Dr.はエゴイスティック。
「兄の自殺願望が酷いんです。何かにつけ死にたいと言い出して、私たち家族を困らせるんです。どうしたらいいでしょうか?」
「僕はどうしたら死ねるかいつも考えているんです。この考えから逃れられないんです」
「もう誰とも会いたくなくて、家に引きこもりっきりになって…」
「人と関わるのが怖いんです」
「死にたくないけど、生きるのも嫌なんです」
「先生、どうしたらいいんでしょう?」
「先生、よりよく器用に生きるにはどうすれば…」
「先生、お金持ちになって楽に生きていきたいんです」
「先生、このまま何もしないでも生きていける方法はありませんか?」
「先生」
「先生」
「先生、お答えは?」
うんざりしている内心を隠して、先生である彼は答える。
「そうですね。それは困りましたね。私と一緒に、これからどうしていくか考えましょう」
ガーネシア病院の精神科、カウンセリング室に彼はいた。
沢山の患者が入れ替わり立ち替わりする。
彼が、このAガーデンという国に来てから数年経つ。
東北の雪国・東照機国からこの南国の慣れない土地にたった一人で降り立ったのは、大学を卒業して数週間後のこと。
あの日はとても遠い日に思える。
いや、あれから早いもので、とも言えるかもしれないし。
この医療の現場でとある自分の使命を果たすまで帰れないと誓った日は、白黒のレトロな写真のようで。
でも、本心も使命も心に秘めて、彼はこのガーネシア病院にいなければならない。
故郷の国で学んだものは紙っぺらの中の事だったのだと思う。
ここでは、知識はあまり役に立たない。
勉強の上では、もっと人に貢献できるものを学んでいたはずだが、正直、この現場は、同じような疑問と答えを繰り返しているように思う。
代わり映えしないのが退屈だ、と言ってしまうと語弊があるが。
語弊もなにも、事実そう思っている心に嘘はつけない。
ここにいる人間たちは、自分のことにしか興味がない。
自分の世界を守ることに必死で、自分が世界で一番可哀想で、自分の世界だけに閉じこもっていたいと思っている。
そして、それに満足している。
もう、見飽きてしまった。
正しい人間でいなければいけないのだが、この人間臭い感情を野に放ってしまいそうになる。
問いかけの答えはいつもこう。
「自分のことは自分で考えていけるようになりましょうね」
「誰もあなたの人生を代わりに歩んではくれない」
「これ以上周りに迷惑かけなくてもいいように、自分のことは自分でできるようになりましょう」
「なぜ、私が、そこまで考えてあげなくてはならない」
彼は知っていた。
自分が、この、医者という職業に向いてないことを。
それでも、ここにしがみついていたいのは、ここに彼女がいるからだ。
彼は、心の支えである考えがあった。
自らが人の上に立つべき選ばれし人間だということだ。
Aガーデンに来たのも、大学を修了したのも、そもそもこの医者という職業を志したのも、全ては自分の歩むべき運命なのだ。
彼女に近づいて、
彼女を懐柔して、
彼女の大切な人になって、
自らを高める。
崇高なる使命と精神によって、ここに生きている自分が、彼女の心を手にできない訳はない。
選ばれし彼女に選ばれた人間になれるように、自分は苦労したのだ。
その自分の苦労に報いるために、なんとしても彼女を手に入れる。
「先生」
またか、と思う。自分の名前は「先生」ではない。
私はうんざりしているんだ。
「先生。チャンドラ先生」
ハッとした。
この声は、この美しい声は、彼女の声ではないか。
「なんだい?スーリア」
彼が思いっきり微笑むのは、彼の一番大事な患者・スーリアだ。
「先生、珍しい。あたしの話聞いてないなんて、こんなこともあるんだ」
彼は、ヤジマ・チャンドラ。スーリアの主治医である。
スーリアは、先生の目に生気が戻ってきたのを見ると、安心して温かい紅茶に口をつけた。
「聞いていたよ。君のお兄さんが自殺願望があるんだね。困ったことになったね」
「聞いてたの?なんだ、心ここに在らずだと思っちゃった」
微笑み返すスーリア。
先生は心の中で、安堵の息を吐いた。心ここに在らずでも人の話を暗記できるのが、先生の特技であった。
「自殺願望か…私は沢山の自殺願望を持った人たちを診てきたけど、君のお兄さんはどんな感じなのかな?」
退屈な話題だがいつもの答えでやり過ごそう、と思う先生。
スーリアは、両手で包んだ紅茶のカップの水面に映る自分の瞳を見つめた。
「違うの先生。あにさまの自殺願望は、先生が出会ってきた沢山の人たちとは、違うの」
顔を上げると視線が合う。
「ううん。違わないかもしれない。沢山の人たちも、一人一人の事情があるんだから。だから、同じだけど、違う訳で、その点だと同じ…ん?」
混乱してきたスーリア。
先生は、自分の心の中を透かして見られた気がした。
「大丈夫だよ。落ち着いて話してごらん」
平常心を装う。
「あのね、あにさまは優しい人なの。死にたいのも、世界を守るためなんだよ」
「世界を守るため?」
「うん。生き続けることで、何度も世界を危険に晒し続けることになると考えてるんだと思う。あにさまは、この世界を終わりに導かなければ、死ねないから」
「不思議なことを言うね」
