縁遠いワード

 最寄り駅に降り立ち、商店街のお惣菜を見てまわる。あまり自炊なんてものに興味がないから、日々この辺りでどうにか食事を済ませようとしていた。商店街ならではの低価格なお惣菜たちは、一人暮らしになんともありがたい。

 揚げ物をいくつかと煮物、あとは、おにぎりと……。野菜くらいは、買おうかな。サラダのパックに目をやりつつも、エンゲル係数を少しでも抑えようと、八百屋できゅうりと半分になっている大根を買った。スティックにして食べよう。

 惣菜や野菜の入るビニール袋をシャカシャカと鳴らし、お祖母ちゃんのコンビニへ寄る。

 自動ドアを潜ると、レジにいた翔君が「菜穂子さーん、いらっしゃい」と声をかけてきた。

「こんばんは、翔君。今日もシフト?」

「俺、働き者なんで」

 テヘヘ、というように笑った翔君は「ビールですか?」なんて、馴染みの居酒屋みたいに訊いてくる。

「うん」

 翔君は、大学二年生のアルバイト君だ。わりと長く働いてくれていて、気軽に話す仲なんだ。

 レジに缶ビールを置くと、軽快にポスレジへ通して袋に入れてくれる。

「そろそろ、新作のお菓子が入荷しますよ」

 ビールの収まる袋を受け取ると、私にとって有益な情報をもたらしてくれる。

「本当。楽しみにしてる」

 ワクワクしながら、「またね」と手を振り、コンビニを出る。

 新作のお菓子に気分をよくして、鼻歌交じりで、夜空を仰ぎながら大通りを渡った。

 今は、まだ枝だけの桜の木を見る。

 この町には、桜の樹があちこちに沢山植えられている。駅を出てすぐの商店街も、大通り沿いにも近所の公園にも。そして、うちのマンションの周りにも。

 春になると町中が優しいピンク色に覆われて、その中にいると幸せな気持ちになって、自然と笑顔になるんだ。

「早く咲かないかな」

 待ち遠しい季節は、まだまだ先だ。その前に、冬がやってくる。

 寒いのは、苦手なんだよなぁ。

 自宅マンションに戻って手を洗ったら、まずはビール。プルタブを開けて、喉に流し込む瞬間の幸せときたらないだろう。

「はぁーっ。今日もビールがおいしいっ」

 むふふと笑いを零し、鼻歌交じりに惣菜をレンジに入れる。スイッチを押し、きゅうりを取り出したところで思い出した。

 あ、お祖母ちゃんに電話しなきゃ。

 櫂君にお願いされた通り、空き部屋の件でお祖母ちゃんに連絡する。ビール片手にコール音を聴いていると数回で通話が繋がった。

 今日は家にいたみたい。というのも、地主をやっているせいか何かと多忙なようで、留守にしていることもあるんだ。近所の寄り合いなどに出席しているのかもしれない。

「あ、お祖母ちゃん。ちょっと訊きたいんだけど。私のところのマンションて、空きある?」

「んん? ああ。あったけど、なくなったわ」

「え? なにそれ?」

「先週までは、菜穂子のお隣さんが近々引っ越すから空く予定だったけれど、すぐに次の人が見つかってしまってね」

 お隣さん、引っ越すんだ。思わず視線を、お隣にある壁へと向ける。

「そっか。ここって人気あるんだね」

「そりゃあね。駅には近いし、商店街もすぐ。最寄り駅は主要路線ときたら、人気だろうよ」

 お祖母ちゃんは、自明のことというように応える。

「もしかして。ここの家賃て、結構高いの?」

 家賃無しで住んでる孫の私は、ここの地代がいくらか知らない。

「高いよぉ。訊きたいかい?」

 お祖母ちゃんは、クククッとイタズラに笑う。ちょっと吹っかけているような言い方だけれど、本当に高かったら怖いな。

「いや、いい。知らないでおく」

 私が慌てて遮ると、「それでいい」と笑っていた。

 変に知ってしまったら、肩身が酷く狭くなりそうだ。甘えられるうちが花よ。

 櫂君には申し訳ないけれど、空きがないんじゃしょうがない。残念だったね、櫂君。

 引っ越してしまうお隣さんに余り会ったことはないけれど、確かちょっと年配の独身OLさんだったはず。結婚でもするのかな? だとしたら、めでたいお話よね。

 そういえば、以前同期の子が結婚退職をする時に、「本当におめでたい」と手を叩いて拍手していたら櫂君が「羨ましくないの?」なんて訊いて来た事があったな。

 私には縁遠い“結婚”というワードは、余りにもかけ離れすぎていて、羨ましいとか妬ましいとかいう感情など一切浮かばず。ただ素直に、おめでとうという感情を抱かせる。

 だって、人が幸せになるって、いいじゃない。それだけで、たくさんの笑顔が生まれるんだよ。そんな素敵なことって無いと思うのよね。

 そんな風に話す私を、櫂君が「微笑ましい」と言っていた。

 それって、いい意味なのかな? 相変わらず、何にも考えてないとも思われていそうだけれど……。

 今度、訊いてみようかな。

「ご飯は、食べたのかい?」

「今から食べるところ」

「そうかい。商店街の惣菜ばかりじゃなく、たまには自炊もしなさいよ」

 まるで見ていたかの如く言われて、苦笑いがこぼれる。

「じゃあ、今度おばあちゃんの家に行くから、手作り食べさせてね」

「菜穂子の他力本願が出たね」

 そう言って、お祖母ちゃんがククッと笑う。それでもやっぱり孫は可愛いのか、「その時は、たーんと作ろうかね」と優しく言ってくれた。

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