第36話

 ∇∇∇


 ヒューバレル達は背骨ヴヴナに続く道をひた走っていた。もうすぐで山中に入る。

 初めは騒いでいた二人も、走ることに専念している。

 ヒューバレル達が走っていると、目線の先にある茂みが揺れたかと思えば、馬に乗った男が飛び出してきた。

 唐突に飛び出してきた男にヒューバレル達の乗った馬が驚いたように、前足を上げる。


「なんだ!?」


 先頭を走っていたヒューバレルは手綱を操って、自分の馬をなんとか落ち着かせながら飛び出した男を観察する。後ろの部下達はすでに全身で警戒を男の方に飛ばしていた。

 飛び出してきた男の乗った馬は、栗毛。乗っている男も落ち着いた色の茶髪だ。目元は髪の毛で隠れていて、よく見えない。

 腰には短剣が四つほど見える。もしかすると、見えないところにもっとあるかもしれない。

 ヒューバレルの後ろにいる部下達は、何があってもいいように各々手に武器を触れさせている。

 ヒューバレルが誰何すいかする前に、男が両手をあげる。


「怪しいものではありません。そこにいらっしゃるのは、アスウェント家の長男殿とお見受けします。俺はレイラ・H・ウェストルの、親戚筋にあたる者。どうか同行を許していただきたい」


 男の声がヒューバレル達の耳に届く。

 だが男が正体を明かしたにもかかわらずヒューバレル達の警戒は解けない。


「……。名は?」


「ああ、これは失礼を。ニール・W・グランヘイツと申します。男爵位を賜っております」


 男の正体はレイラの兄弟子である、ニールであった。だが彼が名乗りをあげても警戒が解かれない。

 それはヒューバレルにも明確な理由があった。


「ニール殿、もしあなたの話が本当だとしてもおかしいのです。今はレイラとキースの誘拐の騒動については情報が統制されているはず。家族であるようですが、親兄弟ならいざ知らず、ただの親戚筋である貴方に情報が漏れることはありえないはずです」


 ヒューバレルが強く言うと、ニールは押し黙った。それにヒューバレルは何かの確信を得たのか、自分の腰に掛かっている剣に手を掛け引き抜こうとする。

 それを止めたのは、警戒されているニール本人だった。


「……さすが、アスウェント家……と言ったところですか。用心深い。あ、剣は抜かないでください。証拠はきちんと持ってきました。今から内ポケットにある手紙を出しますので、切りつけないでくださいね」


 ニールは念のために一言言い置いてから、自分の内ポケットを探る。言わなければ、多分後ろの部下の誰かが投げナイフやらをニールの方に放っていただろう。

 ニールはポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出し、広げる。それをヒューバレルに見えるように掲げた。


「あ……その印章は」


 ヒューバレルがすぐに注視したのが、文章の終わり、書いたものの名が示される場所。そこには見慣れた、当主しか使うことのできない赤い印章がそこに記されている。

 ヒューバレルが見間違えるはずもない。そのことに驚き、目を見開く。

 ニールはそんなヒューバレルの顔を見ながらも、馬をヒューバレルの場所へ近づける。

 今度は止められることはなかった。


「そうです。アスウェント家の印章。その横にはジェームズさんの直筆のサインです」


 ニールはヒューバレルの手が手紙に届くぐらいに近づくと、ヒューバレルに手紙を渡した。

 ヒューバレルはまだ完全に警戒は解いていないのか、まだ腰の剣に手を触れさせたまま、逆の手で手紙を取る。

 ヒューバレルがその手紙に目を通す。

 手紙には、レイラとキースが攫われたことと予測の場所。そして出来れば息子、ヒューバレルと共に救助と捕縛に行って欲しいという旨が書かれていた。


「なぜ、この手紙が貴方に?」


 印章とサインが本物であることを確認すると、やっとヒューバレルが警戒を解く。剣から手を離した。それに後ろの部下達も続く。

 ニールはそれにチラリと目を向けて、髪で隠れた目を細める。


「そこにも書いてある通り、救助の場所は背骨ヴヴナの山中。山の中でしたら、ウェストルの端くれのこの私であっても役には立つということでしょう」


 端くれ、という言葉にヒューバレルは微かな疑問を覚えながらも他に気になったことを聞く。


「ウェストル家でしたら、レイラのご両親には連絡は届いていないのですか? 普通なら、一番初めに連絡が行くのはご両親のはず……。ご両親から、貴方に願い出ているならまだわかりますが、こちらの当主から直接手紙を貰うなんて……」


