エピローグ

変身なんてしたくない

 町に平和が戻ってきた。

 聡介は喫茶ブレイクの店主として珈琲を淹れ、平均年齢七十オーバーの常連と談笑し、日々増えていくフィギュアに囲まれ有馬の特撮話につき合う日々を送っている。

 ヒトミは変わらずウエイトレスを続け、ソルは田所の工場で着々と仕事を覚えているらしい。

 二人ともすっかり町に馴染んでいる。

 聡介も、母に以前よりもマメに連絡を取るようになった。そうするように勧めたのがヒトミだと知ると母の態度は急に軟化し、二人の交際を応援すると言い出した。

 そうではないとますます言い出しにくい状況に陥ってはいるが、親子関係は良好だ。

 聡介の望んでいた、穏やかな日常。刺激はないけれど、それなりに楽しく暮らしている。

 父との再会はまだ叶わない。祖父のところへも連絡はないようだ。もう、家族の元へ戻る気はないのだろうか。父には、二度と会えないのだろうか。

 ふとそんな考えに囚われることもあるが、それでも、待ち続けると決めた。

 この町で。この店で。

 会えたときにどんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのか、まだわからないけれど。  

 いつか、父が訪ねてきてくれたら、とびきりおいしい珈琲を淹れてやろう。

 そう思いながら、聡介は静かな店内を見渡す。奥様方のお茶の時間が終わると、しばし店は暇になる。

 一息入れようとヒトミに声をかけようかと思ったところへ、カランとドアベルが鳴り、少年が入ってきた。中学生くらいだろうか。色白の、大人しそうな子だ。

「すみませーん、ブレイクってここですか」

「いらっしゃいませ。喫茶ブレイクはうちですよ」

 聡介は柔和な笑みを浮かべ、応える。中学生の寄り道にはそぐわないメニューと価格設定だが、もしかしたら店内に飾られたフィギュア目当てだろうか。

「よかったぁ、方向音痴だから自信がなくて」

 照れたように笑う顔はあどけない。

 いつもなら真っ先にヒトミが『いらっしゃいませ』と言って、注文を取りにいくのに、彼女はカウンターから出てこない。訝しげにこちらを睨んでいる。

 なんだ? どうしてそんなに警戒しているのだ。

 少年は席には着かず、興味深そうに店内を見回している。

 やっぱり、フィギュアを見たくてきたのかな。このくらいの年頃の子と話せる機会なんてあまりないし、あとで何が好きか聞いてみよう。

 そんな、聡介のささやかな楽しみをぶち壊すように、少年は突如振り返り、ファイティングポーズを取る。

「では、ブレイク。いざ勝負!」

「……はぁ?」

 思わず、接客業らしからぬ声が漏れた。子どもがふざけている……わけではなさそうだ。

 こいつは、聡介をブレイクと呼んだ。よく見ると少年の腕には鱗のようなものが見える。にっと笑った口元には鋭い牙。

「なんだよ、なんでまだ敵が出てくんだよ!」

「わたしに訊かないでよ!」

 ヒトミはカウンターの中から動揺した声を上げる。本当に知らないようだ。

「いざ! いざ!」

 少年は急かすように声を張り上げる。袖から覗く鱗はパリパリと音を立てて逆立っている。興奮しているのだろう。

「待て、待て待て。店の中はやめてくれ。外に出ろ」

 留守をヒトミに頼み、聡介は少年を連れて人気のない場所を探した。幸い、少年は大人しくついてきてくれる。行儀がよくて助かる。

 神社の裏の駐車場は、思った通り日が暮れると人の姿はなかった。

「ここでいいか」

「いい! どこでもいい!」

 嬉しそうに叫んだあと、可愛らしい容姿に似合わない低い唸り声を上げ始めた。

 少年の肘あたりから刃のようなヒレが飛び出る。餅のような白い頬からも。身体中のあちこちから、凶暴そうな刃が飛び出てくる。

 少年の変容を、聡介はうんざりした気持ちで見守る。

 どうして、こんなことになったんだ。

 普通に働いて、休日には友人と趣味にいそしんで、そのうち結婚もして家族を作って、それなりに苦労はありつつも平凡に暮らしていければそれで充分だった。

 そんなささやかな願いさえ、叶わないとは。

 聡介は深いため息をつくと袖をまくり上げ、銀の腕輪にはまった赤い石にそっと触れる。

 変身なんて、本当はしたくないのだが。

 とにかく、まだヒーローお役御免とはいかないらしい。

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変身なんてしたくない! 絢谷りつこ @figfig

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