「うん。不思議なことでしょう?あにさまは、死ねない、変わった人なの」
「世界も自分も生かし続けることはできないのかい?」
「あたしもそう思うの。あにさまには生きててほしいな。なぜ死にたいのか、わからないよ」
「その気持ちは伝えたかい?」
「昔から何度も、一緒に生きようって伝えてきたよ。でも、あにさまにこれ以上苦しんでほしくないとも思うの」
「それは困ったね。パラドックスだ」
「パラドックス?」
「矛盾だね。生きていて欲しいけど、生き続けると苦しみ続けることになるのは、困ったね」
スーリアは口をつぐんで、自分の世界に閉じこもった。
先生は、確かな治療の手応えを感じていた。
確実に、彼女は自分の手中にある、と。
「あにさま」というのは、世界を破滅させる古代の魔物、通称ルドラ・シヴァ・ゼロのことだな。
なるほど、あの伝説は真実のようだ。
世界を終わらせなければ死ねないというのは。
ルドラ・シヴァ・ゼロが、なぜ自らの仇となった女神・パールヴァティの称号を冠する、古代に生きたスーリアの体を持つ彼女を側に置くのかは分からないが。
しかし、彼女は順調に目覚めつつあるようだ。
ルドラ・シヴァ・ゼロが近くにいるのがその兆候だろう。
古代において類稀なる神通力と人心掌握術で強大な力を持った、彼女の目覚めが近い。
Aガーデン政府は、遺伝子だけではなくあの力までも再現したというのか。
これは、我が商会において吉報である。
「先生どうしたの?なんだか楽しそう」
キョトンとしたスーリアが、スライドドアからカウンセリング室を覗き込む葉月の前で、こちらを見ながら首を傾げていた。
「ああ、君の話を聴くと、私は嬉しいんだよ」
先生は右手を上げるとヒラヒラと振った。
「先生、またね」
スーリアは笑顔で手を振り返し、葉月と共に精神科を出て行った。
机の鍵付きの引き出しから、秘密の通信機器を出す先生。
受話器を頬に当てて、誰かと会話が始まる。
「もしもし、こちら矢島です」
先生はニヤリとしている。
「…ええ。吉報です。女神の目覚めは近いかと。計画は順調に進んでおります」
右手の人差し指で、タンタンとリズムをとる。
「…はい。そのことはもちろんお口添えいただきたい…商会に栄光あれ」
ガラっ。
「ヤジマ先生」
会話が終わると同時にドアが開く。葉月だった。
「な、何かな葉月さん。君はスーリアと出ていったはずでは?」
「スーリアの次の受診のことで…あら?どなたかとお電話してらしたの?」
「いや、いいんだ。スーリアの次の受診日だね?彼女は沢山話したいことがあるようだから、次の受診も近い日に決めよう」
「あらら、違うのよ。スーリアは学校が最近楽しいらしくて、受診日が遠くなっても良いって言ってるのよ」
思わず目を見開く先生。
「そうなのかい?残念だなあ」
「残念?」
「あ、いや、可愛いスーリアにあんまり会えないと寂しいと思ってね」
「ダメよ先生。患者に個人的な感情を抱いちゃ」
「わかっているよ」
葉月がカウンセリング室を出て行くと、ホッと一息つく。
スーリアのいたテーブルのティーカップを見つめて、愛しそうに口づけした。
このティーカップは「彼女」のもの。
この部屋では自分が彼女を独占できるのだ。
世界に名を轟かせる歌姫を。美しく可愛らしい少女を。誰も彼もに好き勝手に弄ばれる人形を。
医師と患者という立場のこの場では。
「先生だけだよ。あたしの秘密を知ってるのは」
「先生が初めてなの。こんなあたしに興味を持ってくれたのは。誰も知らない本当のあたしに」
「先生だから、話すね。あたしの大切なこと」
「先生は、特別なの」
「…先生。ダイスキ」
緩む口元を手で隠す。
彼女は、Aガーデン国家の被験体。
ディーヴァプロジェクトという、世界に羽ばたく未来ある歌い手をつくりだすプロジェクトのただ一人の成功者。
表向きにはエンターテインメントのプロジェクトと思われているが、その真実は、この世界の存続を左右する渾身の政策である。
世界の脅威に対抗しうる力を人為的に作り出そうとしているのだ。
彼女は世界の希望、力、オモチャであり、欲望に忠実な人間の自由な手となり、足となる。
この重大なプロジェクトの要を担うのが、この自分なのだ。
彼女の精神を監視し、安定させ、誰にも冒涜させない。
それは、常に人の目の中にいる彼女が壊れる危うさを孕んでいることを意味している。
彼女は、人形。
心は虚ろで、自分というものがない。
人を惹きつけるが、それは彼女が、歌姫というおとぎ話の主人公を永遠に演じ続けなければいけないからであり。
それ故に、何者かによって自我を目覚めさせられるのは危険であるのだ。
皆の歌姫が、ただの少女となって魔法が解けてしまう。
それは誰も望んでいない。
彼女自身も壊れてしまうだろう。
だから自分が彼女を守るのだ。
彼女の精神の管理を国から命じられているから、この使命を来たる日まで全うする。
先生は、スーリアの使ったティーカップと対になったカップにフルーツの香りの紅茶を入れた。
「スーリア。もうすぐだ。君は世界の歌姫から、僕のお嫁さんになるんだよ」
紅茶をすすると、デスクの蛍光灯の下でアップルのフレーバーを確かめていた。
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