第1章

喫茶ブレイク営業中!

1−1

 カリカリと豆が挽かれる小気味よい音と、ケトルがシュンシュンと湯気を吐く音がする。

 小さな珈琲店のカウンターの中では、糊の利いた白シャツに黒いエプロン姿の男が、珈琲を淹れていた。

 午後四時、店内に客の姿はない。仕入れたばかりのグァテマラの味と香りを確かめようと、自分のために淹れた一杯だ。

 一口含み、わずかに眉を寄せる。悪くはない。客に出せないレベルではない。

 だけど何か違う。爽やかな酸味はいいが、苦みが弱くバランスが悪い気がする。

 そこまではわかるけれど、何が原因で、どう改善すればいいかを特定するには至らない。

 まだまだじいさんには敵わないな……。

 独りごちて志木聡介はため息をつく。しかめっ面に気づいて、慌てて首を振った。

 聡介は喫茶ブレイクの店主だ。祖父からこの店を受け継いだ。

 自分の容貌があまり客商売向けではないことは自覚している。

 無愛想で目つきが悪い。おまけに口も悪い。

 もっと年を取ればその特徴も渋いおっさんとして機能するかもしれない。或いは、もっと若ければシャイで初々しいと好意的に受け止めてもらえる可能性もある。

 だがあいにく、二十九歳、もうすぐ大台に乗るという微妙なお年頃だ。

 聡介は磨き上げたケトルに顔を映し、ニッと口の端を上げてみる。

「気持ちわりー……」

 自分の営業スマイルに落胆し、目を背けた。

 常連客は祖父と同年代で、聡介を孫のように思ってくれている。愛想笑いなど求めてはいない。

 そんなことはわかってはいるが、客商売をする以上、笑顔くらい自在に操れなくてどうする。

 訪れる客をいつも最高の笑顔で迎えたい。そう思うのだ。

 レトロな雰囲気とおいしい珈琲、くつろげる空間と穏やかな笑顔のマスター。

 それが、祖父の営んでいた喫茶ブレイクだった。

 引き継いだからには繁盛させたい。祖父が安心して隠居生活を楽しめるように。

 ふっと聡介の表情が緩む。カウンターに立つ祖父の姿を思い出したからだ。

 その笑みは存外に優しい。本人は気づいていないが。

 思い通りにいかないこともあるけれど、聡介は今の生活を気に入っていた。

 自分の裁量で仕事をできるのはやりがいを感じるし、生活に困らない程度の売り上げもある。閉店後や定休日には友人とのんびり過ごすこともできる。

 平凡だが、満たされた日々だ。あとは、支え合えるパートナーがいれば完璧だ。

 そんな聡介の日常を壊す音が、静かな店内に響く。

 カラン、と涼やかなドアベルが鳴り、聡介は反射的に笑顔を作る。今度は上手く笑えた気がした。

「いらっしゃいま……」

 だが、その笑顔は硬直する。

 店に入ってきたのは若い女性だ。胸元まである栗色の髪は毛先がゆるくカーブしている。大きく明るい色の目は人懐っこそうに笑みを浮かべていた。肉感的な唇は艶やかで、柔らかそうだった。

 美人だ。しかもかなりの。

 しかし聡介が硬直し、すぐにでもお引き取り願いたいと思ったのは、その出で立ちにある。

 白いビキニ姿に肩にはマント、足元はウエスタンブーツで、カウボーイハットを斜めにかぶり、腰にはおもちゃじみた拳銃の刺さったホルスター。

 コスプレ……だろうか。これで町中を歩いてきたのか。まだ五月の半ばだ。寒くはないのか。

 今、常連客がいなくて本当によかったと、聡介は密かに胸を撫で下ろす。

 お年寄りが見たら卒倒するじゃないか。いや、じいさんたちは喜ぶのか……。

 ダメだ、喜んでもらっても困る。ブレイクは健全な喫茶店だ。

 服を着ていただくか、それができないなら退店いただこう。ここは海の家ではないのだ。

 露わになった豊かな胸の谷間に視線がいかないよう気を引き締めながら、聡介は女に近づく。すると、しなやかな手が腰のホルスターに伸びた。

 意外にも素早い仕草で銃を抜き、聡介に突きつけてきた。一瞬ドキリとしたが、やはり、おもちゃのようだ。形はオカリナのような流線型で、つるりとしている。

 しかし、彼女が放った言葉の弾丸は、聡介にけっこうなダメージを与えた。

「おにーさん! ちょっと変身してみない?」

「……は?」

 思わず低い声が漏れた。聡介は思いきり顔をしかめる。ついさきほど、最高の笑顔で……なんて思っていたのに。

 女はそんなことはつゆほども気にしない様子で、バンバンと聡介の肩を叩いてくる。

「んもう! お兄さんが正義の味方が大好きなのは調査済みなんだから! してみたいでしょ、変身。なりたいんでしょ、正義のミ・カ・タ」

 わかるわかる、とでも言いたげに女は何度も頷いて見せる。

「……いや?」

「またまたぁ。遠慮しなくっていいって。あ、もちろんお金を取ったりとか、新興宗教でもないから!」

 パタパタと手を振り、安心してと言わんばかりにまた頷く。ジェスチャーの大きい人だ。

「あ、わたしはヒトミ。本名は他にあるけど、この世界流の名前ね」

 この世界流ときたか。いかれてるのは格好だけではないらしい。

「異世界からやってきた美少女から、正義の味方になれる力を授かるなんて、憧れのシチュエーションでしょう?」

 なんだろう。何かになりきっているのか? 芸人か役者か、何かの罰ゲームか? いや いや、その前に聞き捨てならないことをこの女は言った。

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