第5章

どこの世界も世知辛い!

5−1

 喫茶ブレイクの昼下がり。まだ梅雨の明け切らない空はどんよりと灰色で、湿った空気が満ちている。今にも雨が降り出しそうだった。

 聡介は店頭の黒板にマフィンが焼き上がったことを知らせるポップを貼りつけていた。今日はナッツ入りだ。

 以前からピザトーストやホットサンドは出していたが、甘い物が欲しいというご近所の奥様からのリクエストにお応えして焼き菓子を始めてみたのだ。まだまだ難しいものはできないので、毎日少量ずつ、メニューを絞って作っている。今のところ、なかなか好調だ。

 ナッツ入りのマフィンには芳ばしいマンデリンが合うのではないかと考えながら店内に戻ろうとすると、黒っぽい人影が、商店街をバタバタと走っていくのが見えた。 大人にしては背が低く、腹もぽってりと膨らんでいる。背中にはフリンジのようなヒラヒラがたくさんついていた。それ以上はよく見えなかった。

 なんだろう、変な格好だったな。

 そう思い人影が去った方向を眺めていると、今度は、ランドセルを背負った小学生男子が数人、同じ方向に走って行く。背格好からして、三、四年生くらいだろうか。

「変質者だ、変質者! 捕まえろ!」

「変態め! やっつけてやる」

 口々に物騒な単語を叫びながら、リコーダーや定規を振り回している。

「……なんだ?」

 何かの遊びだろうか。あの年頃の男の子が、端から見ると珍妙な遊びに興じることがあるのは、聡介も身をもって知っている。

 だが万一、本当に変質者だったり、一方的ないじめだったら放ってはおけない。そう思い、留守をヒトミに任せ、様子を見に追いかけてみた。走っているうちに小雨がぱらついてきた。本格的な雨にならなければいいけど。

 しばらく辺りを探すと、駐輪場の隅で先ほどの小学生が数人、輪になっているのが見えた。中央には誰かいるようで、頭を抱えて丸くなっている。

 助けに入るかと聡介が踏み出そうとしたとき。背後から小さな人影が勢いよく追いこして行った。

「こらーっ! 弱い者いじめをするなーっ!」

 叫び声に、いじめていた子どもたちが一斉に顔を上げる。

「あっ、かいだ。やべっ」

「隣のクラスの奴、海と喧嘩して骨折させたって」

「ひっでー。うちのママもあいつと関わるなって言ってた」

「雨降ってきたし、早く帰ろう」

 口々に言いながらいじめていた子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、あとには助けに入った子と、怯える人影が残った。いや、人……ではなさそうだ。

 黒っぽい灰色の身体はしっとり濡れたような質感で、よく見ると小さな斑点があり、そのいくつかは発光していた。背中はにはフリンジのようなヒラヒラがあり、おなかはぽってりと丸く、手足には水かきと吸盤、目は大きくつぶらで、すこし眠そうに瞼が垂れ下がり、口は大きく顔の半ばまで割けている。見た目は二足歩行ののカエルという感じだ。

