珠代にとって他人などはどうでも良い存在で、自分が他人からどう見られようと関係ない。もっとも気にすべき相手は手を握っている相手なのだから。
「珠代、すまなかったでござるよ」
背後から聞こえてくる情けない声。媚びるようでもなく、本当に申し訳ない気持ちが含まれていた。
表裏のない清六の気持ちを受け止めた珠代は柔らかい笑みを浮かべる。
「仕方ねぇなぁ。許すよ」
「本当でござるか!?」
清六の表情が明るくなるのを見計らうように、珠代の笑みが邪悪なものへと変わった。
「た・だ・し。新技の実験体だからな。ちなみに関節技」
「ひぃ!? そ、それだけは勘弁でござる!」
清六が握られていた手を解いて、前に出る。立ちふさがるように出てくる清六を、珠代は無視して追い抜いた。
「珠代ぉ~」
呼び声に足を止めない。清六に、恍惚としていた顔を見せないために。
珠代の胸中では先ほどの怒りは消え去り、清六を振り回している優越感に満ちていた。
――今の清六は、俺のことしか考えていない。
そう考えだけで、珠代は無類の至福を味わえた。
そんな最高の気分を害するように、
「蓬莱だな?」
目の前に黒スーツの男達が行く手を塞いだ。
前方を取り囲むように並ぶ男達、八名。その足捌きは素人の動きではない。
「人様の国で、好き勝手に動き回っては困る」
男達の中、最も体格の良い男が言った。
「なんだよ、テメェら?」
珠代は険を含んだ目で男達を睨みつける。
「答える必要など無い。来てもらうぞ」
聞く耳を持たずして、男達が動き出した。
猟犬を彷彿とさせる動きで肉薄する。
だが、珠代の体を確実に捉えていた手は、雲を掴むように珠代の体を通過した。
「なっ!?」
今何が起こったのかを理解できず、男達が戸惑いを露わにする。
「東洋の魔術か!」
リーダー格の巨体の男が血相を変えて身構える。同時に他の男達も珠代から距離を置いた。
「ビビってんじゃねぇよ」
珠代は腕を組み、男達に向かって言い放つ。
「こんなの、別に魔術でも何でもねぇ。テメェらじゃあ俺には触れられない――それだけのことだよ」
狐にでも摘まれたような表情を作る男達の眼が、珠代の目に留まる。
それは化け物を見るような目だった。
嫌悪の視線を向けられ、珠代は浅く吐息をする。
――まあ、化け物みたいなもんだよな。
何も狙って躱したわけではない。ただ単に彼らが、珠代に“触れる資格がなかった”だけなのだ。
「はぁ……」
そのことについて考えると、気持ちが落ち込んでいく。
何より一番嫌だったのが、この状況だった。清六の前で、こんな姿――自分が化け物扱いされている光景――を見せたくなかった。
自分の嫌な部分を曝しているようで、それでいて古傷を抉るような感覚。
珠代は振り返らない。清六の顔を見たくなかった。
だが――
「そうでござる。恐れる必要はござらぬよ」
声と共に清六は珠代の手に触れた。
「ほら。珠代は、ここにちゃんと“いる”でござる」
清六は、握りしめた珠代の手を男達に見せつける。
その優しく包み込む手は暖かく、まるで励ましているようだった。
珠代は清六の気遣いに頬を綻ばせる……が。
「しかし、気をつけた方が身のためでござるよ? 珠代は癇癪持ちゆえ、怒らせると後が怖い――ぎゃはぁ! た、珠代!? う、腕が可動範囲を越えるでござるよぉ!」
握りしめた手を持ち変えて、サブミッションへ移行。珠代は清六の背後に回って、腕に関節技を決めた。
「そうだな。軽くK点越えでもするか」
鬼のような恐ろしい表情のまま、珠代はトドメを刺す。
「ひぎゃあああああああ!」
断末魔が響きわたり、清六の体は地面に倒れ込んだ。カニのように口から泡を吹く清六は、完全に失神している。
珠代はぶつくさと文句を垂れつつ、パンパンと手を叩く。
「けっ。この朴念仁め……!」
「……もういいか?」
黒スーツの男が、タイミングを見つけて話しかけてくる。その顔は渋面でありながら、困惑の色を含んでいた。
「へ? あぁ、すっかり忘れてた。えっと……結局なんだっけか?」
「……私達は政府の使いだ。おまえ達を回収しに来た」
