第4話

 私が洋館の前まで来ると、タイミング良く画家が仕事から帰ってきた。そのまま私は家の中に通され、冷たい飲み物を貰ってから例の部屋に通された。


「お母さんと話はついたんですか?」


 椅子に座らされてすぐ、彼はそんな質問を私に投げかけた。咄嗟に答えられず、喉の奥で小さくうめき声のようなものだけが上がる。少しして、ようやく言葉が紡がれた。


「はい、母も、折角偉い画家さんに描いて貰えるんだから好きにしなさい、美人に描いて貰いなさい、なんて言ってました」


 先程の間をかき消す程、私の口からはスラスラと冗談すら交えた嘘が出てくる。自分は虚言を綴るのがこんなに得意だったのかと自嘲の感情が浮かぶ。そして、これならバレないだろうという安心も。


「そう、ですか?そんな風には見えませんけど……何かあったなら話してください。モデルに心のわだかまりがあるのは歓迎すべきものではありませんから」


 心臓が一度、痛いほど高鳴った。他人を観察するということに関して、彼は一流なのだ、ついさっき嘘のコツを掴んだ程度の私では、真実を包み隠すことなど出来ない。私は改めて、母との関係を語った。

 画家は私の言葉を真摯に受け止めながら聞いてくれた。彼がたまに頷いてくれるのが、話していて心地良い。そこで私は、今までこうして相談する相手も存在していなかったのだということに思い当たった。自然、私の目からは涙が溢れていた。泣くのは、父と離ればなれになって以来だった。私の話を聞いて、画家はそうですか、と小さく呟いただけだった。それで構わない。多分私はこの感情をどこかにぶつけたかっただけだろうから。

 私の涙が収まって画家は作業を始めた。今日は絵筆と絵の具を持ってきている。昨日の時点である程度進んでいた下書きを終わらせて、画家は筆を持った。鉛筆の下書きより、静寂な時間が過ぎていく。画家は下書きの時より余程集中して筆を動かしていた。私にはそれが、絵に魂そのものを塗り込めているかのように思えた。

 途中で休憩を挟みながら、作業は夜まで続いた。画家が汗をかいていたのは、暑さのせいだけではないだろう。


「ありがとうございます、良い絵になりそうです」


 帰り際、彼はそう言った。私も嬉しかった。少しの恥ずかしさはあるが、天才と言われる彼が良い絵になると言ってくれるのは光栄の限りだ。私はお礼を言って家路についた。

 家に帰ると、母親が怒鳴り散らすことはなかった。母親の部屋以外を見て回るが、どこにもいない。未だに部屋の中にこもっているのだろう。私は気にも留めず、しかし母親を餓死させたとあってはまともに生きていけないだろうと思い、夕飯は母親の分まで用意しておいた。作っておいたという旨を母親に告げたが、部屋から返事は無かった。奴隷の反乱が、それほど恐ろしかったのだろうか。もっと早くこうしておけば、まだマシな人生を歩めたのかもしれない。

 私は夜の時間も自由に過ごして、その日は終わった。

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