初詣

 櫂君とは、大きな神社のある最寄り駅で待ち合わせをしていた。駅を出た時点で、その街は既に大きな賑わいを見せている。

 恋人同士、友達同士、家族連れ。たくさんの買い物袋は、セールに行ったのかな?

 そういうことに無関心な私は、セールだからといって出かけることもなかった。

 ごった返すセール会場でもみくちゃにされるよりも、おコタでみかんやビールを堪能しながらまったりしているほうがずっといい。

「お正月そうそう。みんなよく出かける気になるなぁ」

 今日は自分もそのうちの一人だということを棚上げにして人波を眺めていると、後ろから弾むような声と共に肩を叩かれた。

「菜穂子さん」

「あ、櫂君」

「あけまして おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」

 櫂君は、丁寧に挨拶をしてぺこりとお辞儀をする。私もそれに倣って挨拶をした。

「あれ。櫂君、コート新しいよね?」

「あ、気づいてくれました」

 私の言葉に、櫂君はホクホクとした顔を見せる。

「年末に、セールに行ってきたんです」

 ほう。櫂君もセールへ行った一人なんだね。

 櫂君が着ている新しいコートは、ダッフルだけれどブラックトーンのチェックのせいか、全然子供っぽく見えない。寧ろ、スマートな着こなしになっていて、履いているブルーのジーンズによくあっていた。

 櫂君の姿を上から下まで眺めて思う。

 なんか、いいじゃん。佐々木さんじゃないけれど、惚れるのもわかるよね。

 今更だけれど、櫂君てかっこいいんだなぁ。

 通り過ぎて行く女性たちが、さっきからチラチラと櫂君を見ていく。

 注目を浴びるほどなんだから、よっぽどだよね。

「あ……、あのぉ。僕の恰好、おかしいですか?」

 傍に立ったまま櫂君のことをガン見していたら、不安そうな顔を向けてきた。

「あ、違うの。ごめん、ごめん。なんかね。今更だけど、櫂君て、かっこいいんだなって思って」

 私の言葉に、櫂君が真顔で一瞬間を開けた。けれど、それも僅かな時間で、すぐに切り返してくる。

「僕に見惚れてたんですね」

 ニコリと当たり前のような顔をして言いきられてしまったら、どうしてだかこっちが慌ててしまった。

「へ? み、見惚れるって……」

「いいですよ。遠慮しないで、どんどん見惚れてくださいね」

 とてもご機嫌な表情の櫂君が、私を飛び切りの笑顔で見ている。

 櫂君てば。私が見惚れるなんて、何を言ってるんでしょう……。

 神崎さんに見惚れるじゃなくて、櫂君に見惚れるなんて、佐々木さんがいたら怖いくらいに笑われそうだよ。

 確かに櫂君はかっこいいかもしれないけれど、私が好きなのは神崎さん……ですから。

 とは言うものの、桜にまつわる彼女のことや、キスのことも気にかかっていて、いまいち胸を張って神崎さんのことが好きーーー! と叫ぶような感じではなくなっていた。

 それがどうしてかと、考えてみて気がついた。

 神崎さんは、好きとか愛しているとかいう次元じゃなくて、なんていうのかな……こういうの。

 うーん。……あ、そうだ! 憧れだ。

 スラリと高い身長に爽やかな笑顔。その時にのぞく、まるでCMのような白い歯。

 後光さえ見える眩しい容姿を持つ神崎さんに、私はずっと憧れを抱いていたんだ。

 だからなのかな。あの時のキスに、何故だかひどく落ち着かない気持ちになってしまったのは……。

 憧れの人は、遠くから見つめて、あーだこーだ勝手なことを言って、きゃっきゃと騒ぐからいいのであって。

 近づきすぎちゃいけないんだろう。

 その点櫂君は、とっても身近な存在だよね。新しいコートをかっこよく着こなす姿は、神崎さんにも負けていない気がする。

 こういうのは、憧れじゃになくて……。

 ……そう、櫂君は、もっと、こう――――。

「さ、神社へ行きましょう」

 ぼんやりと考え事に耽っていた私の手を引き、櫂君は意気揚々と歩き出す。

 ちょっと強引な感じで引き摺られたというのに、うーん、なんでしょう。この、感じ。

 悪く……ない?

