第37話

 もう一度呼ぶと、やっと反応を示した。頭が揺れる。黄の瞳が姿を現した。


「ヒュー……? ヒュー!!」


 やっと目の前にいるのが誰なのか気がついたように、キースの瞳が焦点を結ぶ。

 ヒューバレルの握っていたはずの手をキースが逆に握りしめて訴える。


「レイラ! レイラが!!」


 キースの吐き出す名前に一番反応を示すのは、ニール。血の気が引いた下唇を噛み締める。今レイラが何をしているのか、なんとなく気がついたのだろう。


「くそっ、あのバカが!」


 口の中で毒づくと、ニールは素早く馬を促して全速力で駆け出す。

 ヒューバレルは慌てて、キースを部下の三人に任せると他の部下を率いてニールを追いかける。

 既にその姿は森の奥へと消えている。だが、ヒューバレルの顔に焦りの色はない。馬を操りながらヒューバレルが耳についている精霊の心臓の一つに魔力を流すと、銀板が光り輝く。小さな光が飛び出した。


「呼んだかしら? ヒュー」


 低めで、男であれば好きそうな女らしい声、簡単に言えばセクシーな声をした精霊がヒューバレルに声をかける。

 これがヒューバレルのもう一人の契約精霊だ。

 女らしいふくよかで緩やかに波打つ髪の毛が特徴な精霊である。


「フィーレン、頼む。俺たちを、ニール殿に追いつけるように、風で助けてくれ」


 余裕のなさそうな顔で、ヒューバレルが頼むとフィーレンと呼ばれた精霊はふふふ、と微笑む。


「ええ、もちろんよ。前の人を追っているのね? あの人に追いつけるように、助けてあげるわ。今度お礼を頂戴ね?」


 色っぽく微笑むと、フィーレンが見返りをヒューバレルに強請る。

 ヒューバレルは頷いた。


「分かったよ。好きなお菓子でも今度一緒に買いに行こう」


 そうヒューバレルが答えると、嬉しそうにフィーレンが跳ねてヒューバレルの肩まで行く。そして肩に座ると、ヒューバレルと魔力を融合し始めた。

 ヒューバレルは慣れたようにその感覚を受け入れると、その魔力を口で紡いで発動する。


『加速』


 紡いだ魔力はヒューバレルと部下達の馬の脚に纏わりつき淡く輝く。すると急に馬の脚が早くなる。

 これが風魔法の一つ、『加速』である。かけた対象の脚を加速させることができる。

 だがそれは、追い風を受けているようなもの。別に時間を加速させているわけではないので、何かの時間を加速するようなことはできない。

 やっとニールに追いつくと、ニールは馬から降りて誰かを縛り上げていた。


「ニール殿!」


 ヒューバレルが声をかけ、同じように馬から降りる。肩にはフィーレンが乗ったままだ。魔法はもう解けている。


「その人は?」


 ニールが縛り上げているのは、一人の女。女にしては大柄な方だろう。その人は気を失っていた。

 それをニールは口に布を噛ませ、念入りに手足を縛っている。


「多分、誘拐犯の一人かと。今の時間一人でこの山の中をうろついているのは、脱走したさっきのルフォス様の追っ手しかいません。荷物も持っていませんし、そうでしょう」


 縛りおえた、女は完璧に気を失っている。傷と言っていいものはほとんどない。

 どうやって女を気絶させたかヒューバレルは気になるところだが、とにかく部下に命じて女を確保しておく。

 他の部下は周りに他の誘拐犯が追っているかもしれないので二人一組でばらけさせる。

 部下達は速やかに分かれると、すぐに散らばった。


「俺は、ニール殿と動きます」


「分かりました。俺はこのまま足で移動します。ヒューバレル殿も同じようにお願いします。それに森の中は歩き慣れないでしょうから、そちらの精霊殿のお力を先にお借りください」


 言外に森の中では自分が早いから、足を引っ張らないように先に『加速』を使えとニールは言っている。それに怒りを覚えることはなく、当たり前だとヒューバレルは受け入れる。森の中はウェストル家の領分だ。従わないほうがおかしい。

 それに今のニールに余裕という言葉はない。後ろのことを気にする暇などないくらい、全速力でレイラの元へ行く事になるだろう。

 すぐにフィーレンに力を借りると、ヒューバレルは自分の足に『加速』をかける。


「では、行きます。追いついてください。なるべく音は立てないように」


 そう言うとニールは身を翻す。ヒューバレルも置いて行かれないように足を進める。

 ニールは初めから全速力で森の中を走った。音は無かった。

 細い道のような獣道のようなところを通りながら、脇目もふらない。

 きっとニールの目には、はっきりと馬車のつけた後が見えているのだろう。

 ヒューバレは『加速』をつけているので今の所は追いつけている。しかし、急に目の前のニールの姿が飛び上がり視界から消えた。


「ニール殿!?」


 驚いたヒューバレルは、思わず足を止めてしまう。


「ヒューバレル殿! 俺は木を伝います。見失わないでください!」


 飛び上がり枝を掴んで登ったのだろうニールが、木の上からヒューバレルに声をかけてすぐに動き出す。

 その早業に、驚きながらもニールの後を追おうとしてヒューバレルは驚愕した。木から木へと飛び移りながらも、ニールの速さは尋常ではなかったからだ。

 腕を使い、足を使いながらも、ニールは流れるように移動する。音がほとんどしない。それを追うのにヒューバレルは魔法を使って、ギリギリ追いついている。

 これで魔法を使っていなかったら、絶対において行かれていただろう。

 進んで行くと遠目に木々の合間から、何か大きな穴が空いている事に気がつく。どうやら洞窟の穴のようだ。

 ヒューバレルからは洞窟の大きな穴がなんとなく見えるようであったが、ニールからはその洞窟の前に抑え込まれているレイラが見えた。

 ニールは目を細めると、レイラの足に一本のナイフが突き刺さるのがちょうど見えた。距離はまだ遠い。


「くそっ!」


 ニールは焦りが滲む声で吐き捨てると、下に向かって声をかける。


「ヒューバレル殿! 俺のナイフに加速を施してください!」


 移動をしながらもニールは腰ではない、服のどこからか遠距離用の投げナイフを取り出し、ヒューバレルに見せる。ナイフは空気抵抗を減らすためか、かなり平たく、切っ先から見ればそこに存在しているか気づかないくらいの薄さをしている。

 ニールの要望に一も二もなく、ヒューバレルが魔法を紡ぐとニールのナイフに吹き込む。

 レイラに被さるように見える男の姿に、ニールが狙いを定める。

 足で木を強めに蹴り、飛び上がる。男はちょうど、レイラのもう一つの足にナイフを振りかざしたところだった。

 ニールは全身の力を込めてナイフを投げる。『加速』のついたナイフが物凄い速さで正確に目的に向かう。

 一拍して、男の悲鳴が聞こえた。

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