5.1人の殺人鬼


 しかしテーブルへ戻ると月城の姿はなかった。

 グラスも空で、氷しか残されていない。

 先に帰ったか? と考えながら腰を下ろすと、いつの間にか近くにいたユラの声が背後から聞こえた。



「電話に出てるよ」

「?」



 彼女の指差す方へ視線を投げると、店の外で月城がスマートフォンを片手に空を眺めている姿が見られた。

 電話くらい店内ですればいいのにと思ったが、聞かれたくない電話かもしれないなと影浦はコーヒーをあおいだ。

 彼のグラスも空になり、グラスの周りに結露していた水滴が手の平を濡らす。

 ユラにおかわりは、と尋ねられたが断った。



「あんた、本当はが出ていく日に話したんだろ?」



 窓の外の月城を眺めながら影浦が独り言のように呟くと、ユラもまた月城へ目を向ける。



「どうして?」

「綾子が月城の紹介をした時の顔」

「……」



 あの時、ユラは悲しそうな目で月城をじっと見つめていた。

 それは嫉妬というよりも、まさしく同情という様子だったのを覚えている。



「普通なら、自分の婚約者が見初めた相手を妬んだりするんじゃねーの? そういう時」

「……大変なのよ、彼に好かれた人間って。いつも何かしらの形で苦労する」



 ユラは否定せず、むしろ肯定するような口ぶりでそう答えた。

 何かしらの形で苦労する。

 ユラ自身がどんな苦労を背負ったかは語らないが、今の月城を見るだけでそれ以上の説明は不要だった。



「彼女、大丈夫?」

「……まぁ、叔父が刑事だとは知らなかったが。……心配はいらないんじゃないかと……」

「彼女、あなたを頼っているように見えるけど。って聞いてるのよ」



 影浦を見下ろすユラはまるで全てをわかっているかのように、疑いの眼差しを彼へと向ける。

 影浦はそれについては何も答えなかった。

 答えられなかった。

 空になったグラスをトレイに載せながら、ユラはまた口を開く。



「ところで、こないだまで話題になってた例の殺人犯は捕まったんだって?」

「死体でな」

「それじゃああなた達が追っていた優樹の手掛かりはなくなったわけね」

「……また綾子が何かしら見つけるってよ」

「あなたは探さないの? 彼を」

「探してるよ」

「どうする為に?」



 再び試すような言葉を浴びて、影浦はうんざりした。

 そんなことを教えるような間柄ではないし、むしろ彼女は「捕食者」の肩を持つ側のはずだ。

 敵対意識を持っている自分からそんなことを聞いてどうしたいんだ、と影浦は額に手をやる。


 ユラは以前、影浦に〝ナイフ〟が一本足りないと密かに教えた。

 その〝ナイフ〟を使って、「捕食者」は誰かをまた殺すつもりだろうと答えた。

 しかし「捕食者」が持ち去ったとされるそのナイフがある場所を影浦は知っている。彼の自室の、鍵のかかった棚の中に忍ばせてあるのだ。


 二年前、持っててと無理矢理渡されたのはそのナイフだった。

 そのナイフを受け取り、魅せられた彼にはそのナイフの意味がわかっていた。



 ――このナイフで、殺して



 そういう意味に違いない。だが誰を、という答えはこの二年間ずっと見つけられていない。

 そしてそうこうしている内に阿佐美が人を殺し、それをきっかけに綾子に見つかり、月城と出逢ってしまった。

 あのナイフの意味は、未だにわかっていない。



「俺はただ、を捕まえてやりたいだけだ」

「……そう」



 苦し紛れなその答えに納得したようにユラは頷くと、厨房へと下がってしまう。

 一人テーブルに残された影浦は、額を支える指の隙間からまた窓の向こうを眺めた。


 月城は楽しそうに、何度も首を横に振りながら電話をしている。

 もしかしたら叔父と電話しているのかもしれない……と考えた。



(俺は……あのナイフをどうすればいいんだ?)



 こじつけた答えなら一つだけある。


 自分がこうして殺人を犯すようになったのも、殺人鬼に対して異常な嫌悪感を抱くのも、「捕食者」に会ってからだ。

 彼に出会ってしまったから、自分もまた不死原や阿佐美同様に影響を受け、変えられてしまった。


 なら、影響の元となったを殺してしまえば……元に戻るのかもしれない。


 手っ取り早く乱暴な答えなら簡単に見つかる。

 だがそれを実行するのは限りなく難しい。


 それに、影浦は月城と会ってしまった日からあることにも悩まされていた。

 月城を見る度に、彼女がこちらに歩み寄ってくる度に、ああして楽しそうに笑う度に……日和が被る度に。


 彼女をどうしても、殺したくなっている。


 「捕食者」が日和を殺したあの時の光景が忘れられない。

 それを自分と彼女なら再現出来る……と、醜い欲望が腹の底からふつふつと沸き上がる。

 もう日和を殺したくないと思っているのに、殺したいと望んでいる。

 影浦の頭の中では過去と現在がない交ぜになってしまっていた。



「……を殺せば、この考えもなくなるのか?」



 誰かに尋ねるように呟いても、答えてくれる人は誰もいない。

 もしも今、向かいの席にが座っていたのなら……答えてくれたかもしれない、なんて考えてしまう。


 すると頭の中で「お互い苦労するね」との声が聞こえた気がした。



「ごめんね、叔父さんから電話かかって来て……」

「何か不味いことだったか?」

「え? ……ううん、ここ電波悪くて」



 何だ、思い過ごしか。と影浦は軽く笑った。

 そして影浦が笑ったのを久しぶりに見た月城は驚き、その顔は徐々に笑顔へと変わっていく。



「あとね、今綾子君から新しい情報見つけたって連絡来てて……。影浦君も聞かない?」

「……」

「その、多分……スマホの通知見たら凄いことになってると思うんだけど……」



 言われて画面を確認すると、三桁にも上る通知を目にして思わずスマートフォンを床に叩きつけそうになった。

 影浦の最近の態度に限界を感じた綾子なりの嫌がらせなのだろうが、これではまず友達が出来ないなと影浦は納得する。



「……仕方ない、学校か?」

「ここにいるって言っちゃったから、ここに来るみたい」

「……」

「ご、ごめんね……」



 悪気は感じられないのでそれ以上は何も言わなかった。

 だが月城は先程よりも幾分か上機嫌になっており、影浦にはその原因がわからなかったがまぁいいかと触れないことにした。

 彼女が笑っていると、日和の笑顔を思い出す。



「この迷惑行為の借りは飯代で許してやるか」

「もう気分悪くないの?」

「治った」

「そっか……よかった」



 じゃああたしも何か頼もう、と月城はランチメニューを開いて二人は綾子達三人の到着を待つことにした。


 全員が揃えばまた「捕食者」探しへのプランが練られるのだろう。

 果たしてそれに意味はあるのか……と影浦は疑問に思うが、恐らく月城がいれば綾子は満足なはずだ。

 彼女がいれば、こちらから探さなくても殺人鬼は寄ってくる。


 今、まさしくのように。



「? 何かあった?」

「いいや……」



 影浦が小さく笑ったのを聞いて、月城はメニューから顔を上げる。

 影浦はテーブルに載せた自分の右手から月城へと視線を映して、自嘲するようにぼやいた。



「殺人鬼、見つかるといいな……」



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殺人鬼を探しています。 是人 @core221

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