自宅巡り その四(2):揺れる姿も美しき哉

 そもそも兵吾ひょうごの自宅警備員・香美田島かみ たじまは、少年・守宮継嗣やもり つぎつぐと面会するつもりはなかった。

 

 全国の自宅警備員に自らの推薦を依頼して回っている少年の噂は、すでにこの兵吾の地にも届いていた。

 聞くところによれば、その少年はかつて自宅警備の秘を一般人に漏らすという大罪を犯しかけた愚か者であると云う。

 しかし田島にはどうでもいいことだった。


 分家のうるさ方はこの噂を耳にして、いざ兵吾に現れようものなら叩きのめしてやれと焚きつけられた。

 が、田島本人の性格は少年を罰してやろうと思い込めるほど激しくもなく、かといって救ってやろうと情けをかけるほど甘くもなかった。


 ただただ、関わり合いにならず、この地を素通りしてくれればそれでよかった。

 もしやってきても会わぬと断固として突っぱねれば、それで済む話であった。


 だが少年は思いがけないものを手にしてやって来た。

 大飯田おおいたの自宅警備員・廣田宇佐ひろた うさからの紹介状である。


 大飯田と兵吾はともに神州でも有数の温泉街を営んでおり、その繋がりから懇意な間柄である。

 温泉の技術やノウハウは大飯田からもたらされたものも多く、両者の関係は切っても切れぬものだった。

 それ故、自宅警備員直筆の紹介状を一蹴するわけにもいかず、仕方なく会談の場を設ける運びになってしまった。




 ■  ■  ■




 ――――これが問題の。


 実際に対面して、田島はまず嘆息した。

 出会ったばかりの少年に失望したのでない。

 むしろその逆である。

 

 巷説に見られる卑劣な風采は一切感じられず、どころか畳の上に威風堂々たる様は若年ながら堂に入っていた。

 自宅警備員たる膨大な基礎がその内に既に組み上がっているような。

 このまま歳を重ねれば、そのまま一角の自宅警備員に成れるような。


「お初にお目にかかります。東都圏自宅警備員・守宮順敬の子、守宮継嗣と申します」

 

 だが、田島は知っている。

 人の見た目など、いくらでも偽る事が出来る。

 いかに成熟した肉体を持っていても、その精神まで計り知る事は出来ない。


「…………香美田島だ」


 少年の挨拶に軽い名乗りだけ済ませて、田島は押し黙った。


 外では節操なくセミの鳴き声が夏の盛りを謳歌していた。

 その音で時を誤魔化すようにしてしばらく黙り込んでいたが、少年が先にしびれを切らして口火を切った。


「現在、私は罪を犯し、その罰として自宅警備員の継承権を失っております。つきましては私が再び自宅警備員候補に戻れるよう、当主に向け、推薦状を一筆書いては戴けませんでしょうか」

 

 おそらく方々で言って回っている言葉なのだろう。歯切れも良く、内容の浅ましさを微塵も感じさせない不思議な気骨が感じられた。

 だがしかし、それでも香美田島の心には響かない。


「……断る。俺が君に一筆添えてやる義理などない」


 にべもなく突っぱねて、田島は組み上げた太い腕を鈍く光らせた。

 田島の背後にある押入れの襖絵には荒々しい猛牛と巨大な松葉ガニが描かれている。

 その異形の絵と相まって、田島は一枚の絵画のようだった。

 その様は雄々しく、常人ならば容易に二の句を継がせぬ強烈な圧迫感を伴って対面の少年を威圧した。


「ならば如何なる方法でも。俺を試してください」


 しかし、少年はその重圧を物ともせず、どころか動揺する素振りすら見せず、さらに田島にすがりついた。


 その度胸に感じ入るものがない訳ではない。

 だが、それでも田島の心は動かなかった。


「くどい。俺が君を試す義理などない。この場はあくまで廣田殿に対し、義理を果たしたにすぎない」


 話はこれで全てか?

 そう切り捨てる言葉はすでに拒絶だった。


 少年の意思を無視し、田島は立ち上がる素振りで足を踏ん張った。

 だがその瞬間、奇妙な感覚に囚われた。


 それは実に奇妙な感覚だった。

 勢いよく踏ん張ったはずの足元がうねるようだった。

 それが自身の不調によるものか判断しかねる間に、対面の少年が目に入る。

 

 少年も驚愕していた。

 額には冷や汗を浮かべ、座ったまま床に手をつけて地面のありかを確認するようだった。

 

 大地が、揺れていた。


 昨今、この神州では忘れらがちではあるが、それでも時折、地震は起きる。

 だがそれも震災と呼べるほどのものではなく、いずれも微震と呼ぶべき些細なものに過ぎない。

 

 多くの例に漏れず、この揺れもすぐに収まっていった。

 幸いにも、と云うべきか、あるいは当然、と云うべきか。

 当時の政府高官の記録によれば、この地震による人的被害の報告は一切上がってこなかったと云う。


 この二人にしても、天井の崩落や落下物などによる災難には遭わず、大過なく震災をやり過ごした。

 だが、しかし。

 なぜか田島も少年も、不思議なことにその場に固まって動けなくなってしまっていた。


 現役の自宅警備員、そしてその道を志すものが突然の地震に狼狽したというのか。

 いや、そんな筈はない。


 事実、もしこの場に狼藉者が乱入してきたのなら、両名ともに迎撃態勢を取り、すぐさま撃退する心構えだった。

 そんな男たちが、なぜか固まっている。


「……え?」


 息の切れ間に、少年が短く困惑の声を漏らした。

 それを潮に、室内の時間が再び時を刻みだしたようだった。


 時が動き出した室内に大きな変化は見受けられない。

 ただ一点。

 そのただ一点のみが異なっていた。


 わずかな揺れであった為に、室内に備え付けられてあった家具に変化はない。

 タンスに本棚。クローゼットに至るまでその位置にはズレすらも見当たらない。

 しかし、その上に置かれていた幾つか、田島の私物を収めていた段ボール箱。

 その一つが落下していた。


 その落下物を凝視しながら、少年が問うた。


「…………香美さんって、たしか独身、でしたよね?」



 事実である。

 田島は自宅警備協会から派遣された地巫女とは折り合いが合わず、独身を貫いていた。

 今も幾つか縁談が舞い込むのだが、どうにも歯切れが悪い。言わずもがな、子供がいるはずもない。

 この自宅に起居する者は、田島のみである。


「…………」

 

 では、は何なのか。

 田島は答えない。


 少年の足元にこぼれ落ちた、ダンボール箱の中身。

 それはこの場には最も不釣り合いな代物だった。


 その存在は赤く、赤く。

 赤い果実を思わせる上等の牛革が独特な光を照り返していた。


 それは誰の目にも明らかな、小児用ランドセル。

 しかもその色合いは男子用ではなく、女子の多くが好んで用いる赤色である。


 無骨な二人の男にはそぐわない、愛らしいランドセル。



 後年、田島はこの時の出来事をこう述懐する。

 あるいは、あれは地鐸ぢたくの導きであったのかもしれない、と。

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