心が折れたように男は、疲れ気味に答えた。
「お迎えってわけか。あんがとよ。それじゃあ、行こうぜ」
特に突っ返すような態度は取らずに、珠代は自分の足で歩き出す。右手では清六の片足を掴んでおり、彼を引きずる形になっていたのだが、珠代は改める様子など微塵もなかった。
+++
日は絶壁の結界の向こう側へと沈み、アステトは闇に包まれる。しかし、その闇を恐れるように一件の豪邸には煌々と光が付き、闇を塗り潰していた。
ツタが絡まる鉄柵に囲まれた豪邸。
古びた雰囲気を放ちながらも、廃退としたものは一切感じられない。逆に、長年使われてきた貫禄があった。
その豪邸の応接間で、大ニホン帝国とヨーロッパ共和国の外交が行われていた。
応接間は高級ホテルかと思われるほど煌びやかな内装だった。
獣の絨毯、金色の装飾品、大理石の床、造形に凝ったテーブル、包み込むような座り心地の良いソファー……ここは他国に対して良きイメージを抱かせるための努力が凝縮されていた。
背の低いテーブルを挟むように、二つのソファーがある。
一方には、ヨーロッパの外交官と補佐官が。もう一方には辰之兵と清六、珠代が座っている。
外交の流れはおおむね順調であった。
互いの主張を理解し合い、要求を出し合う。
要求通りにならないことは多くあったが、互いの妥協点を見つけだし、根気よく進めていく。
途中から清六は、ソファーの心地よさに捕らわれ、意識を夢の中に持って行かれてしまった。それを珠代が何度も阻止しようとするものの、結局は外交官の温情で許しを得ることになった。
清六と珠代は外交を行うために、いるわけではない。二人は辰之兵の護衛役として身を置いている。
「これまた可愛らしい護衛ですね」
そう言って苦笑いを作る外交官。
息の詰まった会話が続いていたので、息抜きとして話題を清六に変えたのだろう。
辰之兵は外交官の言葉に、皮肉が込まれていることを自覚しながら答えた。
「元服を済ませた大人ゆえに、困ったものでありますな」
「神州(ニホン)では、このような子供でも大人として扱うのですか?」
「ニホンでは元服を済ませれば、どのような子でも大人。それにこんな子でも、いざというときは我が輩よりも頼りになる兵ですよ」
完全に爆睡した清六の頭を叩くものの、目覚める様子はない。
「では、そちらのお嬢さんも頼りになる護衛ですか」
外交官の視線は珠代に向けられる。
興味深そうに観察してくる外交官は、珠代から壁に立てかけてある“盾”に目を転じた。
「なるほど。確かに、心強そうですね」
本心の見えない笑みで頷く。
そんな外交官に対して、珠代は目つきを鋭くさせていた。
「何か?」
珠代は柳眉をつり上げ、
「テメェ……偉そうで、ムカつく」
言葉の爆弾を放り込んだ。
「偉そうなのは、貴様だぁ!」
今まで積み上げてきた信頼を一気にぶち壊す発言に、辰之兵は思わず、珠代の頭を引っ叩く。だが、辰之兵にも珠代に触れることはできなかったため、その手は虚しく空を切った。
「いま、手が……すり、ぬけた!?」
手品のような光景を見た外交官が声を裏変えらせる。
「だってよぉ、さっきから聞いてれば偉そうに、わがままばかり言ってんじゃんか。話がちっとも進まねぇし、つまんねぇし、つうか、マジつまんねぇし」
「二度も言うでない! これが外交と言うものなのだ!」
「それに……あの外交官の俺を見る目。あれは完全に変質者の目だな」
「それは貴様の異常な体質に驚いておるだけだ!」
「いや。あれは俺の美貌に見入られてんだな。オメェ、そんなことも分かんねぇのかよ?」
馬鹿だなー、とでも言いたげに珠代は鼻で笑う。
「この女、自意識過剰すぎる! その上、妙に腹が立つ!」
額に青筋を浮かべる辰之兵は現状を忘れ、怒鳴り散らした。
「こほん」
と、そこに注意を引くような咳払いが響く。
珠代と辰之兵の視線が、自然と外交官へと向けられる。
頬を引きつかせる外交官。彼は精一杯の偽装スマイルを作っていた。
誰がどう見ても彼が怒っているのは明白である。
「そろそろ、話を戻しましょう。興味深い話が少々ありましたが、それは追々」
