序:サムライと魔女見習い
ルシアは外出した後、ジネットとマルティナと一度別行動を取ることにした。彼女はその足で、人気のない街路を進み、とある場所に行き着いた。
そこは町中にある墓地。緑が多く、太陽が昇っているときは墓地特有の陰気な雰囲気は全く感じられない。
数多くある墓石の中の二つ、その前にルシアは立っていた。
墓石を見る目には、悲しさが含まれている。
今にも涙がこぼれ落ちそうな目。しかし、それも長くは続かず、すぐにルシアは笑みを作った。
次いで空気の精霊シルフを呼び出す。
シルフに頼んで、風音を笛の音のように鳴らしてもらい、自然による演奏が始まる。それは短音ではあるものの、楽器では出すことのできない音の深みがあった。
精霊を使って演奏をすることは、幼少の頃から教えられていた。
ルシアは何百回とも聞き慣れた風音に併せ、歌い出す。
母親から聴かされていた名も知らぬ唄。
別れが来るまで、何度も教えられた唄。
二度と聴かされることのない唄。
ルシアの足下には二つの墓石があり、そこにはルシアの両親の名前が書かれていた。
「……ふぅ」
最後の一節を歌い終え、空を見る。
――届いたかな。
時折、両親の墓に来ては歌い、楽しかったことや嫌なことを思い浮かべ、報告をする。
ここは唯一、彼女が一人になれる場所でもあった。
「凄いでござる!」
「うひゃあ!?」
拍手と大声が聞こえてきたルシアは、驚いて尻餅を着いてしまった。
目の前には、見知らぬ格好をした少年が立っている。
彼が何者なのか――それは腰に下げてある刀を見て、理解した。
「ひっ!? さ、サムライ!?」
ジネットの言っていたことを思い出す。
――短気で、怒らせるとキリステゴメーン!
まるで猛獣と遭遇してしまったかのように、ルシアはパニックを起こしてしまった。ぐるぐると回る思考の中、必死に考えをまとめる。
「ど、ドゥゲーザしますから怒らないで! ハラキリ、ダメです! ツメキリノーノー!」
その場で正座をして、土下座かと思われる動作を行う。
「は?」
侍は小首を傾げた。
「別に拙者は怒ってござらぬが……何か勘違いしてござらないか?」
「……へ? 怒ってない?」
顔を上げるルシアは、侍の顔を見る。
侍は柔和な笑みを浮かべていた。
「それよりも、凄いでござるな。先ほどの唄、感激したでござる」
そう言って、侍は未だに土下座姿勢のルシアの手を引いた。
「あ、ありがとうございますっ!」
起き上がり、ルシアはペコリと頭を下げる。
「天女のような歌声に、先ほどまで駆け回っていた疲労が吸い出されるようでござった!」
「あっ。私、聖歌隊だったので……歌に癒しの加護があるんです……」
「癒しの加護? 聖歌隊?」
侍が困り顔になると、ルシアは血の気が引くような思いで、説明を始める。
「あぁ! 説明します! 説明するから怒らないで! 浄化聖軍の聖歌隊というのは、歌で人を幸せにする部隊で、その歌声には聖なる加護が含まれてるんです!」
自分でも信じられないくらいに、素早く端的に要約したのだが、ルシアの説明は侍にはピンときていないようだった。
「西洋の術は、不思議でござるな」
イマイチの反応。そんなものがあるのか――という反応である。
「は、はい。そうなんです。……で、では、私はこれで……」
隙を見て、ルシアはそそくさと逃げようとする。
だが、その手を侍が掴んだ。
「ひっ!? な、何かご用でしょうか!?」
「ここで会ったのも何かの縁。御仁、名前は何と申すのでござるか?」
「る、ルシア……です」
あえて姓は名乗らなかった。ルシアは親しくなった人としか教えない。エローラという名から特別視されることを嫌うために身につけた処世術である。。
「ルシア殿でござるか。拙者は蓬莱清六。大ニホン帝国軍の武士でござる」
侍こと清六は柔和に笑う。
その無邪気な笑みを見て、ルシアは侍に――清六に対するイメージががらりと変わった。
侍とは、もっと気むずかしいイメージがあったが、清六はその逆だった。
――良い人なのかな……?