 これはもしかして、リベラの刺客……なのか? それにしてはずいぶん頼りないが。

 聡介は物陰に隠れて、少年とカエルの様子を見守る。もしも少年に危害を加えそうなら、助けにいかなければいけない。

「骨折なんかさせてねーっつーの。ただの捻挫だって、大げさだな。しかも勝手に転んだんだし」

 不服そうに漏らしながら、海と呼ばれた少年はカエルに手を差し伸べる。カエルはビクリと怯えて後退ったが、海が強引に腕を掴み、引っ張った。

「なんだよ、大人のくせに情けねーな。ほら、しっかりしな」

「あ、ありがとうケロ……」

 戸惑いながら礼を言う声は弱々しい。今のところ危険な奴には見えない。

「この着ぐるみ、おっさんが作ったのか? よくできてんな」

「き、きぐるみ?」

「助けてやったんだから顔くらい見せろよ」

 そう言いながら、海は背伸びをして、カエルの顔をぐいぐいと引っ張る。

「いっ……痛たたたっ。痛いケロ!」

 カエルの情けない声に、海はぱっと手を離す。そして、自分の手を不思議そうな顔で見つめている。たぶん、妙に生々しい感触がしたのだろう。聡介にはなんとなく想像がつく。

「まぁ、いいや。あいつら一人一人は大人しいけど、集団で弱い者いじめすんの大好きだから。気ぃつけろよ」

 そう言い残し、海少年は元気よく走って行った。最近の子どもにしては珍しく腕白というか、ガキ大将気質というか。

「ふー。人間の子どもは凶暴ケロ……」

 海が去ったのを確認すると、カエルは大きく息をつき、何やらケロケロと独り言を漏らしながら、吸盤のついた手で顔を撫でている。ようやく落ち着いた様子なのに声をかけるのはなんだか可哀想な気もしたが。

「おい、お前」

 ビクッと背中のヒラヒラを揺らし、カエルは驚く。まん丸に見開いた目は真っ黒でうるうるしている。

「えっと、もしかして、ブレイク……の人ケロ?」

 両手を胸の前で組み、首を傾げている。しばし考えたあと、カエルは慌てて走り出した。だが、遅い。聡介は走るまでもなく大股で追いつくと、肩を掴む。

 うわ、やっぱり……。湿ってぐにゃっとした感触に、着ぐるみではないんだなと実感する。

「待て待て待て。ここで何をしてるんだ」

「てっ、敵に作戦を教えるわけないケロ!」

「言え」

 低い声で命じると、カエルは口ごもるように小さくケロケロと鳴く。なんだかいじめているようで気が滅入る。

「え、えっと、子どもをさらって人質にして、手出しできないブレイクを倒すケロ」

 小学校近くで誘拐する子どもを物色していたところ、先ほどの男子らに見つかり追いかけられたのだと言う。こいつの浅はかな作戦もさることながら、子どもたちも子どもたちだ。不審者と思ったならすぐ大人に知らせるべきだ。

 ため息をつきながら、聡介は腕を組む。

「回りくどいな。俺が目当てなら最初から俺んとこくればいいだろ」

「僕はその、あまり強くないので、卑怯な手を使うケロ。ブレイクは口は悪いけど優しいらしいから、きっと手出しできないケロ」

 優しい、か。ワニマッチョにトドメを刺さなかったことを知っているのか。

「なんでそうまでしてブレイクを倒したいんだ」

「出世してお金持ちになって、可愛いお嫁さんをもらうケロ!」

 吸盤つきの手をぎゅっと握り締め、大きな目をパチパチとさせる。心なしか、顔を赤らめているようにも見えた。

「帰れ。だいたい、金持ちにならなきゃ嫁になってくれない女なんかろくなもんじゃねー」

「ふん、どうせお前も独り身ケロ? そんなだからモテないケロ。よりよい家庭を築くためには、女子は厳しい目で伴侶を選ばねばならないケロ。経済力は、大切な判断材料ケロ」

 経済力か……。向こうもけっこうシビアなんだな。

 聡介がため息をつくと、カエルはそれにつられたように肩を落とす。

「……しゃ、喋りすぎたケロ。アウロラ様に叱られるケロ……」

「アウロラ?」

「あっ」

 慌てて両手で口を押さえ、カエルは目を白黒させる。彼に命令を出しているのはアウロラという人物らしい。

 なんでこんなドジっ子が送り込まれたんだろう……。

 こいつとは戦いたくないな。子どもを人質にされるのも困るし。

「とにかく、悪さしないで帰ってくれ。いいな」

 まぁ、子ども相手にも勝てないような奴だ、放っておいても害はなさそうだ。どちらかというと、危険な目に遭うのはこいつ……呼び名はケロケロでいいか、とりあえず。素直に帰ってくれるといいが。

 しょんぼりと俯いてしまったケロケロを残して、聡介はその場を立ち去る。

 ぱらぱらとしか降っていなかった雨は次第に本降りになり、聡介は走り出した。

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