僕の好きな君の好きな話を僕は書けない

 片手だけ吊革につかまった永江ながえさんが、グレーのブレザーの内側からスマートフォンを取り出す。電車は丁度カーブに差し掛かり、車内の皆が一様に左に傾くのをぐっと踏ん張る。窓の外には雪化粧をしたばかりの富士山がその存在感を見せつけているのだが、誰もそちらを見向きもしない。秋を越えた学生たちにとっては、雄大な富士ですら、見慣れた風景の一部でしかない。


 大抵の学生が手元のスマートフォンを覗き込んでいる身延線の車内の中、ひとり、僕だけは永江さんを見つめていた。


 永江さん。僕と同じ高校に通う同級生(つまり2年生)。おかっぱボブ。最近眼鏡からコンタクトに変えた(理由が気になる)。部活は知らないが運動部ではないはず。毎朝車内限定小説を読んでいる。あと、可愛い(コンタクトに変えて皆がそれに気付き始めてしまっている)。


 在来のローカル線である身延線は、確か2020年くらいから、新規乗客獲得の手段の一つとして、車内にフリーのwi-fiスポットを設置した。それだけでなく、そのwi-fiスポット経由で、車内のみからアクセスできる様々なコンテンツが用意された。


 はじめは地域の天気やお知らせ、ローカルニュースがメインだったコンテンツには、やがて、読み物が用意された。毎日更新される連続小説は、かなりローカル色が強かった。その連載が人気を博すと、やがて、各年代をターゲットにした、よりローカルな読み物が連載されるようになった。それこそ、特定の学校の行事や先生を思わせる内輪ネタまで盛り込んだその小説は、僕らの間でちょっとしたブームになっていた。


 実はその小説を書いているのは、僕だ。元々は、フリーのAI技術者である僕の父がニュースコンテンツ部分だけを担当していた。とはいっても、自分で何かを書くのではなく、地域内にカメラ付きのドローンを飛ばし、その画像からAIにニュース記事を書かせ、面白い物を選抜して乗せているだけだった。しかし、そのうちコンテンツ数が足りないと思った父が、自ら小説を執筆し連載を開始すると、思った以上に人気になってしまった。


 味を占めた駅側から小説コンテンツの拡大を迫られた父は、自分一人で何個かの小説連載をこなそうとして、体を壊した。困った父に相談された僕は、なんとか学校の内輪ネタを拾い上げて話をでっちあげ、今に至るのだ。


 クラスの皆には、このことを話していない。親しい友人にもだ。素知らぬ顔で教室で車内コンテンツの話に参加し、皆の感想や、今後の展開予想などを聞いては、日々のネタに取り入れているのだ。そのおかげか、10分間ほどの乗車時間に読み捨てられるコンテンツとしては、思った以上に成功している。


 だが、である。だがしかし、永江さんが読んでいるのは僕の書いた話ではなかった。それとなく女子たちの会話に耳を傾ける限りでは、永江さんが読んでいるのは、父の書いている小説の方だった。


 その話は、ローカルのフェスイベントのフードパークの1店舗に出店する事になった主人公達(バーテンと定食屋の2代目のコンビ)が、様々なお酒やフェス飯を考案しながら、仲間たちと店を作り上げていく物語だった。


 僕には、お酒の知識も無ければ、料理の知識もない、ましてや、フェスというものに参加した事も無ければ、どんなものかすらも良く知らない。とうてい書くのは無理な代物だ。僕にできるのは、目の前の話題を無理やり物語に落とし込むことだけだ。


 そして永江さんは、その物語のバーテンにいたく入れ込んでいるらしいのだ。高校を卒業した20歳のバーテンに。ひょっとしたら永江さんの好みは、年上の男性なのだろうか。そうだとしたら、僕には――。


 今日も目の前の永江さんは、スマホの画面を食い入るように見つめている。そして、うっとりとした表情で微笑む。僕はその笑顔に打ちのめされる。


 理屈抜きで引き込まれる。心の底からそう思った。だがその笑顔は僕に向けられたものではない。その笑顔の行き先は、年上のバーテンであり、そして、父だ。


 認めよう。僕は2人に嫉妬している。物語上で創作された存在の彼と、永江さんが会う事はない父に。2人に永江さんの手は届くはずもない。その事をわかっていながら、それでもどうしようもない気持ちになる。そんな事を思う自分が卑怯であり、馬鹿馬鹿しいと感じる。


 だが、湧き上がる気持ちは止められない。僕にできる事は、それを外に出さずに抑え込む事くらいだ。


 毎朝見せる永江さんの笑顔――時には笑顔でなく、思いつめたような顔や悲しそうな顔――は僕の胸の中に嵐を巻き起こす。毎朝。学校へと行くたびに。


 僕の好きな君の好きな話を僕は書けない。少なくとも、今の時点では。


 でも、じゃあ、だから、僕は。


 毎朝そう考えているうちに電車は駅へと到着する。そして、僕たちは何ごとも無かったかのように車内からホームへと向かう。オートマティックに目的地へ向かう。きっと皆、それぞれの胸に、それぞれの嵐を抱えながら。

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