子犬とウリ坊。


「はぁ?」

と、シンとゲイルの二人はスーリアに向くも、またナナちゃんの腹を覗き込む。二人は、ゴクリと息を飲む。ナナちゃんの副乳を見つめているようだ。

「ナナは乳首もカワイイな」

「な。マジで天使」

こころなしか、はぁはぁという息づかいが聞こえてきそうだ。周囲に集まっていた人集りもシンとゲイルにはドン引きの様子。

「ちょっとちょっとあんたたち!動物愛護法違反!」

「はぁ?さっきからなんだよスーリア。焼きもちかー?」

「焼きもちじゃない!何言ってんの!あんたたち、動物虐待だよ!」

「虐待!?」

ギョッとなるシンだったが、ゲイルは反論する。

「なーに言っちゃってんのスーリア。オレらはナナの体に危害は加えてない。その体の構造を観察してただけ。言わば、生物の勉強よ」

「そーだよスーリア。オレらは、学んでたんだよ。こうぞうをしきんきょりからかんさつしてんだよ」

二人の言葉に、キモっと、背中に悪寒を感じたスーリアは、噛まれるのも気にせずナナちゃんを再び抱き上げた。

「いやさあ、シンはまともに言えてないし。本当に分かってて言ってる?サイテーだねあんたら」

「そうだよ、スーちゃん!こいつらサイテーなんだよ」

スーリアの腕からナナちゃんを奪うハルさんは、

「怖かったねナナちゃん。これだから男ってのは…」

と、ギュッと包み込んで守るように抱いた。ゲイルはあーあというような顔をしている。シンはキョトン顔で、

「これだから男は…って、ハル。お前がなに言っちゃってんの?」

と目を丸くしている。

――?

首を傾げるスーリア。

ハルさんの体が、ナナちゃんを抱きかかえながらギクっと反応した。シンは続ける。

「お前、自分が何なのか忘れてんじゃねーか?お前はさー、お…」

と、シンが言いかけたところで、ハルさんの体からシンに向けて暗黒のオーラが、いっきにバァッと発せられた。

「シンくん…その先…うちの前で、うちのことまだよく知らないスーちゃんの前で、言うつもり?」

ハルさんは、顔は笑っているが目だけが笑っていない。それどころか、ハルさんを包む空気が禍々しく黒ずんでいる。シンは冷や汗を垂らした。

「ゴメン…言わねーよ…」

シンの目が泳いでいる。

スーリアは、ハルさんのただならぬオーラに、いったい何のことなのだろうと思った。

「あの、ハルさん?」

「なぁに?スーちゃん」

ハルさんは、スーリアに顔を向けると、いつもの軽くて明るい雰囲気に戻った。スーリアは、その変わり身の早さに、聞いてはいけない何かがあるのか、と察した。

そこで、落ち着いたクールな声が割り込んできた。

「ああ、皆。今日も小学生みたいなやりとりしてるのね。朝の時間始まる。席に着けば」

エメラルド・サンドラだった。彼女の次に、間髪入れず、無表情のゼロが入ってきた。

「おはよう皆。今日もいい天気だね」

――あにさまだ!

スーリアはゼロに駆け寄った。

「おはよう、あにさま!」

スーリアは朝、ゼロに対してすると決めていたとびっきりの笑顔で挨拶した。

「スーリア、おはよう。子犬がいるね。その子は?」

ゼロは、スーリアの横のハルさんの腕の中のナナちゃんを見ている。

「あにさま、この子は…」

言いかけたところでハルさんがそれを遮る。

「校内に動物を持ち込んでしまい、すみません。先生」

ハルさんは、腕の中で震えるナナちゃんをかばっている。ハルさんの目がスーリアをとらえて言っていた。

(大人を、教師を、簡単に信用してはいけない)

スーリアは、ゼロを恐る恐る見た。ゼロは穏やかに微笑んで、ナナちゃんの顔を覗き込む。

「初めまして。ナナちゃん」

「先生!どうして彼女の名前を?」

驚くハルさんの腕の中で、ナナちゃんは怯えた瞳でゼロを見つめ、ウーと唸り声をあげはじめた。

「職員室でも話題になっていてね。ノラ犬が産んで、高校やその周辺の人たちで協力して育ててるシバチワのナナちゃんだね」

撫でようとしたゼロの手を、ナナちゃんは力強く噛んだ。

(!?)