胃が痛くなってきた――そう思ったのは、辰之兵だけではなく、おそらく相手の外交官も同じだろう。
話し合いが再開される。
先ほどよりも重苦しくなった雰囲気に、辰之兵は耐えられず、空気を汚している原因を排除することにした。
隣にいる珠代に、それとなく暗号を伝達する。
――話し合いが終わるまで散歩でもしていろ。
暗号が伝わったらしく、珠代は鼻を鳴らして、席を立った。
「化粧でも直してくるぜ」
スッピン顔で言い放つ珠代。
外交官の隣にいた補佐官が腰を上げて、トイレの場所を事細かく説明する。親切丁寧な態度ではあるが、それは爆発物が起爆するのを恐れているようにも見えた。
珠代は適当な相づちを打ち、壁に立てかけてあった“盾”を手に取る。
「化粧に、武具は必要ですか?」
目を光らせていた外交官の一言が、珠代の動きを止めさせた。
怪訝顔で振り返る珠代。
「知ってるか、お偉い外交官さん。刀は侍の魂なんだぜ? 魂と体はいつも一緒になきゃいけねぇんだよ」
それ以上、言い争う気はないのか、珠代は外交官の言葉を待たずに部屋から出て行ってしまった。
不作法な言い方に、辰之兵はげんなりとしたため息を漏らす。そして再び胃が絞られるような痛みに耐えなければならないかと覚悟を決めた。
「侍には侍の生き方がある――ということですか」
しかし、外交官は珠代の発言を気にしている様子はなかった。
ひとまず、辰之兵は場の流れを掴むために、話を切り出す。
「戦の準備はどうですかな? 英国騎士団が新設され、あの敵とはどれほどまでに戦えるように?」
今回の対話において、もっともデリケートな部分に踏み込んだ。
自らこの話を引っ張り出すのも気が引けたが、これは不安要因(珠代)がいない内にすべき話であった。
「今、奴らと正面から戦った場合、その結末は我らの完全敗北となるでしょう」
何の躊躇いもなく、外交官は言い切る。
「悲観的ですな」
「客観的なだけです。英国の騎士は優秀ですが、それを足しても今が背水の陣であることに変わりはありません」
「350年という時間でも、まだ討魔は果たせぬと」
「逆ですね。今の私たちには、時間が有り余ってしまっています。すべてのものに鮮度があります。討魔への使命感は、350年経った今では埃を被っているようです」
「まさに誇りを失っているわけですな」
今の政府に悪魔殲滅と本土奪還の決意はない。外交官は口にはしないが、その決意は腐っているのだ。
討魔の情熱は形を変え、魔術研究における利益の追求や国家永続の資金稼ぎに向けられている。
故に、他国との関わりを拒んできていたヨーロッパ共和国が大ニホン帝国との繋がりを求めるようになってきた。
自国だけでの努力を諦め、他国へと助力を仰ぐ。
本来、今回の外交はヨーロッパ共和国からの申し出によるものだった。
大ニホン帝国への助力援助。
その代わりにヨーロッパ共和国は大ニホン帝国に対する新たな窓口となり、貿易を行う。そうして、国が秘蔵していた魔術などの知的財産を資金へと還元するのだ。
今回の外交における裏側をざっくりと説明すると、このような形になる。
それが好転するのか、転落するのかは誰も分からない。
「戦争が起きなければ、それが一番ですな。リスクが少なくて一番良い」
「戦争は起きますよ。平和という言葉が存在する限り、争いは常に隣に並んでいます。コインの表裏のように切れない存在です」
まるで戦争を知っているかのような口振りだった。
ヨーロッパ共和国に戦争が起きた歴史はない。しかし、建国以前の歴史――悪魔が出現するまで――では血生臭い争いが数え切れないほど起こっていた。
その過去を知っているからこそ言っているのだろう。
「御河辰之兵様。これから共に戦うかもしれない人として、一つ訊いてもよろしいでしょうか?」
どこか躊躇いがちになりながらも外交官は言い出した。
「戦争で勝つために必要なものは何でしょうか?」
「勝利の条件……?」
先ほどまでの強気な姿を払拭するように弱気な姿勢。
まさか、外交の場でこんな事を訊かれるとは予想だにしていなかった辰之兵は、目を丸めていた。