そう思った瞬間のことだった。
「あーーーーーーー! サムライがルシアを襲ってるぅぅぅ!?」
墓場に一つの怒声が響く。
視線を声の方向に向けると、そこにはジネットがいた。
「なにぃ!? ルシア殿を襲う不届きな侍は、どこでござるか!?」
ルシアの腕をガッツリと握りながら、清六は敵を探す。
「た、たぶん、あなたのことを言ってるんだと思いますよ!?」
「ルシアぁ! 今、助けるからね! そのサムライに、あたしの得意技を食らわしちゃる!」
遠くにいるジネットは右手を突き出す。まるで銃の照準を定めるように清六を向け、
「水の精霊! ウンディーネ! あたしに力を貸してね!」
叫ぶと同時、超自然現象が起こった。
ジネットの手のひらに、握り拳大の水の玉が膨れ上がるように出現した。
「まっ、待って! ジネット! この人は――」
「発射ぁ!」
水弾が目にも留まらぬ勢いで射出される。
一直線に清六の顔面に飛び――
「うおぉわぁ!?」
清六は間一髪のところで避けた。
的を外れた水弾は、勢いが失速することなく、木の幹に直撃。水弾は破裂音と共に散り、幹はスプーンで掬うように抉られている。そんなものが人体に直撃したら、打ち身どころでは済まない。
「チィ! 外したか! でも、まだまだぁ!」
「ジネットっ! 落ち着いて! 別に私は襲われてるわけじゃないの!」
「食らえぇぇぇぇぇぇ!」
「ちょっと! 聞いてよぉぉぉぉぉ!?」
二発目の水弾が放たれる。
「……えっ!?」
今度は狙いが逸れた。
水弾は清六ではなく、ルシアへと吸い寄せられるように迫る。
ルシアは軌道がこちらへと切り替わっていることに気づけず、反応が遅れた。
――当たる!
目をつぶり、ルシアは衝撃に堪えようとする。
刹那、その顔面に水を浴びた。
「いたぁぁぁぁぁぁぁ――くない?」
水の勢いが弱まっている。
何事かと思い、ルシアは開いた目を前へと向けると、
「大丈夫でござるか?」
視界を横切る、抜き身の刀。濡れた刀身の切っ先から、ぽたりぽたりと水が滴り落ちている。
「あ、あんですってー!? 魔術を、剣で叩き斬ったぁ!?」
「名工に打たれた刀ゆえ、多少の妖術ならば断ち切れるでござるよ」
「くぬぬぬっ! 生意気なサムライめ! なら、これでどうだ! ジネット流・究極魔術! 皆殺し水弾!」
なにやら物騒な術名を叫び、ジネットは両手を突き出す。すると、ジネットの周囲に無数の水弾が発生し、浮かび上がった。
「むむっ、これは凄そうな術でござるな」
暢気にぼやく清六を余所に、ルシアはワタワタと慌てだした。
「じ、ジネットぉ!? それ、私も死ぬ気がするんだけどぉ!?」
「しなばもろともー!」
「いやぁあああああああああああああ!」
水弾が放たれようとする瞬間、ルシアの視界では一つの動きがあった。
丁度ジネットの背後。そこにマルティナが眉間にしわを寄せて立っていた。彼女は、水弾が放たれるよりも早くジネットの首筋に手刀をぶちかました。
「げふっ!」
見事に決まった一撃により、ジネットは白目を剥いて昏倒する。
「死者が眠る場所で騒がない」
マルティナは腰に手を当てて、倒れたジネットを見る。そして、その視線は清六へと転じた。
「サムライ……?」
「いやー、このたびは、窮地を救っていただき、助かったでござるよ」
友好的な清六であったが、マルティナの態度は刺々しいものだった。
「神州の武士がなぜここに? 入港したばかりで、まだ上陸許可は出てないでしょう?」
「ぐっ……! それは……そのぉ……」
痛いところを突かれたらしく、清六は頬をひきつらせた。
「不法入国ね」
鋭利な一言が清六の心臓を穿つ。
「な、なぜそれを!?」
「えぇ!? そうなんですか!? セーロクさん!」
「ルシア、こっちに来なさい。その男、怪しいわ」
マルティナは険の眼差しを強めた。
「あ、いや! 拙者は怪しいものではござらぬ!」
身振り手振りを加えて弁論する清六。