先ほどのスーリアに対する態度よりも、怯えや恐怖といった感情を前面に出した表情をしている。

「あにさま!」

「先生!大丈夫ですか!?」

慌ててハンカチ片手に駆け寄る生徒たち。

「ああ。大丈夫だよ。心配いらない」

ゼロはニコっとナナちゃんに笑いかけた。ゼロとナナちゃんは目で会話しているようだった。見つめ合った数秒、教室を沈黙が包んだ。

「小生はずいぶん嫌われてるようだね」

と、ゼロが小声で呟くと、ナナちゃんはゼロの手を離す。

そして、鼻先にある今まで噛んでいた手をクンクンと嗅いだ後、ペロペロと舐めた。ほっとした空気が教室に広がって、誰ともなくゼロに問いかけた。

「先生って、動物に嫌われるタイプですか?」

「いや。小生は、昔は人間よりも動物の方が仲良くなれたんだ。でも…うん。それも、まあ、大昔のことなんだけど」

ゼロは無表情で頭を掻いた。

――それって、何か理由があって、今は動物に嫌われてるってこと?

そんな疑問が頭を過ぎったスーリアは、ゼロの一番近くにいるシンを見た。

シンは、気のせいかって疑ってしまいたくなるような、キャラに似合わない切なそうな表情で、ゼロを見ていた。

「おいで。今日はナナちゃんも生徒として、授業を受けようか」

と、ゼロが差し出した両手に、ナナちゃんはさっきの怯えが嘘のようにあっさりと乗り込んだ。笑顔になるハルさん。

「ナナちゃん、ここに居ていいんですか?」

「うん。今日は生徒だもん。ここに居ていいんだよ」

「ありがとうございます!」

「懐かない動物を手懐けるのも一興」

どこかで聞いたことがあるような言葉をつぶやいて、ゼロは教壇にナナちゃんと共に上がった。

「さあ皆、席に着こう」

シンが物憂げな表情でゼロを見ている。

「シン。あにさまに彼女をとられちゃったね」

スーリアがそう言うと、シンは首を振る。

「別にいいし。てか、やっぱゼロは動物にも好かれる奴なんだな」

「?」

――今さっきあにさまが自身で動物に嫌われる話してたのに、何言ってんだ?

シンは咳払いをする。

「とにかく、あいつの言った通り席に着けば」

スーリアは慌てて自分の席に向かった。ゼロが教室を仰ぎ見る。これから言う言葉は、何か重要な事らしい。

「今日は皆の前で、罰を受けてもらう人がいるよ。皆に迷惑がかからない罰だから、彼のこと、許して受け入れてやって欲しい」

(?)

何の話だ?とざわめきだす教室。

「シン。昨日、スーリアとデートしたそうだね」

シンがギクっとした。

「は?今その話すんの」

「しらばっくれてないで、正直に話してみたら?シン。昨夜の騒ぎについて小生は知っているよ。今朝、スーリアがマスコミたちに囲み取材受けたことも、ね」

シンは、ヤバいと叫びだしそうな表情になった。

「シン。言ったら?今日、シンはマスコミの囲み取材を受けていない。自宅でも校門でも誰にも問い詰められることなく、悠々自適に一人でここまで来たんでしょ?」

(それがいったい何の罰を受ける理由に?)

首を傾げるクラスメイトたち。

「ゼロ、それはだな。昨日、スーリアに忠告してあんだぜ?こんな風に騒ぎになるから、対策自分で考えとけって」

「うん」

「オレはオレでオレなりの対策をしたんであって、スーリアがどうなろうが…」

冷や汗タラタラのシンは弁明に必死だ。ゼロは曇りのない瞳でシンを見つめて言う。

「スーリアがどうなろうが…は、違うよね?シン」

シンはうつむいた。ゼロは、シンの机の前に来ると、視線を合わそうとしないシンの肩に触れた。

「自分たちが、社会的に立場のある芸能人だと自覚してて、一緒にデートしたんだよね。それで世間を騒がせることになって、スーリアはマスコミに追われることになった。いくらクラスの皆が芸能人でそういう話に慣れてるからって、世間もそうとは限らない。シン一人の問題ではないよ」

ゼロは、空中を指差し、その指先で読めない何かの文字を書きはじめた。空中のその文字は、指先から光りだし、生き物のように動いている。

(小生の人、魔法使ってる!)

クラスメイトたちが驚く中、ゼロは何行にも渡ってその文字を空中に作り出した。

「ちょっと待て、ゼロ!オレ、何かした?お前、アレする気だろ!勘弁してくれ!」

顔を上げ、文字を見るシンの怯え方が尋常じゃない。

「悪いことはしてないけど、間違ってるのは、スーリアを独りにしたこと。スーリアがどうなろうが知ったことじゃないっていうのは、違うよね?」

「!?」

シンの体が、ゼロの書いた光る文字に囲まれた。

「やめろ!悪かったオレが…」

光る文字に飲み込まれ、消え入る声。シンの体も飲み込まれた。

「エア・シンヴァラーハにかけられし封印よ。今、解けよ」

ゼロが合掌して唱える。

光る文字たちがほどけるようにシンの体から離れる。


「ウリ坊じゃん!」

クラスメイトたちは驚愕した。シンの体のあった場所にいたのは、一匹の小さなイノシシの子供だ。

「プゴーっ」

普通のウリ坊のような茶色の体ではなかった。金色の体に、瓜のような模様。小さな体で、そのウリ坊はゼロに突進した。

「今日一日、シンはこの姿で過ごすこと」

そう言ってゼロは、向かってきた小さなウリ坊を掴み上げると、ナナちゃんと同じ腕の中に抱えた。

「あにさま!そのウリ坊って、もしかしてシンなの?」

スーリアが立ち上がる。

「ああ、スーリア。このウリ坊は、シンのいくつかある別の姿だよ。皆も、今日はこのウリ坊をよろしくね」

(またよく分からん事態に…)