 眉をしかめさせ納得がいかないヒューバレルに、ニールが口を閉じた。何をどう言えばいいのか、逡巡する。


「そうですね……。そのことについては、ジェームズさん……お父上に聞くといいでしょう。俺では軽々と話せませんので」


 ニールの何かを含んだような物言いに、ますますヒューバレルの眉間の溝が深くなるが今は時間が惜しいとばかりにその考えを振り払う。

 ヒューバレルは手紙を返すと、ニールは再び手紙を懐へとしまう。


「わかりました」


「それじゃあ、俺が先導します。山道に入れば馬車の通った跡はすぐに見つけられるので」


 ニールは言外に自分なら、と付け加える。そのまま特に返事を待つ事なく馬を巡らせると、走り出した。ヒューバレル達も慌てて後を追うように馬を走らせる。

 ニールの隣に並ぶように、ヒューバレルが馬の足を早める。

 ニールの正体が気になって、ヒューバレルが何か質問しようとするが何を聞けばいいのか分からない。

 ヒューバレルがニールの横顔をチラリと見る。ニールの顔は鼻から下あたりしかハッキリと見えない。だが口元は引き絞られており、色が悪いように見える。

 心配そうだ、とヒューバレルは思った。

 親戚筋と聞くと疎遠な感じがするが、そういうわけではないのだろう。父、ジェームズに聞いたことがあるが、レイラの両親が屋敷にいない、という事とつながりがあるのだろう。例えば、代わりに面倒を見ているとか。

 ヒューバレルは、結局何も口にすることができなくて口を閉じる。

 それに気がついていたのか、そうでないのか分からないがニールが口を開く。


「確か、攫われたルフォス家の次男殿は幼馴染だとか?」


「え? あ、はい。そうですよ」


 まさかニールの方から口を開くとは思っていなかったのか、ヒューバレルが虚を突かれたように返事をする。


「レイラと一緒なら、無事のはずです。ご安心を」


 よっぽど自信があるのか、ニールがはっきりと言う。その事にヒューバレルが首をひねる。


「レイラと一緒なら、ですか? それは一体どういう事です?」


 確かにレイラはウェストル家ではあるが、女の子だ。きっと今頃震えながら助けを待っているだろう。……いや、レイラが震えているかは想像ができないが、とヒューバレルは自分の考えに疑いを持ちながらも、きっとそうに違いないと考える。

 そんなヒューバレルを横目で見ながら、ニールが首をふる。


「レイラは、自分がどうすればいいのか分かっているはずです。それに場所は山中。ウェストル家の直系でもある彼女にとってこの場所は正に自分の領分です。よっぽど相手が強いか、人数が手に負えない限り、なんとかするはずです」


 そう言ってニールが下唇を噛み締める。

 自信を持って言っているように見えるニールだが、ヒューバレルにはどうしてかそれは自分を鼓舞しているようにも見えるものだった。


「……そんなにレイラを信じているのに、何か気がかりでも?」


 ヒューバレルがそう問いかけると、ニールは一瞬答えるのに躊躇する。


「……レイラは、自分を大切にしない節があるんですよ。下手な事をしなければ、いいのですが……」


 答えた後、またニールが下唇を噛み締める。

 ヒューバレルもまた、黙してレイラとキースの無事を祈って馬を走らせた。



 一団はいつの間にか山の入り口を前にしていた。

 いつもより明るい満月が大きな山を照らしている。その神秘的で、見ようによっては不気味ささえ感じる大きな存在にヒューバレルは息を飲んだ。

 今から、ここに入るのだ。

 覚悟を決めヒューバレル達は馬を前に走らせる。

 ニールの方は慣れたように馬を前進させ山の中に入っていく。

 ヒューバレルが道に目を走らせ馬車の後を探すが、木々に月光が遮られてよく見えない。これで本当に見つかるのかと、ニールの方をみるともうすでに馬を前に走らせていた。


「ニール殿! 見つけたのですか!?」


「ええ! 急ぎましょう!」


 驚くヒューバレル達をよそに、ニールはひたすら前に馬を進める。

 しかし前方から微かな馬の駆ける音がして、とっさにニール達が手綱を引いて馬を止める。前方からは、蹄の音が幾重にも重なっているように聞こえる。どうやら一頭だけではないらしい。

 先頭の二人が武器を手にする。ニールは腰から短剣を一つ抜き出し、ヒューバレルは耳についている精霊の心臓の一つに半分まで魔力を流す。後ろに続くヒューバレルの部下達も警戒して各々の武器を手にしている。一瞬で緊張感が高まる。

 徐々に音が近づく。

 先頭の馬が見えた。

 誰も乗っていない。それどころか鞍や頭絡すらついていない。


「なんだ?」


 思わず戸惑ったような声がニールの口から漏れる。ヒューバレルも同じような表情だ。

 馬はヒューバレル達を通り過ぎていく。


「なんだったんだ?」


 部下の一人が、見た者の気持ちを代弁するかのように呟く。

 しかし、それはまだ終わっていなかった。もう一つ蹄の音が近づく。ヒューバレル達の目がもう一度前方を向いた。

 また同じような馬が駆けてくるかと思いきや、今度は頭絡と手綱がついている馬が駆けて来た。


 その背には……誰かが乗っている。


 その人物は馬の背にしがみついているが、ほとんどずり落ちそうになっていて、気力でしがみついているようにしか見えない。

 通り過ぎようとする馬を止め、力の限り無心に馬にしがみつく人物にヒューバレルが馬を降りて、駆け寄る。


「キースっ!! おい! キースなのか!!」


 ヒューバレルが、手綱と馬の体に抱きつく手に触れる。その冷たさに、びくりと手を引きかけるが、握りしめ揺らした。


「キース!!」

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