「実は拙者、ヨーロッパ・プロレスのフェリペ二世がいる町を知りたくて、ついつい許可を待てずに上陸してしまったでござる!」
「そんなの、誰が信じると思って――」
「本当ですか!?」
マルティナが言い切る前に、ルシアが声を張り上げた。
「ルシア、あなたね……」
離れた場所でマルティナが何かを言いたげにしているものの、ルシアはかまわずに清六に話しかける。
「ニホンにもヨーロッパ・プロレスが伝わっているんですか!?」
「そうでござる! 我が国では空前絶後のプロレスブームなのでござる!」
「うそぉ! すごーい! じゃあ、ホーキンズやドレイク、ナポレオンも知ってるんですか!?」
「大人気でござる!!」
「きゃー! さすがはヨーロッパ・プロレスです!」
ハイテンションになったルシアはその場でピョンピョンと飛び跳ねる。
久々に趣味が合う人と出会えたことと、海外でも自分の好きなものが評価されていることに嬉しさを感じずにはいられなかった。
「セーロクさんって、誰が好きですか!? 私は、もちろんフェリペ二世ファンです!」
「拙者もフェリペ二世は好きでござるよ! あのドロップキックに魅入られ、よく珠代と一緒に練習したでござる!」
清六が興奮気味に、そう言った瞬間のことだった。
目の前にいた清六の横顔に、何者かのドロップキックが決められた。
「ごふぅ!」
まるで坂道を下るボールのように勢いよく清六の体は地を転がる。
「へ?」
ルシアは目を白黒とさせていた。
突然、清六が何者かに蹴り飛ばされた。しかも、容赦のないドロップキックで。
眼前で起こった現象に、ルシアが唯一抱いた感想は、
――芸術的なドロップキック。
そのくらいだった。
「俺のいねぇところで見知らぬ女を手込めにしようとは良い度胸だぜ!」
ドロップキックを放った人物が怒声を発する。
見事なドロップキックを決めたのは、なんと盾らしきものを背負った和服少女だった。彼女は地面で仰向けになる清六に対して、今にも殺さんばかりの形相で怒鳴り散らす。
「最初は勝手にいなくなったことを叱ろうと思ってたが、もうそんなのはどうでもいい! あぁ、そんなことは些末なもんだ! 問題はあんたが軟派をしてたってことだぜ!」
和服少女は清六に歩み寄り、その襟首を掴んで持ち上げた。おそらく、自分の体重よりも重い清六を軽々と。
「ご、誤解でござる! 拙者は、ただ単に――」
「楽しそうに会話を楽しんでたじゃねぇか!」
「珠代、言語が崩壊してるでござる! というか、見てたのでござるかー!?」
「見てたでござるぜぇええええええええ! この裏切り者ぉぉおおおおお!」
珠代は、力任せに清六を揺さぶる。そして襟を引っ張り、額同士がぶつかり合うくらいの距離まで顔を近づけた。険悪な表情は変わらぬまま、高々と――吠える。
「いいかぁ!? あんたは俺のモノなんだからな!」
一言一句、恥ずかしがる様子もなかった。
「私のモノ……?」
傍観者と化していたルシアがつぶやく。
獲物を見つけた獣のように珠代はルシアへと鋭い視線をぶつけた。
「そうだ! 清六と俺は夫婦(めおと)! 契ってんだよ!」
「珠代……拙者達は、血の繋がった兄妹でござるから……そのような過激な言い回しは、誤解を……」
「あんたはだまれよ!」
だが、珠代は怒声で一蹴する。
「どういうことですか? 兄妹で、夫婦?」
二人の会話が全く見えず、ルシアは戸惑うばかり。そこに助け船を出したのは、清六だった。
「大したことではござらぬ。珠代は独占欲の強い妹ゆえに、ルシア殿に嫉妬してしまっただけでござる」
「なぁ……あんた……!」
顔を真っ赤にした珠代は、すぐさま襟から手を離す。そのまま清六の頭に腕を回して、頭部を締め上げた。いわゆる、ヘッドロックである。
「うぎゃああああああ! 珠代! 堪忍っ! 堪忍でござる!」
じたばたと暴れる清六にかまわず、珠代の細腕はがっちりと固定されて離れる様子はなかった。