――この国は、それほどまでに追いつめられているのか。
悪魔を封じている結界は完全な抑止力ではない。
結界を作り出したアレシア=エローラは、我が身を犠牲にする直前に、封印が永劫でないことを告げていた。
いつ、寄りかかっていた壁がなくなるのか、分からない状況下に置かれているのだ。
普通ならば逃げ出すだろう。だが、それは客観的な考えでしかない。
今の彼らに、逃げる宛はなかった。
350年前の悪魔との戦いで、大打撃を受けたヨーロッパの国々は植民地へと移り住むものの、先住民の反発や他国から横取りに耐えきれずに領地を失っていた。
わずかな土地に集まり、運命の日を待つ。それが、この国の住民に課された生き方である。
そんな事を考えつつ、辰之兵は質問の答えを模索していた。
「兵、技術、生産、地理、資金、戦略、政治、同盟……どれもが必要であり、欠けてはならぬものだと我が輩は考えています」
だが――と続ける。
「最も必要なものは“正義”でしょうな」
「正義ですか……」
「戦争における正義は、強力な武器。一度正義を説けば兵の意志は屈強なものとなり、多大なる戦火を得られるでしょう。ですが、正義とは薬のようなもの。時として正義という薬は、国を殺す猛毒となる。
我が輩たちの国では正義の毒に当てられ、謀反を起こす者がいます」
戦争において、
正義とは、兵士たちの行いを肯定するための道具。
正義とは、人を殺すという大罪に耐えるための精神安定剤。
そこに正当性などなかった。
「ならば」
外交官は意を決したような表情で喋り出した。
「あなた方の正義とは何ですか?」
力強い瞳が、辰之兵を捉える。
――まるで教えを請いているようだな。
段々、外交の話から遠ざかっていくのを不安に思いつつ、辰之兵は答えた。
「天皇陛下の意志こそが、我が輩たちの正義ですな」
「失礼な話ですが――天皇陛下様が言ったことならば、あなた方は自分の意志とは関係なく、その正義を貫けますか?」
用意してあったように、外交官の問いが返ってくる。
「我が輩たちの正義とは、すなわち大義。そこに個人の意志は必要ありません」
「民主主義のこの国では、真似できないことですね……」
外交官の顔に落胆の色が窺える。
「そもそも、我が輩たちのすべきことは戦ではなく、国交です」
辰之兵は叱りつけるように語尾を強めた。
話が脱線しかけている。
最初に戦争について話し出したのは、辰之兵ではあるが、戦争について話をするためではない。
話題を本線に戻そうと、辰之兵がソファーに座り直した瞬間。
コンコン、とノック音が鳴った。
外交官の許可を待たずに、部屋の扉が開かれる。
現れたのは、珠代と清六を連れてきた黒スーツの男。彼は、辰之兵に目を向けず、まっすぐに外交官の元に歩み寄った。
「――」
男は巨体の体を折り、外交官に耳打ちをする。
――何か起きたようだな。
耳打ちの内容が、自分に関係ない事を祈りつつ、二人の様子を観察していた。
異変が起きているのは、外交官の顔を見れば分かる。
問題はその異変に珠代が関わっているかどうか、だ。
「御河様。貴重な時間を無駄にして申し訳ありませんが、少々お待ちください」
外交官は、黒スーツの男と共に部屋から出ていってしまった。
「何かあったようですな」
部屋を取り巻く空気が、帯電するかのようにピリピリとしている。
残されたのは辰之兵と熟睡している清六、そして居心地の悪そうな補佐官だった。
気を利かせた補佐官が、外交官の代理を務めようと書類に手をつけるものの、辰之兵は話を進めるつもりはなかった。
補佐官に対して丁重に断りを入れて、辰之兵はソファーの背もたれに体を預ける。
「臭うでござる……」
隣から聞こえる清六の声。
清六はしかめっ面になり、鼻を摘んだ。
「確かに、酷い臭いだ」
扉を開いたときに、漂ってきた濃厚な臭い。
湿り気のある独特の臭いは、鼻孔の奥に溜まるような不快感を抱かせる――それは血の臭いだった。
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