呆然とするクラスメイトたち。

「先生!ウリ坊が教室にいることは、マナー違反ではないですか?」

と、学級委員の宇喜田くん。

「ん?ウリ坊は、中身は人間のシン。それに言うなら、ナナちゃんも動物だし、マナー違反に入るよね?というか、シンが罰を受ける理由、聞かなくていいの?」

キョトン顔のゼロに、グッと言葉を飲み込む宇喜田くん。

ゼロは、シンがマスコミの囲み取材を受けることなく教室まで来ることができた経緯を説明した。


シンは、朝、家を出る時から魔法を使っており、魔法によりマスコミから自分を守っていたのだ。

その魔法とは、マスコミに限定して、姿が見えなくなる魔法だ。だから、家を出る時に出待ちをしていたマスコミには、姿を見られることなく、その行動も気づかれることなく動けたという訳で。面倒な質疑応答にも対応せずに済んだのだ。

校門に着いた時も、すでに押し寄せていたマスコミたちに知られることなく、校内に入り込むことができたのだ。しかも、シンは、生徒たちが群がるナナちゃんを独り占めして奪っていくような余裕もあり。本当に悠々自適にここまできたのだ。

シンは、家からの出がけにマスコミにつかまりそうになったスーリアと違って、お気楽だったのである。

生徒たちは、マスコミに姿が見えなてないシンを不思議に思うどころか、ナナちゃんを奪っていった自分勝手なイメージが先行して、昨日スーリアとデートしたことも、昨夜のネットの騒ぎもなかったことになっていた。

元々芸能人で、有名人で、そういった騒ぎには慣れているため、それほど他人の恋愛沙汰に過剰な反応はしない生徒たちなのである。

スーリアをちやほやしないのは、そういう理由からなのだ。


「プギィー!プゴゴゴ」

シンは、ウリ坊の姿で何かを怒りながら言っている。

「こんな不恰好な姿にしやがってって、シン?自分だけ魔法で楽をして、一緒にマスコミに対応しなきゃいけないスーリアを、独りにしたんだ。君には、沢山の人の好奇の目に晒される罰をかすよ」

ゼロがウリ坊・シンの頭を撫でると、ウリ坊はシュンっと大人しくなった。

「シンくんカワイイ!」

そう言ったのは、ハルさん。ハルさんは動物は大抵好きになるようだ。

「シンがウリ坊か。意外性があっていいじゃん」

「Pちゃんと呼ぼうか、Pちゃんと。ピッグじゃないけど、似たようなもんだし」

「シンPでいいんじゃん?芸能人ぽく」

「シンP」

「シンP」

有り得ない展開にも順応しだしたクラスメイトたち。

ゼロが、シンPを机の上に置く。

「よし!これからは、お前、シンPな!」

と、シンPの前の席のゲイルが、その小さな体にポンと手を置く。

「プィイギー!」

シンPは、ゲイルに怒髪天の勢いで突進。体当たりした。

「いってー何すんだよ、シンP」

「プゴゴゴゴゴピギー!」

(ふざけんなよお前って言ってんな)

と、なんとなく想像ができるクラスメイトたち。ゲイルは慣れた手つきで、暴れまくるシンPの体を仰向けに寝かせた。

「こうすりゃ突進はできねー。お前の乳首丸見えだぜ?観察してやろうかなー」

ワキワキと動く手に、悪寒を感じるシンP。ゲイルのその言葉に、大人しくなった。

「ゲイルくん。今日一日、シンのフォローを頼むよ。シンはこの姿でもだいたい一人で何でもできるけど、一応」

と言ってから、教壇に戻っていくゼロ。

ゼロの言った通り、シンPに細かなフォローはいらないようだ。

器用に、前足で宙に円を描くと、魔法によって、文房具やら電子辞書やらタブレットやらを取り出している。授業も、魔法の自動筆記でこなすようだ。

――カワイイな。シン。あんなに丸々してて、つぶらな目がめっちゃキュート!休み時間になったら触りに行こー!

スーリアは、ウキウキしながら黒板に向かった。


「スーリア、いいの?」

と、不意に話しかけてきたのは、後ろの席のエメラルド・サンドラ。スーリアは、はてなマークが浮かぶ。

「…何が?」

「シンくんとあなた、今日から数週間はマスコミの格好の餌食よ」

「うん…そうだね」

そういえば、スーリアには具体的なマスコミ対策などないのだ。

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