ルシアは止めに入ろうと思い、二人に近づこうとする。だが、ルシアの行動を阻止するように、マルティナが前に出てきた。
「マルティナ?」
「許せないわ……」
ルシアの脇を通り過ぎるマルティナが誰に言うでもなく、声を漏らす。
今のマルティナは怒り心頭の様子だった。
「いい加減にしなさい!!」
雷鳴のような怒声が響きわたる。
「節度! 品性! 誠実! 知性! 常識! あなた達からは、それらが全く感じられないわ! ここはあなた達の国ではないのよ! 何をしにこの国に来たかは知らないけれど、暴れるのなら還りなさい!」
怒りをぶつけられた二人は、キョトンとしていた。
水を打ったような静寂が生まれる。
まず動いたのは珠代。清六を苦しめていた腕を解き、その手でマルティナを指差す。
「ウシ乳が、俺に命令するんじゃねぇ! つまり、テメェは乳がデカけりゃあ偉いって言いたいんだよな!? この脂肪の塊が! ウシ乳は根絶しろっ!」
「珠代! 冷静に! 全然、違うでござるよ!」
「あんたは、ウシ乳なんかに見とれてんじゃねぇ!」
宥めようとする清六に華麗なドロップキック。そのまま、誰ともわからない墓石に激突し、指一本動かなくなった。
「セーロクさぁぁぁん!?」
「外交下手の理由がよく分かったわ……」
先ほどの怒声で精根が尽きたらしく、マルティナは疲弊していた。
「あん!? 何か言ったかぁ!?」
ため息混じりの一言を聞き取った珠代は、ヤンキーのように下から睨みつけてくる。
マルティナは臆することなく、毅然とした態度で立ち向かう。胸を張り、目下の珠代を見下ろして、
「壁乳」
妙に演技がかった仕草で、珠代を鼻で笑った。
「――!?」
まさかの反撃に、珠代は胸元を押さえて赤面し、体をワナワナと震わせる。
「こ、このウシ乳! お、俺をバカにするとは良い度胸だな! テメェ、死んだぜ!? 死亡確定なんだぜぇ!?」
後ずさる珠代は、マルティナを指差す。
「清六! こいつら殺せぇ! 皆殺しだ! この俺の小振りで愛くるしい胸を侮辱した罪で、切り捨て御免しろぉおおお!」
「嫌でござるよー」
近づいてくる清六は怪訝顔で答える。二度もドロップキック食らったせいか、彼の首は四十五度くらい傾いていた。
「珠代、それこそ国際問題でござるよ。ただでさえ、拙者達は不法入国者でござるゆえ――ゴキリ」
「あああああああっ!」
突然、大声を張り上げた珠代は清六の顔を両手で掴む。ゴキリと首が鳴り、傾いていた顔が元に戻った。
「そうだよ! ヴァカ! 俺はあんたを連れ戻しにきたんだよ! このヴァカっ! ほら! 行くぜ! 辰之兵の説教が待ってるぞ!」
掴む箇所が首から手にシフト。先ほどの口論などすっかり忘れている様子で、珠代は清六を引き連れていく。
「おわわっ! る、ルシア殿! また縁があったらぁあああああ……」
路地の奥へと消えていく蓬莱達。
ただただルシアは、その光景を眺めることしかできなかった。
残されたのはルシアとマルティナ、それに気絶中のジネットだけ。
「えっとね」
恐る恐るマルティナの様子をうかがいながら、ルシアは口を開く。
「マルティナ……実は、これには深いようで浅い事情があって……」
「いいわ。どうせ、あのサムライがあなたに話しかけて、それを見たジネットが襲われているのだと勘違いしただけでしょう?」
まるで全てを見ていたかのように、マルティナは命中率の高い憶測を口にした。
「そ、そう! だから、あのサムライさんは何にも悪くないからね……?」
「馬鹿と悪人の違いは、判断できるわ」
そう言って、未だに気絶しているジネットに視線を落とす。まさに馬鹿の象徴である彼女を、目で示すようであった。
視線に気づいたルシアは、苦々しく微笑む。
「ジネット……どうしよっか?」
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