アタシのポルシェ(660CC)

 「だからどうしてもわかんないんですよ」

 瞬きせずここまで話を聞き続けた先輩に、俺は付け加えた。

 「ロードスターを運転していて怖い思いをする度に、あの事故のことを思い出してしまうし、そうなるともう車の何が楽しいんだって、賢さんは一体何を残そうとしたんだって……」

 そして、自嘲するように呟いた。

 「そんな俺が自動車部だなんて、笑っちゃいますよね」

 返事はない。話し終えた部室に沈黙が訪れた。雨音が屋根を叩く音だけが辺りに響き、ふいに胸の中に虚しさが込み上げる。それを後押しするように、牧島先輩が口を開いた。

 「アタシ、今日はもう帰るわ」

 愛想尽きたような冷たい顔を返され、はたと我に返る。こんな話、人に振るほうが間違っている。

 だが。

 「クルマ置いてきちゃったんでしょ? 送ったげるから待ってて」

 「え、そ、そうですか」

 「喜びなさい。今日はポルシェで来たから」

 はぁ?と解せない思いを抱えつつも、鍵を閉め校門前に突っ立ってると、やがて黄色いヘッドライトが俺を灯した。

 「お待たせ。ん、何よ? 」

 「いやこれって……」

 ポルシェと聞いたもんだから、俺はクラシックな911かSUVのカイエンあたりを想像していたのだが、目の前のそれはそもそもポルシェですらなかった。 

 スバル・サンバー。

 雨空の下で、まごうことなき白い軽トラがその存在を主張していたのである。

 「これのどこがポルシェなんですか? 」

 助手席に乗った俺に、牧島先輩は得意げに説明した。

 「ポルシェもポルシェよ。伝統のRR(リア・エンジン、リア・ドライブ)駆動方式、しかもボクサーエンジンで有名なスバル製。ポルシェといっても過言じゃないわ」

 「いやそのエンジン、直列ですけど」

 俺の突っ込みに、ボクサーエンジンならぬボクサーパンチが飛んできた。それからしばし雨粒が屋根を叩く音だけがこだますも、狭い林道に入ったあたりで牧島先輩は尋ねた。

 「どう? 軽トラだって悪くないでしょ」

 「結構楽しいっすね。…すいません、みくびってました」

 お世辞ではない。重心が高く、非力な車ではあるが、軽い車体と彼女の腕あってか、サンバーはどしゃ降りの中を物ともせずに駆け抜けている。まさに農道のポルシェ。そしてまた、ステアリングを握る牧島先輩の顔も、以前に比べると柔らかいものだった。

 「本当はミニ・クーパーに乗りたかったのよ、軽トラなんてダサいし。けどね、最近になってやっとわかってきたの。人と比べるんじゃなくて、自分のやり方を見つけるのが大事だって。同じだと思わない? 」

 「同じって何が? 」

 「決まってるじゃない」

 路肩にサンバーを止めると、この部活唯一の先輩は人差し指を突きつけ、とても強く、そして優しく言い放った。

 「アンタもアンタなりのやり方を見つなさいってことよ。少なくとも、私がその賢って人だったらそう願うわ」

 発進しようと横を向いた輪郭はまだ歳相応に幼い。しかし、バックミラーを見つめるその瞳は、誰よりも冴えたものだった。

 「どうして、どうしてそこまで自信たっぷりに言えるんですか? 」

 対して俺は、震える唇でそう返すしか出来ない。そんな俺を見て、ステアリングの主はつっけどん返した。

 「知らないわよ。誰かがクルマの楽しみを教えてくれたからじゃない」

 照れ隠しか、少しだけアクセルが乱暴に踏まれる。その仕草があまりに子供っぽくて、俺は笑ってしまった。

 「上手く説得出来るといいんですけどね」

 「腕の見せ所じゃない」

 それから車内に、満更でもなさそうな牧島先輩の鼻歌だけが響き始めた。それに耳を澄ませてると、やがてエンジンの音がやんだ。いつのまにか、サンバーのヘッドライトがカフェ・アズテックの看板を照らしていた。

 幸いにして、それほど時間も経ってない。どうやら夜のシフトには間に合いそうである。

 「送ってくれてサンキュです、先輩」 

 「ま、頑張りなさい。アタシも手伝わないわけじゃないし」

 屈託ないその笑顔が誰かに似ててドキッとしたのは秘密だ。苑浦との仲を元通りにする、去っていく荷台に、俺はそう誓った。

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