第39話 第八章 刮目《かつもく》して、しかと見よ(二)

 完全に鰐淵が劣勢だった。というより、鵺の攻撃が激し過ぎる気がする。一方的に鰐淵が猛攻に曝されていた。鵺の攻撃は、まさに殺すような勢いだった。


 鰐淵にも申し訳ないが、鵺に悪いことをしたと理解した。

 いきなり、勝ち役の郷田が一発ノックアウトで終りそうな、つまらない試合。沈んだ試合を盛り上げるために、二人は演出過剰になろうと、危険な技の掛け合いに持っていくしかなかったのだろう。


 殺し合いにすら見える現状は、まさに鵺と鰐淵のなせるプロの試合だ。だが、あれでは、負け役の鰐淵が辛すぎる。早く、試合に戻らねばと、立ち上がろうとした。

 二号が肩を叩いて「マスク」と注意してきた。マスクを探すと、隣に落ちていた。攻撃の時に脱げたのだろう。二重の失態だ。


 これは、かなり体を張らないと、取り返せない。

 マスクを被ったところで、鰐淵がリング下に転げ落ち、どよめきが上がった。まずい、と直感した。


 ここで場外戦までやらせたら、勝ち役である郷田ことシャイニング・マスク一号と相方の二号の活躍がしぼんで、試合が鰐淵と鵺に喰われる。


 鵺が場外に鰐淵を追っていこうとしたところで、郷田は立ち上がった。

 調息法を取って大声を上げた。

 郷田の大声に、会場が一瞬シーンとなった。鵺も鰐淵を追わず郷田を見た。


 発声が終った瞬間に、エレキ・ギターロック調の音楽が流れた。ここから本当の戦いが始まった事態を、鵺や観客に理解させる曲だ。音楽で会場の空気が変った。


 鵺に向かって走り、ドロップキックを放った。鵺がてっきり受けてくれると思ったが、避けられた。


 勢い余って郷田は場外に飛び出した。鵺の最初の体当たりを受けきれなかった行為に対する抗議プレーと見ていい。


 どうやら、鵺は不甲斐ない郷田に、かなりお冠な様子だ。鵺が郷田を追って、場外に下りて来た。


 鰐淵が鵺の背後に立った。鰐淵が鵺を背後から椅子で「避けてんじゃなえよー」と叫んで殴りかかった。


 椅子は鵺に当って、豪快に壊れた。鵺が悠然と振り返った。

 鵺は拳を作ると、大きなモーションで鰐淵を殴った。鰐淵がまともに受けて、派手に吹っ飛んだ。


 いよいよ、後がなくなった。鰐淵が試合中に抗議行動に出た鵺に対して、本気で怒っている。


 鵺が抗議する気持ちもわかれば、プロレスに真剣な鰐淵の心中もわかる。

 このままでは、四人の息が合わなくなり、プロレスではなくなる。しかも、原因は、簡単にマットに倒れた郷田にある。どうにかしても、挽回せねば。


 郷田は身を低くして、鵺に肩からぶつかっていった。

 鵺の体が少し揺れた。鵺が郷田を見下ろした。鵺がお返しだとばかりに、一歩踏み込んで、同じように肩からぶつかってきた。


 郷田は両腕でガードして、リング方向へ飛んだ。勢いを利用して、転がるようにしてリングに戻った。


 鵺は強い。数メートルとはいえ、助走を付けた郷田の体当たりを受けた鵺は、揺らいだだけ。


 対して、鵺の一撃は一歩踏み込んでぶつかっただけで、郷田もリングの中に押し戻した。


 真剣勝負の試合なら、勝ち目がなかった。だが、プロレスなら問題ない。

 リングで手招きして「来いや」と大声を上げた。


 鵺が貫禄の歩き方で、ゆっくりとリングに戻ってきた。

 郷田はゆっくりと距離を開けた。リング中央に鵺を誘導する。誘導してから、ゆっくりと鵺の周りを回った。


 鵺が郷田の動きに合わせて、軸を合わせる。必然的に、鵺が二号に背を向ける瞬間ができた。


 二号がコーナーに登った。観客がどよめくと、鵺が振り向いた。

 郷田は鵺が振り向いたタイミングで仕掛けた。全力で鵺の膝裏を蹴った。


 鵺が転倒した。二号がコーナーから高く飛んだ。二号が膝から鵺の上に落ちた。見事に連携が決まった。


 試合は鵺対シャイニング・マスク一号と二号の変則タッグ形式。なら、一号と二号で連携して技を掛ける行為は、有りだ。


 郷田が鵺の右足を持つ。二号が鵺の左足を持つ。二人で同時に、鵺に対して足関節技を掛けた。


 鵺の片足を郷田の足で挟み、両手で鵺の足首と爪先を掴んで膝と足首を決めた。トー・ホールドだ。


 鵺の返し方としては空いている足で、郷田を蹴るのが一般的。けれども、今回はもう一本の足を二号が決めているので、簡単には脱出できない。


 体格差があるので、郷田の技だけなら鵺が力業で外せただろう。だが、二人懸かりなので、これも難しい。


 本来なら、これで終わり。けれども、鵺ほどのレスラーなら、ピンチになっても脱出してくる予感があった。鵺がなにかをした。わからなかったが、二号が鵺の足を離して転がった。


 鵺の蛇のような飾りの尻尾が、二号を噛んだ気がした。気のせいだろう。尻尾は飾りだ。もっとも、本当に噛んだとしても、問題ない。プロレスなので、五カウント以内なら噛み付きはOKだ。


 郷田は鵺の片足だけでも極め続けようとした。されど、鵺が自由になった足で蹴りを入れてきた。


 脇腹に蹴りが入った。あまりの痛さに、転がった。


 鵺は立ち上がって悠然とポーズを決め、客にアピールした。リングに転がる一号と二号、完全に流れは鵺に見えるはずだ。苦痛の中、いい流れだと感じた。


 一人の選手を二人懸かりで普通に倒しては、盛り上がらない。

 圧倒的に強く敵わない相手を前にピンチになり、共闘で倒す。だから、盛り上がる。二号を見ると、二号も郷田の考えを理解しているようだった。


 二人でゆっくり立ち上がった。二号が鵺に向かっていった。郷田は少し距離をとって、鵺の相手を二号に任せた。

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