 行きかう人たちにぶつからないよう、櫂君にしっかりと手を握られて、私たちは神社をめざした。

 大きな門をくぐれば、更にたくさんの人たちがいて、おしくらまんじゅう状態だ。

 こんなに人がいっぱいいて、お参りなんてできるのかな? あまりの人の多さに、参拝するところまで辿り着けない気がするよ。

「ねぇ。凄い人だね。鈴鳴らすところまでいけるかな?」

 時折背伸びをしながら先を眺める私が訊ねると、櫂君は眉根を下げている。

「……ですねぇ。こんな有名どころじゃなくて、近所の小さな神社の方がよかったですかね」

 時間ばかりが経って、なかなか前に進まない。

「あ。もしかして、このあと予定とかありますか?」

「ううん。そうじゃないんだけどね」

 なかなか進まない行列に、櫂君が気を利かせて心配し始めた。

「もしかして、寒いですか? 僕、何かあったまる物買って来ましょうか?」

「あ、いいよ。大丈夫っ」

 すぐさまどこかへ向かって一直線に飛んでいきそうな櫂君のコートを引っ掴み、私は慌てて引き止める。

 こんなところで置いてけぼりにされたら、二度と逢えなくなりそうな気がしてしまう。

 思わず櫂君のコートを握り締めると、私のことをふんわりとした目で見ている。何とも言えない笑顔に、思わず数秒ほど見惚れてしまった。

 相変わらずよく気が利く櫂君に感心しながら、更に並ぶこと一時間。

 寒さにもやられ、足も痛くなってきた頃、ようやくお賽銭箱の前までやってくることができた。

 ほいっと小銭を投げ入れ、拍手を打って手を合わせる。

 私の願いは、母が亡くなってから毎年決まっている。

 お祖母ちゃんが、いつまでも元気でいてくれますように。

 これだけが、私の望みだ。

 隣に並ぶ櫂君も、なにやら真剣に目を瞑ってお願い事をしている様子。

「櫂君は、何をお願いしたの?」

「えっ!? いや、僕は、そのっ」

 何を慌てているのか、訊ねる私に櫂君がしどろもどろになっている。

「いいよ。無理に言わなくても。お願い事は、口にしちゃいけないような気もするし」

 すんなり引き下がった私に櫂君ほっとした顔をした後は、二人でおみくじを買いにいった。

 すると、なんとダブルで大吉だった。

 こんなことってあるのかなー。

 私は、かなり猜疑心の固まりになって、神社がみんなにいい思いをしてもらいたくて気を利かせたんじゃないかと櫂君に話すと、それはそれでみんなが幸せな気持ちになるから、いいんじゃないですか。と彼は穏やかに微笑んだ。

 それもそうだね。

 その後、小腹の空いた私たちは、地元へ戻り定番になってきているラーメン屋さんへと赴き、熱々のラーメンで心も体も温めた。

 替え玉をする櫂君を見守ったあと店を出て、自宅マンションへ足を向ける。

「そういえば、櫂君のマンションの件。ずっと保留になったままだったよね。お祖母ちゃんが、駅から少し離れた場所だけど、一軒あるみたいなこと言ってたよ。どうする?」

「あー。それなんですけど。せっかくで申し訳ないんですが、お断りしてください」

「いいの?」

「はい」

 櫂君は、すっきりとした表情で冬の透き通るような青を見上げて呟いた。

 満足そうなその顔を見たら、何も無理に新しい部屋を勧める必要はないのかなって気がした。

「今日は、ありがとう」

 エントランスの中まで送ってくれた櫂君にぺこりと頭を下げると、「どういたしまして」と笑顔が返される。

 櫂君て、いつも笑顔だよね。

 さっきもそうだけれど。私の知っている櫂君は、いつだって笑っている。

 私の前では、いつも笑顔でいてくれている。

 そんな櫂君を見ていると、とても安心するんだよね。

 なんていうか、近くにいる人が笑っているって、凄くいいことだと思うんだ。

 そばで悲しい顔や怒った顔ばかりされていたら、そういうのって伝染してくるし。自分は悲しくもないのに、なんだかぎゅっと締め付けられるような気持ちになったり。誰にも怒りなんて覚えていないのに、何故か心がトゲトゲしてきたり。

 そういうのって、心に良くない。

 だけど、櫂君はいつも私の前では笑っていてくれる。その笑顔は私に伝染して、自然とウキウキしたりルンルンしたり、心が弾んでいく。

 明るい気持ちにさせてくれる櫂君の存在は、私にとって、とても貴重だって、改めて思うんだ。

 そう考えたら、心がウズウズとしてきて、とても言いたくなってきた。

「櫂君。いつもありがとう」

「どうしたんですか、急に」

 突然、感謝の気持ちを告げられて、櫂君はきょとんとした顔をしている。

 そんな櫂君へ、私は笑顔を向けた。

「すっごく言いたくなったから」

 私の笑みにクシャリと笑う櫂君。

「じゃあ。遠慮なく、その気持ち受け取ります」

 お互いに今年もよろしくお願いします言い合ったあと、櫂君は手を振り帰って行った。

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