第38話 第八章 刮目《かつもく》して、しかと見よ(一)

 地主はかなり根に持っていたと理解した。まさか、虎を境内に放して妨害してくるとは思わなかった。明らかに殺意がある。


 北海道で熊と闘った経験なら、あった。北海道で闘った熊は、まだ親離れしたばかりの小さい熊で、郷田と同じ体重七十キロ・クラス。


 あのときは、猫騙しの要領で熊の眼前で手を叩いた。熊が怯んだところを投げ飛ばし、大声を上げて威嚇したら、熊が驚いて立ち去った。


 熊が驚いたからいいようなもの、本気で闘ったら、勝てなかったろう。今回の相手は体重二百キロ・クラスの虎。勝負にならない。


 郷田は体が縮む思いがした。だが、背を丸めず、できる限り郷田自身の体を大きく見せるように注意した。


 注意しながら、ゆっくり下がった。虎なら後ろを見せたら終わりだ。視線も外さないように注意した。


 虎が動いた。虎の動きが全く見えなかった。虎の攻撃は、体当たりだった。数メートルを突き飛ばされた。


 どうにか受け身を取ったが、頭を打った。意識が半分、飛んだ。

 龍禅の大きな声が聞こえるが、理解できない。死ぬのかと漠然と思った。


「しっかりせい」と横で声がした。

 横を見ると、シャイニング・マスク二号がいた。二号は郷田の頭を掴むと、顔を上げさせて「よく見ろ」と指示した。


 虎が祠の前に立っていた。正確には虎ではなかった。虎に見えたのは足だけ。顔は猿、胴は狸、足が虎、尻尾は蛇だった。完全な虎もどきだった。


 虎もどきが「ヒューヒュー」と鳴き声を上げた。


 郷田は、すぐに理解した。

「虎なのは足だけ? 俺、何と戦っているんだ」

 虎じゃないとわかると、恐怖心が去った。よくよく考えれば、京都に虎が出るわけがない。


「じゃ、あれはなんだ」と疑問に思うと、シャイニング・マスク二号が注意した。

「馬鹿なセリフを吐くなよ。しっかりしろ、あれはぬえさん。お前の対戦相手だろう」


 頭を打って意識がはっきりしないが「試合ってなんだっけ」と疑問に思った。

 エレキ・ギター音が響いた。聞き覚えのある曲だった。鰐淵棺のテーマだ。


 プロレスの試合中なのかと、ぼんやりと思った。見渡せば、いつのまにか、四角いリングの中にいた。周りには観客らしき多くの人影が見えた。だんだん、現状が理解できてきた。


 入門試験で崖のぼりをして入門が許され、デビューが決まった。そうして、現在、俺はリングにいる。


 鰐淵の良く通る声が聞こえてきた。

「シャイニング・マスクー。随分とぬるい試合をしているじゃないか。貴様を倒していいのは、俺だけだー!」


 体を起して、声のする方向を見た。

 黒いマスクを被り、両手の中指を立てている鰐淵の姿があった。やっぱり、ここは試合中だ。


 鰐淵が走り込んできて飛び上がり、そのまま、ボディ・プレスをかましてきた。

 二号は素早く避けたが、郷田はもろに受けた。郷田が痛みを覚えたが、それほど痛くなかった。重くもなかった。


 落下するときにきちんと体同士が重なり合うようにして、鰐淵が手と足を浮かすようにして体重が乗らないように工夫してくれたのだろう。


 鰐淵がマウント・ポジジョンを取って郷田の体を引き起こすと「気合だ」と頭突きをかました。


 頭突きも加減してくれたので、ほどよく意識が戻る刺激となった。

 鰐淵が立ち上がると、鵺を指差して「本当のプロレスを見せてやるよ」と突撃した。


 二号がすぐに郷田の体を起しながら説明した。

「鰐淵さんが時間を稼いでいる間に、体力回復だ」


 疑問を小声で投げかけた。

「でも、いいのかな。これって、実質、鰐淵先輩と俺とお前の三人懸かりだろう」


 二号が郷田の頭を平手で叩いて、早口に順序を説明した。

「馬鹿たれ、シナリオを思い出せよ。鵺さんのパートナーが遅れる。鵺さん対、俺とお前の一対二形式の変則タッグ形式で試合開始。途中で鰐淵先輩が乱入。二対二に戻る。後半で鰐淵先輩と鵺さんが仲間割れ。鵺さんが鰐淵先輩を倒して、そのあと、俺とお前で、鵺さんを倒すんだろうが」


 大事なシナリオが完全に頭から飛んでいた。最初の立ち上がりで、鵺の強力な一撃を貰って、倒れて打ち所が悪かったのが、まずかった。


 試合がなんの盛り上がりなく終わる最悪の展開を避けるために、鰐淵が予定を早め、アドリブで鵺に襲い掛かったといったところだろうか。


 完全に郷田の失態だった。


 鵺を見ると、猿のマスクを被り、虎柄のリング・シューズを履き、二本足でしっかりと立って闘っていた。なんか、さっきまでは、獣と闘っていたような気がするが、おそらく錯覚だろう。

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