たまにはゆっくり

 師走の忙しさにやられながらも、そういえば、あの日以来神崎さんには逢っていないな。なんて、ふと思っていた。

 私に話をしたことで、何か心の整理ができたようなことを言っていたけれど、その整理とやらの結果はどうなったんだろう?

 お役に立てた事はいいけれど、未だに何のことなのか私にはさっぱりだった。

 それに、翌日に控えていた大学時代の彼女と交わした約束の日に、神崎さんは思い出の桜の下へと行ったのだろうか。

 私がいくら気にしたところで、どうにかなることでもないのはわかっている。だけど、神崎さんがずっと好きだった彼女に逢えていたらいいな、と思うんだ。

 神崎さんは私の一目惚れした相手だけれど、ずっと想い続けていた人がいるなら、その彼女とうまくいく方がいいと思う。

 私みたいないい加減で頓珍漢な女と、キスなんかしている場合じゃないと思うんだよね。

 こうして気にしてはみても、まるでストーカー呼ばわりされていた頃のように、神崎さんを見かけることがなくなっていることに、ちょっぴり寂しさを覚えてもいた。

 時折渡り廊下に面した窓に明かりはついているから、全く留守というわけでもないみたい。

 考えてみれば、大手に勤めているわけだし。この師走で仕事に終われ、忙しくしているのかもしれない。神崎さんは仕事もできそうだから、みんなに頼りにされて日々忙しくしているのだろう。


 そのままお正月もやってきて、私は年末年始をお祖母ちゃんと共に過ごしていた。

「あ~、みかん美味しい」

 おコタの中でぬくぬくしながら、なんとも緩い内容のお正月番組にクスクスと小さな笑いを零しつつみかんを頬張る。

 時々、御節なんかも摘んで、朝昼構わずビールを飲む。お餅だって、食べちゃうのだ。

 こんなにだらけられるお正月って、なんて素晴らしいのだろう!!

 お正月、ばんざーい。

「いつまでゴロゴロしてるんだい。お正月だからってのんびりだらけてばかりいたら、体が腐っちまうよ」

 心の中で両手を上げる私が見えてしまったのか、お祖母ちゃんは困った孫だという表情を前面に押し出し私を見ている。

 そんなお祖母ちゃんは、お正月にも拘らずせせこまと家の中を動いて回り、ダラダラしている私を叱る。

 昔の人は、本当に働き者だね。感心、感心。

「お祖母ちゃんが、しゃきしゃき動きすぎるんだよ。もうちょっと、のんびりしたら?」

 モグモグとみかんを頬張る私へ、お祖母ちゃんは呆れた溜息をついている。

「菜穂子が嫁に行く日まで、私は生きていられそうもないよ」

 私を一瞥してから、お祖母ちゃんは床に手をつくようにして立ち上がると、小物を入れるような小さな抽斗から何やら取り出している。

「それ、どういう意味?」

 小さな背中に問いかけると、こちらを振り向きざまに真面目腐った顔を向けられ一言。

「いかず後家になるんじゃないよ」

「いかず後家?」

 どんな意味だろう? と首をかしげている私に向かって、お祖母ちゃんが二度目の溜息をついた。

「意味が解らないなら。ほら。なんちゃらいう、今流行ってるので調べてご覧なさい」

 そう言い残し、「近所に顔を出しに言ってくる」と私を置いて、お祖母ちゃんは出かけてしまった。

「なんちゃらって、なんだ?」

 みかんを口に放り込み、もしかしてググれってこと? と思いつき、みかんを飲み込んだ。

 床に放り出していたスマホを手にして、“いかず後家”と入力したところで、櫂君からLINEがきた。

 ググろうとしていたことなどあっという間に脳内から放り出し、櫂君からのLINEを見る。

【初詣に行きませんか?】

 ほうほう。初詣ですか。

 年末から寒くてずっと家の中にこもり切りだったけれど、そろそろ外出するのも悪くないかな。

 櫂君に【了解】と返事をして、意味もなく鼻字を出してピースをしているふざけたスタンプを送っておいた。

 みかんの皮をゴミ箱へ向かって放り投げ、名残惜しく思いつつもおコタからでる。バッグの中にスマホを入れて上着を手にしていたら、さっき出て行ったばかりのお祖母ちゃんが戻ってきた。

「はやかったね」

「なぁに。山田さんとこの子供に、お年玉を渡してきただけだからね」

 抽斗から出していたのは、お年玉だったんだ。

「お年玉、いいなー。私も欲しいなぁ」

 小さな子供みたいにわざとおねだりすると、「いくつになって、そんなことを言ってるんだい」と、三度目の呆れた溜息をつかれてしまった。

 ちょっと冗談が過ぎたかな。

 私は、肩を竦ませ苦笑い。

 お茶を淹れ始めたお祖母ちゃんのそばへ行き、ニヤニヤとしながらバッグの中からウサギのポチ袋を取り出した。

「お祖母ちゃん。はい、これ」

「なんだい?」

 差し出された袋を見て、お祖母ちゃんはちょっと驚いた顔をして急須を置いた。

「私からのお年玉。たいした金額じゃないけど、たまには貰うのも悪くないでしょ?」

 ほんの少しだけど、いつもお世話になっているたった一人の身内へ感謝の気持ちだ。

 現金て言うのがちょっと生々しいけどね。

 さっきまで孫のダラダラ具合に将来を悲観していたお祖母ちゃんだけれど、今は晴れやかな表情に変わっている。

「あれあれ。私にかい? こりゃ、驚いたね。菜穂子も、そんなことを考えられるようになったんだねぇ。何より、その気持ちが嬉しいよ」

 お祖母ちゃんはポチ袋を両手で持ち、おでこにくっつけるように私へ向かってお辞儀をする。

「ありがとねぇ」

「美味しいお茶っ葉でも買ってよ」

「そうしようかねぇ。嬉しいねぇ」

 クシャリと笑う顔は、とても穏やかだ。

 一生懸命に生きてきた手や顔のしわが、とても誇らしく感じる。

 もっとずっと、長生きしてよね。お祖母ちゃん。

 ひとしきり幸せそうな顔を眺めてから、私はお祖母ちゃんに声をかける。

「私、ちょっと出てくるから。あ、たまにはみかんでも食べて、ゆっくりしなよ。お正月なんだからね」

 おコタのテーブルの上に置いたポチ袋を前に、お茶をすする小さな背中に声をかける。

「はいはい。気をつけて行っておいで」

 お祖母ちゃんの笑顔に見送られて、私は櫂君との待ち合わせ場所へと向かった。


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